08 【使命と師弟】


 厳かながらも朴訥とした口調の抜けないアシャの語りを聞きながら、スラエータオナは不思議な感慨に浸っていた。黒髪の少年からすれば三千年前から訪れた異能を持つ美少女など物語の登場人物もかくやの異質さだったせいで、当たり前の人の営みを失念していた事に今更ながら気付く。



 今を生きる人間には過去としか括りようのない一続きの大河も、碧眼に無感情を宿す眼前の少女にとっては確かに三つの時間に区分されるのだ。アシャですら昔話として語る必要のあるその古には、果たしてどんな景色が広がっていたのだろう。


「なるほど色、色ねぇ……。じゃあアレかな、ウォフちゃんの目と髪が真っ赤なのも聖霊に関係あったりするのかな」


 少女の過去に思いを馳せ、少女から見た「未来人」である自分たちを顧みて意識を宙に飛ばした少年を置いて、もう一人の少年は鏡の如き瞳に燃え盛る紅を映しながらアシャへと問いかけた。



 その言葉に、少女は驚いた様にして細い腕を自ら掴みしばらく口を噤んだ。


「驚きました、まさかこれからの主題を当てられてしまうとは。……私達の髪や瞳は千差万別といってよいほどに色鮮やかですが、体毛を持つ生物にこの特徴が当てはまる物はほぼ存在しません。一つの種族には単一の毛皮を、それは遺伝によって受け継がれる絶対の個性です」


「ただボクらは違う。髪の色は親と似通うにしても全く同じ人間なんてそう居ないし、目に関しちゃどっちとも違う別の色で生まれて来るなんてしょっちゅうだ。これが、さっき言ってた聖霊の『色』と関係あるって話ね?」


 言いたい事を先回りできて上機嫌なのか、甘いマスクにどこかシニカルな笑みを浮かべて得意げにアシャへと流し目を寄越すドゥルジ。鼻に付くその態度も彼ほど整った顔立ちの人間がすれば絵になるが、アシャは当然靡く素振りもなく、言葉にのみ肯定を示す様に目を伏せた。


「はいはい、調子に乗んなよ」


 ウォフは慣れた態度で投げやりに諫めるが、ドゥルジを見やる紅玉にはどこか訝し気な感情が見え隠れしている。それは彼女が数日前に聞かされた彼の秘密──他人の心が読めるという眉唾物の告白からであった。



 今もって赤い女騎士はドゥルジの態度を量る眼つきを止めていない。ただフリッツと呼ばれた少年に宿っていた異常が、そしてフリッツが他ならぬヘミの出身であり且つ昏睡を免れた側という事実が、十分に彼女の瞳に映る疑心を揺らがせていた。


「これはあくまで統計的、経験的な話ではありますが、とりわけ瞳の色はその人物の性質を鏡として映すと言われています。ウォフさんは原色に近い赤ですから、強い火への親和性があると考えられます」


「火聖霊ねぇ……言われて悪い気はしねぇが、とんと見当が付かねぇや」


 アシャの簡潔な説明に、女は長い髪を触って空へと視線を泳がせる。竹を割ったような性格のウォフにしては切れ味の悪い返答で生まれた空隙に、飛ばした意識を持ち帰ったスラエータオナが質問を投げかけた。


「じゃあ俺の黒色とかドゥルジの銀色は何なんですか? さっきの四色とは違いますけど」


「黒ははっきりとした『混色』ですね。混色は基本的に濁る程度でどの聖霊とも強く結びつかないのですが、スラエータオナさんほど深い黒色だと、私たちの時代では信仰の対象として扱われていたかも知れません。銀色は……何なのでしょうか、とても珍しいので私には分かりかねます」


 つらつらと、滞りなく氷解するスラエータオナの質問。ただその中に流してはいけない言葉が含まれていた事から、会話はまだまだ転がっていく。


「信仰の対象ですか!? 確かに俺くらいしっかり黒い人には会った事ないですけど、そんなに珍しいんですかこれ」


「先ほど申し上げたように、私たちの中では純黒と純白は神の選んだ色として神聖視される傾向にありました。実際に、黒瞳の持ち主にはどんな聖霊にも好かれるという体質の方が多かったそうです」


 そう言って彼女はおもむろに小さな手のひらを上に向け、聞き取れない声で小さく呟いた。一度閉じられ開かれた手には小さな土塊が乗っており、続いた彼女の呟きに合わせて土塊は染み出た水に溶け、灯った火で乾き、最後には砂粒となり風に乗って宙へ舞い散っていった。



 その様子を覗き込んでいた六つの瞳、その視線に気付くと彼女は恥ずかしそうに腕を後ろへと引っ込め、白い頬をきゅっと結んで視線を逸らした。


「こ、この様に四属性全ての聖霊と心を通わせられる人間は稀です。……そ、そうですね、一度試してみましょうか。皆さん、具体的に聖霊はという物を想像しながら自分に集まってくる様子を想像してみて下さい。光の点であったり妖精であったりは自由です、とにかく宙を浮いている小さな生命体と交信している図を思い浮かべて下さい」


