11 【上陸】
今日も今日とて、手持ち無沙汰に馬車の揺れへと身を任せる。流れる風景は代わり映えもなく牧歌的で、間もなく大ナイル共栄圏入国の検問所に差し掛かるとは信じられなかった。
加えて、今日は落ち着かない要因がもう一つある。それは馬車の前方にあって、
「あの、つかぬ事をお聞きしますが、どうしてリュウさんが御者をやっているんでしょうか?」
思わず質問しなければ間が持たない程に、それは歪な光景だった。
パルシスタン王国の懐刀たる王都騎士団、その中でも選りすぐりの化け物のみが到達できる域に住む大隊長の一人が、何食わぬ顔で馬の手綱を握って鼻歌など歌っていた。
「そんなにおかしいか? これでも馬の扱いには自信があるんだが」
「いや、そうだけどそうじゃないと言いますか」
上機嫌なリュウと言うのも随分と珍しくはあったが、それ以上になぜ彼が使用人のやる様な仕事をこなしているかが気になった。
「スラエータオナは誤解をしている。そもそも騎士団とは、警察全体の内で帯剣と国外への武力行使が認められた一部の隊員をまとめた組織名であって、貴方が考えているだろう特権階級とは少し風味が違う。大隊長という大層な肩書きも地位を保証する物では無い、必要なら炊事だって水汲みだって仕事の内だ」
リュウは、いつもの無理をして固くした様な口調でスラエータオナの認識を正す。陽気な昼下がり、糸が切れた様に並んで壁にもたれかかっていたウォフとドゥルジは、話には加わらないまでも興味深そうに耳をそばだてていた。
「騎士団が成人ばかりなのは気にならなかったか? あれは警察で十年以上の連続勤務を経た者しか配属権利が発生しないからだ、基本に則るなら騎士団は最年少でも二十五歳からしか入れん」
「そうなんですか。てっきり、それくらい時間をかけないと騎士団に入る強さは身に付かないからだと思ってました」
「まさか。本当の天才は我々の様な凡人の努力など一足飛びで越えていく、門戸を開けばそれなりに若い血も入って来るだろうさ」
リュウの話は相変わらず簡潔で、必要な情報だけを伝えていく。ただ最後の言葉、凡人の括りにリュウ自身を含めて語った響きには、謙遜よりも自虐の色が強く聞こえた。
まだ実力を直接見たことは無いが、リュウとてあのイオアニスと同格の地位に立つ傑物である。そんな彼が自分を卑下する程の「天才」の存在は、しかし黒髪の少年にとっては星同士が明るさを競っている様な実感のない絵空事だ。意図せず自分の無力さを殊更に痛感させられて、スラエータオナは苦し紛れに別の話題を探す。
「そう言えばこの街道に出てからずっと等間隔に変な建物が立ってますけど、あれって何なんですか?」
「あれは腕木通信用の塔だ。人や鳩に書簡を運ばせるより随分と効率が良いらしくてな、見通しの良い街道では、塔同士で手旗信号の様に簡単な言葉をやり取りして遠くまで素早く連絡を送るのだそうだ。全く、よく考え付くものだな」
リュウは純粋に感心した口ぶりで、その奇妙な建物を解説してくれる。奇怪な形の組み木が頂上に付いた塔は、まるで街道を走る馬車の群れを代わる代わる監視している様で何となく落ち着かない。
「さて、そろそろ大ナイルの入国検問所に着くぞ。人は人、荷物は荷物で検査されるから、出れる準備はしておけよ」
リュウの言葉通り、馬の目線の先には人工的な色がぼんやりと陽炎の様に揺らめき始めていた。今回の旅路ではこの砂と河の国に然したる用は無い。それでも未知の冒険という物に当てられて、どこかスラエータオナの心は逸るのであった。
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順番待ちの長い列に並ぶ。貿易で強く結びついているという位だからそれぞれの国の行き来は比較的自由なのだと思ったが、残念ながらそこまで手放しの信頼関係という訳には行かず、門前にはそれなりに手厚い歓待が待ち構えていた。
「ウォフ、ずっと気になってたんだけどその大きな首飾りって何?」
雰囲気に気後れして、必要もないのに声を潜めて話しかける。尋ねられたウォフは「これか?」と下から服を押し上げていた無骨な石のネックレスを取り出し、目を細めて教えてくれる。
「これはな、おれがパルシスタンに入る時に身分証明に使った
そう言って、赤髪の女はそれが素肌に触れる様、また元の位置に掛け直す。直接当たったら痛くないのかという無粋な質問は喉元に来る前に飲み込んで、スラエータオナは少しだけ目線の高い生きる炎を見つめた。
