05 【三人目】

 

「今日はお家で召し上がるんですか?」


「はい、今日は何もやってないのに食堂にタダで食べに行くのは気が引けまして……折角なので料理でもしてみようかと」


「そういった趣でしたか、でしたら私が用意しますのでスラエータオナさんはお休みください。結果的に怪我が無かったとは言え、長時間に渡ってあのような危険に晒された心労は身に余るでしょう」


「そんな、だからってアシャさんに作ってもらうのは……」


「お構いなく、元々ウォフさんとドゥルジさんにもお作りする予定でしたので」


 その日の夜。これから我が家となる屋根の下で、スラエータオナとアシャ・ワヒシュタはそんな他愛のないやり取りをしていた。



 騎士団の寮には大きな食堂が併設されており、所属している者なら朝昼晩と時を選ばず自由に利用して良いのだが、モロキ・タゴサクを訪ねるだけで一日を終えた彼らはそちらに出向くことなく自宅に留まっている。



 アシャの監視とヘミの生存者の保護、その二つを担うためにあてがわれた住居は全員分の個室を用意してもなお余りあるほどの広さで、住むには心地良いが毎日掃除するのが大変そうだ。


「微笑ましいねぇ」


「バカにすんなよ、ならドゥルジも手伝うくらいの気づかいは見せたらどうなんだ」


 心なしか慣れた手つきで下ごしらえをする少女を背に、家で一番広い部屋であるリビングへ向かうと、長椅子の先客としてだらけていたドゥルジがニタつきながら揶揄いの言葉を掛けてくる。それを軽く流したスラエータオナは、隣で浅く腰掛けている整った顔の少年を黒い瞳に反射させて、調子を落とした声で低く囁いた。


「なぁドゥルジ。あの日、一体何があったんだ?」


「あの日って?」


「誤魔化すなよ。……ヘミが、ああなった日の話だよ。お前とライラックはあの時……」


 事件当日、王城へ赴いたり旅の準備をしたりと慌ただしくて出来なかった互いの体験の擦り合わせ。それを改めて問いかけた少年に対し、藍髪の男は見当が付かないととぼけた声を出したが、涼やかな黒い瞳は変わらず真っすぐに隣で寛ぐ男を射抜いている。


「はいはい、分かったよ。……ボクは多分、キミより行動が遅かった。避難所に着いた時には既にスラエータオナがボクとライラックを探しに行ったって聞いてね、急いでボクも向かったんだけど火の手が凄くてさ。どうにも動けない、そんなボクの前にキミを担いで現れたのがウォフちゃんって訳」


 ドゥルジは観念したように手を上げると、滔々と回想を語り出す。ドゥルジの声は、軽薄な人格が滲み出た掴み所のない響きながらも、何故か聞き手に納得を与える性質を持っていて、スラエータオナはその言葉を聞くと目を細めと息を吐いた。


「そうか、お前も──」


「いやいや勘違いしないでよ、ボクはキミと違って、他人のために人生を捨てられる様なタマじゃない。何もしないのは明日の寝覚めが悪い、それくらいのもんさ」


 早合点していそうな少年に、もう一人の少年は銀瞳を伏せてやれやれといった顔で肩を竦める。これまでの人生で数えられないほど繰り返した、古い付き合いならではの手慣れた掛け合い。それをこんな見知らぬ土地で行うことになるとは思わなかったが、スラエータオナがこの奇妙な旅路を「以前の自分の続き」として捉えられるのはドゥルジが傍らに居るからかも知らない。



「……」


「……」


 しかし、二人の会話はそこで途切れる。思えば、スラエータオナとドゥルジは気の置けない幼馴染ではあるものの、共通の趣味であったり話題だったりがほとんど見当たらない。それからどれほど言葉を交わさず同じ空間を共有するだけの時間を過ごしただろうか、今思い出した様に何気ない顔で黒髪の少年がぽつりと溢した。


「……なぁ、そう言えばヘミだとほとんど留守だったけど、何してたんだ?」


「さぁ? あっちに行ったりこっちに行ったり、特別何かをしてたって訳じゃないね。ボクってば、一つの事をし続けるの苦手だから」


 ライラックと違い、二人は常に時を共にしていたわけではない。学校であったり病院であったりの必然的に顔を合わせる場所での接触しかなく、ドゥルジの逃げ上手な基質も相俟って十年来の仲が嘘のようにお互いへの態度は素っ気ない。それでも、スラエータオナが本当にいて欲しい時には気付けば側に立っている、猫の様な男だった。


