12 【一撃離脱】


 ディアライトを目指す旅路の間に、季節は一つ歩みを進めただろうか。常緑と呼ばれる土地柄もあるだろうが、騎士団謹製の制服は最早着る必要が微塵も無く、冷える夜の野宿の際に毛布代わりに羽織る程度であった。



 スラエータオナは騎士団の下っ端として食料の買い出しなど雑務をこなす傍ら、基礎体力を付けるための鍛錬と聖霊巫術の練習を毎日の習慣としていた。相変わらずアシャからは「素質がある」以上の言葉は引き出せていないが、地道な練習のおかげか数か月前に比べて体の操作性は上がった気がしている。



 話によれば、件の鉱山都市には今日の日没前に辿り着けるほどの所まで来ているらしい。深い森と急峻な山々は未だその都市の全貌を隠してはいるが、今日だけでそこそこの数の商い馬車とすれ違った事からもそれは正しい情報なのだろう。



 街道の両端に鬱蒼と生え揃った木々からは鳥やらの野生動物の鳴き声が絶えず聞こえ、まるで天然の演奏会である。よく整備された起伏の無い道路の走り心地にすっかり弛緩し、この数ヶ月でほぼ使い切った話の種から何とか見栄えのする花を咲かせて時間を潰していると、一際甲高い鳴き声と鳥たちの一斉に飛び去る羽音が聞こえた。


「何だ、バリガーでも出たか?」


 赤髪の女は欠伸を噛み殺して暢気な声を出したが、言動とは裏腹にしなやかな美しい手は愛剣へと伸びている。息を呑んでいる間にも次第に外の様子は騒がしくなり、幌が無遠慮に開けられて勇壮な男の声で命令が飛んだ。


「出られる者のみ来い、賊が出た」


 火急の事態故に口調は強かったが、その命令はまだ戦闘慣れしていない少年たちを気遣ったものだろう。振り返らず一拍で飛び出していった紅の剣士とは違って、慌ただしく駆け出す足音にスラエータオナの体は硬直し、三人は外への一歩を踏み出すことが出来ずにいた。


「服で分かりそうなのに騎士団なんか襲っちゃって、見る目無いよね」


「いや、ディアライト(ここ)は暑くてみんな脱いでるから、隊服に関しては判断がつかなかった可能性もあるだろ。仮に商団と勘違いしたとして、こんな大路地で白昼堂々襲うか? ってのは俺も確かに気になるけど……」


 罵声の混じった鬨の声と微かな金属音が、馬車の外から響いている。知らず頭を突き合わせた形になった三人は、絶えず動く戦況の真ん中で、切り離されたかのようにそれら全てと無縁だった。


「なんにせよ、ボクらにとって向こうの動機は重要じゃない。今選ぶべきなのは戦うかどうかでしょ。こと戦闘に関しちゃアシャちゃんがいるけど、みんなの前で聖霊使って平気? 一応隠さないとダメな奴じゃない?」


「確かに私と聖霊の力は秘匿されるべきですが……今、助力しない事によって生まれる損害があるのなら優先順位は──」


「なら行こう!」


 冷静な少女の口から出た損害というワードに、スラエータオナの体は即座に反応する。自らが救えたかもしれない命を自己判断で斬り捨てる可能性、それを想像した瞬間にスラエータオナの心は震える体を凌駕して自然と『心透』を手に取った。


「二人は来たくないなら来なくて良い! 別に切った張ったはできないけど、負傷者を手当てするくらいなら俺だって出来るから!!」


 怖れを蛮勇に変え、黒髪の少年は勢い良く馬車の木板を蹴って外に飛び出そうとして、


「……ダメだ!」


 唐突に血相を変えたドゥルジに裾を強く引っ張られ横転すると共に、本来ならまだ両足があっただろう場所で鳴る不気味な風切り音を聞いた。


「へ?」


 間抜けな疑問符と共に、強引に開かれはためいた幕の外を見やる少年。その先には、棒状の長物を一閃した体勢のとる頬に大きな傷を持つ男が一人。視線が交錯して、外の男は一度スラエータオナへと距離を詰める動きを見せたが


「……っ!」


 焦ったように歯噛みして素早く視線を周囲に向け、足早にその場を離れていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「というのがこっち側の顛末です。結局ボクらが遭遇した頬傷の男に関しても目的は不明でしたね~」


 とある幌の内で、気の抜ける少年の語尾が空気を揺らした。その報告を受けた長身の男は、長い脚を折り曲げて狭そうにしながら揺れる車内で報告を書き留めている。


「捕らえられたのは約半分、そのどれもが頑なに口を割らないと来た。……いや分からないな、目的がまるで分からない。私達を狙っていたのなら作戦と人数の見積もりが甘いし、狙ってないのなら周到が過ぎる」