 冷静沈着なアシャには珍しく、焦る様にして話題を強引に変える。彼女のアイデンティティとも呼べる聖霊、それを恥じらう姿はスラエータオナにとって疑問だったが、生憎とドゥルジと違って幼気な少女を責める悪癖はない。彼女の誘導に大人しく従い、指示通りに聖霊と意思疎通を取る自分を思い浮かべてみた。



 アシャがやって見せた様に、呼び掛ける事で聖霊が手へと集まって形をなす姿を想像する。眉間を寄せて手をじっと見つめる、傍から見れば滑稽な姿も、今のスラエータオナにとっては至って真剣だ。



 それは生来の生真面目な性格だけでなく、聖霊と心を通わせられる可能性という光明が少年にとっては縋りつきたい程の僥倖であるからだ。



 イオアニスとモロキとのやり取りから、自らの肉体を駆使して身を守る事が計算できないのは十分承知できた。それでも守られるだけの存在は望んでいないスラエータオナにとって、少しでも自分が扱えるものが増えるというのは、それだけで腕が増えた様な全能感をもたらす要素であった。


「…………」


 しかし、やはりと言うべきかこの世はスラエータオナの都合通りには回ってくれない。口を噤んで止まる事はや数十秒、もう何の変化も起こらない虚しさを噛み締めつくして、黒髪の少年は体に入れた力を抜いた。



 ふと周りを見ると、ドゥルジはとっくに諦めた様に片足に体重を預けて所在なさげに他の様子を観察している。そして今スラエータオナが止めたので、視線は自然とウォフの元へと集まるが、


「なんつーか熱い、熱い感じがする! おいアシャ、今これどうなってる!?」


 紅の女は注目を一身に集め、腕を握って興奮冷めやらぬ口調で貫頭衣の少女へと問いかける。投げかけられた少女も、どこか浮足立つ様に澄んだ緑の瞳を輝かせていた。


「ウォフさん、ウォフさんには今間違いなく火の聖霊が集まっています! そのままで、具体的に炎の形を意識して下さい!」


 と、珍しいアシャの大声に急き立てられて、ウォフの長くしなやかな指にも力が入る。



 それは一瞬だったか、それともしばらく続いたのか。女の掌には陽炎が揺らぎ、断続的に緋色が見え隠れする。固唾を飲んで見守る視線に込められた期待を薪に、その火種は大きく燃え盛り──


「……ふう」


 前触れもなく、溜め込んだ空気を吐き出す紅の騎士。萎んだ肺と同調する様にして、女の指に宿っていた超常の力も冬の乾いた大気へと霧散していった。



 期待が実らなかった反動で、やや大げさに肩を落とすヘミの少年たち。だが、碧玉に静かな驚きを湛えて真っすぐに見つめる視線と、その先にいる真紅の髪の女は違っていた。


「ウォフさん、あなたは……」


「ああ、もう。次はもっと長くする」


 アシャの言葉にならない問いかけに短く応え拳を握り、日の照り始めた空を眺める女。力む事で筋肉の浮き出た艶やかながら締まった腕は、見えない何かを掴んだ様に頼もしく見えた。


 ──

 ────

 ──────


「ウォフさんは間違いなく才能あり、それも最も珍しい火聖霊と非常に高い親和性を持っています。ウォフさんは剣があるので必要ないと思われるかも知れませんが、聖霊さんのために是非巫師としても継続して努力して頂ければ幸いです」


 昼食にはまだ早い時分、全員が納得するまで聖霊について訓練をした後、アシャは総評するようにそう切り出した。


「いきなり出来たのはおれが天才だからとして、火聖霊を使えるってのは珍しいのか? 四属性は平等だと思ってたが」


「崇炎教がある様に、私達のとして火は尊ぶべきものとして特別視されています。他の三属性と違って地形を作っていない事で分かる様に、制御が難しいという要素も勿論あるのですが」


 言葉を尽くしてウォフを褒めるアシャだったが、肝心の女騎士は分かってるのかいないのか曖昧な生返事を返す。勝気で傲岸な彼女には珍しく、自身の特別性をスラエータオナ達へ誇らない姿は、少しこれまでの印象とは違った姿に見えた。



 講評は続く。


「次にドゥルジさん、あなたは全く聖霊に好かれていません。それはもう類を見ないほどに。ですので素直に諦めて下さい。最後にスラエータオナさん、手応えが無さそうにしていましたが、私から見ると間違いなく聖霊からは好感触です。……どちらかと言えばドゥルジさんから逃げた聖霊が集まっているようにも見えましたが、スラエータオナさん側が聖霊を具体的に扱えれば十分モノになると思います」