彼女はちょっとした物と表現したが、その扱いはお守りや形見のそれだろう。スラエータオナ達にヘミでの日々が在った様に、ウォフにはウォフの物語が存在する。彼女は生来のさっぱりした気質で過去を語る事も無ければ匂わせる事もしないが、いつかもう少し彼女と気の置けない関係になれた時は、彼女のこれまでの旅路を尋ねてみても良いかもしれない。
と、感慨に浸っていたところで、背後から遠慮がちに裾を引っ張る感触がする。
「あの、私は大丈夫なのでしょうか。潔白ではありますが来歴はあやふやで、騎士団の同行者としていささか不審なのでは」
碧眼で上目遣いに不安を訴えかけてくるのは、アムシャ・スプンタを探す今回の旅路の鍵を握る人物であるアシャ・ワヒシュタだ。
アシャは、この一ヶ月でかなり感情表現が出来るようになった。いや、余りにも薄弱だっただけで元から兆候はあったのだから、正確には上手くなったと言うべきだろうか。ともかく、人形の様だった彼女は、この一ヶ月と少しの間に一通りの喜怒哀楽を表出する術は身に着けた。
相変わらず態度は慇懃を崩さず、表情も必要時以外は口を真一文字に結んでいるが、それでも必要に駆られた時に出来ると出来ないとでは大きな差だろう。アシャが人間らしくなっていくのは、何故だかスラエータオナにとっても面映ゆかった。
「おっとアシャちゃん、それについては心配しないでくれたまえ。こっちでちゃんとシナリオ作ってあるから、さ」
芝居がかった、要旨を掴ませない語り口でドゥルジはアシャへと目くばせをするが、アシャは一度こくりと頷いただけで澄まし顔のまま列の方向に向き直った。
感情と言えば、変わったのはアシャからドゥルジへの態度だ。出会ったばかりの頃、軽薄で大仰なドゥルジの仕草に対して、少女は今より感情が少なかったにも関わらず訝し気な目線を投げかける事が少なくなかった。
最近は随分と嫌悪の態度も大人しくなったが、長年の付き合いであるスラエータオナすらドゥルジの道化を演じたがるきらいには辟易する事がある。なので、蒼銀の髪の少女の軟化も慣れたかどうかの違いだけなのだろう。事実、一つ屋根の下に暮らしているがアシャからドゥルジへ話しかけるというのは極めて稀な光景であった。
「次、申請してない危険物は持ち込んで無いだろうな?」
列が進み、頭に巻き布をした厳めしい男が威圧的に声を掛けてくる。スラエータオナたちは身の潔白を証明するかの様に、騎士団の隊服であるハーフコートの前を開いて佩いた刀剣以外の武器が無い事を示した。
「ふん、騎士団にしては随分と青白いガキ共だな……通って良し!」
男はどこか腹立たしげに悪態はつくものの、職務として素直に許可証らしき紙切れを渡してくれる。しかし、その目線は進んだ先の少女を見下げて止まり、
「ただしこの子供は別だ。見たところまだ十かそこらだろう、こんな物を騎士団の一員だと言われて了解したと言えるわけが無いだろうが」
詰問する男の眼光は鋭いが、それは自身の責を分かっているが故の誇りから来るものだろう。あくまで常識的な観点からアシャを拒むターバンの男、しかしそれを見越していた男が此処に一人。
「いやぁ、あからさまに怪しくてすみませんね。この子はアシャって言うんですけどね、我々が行きずりに捕まえた強盗団から押収した物品に混じってた奴隷の子でして、他の物から推察するに恐らく出自が南方大陸なんで連れ立って身寄りを探しているんですよ。こちらの書類にある通り疾患検査と精神鑑定は済んでるんで、ちょ~っとグレーですけどこの通り子供なんで通してくれませんかねぇ?」
よくもまぁ、台本もないのに舌が回るものだ。怒涛の勢いで言葉を浴びせられ書類を顔に押し付けられた男は、ドゥルジの手から強引に紙を引っぺがして目を滑らせ、忌々しげに舌打ちをした。
「筋は通ってる。本当ならこんな物で許可は出せないんだが、パルシスタン騎士団が言って来てる以上はこのガキが問題を起こせばすべてお前らの責任問題になるんだな?」
「えぇまあ、ただそんな事にはならないですけどね?」
検問官は訝しみながらも、騎士団が責を持つという断言で溜飲を下げたのかアシャにも許可証を渡してくれる。恭しく腰を折ってそれを受け取る貫頭衣の少女、ターバンの男はそれを何か不吉な物を見る様な目で見下げて、
「それにしても、女の名前にアシャ・ワヒシュタとは。ハッ、随分と古臭い名前だな」
そう吐き捨てた。
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