09 【南へと】

 

 その報せは突然に舞い込んできた。



 未だ冬の香りが消えぬ街、もう日課となった鍛錬により流れた汗を拭っていると、かび臭い道場の扉が無遠慮に開け放たれた。


「おいスラエータオナ、第一大隊長殿から直々に呼び出しだ。くれぐれも待たせるんじゃないぞ」


「あ、はい! ありがとうございます!」


 簡素な連絡に混じる若干の高圧的な態度を感じつつ、気にせず出来る限り明るく返答する。スラエータオナたちは騎士見習いという形式こそ取っているものの、正式な騎士と交わる事はほとんどない。いや、そもそも交わる事はできない。



 当然同じ領地にいる上に、食堂だって備品だって兼用なのだから顔を合わせる機会などいくらでもあるが、だからと言って共有できるものなどない。騎士と呼ばれるこの国の最高戦力は、黒髪の少年なら吐いてしまう様な訓練など造作もなくこなすし、そもそも年齢だって皆一回り上だ。



 彼らからすれば、事故に巻き込まれて身寄りのない迷子が、自分たちの敷地で真似事をしているだけなのだろう。同じ所にいないのだから、そこに善意も悪意も無い。先ほどの一方的な態度も、スラエータオナが感じている壁がそう聞こえさせたに過ぎない。


「よし行くか……ちょっと汗臭いかな」


 故に、スラエータオナは悲観しない。人生において何の努力もしてこなかった自分にとって、届かない世界があるのは当然なのだ。それを正しく認識し、少し弱気になってしまった心を冷水で顔ごと清めて、彼はリュウ第一大隊長の元へと歩を早めた。


 ──

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「すみません遅れました──って本当に俺が最後だったのか」


「謝りつつ、明らかにボクの方が遅く来るって思ってたよね今。ボクはいっつも一歩遅いから気持ちは分かるけど、口にするのはあんまりかなぁ」


 駆け足で到着し、扉を開くと同時に謝罪したが、そこに広がっていたのは想像していた物とは少し違う風景だった。込み入った話をするときには決まって使っていた応接室、本来なら貴人をもてなすであろう格式高い長椅子には、その椅子に相応しいがこの場には相応しくない人物が折り目正しく腰掛けていた。


「師匠も呼ばれてたんですか」


 師匠と呼ばれた碧眼の少女は、その呼び名に抵抗を見せず短く返答する。いつもの顔ぶれに加えてアシャ・ワヒシュタまで召集されているとなれば話題は一つ、スラエータオナがそれを敏感に嗅ぎ取ったのを確認してか、長身の武人は前置きも無しに本題へと斬り込んだ。


「アムシャ・スプンタの眠る可能性のある地に遠征に行くことになった。よって貴方がたにも同行してもらう」


 リュウの言葉は解釈の余地のないものだった。瞳孔を見せない鋭い目つきの騎士は、最短かつ最速でスラエータオナたちの次の行動指針を示した。


「そりゃいいけど、一体どこなんだ。遠征って言うからにはそれなりに遠いんだろ?」


 ウォフは背もたれに腕を回して、目上に対して不遜な態度で話の続きをせがむ。あるまじき粗野な態度も、彼女ほど見目麗しく男性的な人物が行えば一種の絵画のようになる事は、どこか卑怯に感じられた。


「そうだな、過ごしていて気付いていたとは思うが、騎士団には主に三つの業務がある。一つが駐屯して訓練を積む。一つが警察と共に王都と周辺の治安維持にあたる。最後の一つが、歎願に応じて兵力を国の外へ向け、解決あるいは鎮圧を行う。今回は最後に述べた仕事だ、場所は南方大陸中央部」


「マジかよ、往復で何ヶ月かかるんだ? 各地にあんたらの支部があるのは知ってたが、本部までそんな簡単に動くもんなのか王都騎士団ってのは」


 リュウから目的地を聞かされ、真紅の女は大げさに手のひらでジェスチャーをとって呆れを表現していた。その様子を泰然と見守るアシャが地理にどれくらい詳しいかは分からないが、ことヘミの外については浅学だったスラエータオナも、世界地図くらいは知っている。



