04 【一厘の花】
──決闘。いかにも剣呑な単語を口にした男は、不機嫌そうに居間を離れ店の方へと出て行く。
「おい、今から決闘するから審判してくれ。駄賃は無い」
「え、オジサンかい? 相変わらず物騒だなぁ、まぁ仕立ててもらってるよしみだ、それくらいはやりますよっと」
途中、店内に陳列されていた武具を物色していた客に声を掛ける。審判を頼まれた大柄な男は酷く気の抜けた声で了承をし、とんとん拍子に話は転がっていった。
その突拍子も無ければ意図も不明な申し出にスラエータオナは混乱する事しかできないが、それは言い出しっぺである鍛冶師以外の皆がそうであるようで、いつもは振り回す側であるドゥルジですら困惑したように眉尻を下げておっかなびっくり付いて来ている。
「心配すんなよ、刀ならテメェにお似合いのを貸してやっから」
「そうじゃなくて! 何でそんな流れになったのかって──」
「さっきも言ったろ、俺ァ口で語られた理屈なんて知ったこっちゃねェ。俺に上から物が言いてェんなら、テメェの語る『人を傷つけない剣』を実践してみろっつってんだよ。そら、刀塚に着いたぜ」
真意を質すスラエータオナに、痩躯の男はさも当然と言った口ぶりで返答しながら着の身着のままに店の裏へと自分勝手に歩を進める。対話を続けるために後を続くしかない一同の目に飛び込んできたのは、仕上げのなされていない刀剣が夥しく積み重なった小さな山だった。
「全部が全部失敗作だが、宿った神サンのためにも供養してやらなきゃなんねェしな。そら、テメェの分だ」
そう言って男はその場で適当に空を払う仕草をした。すると刀塚と呼ばれた小山から二振りの刀剣が宙を滑る様に射出され、お互いの手に収まる。
「ッ……今のは聖霊?」
突然に、何の説明もなく行われた不可思議な現象。それに対して、鍛冶屋に来てから今まで怯える様にしてずっと口を噤んでいた神代の少女アシャが、鋼鉄の様な表情に僅かに驚きの色を挿して、その事象に反応を示す。
「霊だァ? 妙な言い方すんじゃねェよ。これは八百万の神っつってな、俺の田舎じゃあ米粒にも路傍の石にも神サンが宿るって言うんだが、それが俺の刀にもちゃんとおわすってだけの話だ」
しかし、それを平然とこなした人物は無頓着な様で、土着信仰を持ち出して少女の瞠目を一刀のもとに切り捨てた。
「アシャちゃん、でもこれって……」
「そうですね、確かに土の聖霊が活動していました。ただ今大切なのはそこではなく──」
「っそうだよ、おいスラエータオナ! そいつに真面に付き合うとヤバいぞ、なんせ目がマジだ! おれが戦場で何回か見てきた、イッちまった奴と同質のアレだぞ!」
アシャ・ワヒシュタの語った聖霊の実在、それが意外な場所の意外な形で証明されたが、あくまで今の主題はモロキ・タゴサクとスラエータオナによる決闘。指先一つで刀剣を操れると判明した今、下手に割り込むと針の筵にされそうで傍観者たちは踏み込むことができないが、ウォフは掠れ気味の低い声を張り上げて危険性を訴える。
その野次を横目に、モロキは不機嫌な目線で女を睨め付ける。それでも怯む事無く声を大きくした真紅の少女の側に、いつの間にか大柄な男が寄って来ていた。
「まぁまぁ落ち着きなよ嬢ちゃん、オタクらは知らないだろうがタゴサクはしょっちゅうあんな風に喧嘩を売ってるし、実際に人を殺した事は無いからさ。本当にヤバけりゃオジサンが止めてやるし、なっ?」
審判とやらを頼まれた男の体躯は、ウォフが首を大きくもたげないと目線が合わないほど屈強であり、武具を見ていたのも併せると彼も兵士や戦士の類なのだろう。しかし、低く通った声に似合わない柔和な言葉使いと表情は、いまいち覇気を感じさせない。
「……あんたがそこまで言うなら分かったぜ名も知らぬ人、スラエータオナを頼んだ」
それでも戦士同士ウォフには伝わるものがあったようで、緊張感のない間延びしたセリフ一つで紅い剣士はあっさりと引き下がった。
これで邪魔するものは無くなり、本当に決闘が始まってしまう。乾いた冬の空気に張り詰めて今にも裂けそうな緊張感を乱す様に、審判を任された男は敢えて全く緊張感のない声を発した。
「決闘始め~」
「おらァッ!!」
先手必勝とばかりに、鍛冶の男が飛び出して少年へと斬り込む。しかしその剣閃は非常に大振りかつ予備動作の大きいもので、素人同然のスラエータオナでも身を引いて回避できるほどだった。