 男はそう呟いて鉛筆の尻で頭を掻き、戦闘ですら崩れなかった丁寧に撫でつけられた髪を乱す。


「良いんじゃねぇの、今の時点での細かい詰めは。どうせディアライトの支部と擦り合わせが要るんだろ」


 その隣に腰掛ける赤髪の女はそうぶっきらぼうに呟き、手狭な馬車内で身じろぎして自らの座る空間を増やした。



 唐突に始まり唐突に終わった襲撃事件、それは拍子抜けする程にあっさりと騎士団の完勝で幕を下ろした。そもそもが奇襲であったにも関わらず、最初の血が流れる前に騎士団が戦闘態勢を取り終わっていた時点で勝負は決まっていたのだろう。波状に攻めてきた賊の第一陣、それを騎士団は無用な殺生すら行わず圧倒的にねじ伏せ捕らえて見せた。



 スラエータオナたちはその一部始終を視界に収めてはいない。だが、数十人同士の白兵戦を敵味方問わず人損なしで終わらせる、その隔絶した戦力差は胸に焼き付いた。


「ま、張り切って捕まえ過ぎた賊を押し込めるのに馬車がいるから、ボクらがこんな狭苦しい思いをする事になってるワケなんだけどね」


「おいくっつくな、キショい」


 馬車の揺れに合わせて大袈裟に体を傾けたドゥルジの顔に、ウォフの肘が容赦のない速度で当たった。


「……」


 三十余名の賊を捕縛した王都騎士団は、そのまま野に放置する訳にも行かずスラエータオナたち「アムシャ・スプンタ側」の乗っていた馬車を簡易牢として利用し、ディアライトへと連行している。多数の犯罪者を独断で街へと引き連れる行為は街側から反感を受けても仕方がないが、継続的に拘留する施設はディアライトの支部くらいにしか無いだろうというリュウの見立てだ。


「さっきから考え事してますけど師匠、何か気になることでもあったんですか?」


 師匠と呼ばれた小柄な蒼銀髪の少女アシャは、胡座をかいたウォフの臀部にちょうど収まる形で座っていた。いつもの固い表情で黙りこくったアシャの、些細な仕草の差異に気付いて話を振ったスラエータオナに、碧眼の少女は視線を上げて隣のニヤつき顔と目を合わせた。


「さっきのドゥルジさんの報告。端々に抜けがある事は問題ではないんですが一つ意図的に説明されてなさそうな事があって……ドゥルジさん、どうやって馬車外からの攻撃を予期したんですか?」


「……いや? たまたま隙間から見えただけだよ?」


 追及のつもりなのかは不明だが、相変わらずアシャはドゥルジの一挙手一投足に対して噛み付く。この数ヶ月で感情表現が上手くなったとはいえ、彼女の本質が誰にでも慇懃な才女には変わりない。彼女がドゥルジを嫌う理由が分からない以上は、その態度は一貫して不自然に映っていた。


「この男が誠実味に欠けるのは1ヶ月ドゥルジの教育係をさせられた私が一番身に染みていますが……その実、何かを企んでいる様で何もしていない男です。気に障るのは分かりますが、どうかお収めを」


 そして、意識的に団員へ高圧的な態度を振りまいている節さえあるリュウ・シェンは、何故かこの少女へはへりくだって物事を話す。それは彼女の真実を知った上で彼なりに敬意を払った結果なのかもしれないが、このお陰で三者は上手くバランスが取れていた。


「ごほん。所でもうすぐ街に着くわけだが、私は支部の方へはすぐに顔を出せないぞ。ディアライト首長への表敬訪問があるからな、全く胃の痛い仕事ばかりの立場だ……」


 視線の重ね合いに負けたアシャが呆れて視線を床に落とし直すのを見てか、リュウは態とらしく咳払いをし、誰に宛てたわけでも無い独り言を朗々と口に出した。それはさりげなく話を切り替えて次の話題へと誘導したつもりだったのだろうが、余りの大根役者にドゥルジは口端の緩みを抑えきれていなかった。


「へぇ、大隊長ってそんな仕事までしないといけないんですね……」


 そして隣に、意図を汲めず素直に感心してしまった少年が一人。都合リュウと最も近い位置にいたスラエータオナに、おかしいなと首を捻った大男が少年の耳へと口を近づけた。


「スラエータオナも行くのだぞ。『そっち』絡みの情報があるなら間違いなくそちらだからな……失礼の無いように、姿勢だけでも良くしておけ」


「……え、えぇ!?」

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