第3話

 飲み会があってから、康子や沙織とつるむことが多くなった。

 今日の講義も、三人とも共通な講義ばかりだったので、三人で並んで座った。

 二コマ目の授業中、康子が琴を小突いた。

 「何、康子?」

 小教室だったので、あまり大声で話せなかったが、康子は携帯のメールを見て、小声で言った。

 「ゲットー!!」

 「えっ、前田君」

 「デートの誘い来たよ」

 「まじ、良かったね」

 教授が、咳払いをしたので、二人は黙って前に向き直った。

 小教室の講義は、生徒数も少なく専修の科目ばかりで落とせないこともあり、大教室の講義よりも緊張感が漂っていた。

 琴たちは大学二年で、三年の終りまで進級試験は無かったが、試験ぎりぎりになってから単位が足りないとか言って、あちこち講義を出まくるのも莫迦の真似なので、そういうことのならぬよう、特に専修の科目は落としてはいけないと、琴は講義を真面目に聞くほうだった。

 でも、大学出たらどうするかなど、全然不透明だった。

 多分、普通の女子のように、そこそこの会社に入社して、社内恋愛して寿退社して、普通の奥さんになるんだろうなあ……。

 琴は敢えて思って見たりもするが、どうしても、その具体的イメージが想像できなかった。

 結婚相手見つけるために、いい会社に就職する、そのための大学の単位取りか……。

 そう思うと、琴は情けなくも虚しくもあった。

 その講義のあと、三人でいつもどおり学食でランチを食べた。

 そのとき、沙織が康子に訊いた。

 「前田君、何て?」

 「今度、新宿に映画見に行こうだって」

 「さすが、前田ってお登りだね。とりあえず、街出たいんだわ」

 「酷いこというね、沙織」嫌な雰囲気になりそうだと思った琴は、咄嗟に沙織を嗜めた。

 「沙織のほうも、もてもてじゃない。飲み会のあと、例の二人からメール来たんでしょ?」

 「でもね、琴。二人とも、たいしたことなくて。知ったかぶりの自惚れ男ばかりで、嫌に成るよ全く」

 琴は、沙織の過去が、少々気になった。どういう過去を経てどういう心の傷を受けたら、こんなに僻みっぽくて高飛車で、男を軽蔑するくせして男に飢えているみたいな小娘に成れるのだろうか……?

 琴の見るところ、確かに、沙織の顔は、俗に可愛い顔であった。睫が長くて目がパッチリ、眉もりりしく鼻筋が通っていて、唇も苺色だった。しかも、身長が手頃な上に、胸はDカップ、ウエストも締まっていて脚も長かった。まさに、性格を覗けば、美女だった。

 なのに、なんでこんな小娘なんかね……。

 琴は、沙織と付き合いだしてから、そう感じていた。

 性格は、康子の方が断然女の子らしくて、琴は、康子の方が好きだった。でも、なんでだか、沙織も憎めなかった。嫌な性格なのに、どことなく、人間味があるからだと、琴は思っていた。