イオアニスの無駄のない突進でも、ウォフの流麗な剣捌きでもない。鍛冶師は鍛冶師らしく、剣を実戦で扱う方は素人同然な様で、体術も何もない子供が枝を振り回すような乱暴な攻撃が続く。ただし、
「ヒッ……!」
男が手にしているのは正真正銘抜き身の剣だ。互いの安全を全く躊躇しない力任せの横薙ぎが髪を掠め、スラエータオナは小さく悲鳴を漏らしながら後ろにたたらを踏んだ。決闘と言っても所詮は気に入らない相手を脅すための物だと決め込んでいたのだが、モロキの腕は命を奪うことに全く恐怖を抱いていない様だった。
一方のスラエータオナは手にした白刃を一度も振るうことは無く、申し訳程度に構えて牽制に使いつつ、一方的な奪魂の線を避け続けるばかりでいた。人を傷つけずに守る剣を威勢良く嘯いたまではいいものの、彼の中に確固たる頓智の利いたアイデアがある訳でもなく、その矜持を示すにはいつ終わるかも分からない凶刃の嵐を耐え続けるしかない。
それでも、吐いた唾が呑み込めない様に、決めた覚悟を取り下げることはできない。そんな意固地にも近い決意の固さと気の長さ、ほんの少しの幸運によってスラエータオナの首と胴はまだ繋がりを持っていた。しかしそれも直に終わる。土地は無限では無いし、体力も無尽蔵ではない。段々と疲れが見え始めた両者は、モロキが押し込む展開そのままに壁際へと舞台を変えていった。
「……スラエータオナさん!」
「いや、大丈夫だアシャ。というか、あのオッサンが付いてる以上は何も起きねぇよ」
辛抱堪らず、不安げな声を出してしまう蒼銀の少女。しかし隣に仁王立ちするウォフはいやに冷静で、一歩間違えば友人がぶつ切りになりそうな、ドゥルジですら平静を装いながら額に汗を浮かべているシーンも冷めた目で俯瞰している。
外野が騒ぎ立てる間も、男の腕は休みなくスラエータオナへと刀を向けている。もういい加減へばっても良い頃合いなのだが、鋼を鍛えるために幾度にも渡って鎚を振るった腕は疲れ知らずの様で、先に綻んでしまったのは啖呵を切った少年の方だった。
後ずさろうとして足がもつれ、反応が一瞬遅れる。モロキとの戦闘は、その隙を見逃すとか見逃さないといった次元での物では無かったが、それでも十分に致命足り得る時間の猶予だった。
瞬間、スラエータオナは分断された自分の胴を幻視する。
──ライラックを初めとしたヘミの皆を救いたい、その道が始まる前に終わってしまうのは愚かだと自分でも分かってはいたが、理想に殉じた物なら仕方ない。続きはドゥルジがきっと上手くやってくれる。
そう覚悟を決め、せめて死ぬ時くらいは世界を直視しようと、恐怖をもろともせず闇を溶かした黒い両目を開いた。刮目した先、モロキ・タゴサクと目が合い、彼が自分に向けられた視線に気づいて笑ったような気がしたが、果たして、
「はい、そこまで~」
低く澄んだ声での気の抜けるようなセリフが響き、両者が刀ごと宙に縫い留められる。正確には、審判を担った大男が規格外の膂力で二人を掴み止めていた。
それを見て安堵の息を漏らす二人と、言った通りとでも語りげな目の真紅の少女。彼女らが見守る中で、男による仲裁が始まった。
「タゴサク、頭は冷えたか? にしてもオタクよくあんなずっと剣振ってられるよな、オジサンの老体にゃあ考え辛いぜ。それと坊主、何があったか知らないが決闘で剣振らずに避けるだけって流石に自分の命安く見過ぎ、オジサン肝が冷えたぜ」
自分の事をオジサンと陽気に語る男は、軽い語り口で二人を緩く諫めながらも、万力のような力で彼らに身じろぎすら許さない。
「いや、違ェよ。コイツは多分、自分の命を安く見てんじゃねェ、他人の命を高く評価しすぎてんだ。最後、ぶった切られる直前まで俺を直視してやがった……アレはそういう、卑下とは真反対の気持ち悪さだった」
モロキは、またもや人の呼び掛けとは会話せず、ぶつぶつと自分の世界に入ってしまう。それを見て呆れたように大男は溜め息をつき、二人の手から剣を剥がして没収する。
「えっと……それで、決闘っていうのは結局どうなったんでしょうか」
「さぁ、オジサンに聞かれても」
先ほどまでの執拗な殺意は何だったのか、目の前のスラエータオナから興味を失くしたような長身痩躯の男に、立ち尽くす男たちは次の行動をどうとって良いのか分からない。
と、周りの見えない様子で延々と独り言ちていた浮浪者の様な風貌の男が、突如としてギラついた顔を上げる。
「おいお前ェ、スラエータオナ!」
