06 【値しない少年】


「おいおい、見えてるも何もいるだろそこに。夜目が利かねぇのか?」


 噛み合わない会話に、ウォフは掌を振って呆れを示す。黒髪の少年も身振りで同意を表すが、向けられた疑念の目に冷静で慇懃な少女の物も混じっていた事から、女は困惑したように声の調子を上げて首を抑えた。


「は、見えてないってマジで言ってんのか? どうなってんだ一体」


「どうなってんだはこっちの台詞だ。何もせず見えている者が半分、しかもどうやら顔馴染みのようじゃないか」


 戸惑う一同と、死んだように黙りこくって動かない渦中の少年。そこに道を示したのは、いつの間にか建物の中に入ってきていた長身の男だった。腕を組んだ偉丈夫の、吐いた言葉と似つかわしくない予め反応を想定していたような落ち着き払った態度に、ドゥルジはいつも通りのニヒルな笑みで問いかける。


「で、ボクらで何を確かめたかったんですかリュウさん? 何の説明も無しに連れて来るなんてあの王サマと変わらないんですけど」


「今回は聞かなかった事にしておいてやる、ドゥルジはせめて上辺だけでも繕う事を覚えろ……っとすまない、我々の目的だったな。実際に体験してもらったように、その椅子の少年には怪奇が付き纏っている。彼を保護できたのも只の偶然なのだ、少年の身に起こっている現象、貴方がたなら見当が付くかと思ってな」


 いつも通り敬意も礼儀も全て舌禍に変えるようなドゥルジの振る舞いに、精悍な男は閉口ぎみになりながらも本筋は忘れず丁寧に説明を述べてくれる。怪奇と表現されたのを受けて、「見える側」であるスラエータオナとウォフは椅子に括りつけられ項垂れる少年を見やり観察するが、ドゥルジとアシャはそんな彼らこそが怪奇現象だとでも言いたげに訝しげな眼を向けて中空を眺めていた。



「見える」と「見えない」、年齢でも性別でも出身でもないその区分に行き詰まり、更に詳しく知るために次なる質問が飛び出そうだった時分、幼い少年の変声期にかかった掠れ気味の高い声が唐突に響く。


「……保護、保護ですか。ぼ、ぼくはそうは思いませんけど」


「やっと口を開いたか、何時間ぶりだ」


 怯えていて自信無さげながらも、捻くれた反骨心の覗く声色。それを発した少年は、長く細い髪で隠れた瞳でリュウを睨んでいる様だった。



 純粋な敵意というよりも、恐怖故に発せられた最後の抵抗の様な威嚇。それを向けられた百戦錬磨の男は、その反抗をいなすどころか気付いてすらいない様子で、素っ気ない返答だけを残して事務的な会話の続きへと舞い戻る。


「数日前から、備品の位置が変わっていたり食料が記載以上に減ったりしていてな。動物だと思って捕獲したところ、この少年だったという訳だ。彼の『透明化』について我々は説明する手段も解明する方法も持ち合わせていないが、貴女がたであれば何か分かるかと思い夜分ではあるが呼び立てた」


 彼らにとっての超常との邂逅、それはスラエータオナたちにとってのアラーク村での出来事に該当する様な衝撃であると予想されるのだが、しかし所感を述べる糸目の男の態度は冷たく硬い。それは、アシャが持った生来のぎこちなさではなく、意図して感情を抑えられるよう徹底的に訓練された落ち着きであるように感じられた。


「一つ質問良いか、リュウさんたちは何でこれが透明化だって思う。自分で言いたくないけど、集団幻覚って線とかは考えなかったのか?」


「良い質問だ、ウォフ。ほか──保護には動物用の罠を使ったのだが、入口が閉まっているのに中が空でな。外れだと思って回収しようとした団員が中に人がいると言い始めて、それを聞いて檻に触れた物もまた同じ事を……と繰り返して、椅子に括りつけた物をイオアニスさんが確認してこれは透明人間だと断定した。我々の知り得た見える人間の条件は二つ、彼に触れるか彼について記載された報告書を見ながら彼を視認する事だ。また、時間か距離かは分からないが一定条件で彼の事をらしい。他に質問はあるか」


「当然ある。リュウさんは思い出すまでもなく『元から見えている者が半分』っつったが、それはさっき説明されたのと矛盾する。って事はおれとスラエータオナは今の所は特殊だってことだな?」


「それはだな──」


 円滑に進んでいくウォフとリュウの談義、それに加わる余地がない事を確認して、スラエータオナは一人建物の奥へと向き直る。ドゥルジに疑われもしたが、やはりそこに居たのは同じヘミで暮らしていた年下の少年、銀髪碧眼のフリッツ・S・シュレディンガーという少年だった。



 スラエータオナより幾歳か幼い、まだ発達途上の痩せた体。必要以上に長く伸ばされた銀色の柔らかな髪で隠された小さな顔は、とても思春期に差し掛かった男子とは思えないほど可憐で、碧眼は怯える小動物のように瑞々しく潤んで世界を映している。