 スラエータオナたちの住む中央大陸の南西端を起点として、南へと縦に伸びる大地。パルシスタンと古くから交流を持ちながら、未だに染まらず独自の風土を残し続ける砂と森と熱の楽園が、彼らの目指す事となった南方大陸だった。


「アシャちゃんはどこに行くか、分かる?」


「いえ、大まかな位置関係は把握していますが、当時のパルシスタンは南方の列強と対立関係でしたので、実際に訪れた事はありません」


 質問したドゥルジの口調には、彼女を見た目相当の知識しか持たぬ子供として扱うような厭な粘り気があったのだが、肝心の少女は気に留める様子もなく細い蒼銀の髪を横にゆるゆると揺らして否定した。


「構わない、ウォフもアシャ殿も肌の色から南方の出では無いだろうし、簡単な風土くらいは今ここで座学として学んでもらおう。そのために呼んだのだからな──入って来い、もう来ているのは気配で分かるぞ」


「やれやれ、シェンは遊びが無さ過ぎます。いくら出身者から直接話を聞くのが早いにしたって、わざわざ私を選ぶ必要はあったんでしょうか」


 恨み節ともとれる嘆きと共に扉を開いた男は、柔らかい口調ながらどこか鉄の冷たさを感じさせる。男は音もなく滑る様に室内へと入り、背後に付いて来ていた長身の女ともども扉の前で静止した。



 浅黒い肌と、他の騎士に比べて一回り細身な体躯。銀とも灰ともとれるくすんだ色の髪は肩より下まで伸ばされ、落ち着いていて無駄のない顔のパーツは単純な美醜以上に機能美めいた印象を与える。柔らかく開かれた双眸に湛えられた深い群青は男の凪の様な心を映してはいるが、スラエータオナはなぜかそこに寒々しさを覚えた。


「あ、どうもマリラさん」


「シャムシール、今日の私は隊長としてではなく南方出身者として来ているので、そんなに畏まらなくて良いですよ?」


 どこか冴えないウォフの挨拶に、マリラと呼ばれた男は穏当に返す。現れた男は第二大隊長マリラ・ムワンバ。スラエータオナにとって顔を突き合わせて言葉を交わすのは初めての、騎士団の最高戦力の一人である。


「で、あたしがラナで~す。これでも王都騎士団第二大隊副長で~す」


 間が生まれた事を確認して、マリラの傍らに待機していた女は何とも気の抜ける名乗りを上げた。マリラと同じく黒い肌と、リュウに近しい程の高身長。青い艶のある暗い色の髪は編み込まれ、幾つかの毛束は緑に染色されている。


「あ~、あなたがアシャ様ね? 聞いてた通り小っちゃくて可愛~い!」


「初めましてラナさん、ご明察の通り私はアシャ・ワヒシュタと申します。以後よろしくお願いします」


「う~ん氷みたいに冷たくて固い、フリッツと違って手懐けるのは無理かなぁ……お菓子好き?」


 ラナと名乗った女は、ちょこんと腰掛けているアシャを見初めるが早いか、人好きのする笑顔で人形の様なその少女へと抱き付こうとした。その蛮勇をあくまで慇懃に受け流しつつ、半席分奥に移動してやんわりと拒否したアシャに、女は未練がましく話しかけるが、


「脱線します、止めて下さい。出身者として呼ばれたなら、本来は実際に生活していた上での注意点など述べるべきなのでしょうが、ワヒシュタ嬢がいらっしゃるなら地理的な解説をするべきなのでしょうね」


 マリラは暴走するラナを窘めながらスラエータオナ達と向かいの長椅子に腰かけ、柔らかな態度のまま本題に鋭く切り込んだ。話の腰を折ってでも無駄を省く姿勢はリュウとよく似通っており、彼らが共通で手本にしている存在がいるのかも知れない。


「初めに、南方大陸の問題が直接パルシスタンまで持ち込まれることは稀です。それぞれの地方には世界に対してのパルシスタンの様に統括の責を担う大国があり、大抵はそちらが処理するからですね」


