07 【聖なる四色】
少し遅めの朝食を終えて、スラエータオナ達三人は住み慣れない我が家へと帰って来た。食堂で振る舞われる食事は間違いなく美味ではあるが少し重く、日々肉体を酷使していない一行にとっては過剰な贅沢である、と黒髪黒瞳の少年は頭の隅で考えつつアシャへと帰宅の挨拶をする。
半ば自動的な挨拶にも丁寧な所作で返す慇懃な少女は、曲がりなりにも騎士団としての立場を与えられているスラエータオナ達とは違い、立場故の制限が多く、生活する上では護衛と要人という本来の関係性を保てない事もしばしばであった。
それを謝罪する度に彼女は謙遜するような物言いで蒼銀の柔らかな髪を揺らし、おまけに頼まれてもいない家事や身の回りの世話などをこなしてしまうので、一緒に暮らして数日で早くもお互いの力関係は揺らぎだしていた。
「本日は休暇と伺っております。折角の機会ですので聖霊と奇蹟について詳しく共有したく存しますが、ご都合は宜しいでしょうか」
なので、アシャ・ワヒシュタが自ら提案をして事を起こそうとするのが彼らの目に珍しく映ったのは必然であった。
「友達も居ないし財布も寂しいし、ボクとしては暇を潰せるなら何でもアリだけど、皆は?」
正規の騎士団ではない彼らに対して、休日という言葉が真に相応しいのかは一考の余地があるが、確かにそれは絶好の機会であった。アシャ捜索の報酬に金銭を要求したはずのドゥルジの財布が軽い理由を尋ねたい気持ちをこらえ、スラエータオナもアシャの提案に同意を示す。
「つっても聖霊は砂漠で一回直に見たし、奇蹟の話もここに初めて来た夜にざっくりとは聞いたぜ? それとももっとゴチャゴチャした、本格的な講義でもやろうってのか」
「私もまだ浅学ではありますが、この時代の社会通念にも馴染んできました。今であれば、正しく無駄なく共有すべき情報を選択できるかと」
それはもう知っていると言わんばかりの不愛想な態度をとるウォフに、アシャはあくまでも下の立場から進言する。本来最も敬われるべき過去からの賓客、その少女が遜る事から現在の彼らのパワーバランスは実態とそぐわない。
「ま、良いぜ、右に同じでおれも今日の過ごし方にアテなんてねぇし。こう見えておれはめちゃめちゃ脳みそ詰まってるから、仮にあんたらが一発で覚えられなかったら次はおれが教えてやるよ。……それに、これからのおれらにとっちゃ黄金にも勝る知識だしな」
そう言って赤髪の女は自分の頭を拳で小突き、どう考えても頭蓋が空洞としか思えない様な小気味良い打音を響かせる。ウォフの体を張ったおふざけはともかく、彼女が漏らすように呟いた言葉には本質が多分に詰まっていた。
忘れがちではあるが、スラエータオナたちの仕事は超常の能力を持つ七人のアムシャ・スプンタを目覚めさせヴェンディダードの魔王と戦う準備を進める橋渡し役。究極的には彼ら自身が剣を取る必要はない反面、自分たちが何を味方にし何を敵に回そうとしているかを知る事が武器にはなるだろう。そう信じて、彼らは他ならぬアムシャ・スプンタの一人である貫頭衣の少女の次の言葉を待った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
てっきり家の中での講義かと思ったのだが、予想に反して彼女は外へと足を向けた。そこは騎士団の保有する土地の一角で、スラエータオナがイオアニスに連れ込まれた道場と同じく、しばらく使われた形跡はない。
「にしても無駄に広いな騎士団本部、昔はもっと人がいたとか?」
「最近はどこも軍縮だからな。パルシスタン一強が陰って来て、五大国は何処も戦争が始まらねぇように意識して戦力を自ら削いでる。ま、武力で権威を保つ時代はいい加減終わったって事だ」
スラエータオナが思わず溢した疑問に、真紅の女の答えは淀みない。流石に放浪していた人物は一味違うが、今欲しいのは国際情勢などではなく、
「それでは。まず前提として、『聖霊』も『奇蹟』もこの時代において失われてなどいません。モロキ様の『動く刀剣』、フリッツ様の『透明人間』、これらは現代にも形や名前、あるいは在り方を変えて二つが存続していた証拠になります」
この様な、少女の簡潔な言葉であった。
先の申告通りアシャの選んだ言葉使いには遊びが無く、落ち着いた鈴音の声と合わさってすんなりと脳へと滑り込んでくる。あくまで淡々と言い切る姿はそれが絶対の正解だと表す様であり、事実としてその例を二度目撃したスラエータオナたちは挟む言葉を持ちえない。
「そういう導入はいいよ、ボクらには確かめようがないし。ボクはてっきり、あるなしより先の『何ができるか』を聞けると思ったんだけどなぁ、アシャちゃん?」
しかし、挟む言葉が無いのなら自ら生み出してでも狂言回しを担おうとするのが、ドゥルジという男の背負った性であった。停滞した訳でも無い会話を追い立てる様にして、微笑を湛えた少年は結論へと急ぐ。
「……はい、確かに本日の用件と相違ありませんが、その前に最低限の前提事項、我々にとって聖霊とは何なのかをお教えします。それはアムシャ・スプンタという立場以前の、聖霊
涼しげでめったに変わらない表情からでも、抑揚の感じられない滑らかな声からでも無いのだが、ドゥルジに応答する時の彼女からはどことなく険を感じる。スラエータオナはそれが決して良い事ではないと理解しながらも、軽薄な男がアシャの希薄な感情を唯一揺さぶっている光景を見ると、何かむず痒い物を覚えた。
「まず、本質的に聖霊と私たち人間は同質の存在です。万象は聖霊から成り立っていますが、その万象には当然我々の存在も含まれます。そもそも、土を礎に水と風を練り上げて火を灯したものが人間、引いては生物の成り立ちと私たちは考えていました。万物には聖霊が宿り、生命は絶えず聖霊と交信し、死ねば聖霊に還る。これが聖霊信仰です」
アシャはそれ以上の感情の揺らぎを見せず、自身を改める様に畏まってからそう告げる。その内容は、聖霊と人類の結び付きが失われても未だ世界に遍在する自然崇拝の話であった。
「ところで、皆様は聖霊と色の関係性をご存じでしょうか」
静かに聞き入る三人ばかりの聴衆の前、清らかな小川の様に滔々と流れていたアシャの言葉が、突如として断絶する。アシャらしくない話の飛躍にスラエータオナは困惑しながらも、昔に読み齧った知識を最新の情報を融合させ言の葉に乗せる。
「火が赤、水が青、風が緑、土が茶色、というか黄色ですか? 聖霊というより、単なる四元素論からの引用ですけど……」
「そうですね、全くもって正解です。古くから、髪色や瞳色と聖霊の存在には相関があると考えられていました。これは神話──この時代では紛らわしい申し方でしたね、我々の時代には既に存在した『創世神話』においての記述が関係しています」
そう言うと、少女は落ち着いた声のトーンをより一層落とし、詠う様に語る。
「曰く、世界は初めは何も無い空洞でした。そこに現れた二柱の神は一方が白を、もう一方が黒を選び、二色の世界になりました。世界はそれで安定していましたが、余りにも極端で二元的だと考えた聖霊は自らを使って世界に色を増やしました。……寓話ですらない抽象化されたあやふやな神話ですが、聖霊と色とはそれ程までに深い関係なのです」
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