「フリッツくんだよね、俺のこと分かる? ヘミに居たスラエータオナだよ」


 懇意とは言えないまでも既知の相手、屈みこんで目線を合わせ話しかけたスラエータオナ。それは、世界そのものに怯えていそうな臆病な少年の心情に配慮したつもりだったのだが、どうも言葉を受けたフリッツの揺れる細い肩は尋常の反応ではなかった。


「……そ、その話をし、しないで下さい。ヘミは……ぐっ!」


 彼らの故郷たるヘミ、その名前を聞いた瞬間からみるみる蒼ざめ、高まる不快感を抑える様に唸る銀髪の少年。脂汗を浮かべて吐瀉物を我慢する少年は、心配して覗き込むスラエータオナを上目に見つつますます顔色を悪くしていく。


「どこから来たのかが不明だったが、貴方の言葉とその態度で察しはついた。彼もまた、ヘミの惨劇を生き延びた子供という訳か」


「そりゃつまり、こいつもまたあの時の被害者で──これまで通りに行くなら、三人目の生存者って事か?」


「そうだな、理屈ではスラエータオナとドゥルジに続く生き残り、王の選んだ子供の条件に当てはまる。ただ、彼を同じ様に扱うのは……」


 話題をスラエータオナたちへと移し、体の向きを変えるリュウとウォフ。その目に映るのは、血相を変え息も絶え絶えになっている、女の子の様と比喩して余りある華奢な少年だ。



 スラエータオナ達が前に進むために受け止め、咀嚼し、乗り越えた壁。その前で未だ立ち尽くし苦悩するフリッツを見て、スラエータオナは自分たちが未来のためと嘯いて道半ばに捨てた荷物の重さを実感する。故郷が燃え奪われた終の風景など、到底数日で忘れる事は許されないのだ。


「まぁ流石に、この子をボクらみたいにアムシャ・スプンタの話に混ぜるのは無理だよね」


 リュウから与えられた情報からフリッツの体に触れ、彼を認識できる様になったドゥルジが言う。彼はこんな時でもニヤついた軽薄な態度を潜める事を知らず、フリッツの事を覚えているのかいないのかすら表情からは読み取らせない。



 ただドゥルジの言う通り、スラエータオナ達と同じ地平に立つには共有すべき知識が余りにも多すぎる。アムシャ・スプンタやヴェンディダードの神話に聖霊や奇蹟、それらをヘミの事ですら手一杯の少年に押し付けても却って彼を追い詰めるだけだろう、甘い顔の片側を吊り上げた笑顔はそう雄弁に語っていた。


「彼に与える情報はありませんが、彼から与えられる情報はあります。……透明化、怪奇と表現されたその超常現象は、我々の時代であれば『奇蹟』で十分説明が付く事です」


 同じくフリッツへと触れて見える側の世界に踏み込んできた神代の少女は物腰柔らかく、しかし否定の意をきっぱり示す様にして冷たい調子で話を引き継ぐ。


「奇蹟、というと報告に上がっていた過去人が持つ超能力ですか。詳しくは聞かされていないのですが」


「その……私は話下手で、皆さんにもまだ申し上げられていませんので。詳しくは、後日共有します」


 少女がリュウに述べたのは、三千年前とは無縁の現代生まれの人間が奇蹟を保有する可能性。都市伝説程度の超能力はともかく、本物の異能力者の存在など寡聞にして聞いた事が無いのだが、アシャ・ワヒシュタはその可能性を捨てずに議論を進めて行く。


「じゃあさアシャちゃん、奇蹟がまだこの世に残ってるとして質問。その一、フリッツくんのこれは奇蹟か否か。その二、彼だけがそんな力を持ってるのは偶然か否か。どうだと思う?」


「奇蹟の実在性については、まだ情報が足りないので何とも申し上げ兼ねます。今大事なのは、実際に彼の身に起きてる事態を説明するのに、奇蹟は一つの仮説足り得るという事かと」


 銀眼を片方閉じて指を振り、おどけてみせるドゥルジ。その質問に、少女は白魚の様な指を小さい頬に沿わせ、年齢に似合わぬ理知的な仕草で当たり障りのない返答をする。


「なんだ、じゃあ結局今は答えは分からないって事か」


「の、ようだな。夜分に呼び立てて済まなかった、とにかくこの件はこちらが預かっておこう」


 煮え切らないと、腕を後ろで組んでぶっきらぼうに言い放つ赤髪の女に、小さく謝罪を示して話を終わらせるリュウ大隊長。少なくともこの場で煮詰められる議論は煮詰め切った様子で、帰りを急がされる中ふと沸いた疑問を、スラエータオナは別れ際にぶつけてみた。


「所で、フリッツくんはこれからどうなるんでしょうか?」


「む、そうだな……身元が割れた事だし、先方に事情を報告した上で貴方がたと同じく騎士団が身元を請け負う事になるだろう。貴方がたと同じ行動はさせられないが……ムワンバ第二大隊長辺りに面倒を見させるか、うちでは数少ない子供受けする優男だからな」


 その言葉を今度こそ最後に、一行は騎士団の領地を通って帰路へと就く。ウォフの流れる深紅の絹は冷たい夜風ですっかり乾いてしまったそうで、飯の続きでも食ったら入り直そうかなどと凛々しい顔立ちを欠伸で歪めて愚痴っていた。



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