 それは、ザラスシュトラ王からも聞いたこの国の仕組み。大国であればある程、自国の発展ではなく他国の調律に力を注がなければいけないという自縄自縛のシステム。その存在規模が違うだけで、どこまで掘っても征服や増長を防ぐための入れ子構造は存在するのだろう。


「南方大陸最大の国家、大ナイル共栄圏。発達した灌漑と植林の技術で不毛の地を飲み込み膨張する巨大国家。五大国の中で最も近い位置関係にあるパルシスタンと大ナイルは、古くより貿易で強く結ばれています」


 抑揚の小さなマリラの声は、向かって話を聞く少年たちの耳朶を不思議と心地よく打つ。人に聞かせるための話術というべきその語り口調は、不思議とスラエータオナたちの頭の回転を速めてくれるようだった。


「今回の依頼は大ナイルを経由せず直接我が国に届けられたと聞きます。我々が必要なほど切羽詰まっているのか、それとも大ナイルには頼めない事情があったのか。どちらにせよ、少し普通ではないと考えるべきです。内容については後程、実直なシェンの事ですから聞きたくなくても教えてくれるでしょう」


 マリラは思慮深く、油断するなと忠告する声は部屋全体へと染み渡る様であったが、最後の一言には只の座学にわざわざマリラを呼び出す、堂に入った堅物であるリュウを諫めたい悪戯心が見え隠れしていた。


「また、今回訪れる事はないですが、崇炎教の『原教』を伝えると言われている鎖国国家トゥルカナ高地や、聖霊信仰が最も強く残る土地である極南地方はこちらでも有名ですね」


 マリラの言葉に反応して、アシャがぴくりと頭を揺らす。その反応を見てエサに食いついたとばかりに、ラナは人懐っこい素振りで貫頭衣の少女へと質問をした。


「そうそう、あたしは極南の出なんだけどね? アシャ様が聖霊と話せるって聞いて、質問があるからついてきたの。率直に言って、大聖霊って聞いた事ある?」


 少女は暫し考え込むように翡翠の瞳を走らせ、半信半疑の様子でおずおずと声を返す。


「私は見た事がありませんが、確かに意思持つ聖霊を大聖霊と呼ぶとは聞いた事があります。ですが、それがどう関係するのでしょうか」


「う~んそっか、本当にいるのか……。じゃあやっぱり、あたしがあそこに合わなかっただけなのかな」


 アシャの抑揚のない声に煽られたのか、ラナの朗らかな顔には陰が差し、渋々と言った表情で裾を握って再び話し始めた。


「私の故郷くには凄く大雑把でね、火と風の大聖霊が王と王妃なの。それで大聖霊が選んだ人間が年齢も性格も関係なく王と王妃の代わりにまつりごとをして、それ以外の皆んなは自由に狩りとか農業をして暮らすだけ。そもそも極南地方って名前も、いつまでも名無しの国を周りが勝手にそう呼んでるだけなの。出奔してこっちに来た時、何もかも違い過ぎて異界に迷い込んだかと思ったんだから。……よし、じゃあ聞きたいコト聞けたから帰るねマリラ!」


 黒肌の女は言葉を紡ぐたびに生来の明るさを取り戻して行き、最後には元のふやけた態度で一方的に話を切り上げ本当に退出してしまった。マリラは目頭を抑えて深く息を吐き、リュウも読めていたと言わんばかりに目を閉じて口を真一文字に閉じている。


「……えと、話が逸れたけど、結局ボクらは大ナイル共栄圏って所に行くのかな?」


 部屋に噎せ返る、奔放な女に振り回されて腰を折られた大人たちの溜め息。そこに、いかにも皮肉の苦笑いですと言いたげな顔で、ドゥルジはいつもの様に話を転がそうと敢えて空気を読まずに礫を打つ。


 それで意識を取り戻したのか、ラナへの小言を一度呟いたマリラは意識を切り替え元の凪いだ瞳を取り戻し、穏やかさと冷徹さの混じる不思議な音階の声でこう告げた。


「南方大陸の中心、心臓の位置で不気味なほどの発展を遂げる新進気鋭の鉱山都市ディアライト。それが、今回目指すべき土地の名です」

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