「おい~す、先に風呂貰ったぜ──って、スラエータオナも家で食うのか」


「まぁ今日はちょっと、っていうかウォフは料理しないの? 旅してたんなら作れそうだけど」


「まぁ出来ない訳じゃないが。直火で焼く! 取り敢えず煮込む! ……そんな飯、わざわざ食いたいか?」


「いや、やめとく……」


 薪を燃やして水を沸かす時間が耐えられなかったらしく、女は風呂と言ったが正確には行水に近いため、肌は上気するどころか血の気が引いて白くなっている。それでも水に濡れてより深くなった赤との対比が女を艶やかに彩り、後ろで纏めた髪は瑞々しく首筋へと貼り付いていて、凛とした美しさは鋭さを増して空間を華やかにしている。


「……ウォフ、もうちょっとちゃんと拭いてから出て来てくれないと床が濡れるんだけど」


「寝間着に食べ物溢しちゃダメだよ~」


 と言っても、その色香が通じる相手でもなく、少年たちから掛けられる言葉は散々だ。女は呆気にとられる様に口を開け、まだ水気の残る髪をがしがしと乱暴に掻いて苦笑いをする。


「あのさぁ、おれ一応女なんだけど一緒に暮らす幸せとか無いの!? おれ結構美人だよな!?」


「そうは言っても、ねぇ? これからずっと暮らす訳だし意識し過ぎるのも」


 ウォフは尊大に自分の優れた容姿を指摘するが、帰って来る反響は期待していた物とは違うらしい。ドゥルジのもっともらしい台詞を聞いて、濡れ髪の貴公子は「まあ良いか」としらけ顔で納得した。


「ああウォフさんも丁度良かったです。簡単ではありますが、夕食が出来上がりましたよ」


 三人が一つの部屋に揃ったところで、時を同じくして厨房からアシャが料理を運んでくる。碧眼の少女が配膳しているのは野菜が沢山入ったスープとパンで、彼女の控えめな性格が反映されたように量と品数は共に抑えめだ。


 手際良く並べられたそれらの前に四人は行儀よく着席し、全員で囲む初めての夕食が始まる。アムシャ・スプンタとヴェンディダードの事、聖霊や奇蹟の事、彼らには目下話し合うべき話題が山積ではあるが、食事を口へと運ぶその手は緩やかで、言葉数は少なかった。



 その様子をアシャは自分の食事に一切手を付けず心配そうに見守っているが、その不審な様子を確認した三人は互いに目配せした後、自嘲気味の苦笑いと共に藍髪の男が口を開いた。


「え、これボクが言っていいヤツ? というかボクが一番適任だと思うから言うね?」


 そう前置きをすると、端正な顔の男はと息を吸い込んでわざとらしく一拍置いた後、芝居がかった口調で言い放った。


「いや味薄すぎだって! 紙を水で煮込んで食べてるのかと思っちゃったよ、なにこれ味見した!?」


「いや言い過ぎだろドゥルジ、もっと優しく!」


「はぁ? ボクに任せたってそういう事でしょ、流石にこれを擁護しろってそれお人好しじゃなくて思考止まってるだけだって!」


 コンコン、と。


 アシャが心底申し訳なさそうな態度で顔を伏せる中、騒がしく時間の過ぎる食卓。その喧騒を切り裂くかのように響いたノックの音は、その場にいた全員を一瞬で現実に引き戻した。


「こんな時間に誰だ? 騎士団の誰かだったとして、おれらには極力関わらないようにする方針だってアラン団長から聞いてるんだが」


 突如として水を差した堅い木の鳴る音を訝しむように呟いたウォフ。その疑念の残る紅玉を見越したように、扉の向こうから落ち着いた男性の声が届く。


「夜分にすまない、王都騎士団第一大隊長リュウ・シェンだ。至急貴女がたに共有しておきたい情報、というより面会してもらいたい人物がいる。都合はつくか」


 聞こえてきた内容は、一刻を争うとまでは行かなくとも緊急性の高い要件である事を伺わせる。その言葉を受け取った寝間着の女は安堵半分懸念半分といった様子で、誰にともなく語りかけた。