 「でも、二人とも声かかるだけいいじゃん。私なんて、壁の花だからさ……」

 沙織が、真顔で琴を覗き込んで言う。

 「飲み会で知り合った男、紹介してあげようか?」

 「いいの、沙織?」 

 「いいよー、二人とも興味ないから。……お勧めはね、通路側に座っていた平瀬君。彼の方が、優しさが上だから、琴向きだとおもうわ」

 「じゃ、平瀬君に訊いてみてくれないかな? 私でいいか」

 「わかったよ、すぐ訊いとくよ」

 二人が会話している間、康子は前田とメール交換をしていた。デートの日取りを決めているようだった。


 その日、家に帰って父母と共に夕食を終え、父がいつもどおり、先に入っていいというので一番風呂に入って、部屋で髪の毛を乾かしていると、沙織からメールが来た。

 ――平瀬君、付き合ってもいいって。メルアドと電話番号教えといたよ。平瀬君の情報添付しといたから、登録しておいてね。

 琴は、沙織にメールを返すと、パソコンのスイッチを入れた。また、検索バーに「山際巧」と打ち込む。

 山際巧のホームページを開く。ホームページには、ディスコグラフィーや、経歴、スケジュール、ブログなどが載っていた。

 このまえ聴きそびれた、オリジナルアルバム「岩風」をコンポにセットした。

 清水のようなクリアーな単音から始まる。

 単音がぶつかったように弾け炸裂して複数の混合になり、また単音に戻る、そのリズムを変調するリズムが、自然の造形を想起させ、琴は、硬いたたきに滴り落ちて弾け散る水流を想起した。

 正直、背筋から頬に掛けて、ぞわっとした。

 「これ、まじ、いい」

 音楽を掛けながら、ホームページを見る。

 スケジュールには、コンサートは、都内では来年の冬二月に一回あるみたいだった。

 何とか、行けないかなあ……。もうチケット取れないかな……。

 リンクを見ると、一般発売が約三ヶ月後になっている。

 ため息をついて、CDジャケットを見た。山際のりりしい姿が写し出された冊子を取り出してページを捲ると、中からCD購入特権の紙切れが紛れ落ちてきた。

 ――CD購入特権・コンサート先行予約

   次のURLからログインし、以下の購入者番号を入力して下さい。

   URL:http://yamagiwatakumi.com/p-reserve/CD-special/

購入者番号:01258

「私って、付いてない?」

 急いで、ブラウザのアドレスバーにURLを入力して、ログイン画面から購入者番号を入れた。画面に、コンサートの日程が出る。

 ――2/13 東京国際フォーラム 18時開演  先行予約受付開始 12/1

   3/13 大阪市中央公会堂  18時開演  先行予約受付開始 1/5

4/24 名古屋国際会議場  18時開演  先行予約受付開始 2/1

   先行予約は厳正な抽選によって選ばれます。当選発表は、一般販売開始の二日前とし、当選した方にはメールによってお知らせします。入金を確認し次第、チケットを郵送いたします。

   以下に、希望コンサート及び枚数と、住所、氏名以下、入力フォームに従って、入力下さい……。

 携帯に、電話が掛かってきた。

 むかっときた琴は、ぶっきらぼうに出る。

 「はい」

 「あ、こんばんは。さっきメール行ったと思うけど、田島さんから紹介された平瀬です」

 ――ちょっと取り込み中なんだけどなー、私。

 「こんばんは、初めまして」

 「っていうか、この前、会ってるし」

 「いいよ、私で良ければ。フリーだから」

 「えっ、そんなに早いの?」

 「私、忙しいから」

 「ちょっ、ちょっと、話しようよ、少し」

 琴は、平瀬など、正直どうでも良かった。今は、山際巧のコンサートのことで、頭が一杯だった。

 「あ、じゃ、明日、大学で会おうよ。君も林産科?」

 「いえ、僕は蚕糸科。……あ、じゃ、明日携帯に電話入れるよ。忙しいみたいだし」

 「悪いね、そうして」

 「じゃ、明日。おやすみなさい」

 「おやすみなさい」

素っ気無い会話だったが、あまり平瀬に興味の無い琴としては、当然のことだっただろう。琴も、あまり平瀬に期待はしていなかった。また、同時に、現実に期待を持てずに、冷めてしまっているところもあった。

 電話が切れて、ようやく、ホームページに戻れた。

 しかし、先行予約は、東京の場合、十二月一日まで出来ないらしかった。

 コンポは、佳境に入って激しいプリズミックなバリエーションの旋律ととダイナミックなリズムテンポの変移を、山際のピアノが眼の前にあるかのように、弾き描いていた。

 窓の外を見ると、仲秋の明月が、薄白く光っている。

 ――早く、コンサートに行きたいなあ……。

 琴のこころは、音楽の清榮に洗われて、青空のように広がった。

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