「グサッと来たね、ボクも流石に」


 実直で遊びの無い少女から出た恐ろしい切れ味の言葉に斬られ、飄々としたドゥルジも苦笑いをして、いじけた様にウェーブがかった髪を指先で触って気を紛らわしている。



 一方で、スラエータオナに示されたのは細いながらも明るい道だ。全ての聖霊を操る、女皇の如き少女からのお墨付きを得た少年は、しかし浮かれるより先に浮かんだ疑問を口に任せるままにぶつけていた。


「さっきから気になってたんですけど、複数の属性と親和するのは貴重とか火属性は珍しいとか言ってますけど、じゃあアシャさんが全属性を司ってるのってむちゃくちゃ凄い事なんじゃないですか?」


「え? いや、あの、そ、れは……」


 スラエータオナの指摘を受けたアシャは、照れくさいというよりは動揺した様子で言葉を詰まらせた。先ほどから聖霊の話になると途端に能面が崩れ、表に見せる事の少なかった感情を露わにする蒼銀髪の少女に、軽薄な少年からヤジが飛ぶ。


「もしかしてだけど、アシャちゃんの奇蹟ってそれだったりする? 目の色からすると風か水っぽいけど、さっき思いっきり火と土も使ってたもんね」


「……! はい、今日話そうとしていた奇蹟の話とはそれです、私とした事が失念していました。……私の奇蹟は全ての聖霊と心を通わせる事、聖霊の使役ではなく友好化を願った事を以て、私はアムシャ・スプンタ『謙譲』の名を賜りこの時代にやってきました」


 ドゥルジにどの様な意図があったかはさておき、その言葉は次に窮する少女にとって助け舟となった様で、本日の初めに話題にすると言っていた奇蹟の話へと話題は上手く繋がった。


「確か、奇蹟とは願う力、でしたよね? アシャさんは何でそんなことを願ったんですか?」


「そ、その……私、幼い頃は友達が少なかったので」


 外見離れした慇懃な少女から語られた、想像以上に年相応で可愛げのある答えに、一同は思わず凍り付いてしまった。少女は恥を語るかの如く呟いて、染まらない頬が赤らんでいると錯覚させるほど儚げに小さくなって佇んでいる。



 居た堪れない空気、だが彼女の感情とは違う部分でスラエータオナは絶句する。


「友達が欲しかったって、それだけの事が原因でアシャさんは三千年も眠ってまで戦わないといけなくなったんですか?」


 幼気な少女が背負ってしまった業、その重さはスラエータオナには到底想像も付かないし、悍ましさを考えると想像すらしたくない。アシャ・ワヒシュタは、ただ戦うに値する能力があっただけでそんなものに巻き込まれてしまったのか。


「それだけ、ではないですよ。聖霊にお願いして血を流させる事は巫師として恥ずべき事ですが、私自身は納得しています」


 そうやって、寂しげに笑う少女。戦士としての冷めた価値観を持つウォフはともかく、ドゥルジもどこか悲しい目をする程に重くなった空気に、スラエータオナは一歩踏み出した。


「アシャさん、俺には聖霊と仲良くなれる素質はあるんですよね? ならこれから俺に指導して下さい! 出来る事は何だってやりたいんです!」


「それは問題ありませんが……えっと、スラエータオナさん?」


 歩を進め少女の小さな手を取り、出来る限りの大声でお願いをする。アシャは申し出自体には快く了承したものの、手を握られているという状況が呑み込めない様子で、困惑したようにスラエータオナの手ばかりを一心に見ていた。



 アシャは放っておけばどこまでも沈んでいきそうな危うさがあるし、本来バカをやる役割のドゥルジは彼女と折り合いが悪い。だからこそ、何を思われても良いと承知の上で、スラエータオナは努めて能天気に、この重い空気を寒空の下から吹き飛ばそうと振る舞った。


「じゃあ今日から師匠ですね! よろしくお願いします、師匠!」


「師匠ですか!? それはあの、何というか……わ、私は別に構いませんけど」


 スラエータオナの突拍子のない発言に、貫頭衣の少女は珍しく声まで裏返らせて動揺している。最後に消え入りそうな声で返事はしてくれたが、顔を見られたくなかったのか深く俯いてしまい、大きく見下げる形になっているスラエータオナからは彼女の表情は読み取れない。


「まぁ何というか、半日だけど割と得るもんはあったんじゃねぇの? おれも更に強くなれそうだし、何の才能も無くても気にすんなよ凡人クン」


「ウォフちゃん、ボクこれでも割かしちゃんと傷ついてるんだよ? 塩を塗るのは酷いって」


 話題転換をしたいという雰囲気を察知したのか、笑いながらドゥルジの肩を叩いて自宅の方へと切り上げるウォフ。その背を追いかける途中、スラエータオナがもう一度だけ振り向くと、アシャはいつも通りの冷たい仮面に戻っていた。



 季節は冬、スラエータオナたちがアシャと出会ってから一週間余り、めまぐるしい時間は過ぎ去っていく。そうして、今日ここに何とも奇妙な師弟関係が成り立ったのだった。



 ──そして一ヶ月。再び訪れた束の間の日常は瞬きの間に過ぎた。

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