「どうやら、飯を食い終わるのは後みたいだな」


 ──

 ────

 ──────


「それで、どうして貴女は髪が濡れているんだ」


「そりゃあねぇぜリュウさん、今日はもう何もないと思って風呂入ったあとなんだよ」


「……それは申し訳ない」


 まだ陽が沈んで程無い時間とは言え、冬至間もないハ―フェズの夜は冷気に満ち満ちていて、急いで外装に身を包んだだけでは寒さは骨身に染みる。見たままに素朴な疑問をぶつけた暗灰色の髪の男は、ウォフの返答を受けて朴訥な口調のまま深く反省するように糸目を更に細めて伏せた。


「それでリュウさん、面会して欲しい人物とは誰なんでしょうか」


「すまない、只それについては会ってもらうのが説明が一番早く済む。──と、話していれば着いたぞ」


 スラエータオナが問いかけるが早いか、リュウが前方を顎で指した。そこにあったのは来賓を出向かえるような体裁の建物では全くなく、スラエータオナの語彙としては倉庫と呼ぶのが最も相応しいだろう、石造りの武骨な建物だ。



 面会という単語に似つかわしくない石の箱、しかしその扉の前に立つ人物が、これが決して伊達や酔狂でない事を表していた。


「走ってこいやリュウ、ワシめっちゃ寒かってんけど」


 聳え立つ様にして門番の代わりを務めていた人物が、強い訛りを隠そうともせず大声で話しかけてくる。はち切れんばかりの腹に硬そうな茶色の髭と髪、豪快を絵で表したような人物でありスラエータオナ直属でもある、王都騎士団第三大隊長イオアニス・ステファノプロスが、その人物のために寒空で待ちぼうけを食わされていた。



 実質的な国防組織である騎士団でも指折りの猛者である大隊長が、こんな夜に二人も駆り出されている。その事実だけで、此度もまた神話絡みかそれに匹敵する厄介な事案であることは明白で、連れて来られた四人の緊張感は自然に高まるのだが、当の隊長たちは至って和やかで、


「冗談言わないで下さいイオアニスさん。その蓄えた脂肪、今以外のどこで使うんですか」


「がっははは、こりゃ上手いこと言われてもたな!! っとスラエータオナ、元気にしてるって事はタゴサクとはええ感じに喋れたみたいやな。変な奴やけど本質的には善人や、仲良くしたってな」


「は、はい」


 他愛のない冗談を飛ばすはおろか、当の待ち人を待たせたまま雑談を始めてしまったものだから、スラエータオナも戸惑い気味にイオアニスの言を肯定するしかなかった。


「それで、面会は良いんですかお二方? ボクら、そのために食事の途中で出てきてるんですけど?」


 こういった時、ドゥルジの敢えて空気を乱せる胆力は話を進めるのに役に立つ。狂言回しの役割がすっかり板についた少年の、言葉に含んだ毒を受けて、偉丈夫たちはしまったとばかりにその広い肩を竦めた。


「すまない、決して本題を蔑ろにした訳では無いのだが。この扉の先に、貴方がたに会ってもらいたい人物がいる。より正確には、会って欲しい人物、かも知れないが」


 含みのある言い方に一同が疑問をぶつける前に、イオアニスの分厚い掌で背中を押されて扉の中へと押し込まれる。最低限といっていい明かりが灯る建物はやはり外見通り倉庫か何かの様で、所狭しと積まれた備品の中、一角だけ開けられたスペースにぽつんと置かれた椅子に括りつけられていたのは


「フリッツくん!?」


 スラエータオナの既知、ヘミの住人であった少年だった。


「あれ、あんたの知り合いか? まだ居たのか、特例って奴」


 スラエータオナ達よりも数歳若い、まだ幼さの残る少年を指差して驚くウォフ。



 しかし、そんな二人を見つめる四つの瞳はそれ以上の困惑と冷ややかさの籠った目でその光景を写し込んでいて、相変わらず困ったときは口を閉ざす少女を代弁するかの如く、銀瞳の男はできる限りの感情を乗せるように、情感たっぷりに尋ねた。


「キミたちさぁ、さっきから何が見えてるの?」

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