「え、は、はい!」
「俺ァこれでもいろんな人間を見てきて、世間からズレた奴も腐るほど見てきた」
「はぁ」
黒髪の少年を大声で呼び止め突然始まった語りに、少年は大いに困惑しながら相槌を打つ。何より奇妙なのはモロキがまるで自分はズレていないと言わんばかりの口調をしているところだが、そこに突っ込むとキリが無さそうなので、少年の良心はグッと内なるドゥルジを抑えて茶々を入れないようにする。
「俺が見んのは基本兵士だ、そん中には自分の命も他人の命も屁とも思ってねェ奴も当然混じってたが、アンタはどうやらその逆らしいな。『自分にできる事は絶対に皆にもできる、そんな他人の人生を奪うなんて俺には出来ない』……そういう希望めいた気持ち悪い光が、お前ェさんの目ん玉ん中に見えた」
男は尚も、自分本位な語り口で捲し立てる。その内容にスラエータオナは付いて行けず、気持ち悪い光があると称された漆黒の両瞳を瞬かせて話の成り行きを見守っているが、隣の男はその講評を聞いて何か思う所があるのかニヤついていた。
「俺ん経験から言って、その手の人間は九割九分九厘死ぬ。ただ、お前ェさんがその一厘だったとしたら──俺ァ、アンタがどんな風になるのか気になっちまった。流石にステファノプロスの旦那が寄越した案件だ、好かねェ性分だが『認めてやる』よ、確かにこいつァ
「えっと、つまり?」
正に立て板に水、早口で独りよがりな結論を出して満足げに無精髭を撫でる男に、さっきまで命を狙われていた少年は気の抜けた返答をする。その警戒心の無さは、まるで自分を殺そうとした男に何の忌避も覚えていない様であり、着流しの男による指摘が決して的外れではないと自ら示してしまっている。
少年は耳聡く、彼の言葉に認めるというフレーズが入っていた事は聞き逃さなかったものの、それがどういった理屈で導かれた結論で、その結果どうなるのかは少年にはとんと見当がつかなかった。
「だから、旦那に頼まれた通りお前ェさんに武器を拵えてやるって言ってんだよ! ただ仕上げるには時間が掛かる、出来次第持ってってやっから、首を長くして待っててくんな」
「んじゃ、決闘は終わりって事で良いか? オジサン、ホントはちょっと立ち寄るだけのつもりだったのに長居しちゃったから、後ろの予定が詰まってんのよ」
「ああ悪ィな、帰っていいぜ」
鍛冶師から殺意が消えた事を確認して、審判を務めていた男はそそくさと退散する。それと入れ替わりに近くに駆け付けたのは観戦していた三人で、
「スラエータオナさん、どうしてあんな無茶をしたんですか」
相変わらず蒼銀髪の少女には抑揚も無ければ表情もないが、それでも真黒の少年を正視する碧玉の瞳には、彼への心配と安堵の念が籠っているように感じる。
「すみませんアシャさん、無茶をしようとしたつもりじゃなかったんですけど……」
「ホントにね。キミは昔から、意味の分からない所で怖がることもあれば理解できないような勇気を出す時もあって危なっかしいんだから」
先ほどまでは汗を滲ませていたドゥルジも、少年が無事となればいつもの軽薄な態度に切り替えて、目にかかった細い藍の髪を払いのける様に余裕ぶったポーズを決める。
激動だった半日を終えて、和気藹々とした空気が戻りつつある中で、一歩引いた所に立ったウォフは思案するようにして形の良い顎に指を当て、ルビーの瞳に探るような色を灯して一人息を吐く。
「そういや、あのオッサンの名前聞きそびれたな……」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
蜘蛛の巣めいた都市の裏路地、信じられない歩幅で帰路を行く赤毛の大男は、伸びをするように大きく息を吐いた。2メートルを優に超えようかという男の体躯はそれだけで一種の武器として使用出来そうなほどであり、大木の幹の様な胴体は防具こそつけていなくても天然の鎧として見る者を威圧する。
「どうなるかと思ったが、面白いもん見れたし寄って良かったぜ」
男は、低く澄んだ良く通る生来の声質を敢えて打ち消す様に、軽薄で間延びした喋り方を独り言でも続けている。それ故に、続く言葉もまるで軽口のようにして、簡単に冬の寒風の間に消されていった。
「にしても、あの子らがアムシャ・スプンタの旗印ねぇ──こいつぁちょっと、面白くなって来たなぁ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます