20 【肌に触れて】


 パルシスタン王国の首都であるハ―フェズは大陸でも有数の大都市であり、冬の短い陽が落ちた後の街にはあちこちに煌々とした明かりが灯り、乾いた寒さを気にすることもなく大量の人が往来していた。石と粘土で形作られた建物は蝋燭を反射して仄白く浮かび上がっており、幻想的な雰囲気の情緒ある風景が王城から放射状に広がっている。



 その一角、香辛料が匂い立つ大路地を当てもなく散策していた女は、下心の覗くような軽薄な声に呼び止められて、真紅の髪を翻して憮然とした表情をする。


「ウォフちゃん、今晩御飯でもどう?」


「……言っとくが、ケツとか触ろうとしたら腕折るからな」


 振り返った真紅の瞳に映り込んだのは、波がかった藍の髪と珍しい銀の瞳を持つ甘い顔の少年、ドゥルジであった。少年は整った顔に好色そうな笑顔を浮かべて、脅しを気にすることもなくウォフへと歩み寄る。


「んで? わざわざ後を付けてまでおれと飯って事は何か話があるんだろ? ……アシャ絡みか」


「さっすがウォフちゃん、察しが良いね。店は任せてよ、美味しそう且つ話し声が掻き消えそうな所を見つけといたから」


 そう言って少年が女を連れ立って向かったのは酒場とも食堂ともつかない、野太い笑い声の響く大衆的な店であった。奥には同じ服装で揃えた屈強な男たちが大きな卓を囲い、酒を酌み交わして大声で談笑している。


「おれ達を王城に案内した奴らと同じ服、あいつらも王都騎士団なのか。なんかガサツそうに見えるな」


「まぁまぁウォフちゃん、明日からお世話になる訳だし、そういう事は言わない方が良いんじゃない?」


「隠したって体ん中で思ってたら意味無いだろ。……それにしても、あんたらまで騎士団に来る事になるとは思わなかったぜ。どうせそう転ぶなら王様に別のもん頼めば良かった──おっ、これ美味ぇ」


 少しだけ声量を落として陰口が聞こえない様にしつつ、二人は件の騎士団を横目にしながら酒を呷り食事をとる。



 スラエータオナとドゥルジが国王の口車に乗ってアムシャ・スプンタを探し出す任務を請け負った時点で、彼らもウォフに続いて騎士団へ特別配属されることが決まった。肩書は見習い、表向きは先の事件によって救出した孤児を一時的に預かっているとしつつ、神が祀られているとされる土地への遠征には同行する流れになったらしい。つまり、椅子が小さく感じるほどに鍛えられたむくつけき男たちは明日からの同僚という訳だ。


「それにしても大変なことになったね、ボクとしてはついこの前まで只のうのうと暮らしてただけなのにあっという間にこんな事になっちゃって──どしたのそんな怖い顔して」


「ずっと考えてんだ、あんたの村に起こったアレが爺さんの言う様に神絡みの余波としたら、一体なんでバリガーに襲われなきゃならなかったのか。……こんなことは言いたくないが、ドゥルジ、他の子供が昏睡する中で、たった二人だけ無事なあんたらが怪しく見えるってのは分かってくれるか?」


 芝居がかった身振りで自らの境遇の流転を嘆く少年、しかしそれにウォフの鋭い眼差しが刺さる。とぼけて尋ね返すもハスキーな声での追撃を受けたドゥルジは口角を上げたまま暫く硬直し、急に表情を失ったようにその口を真一文字にした。


「そうだね。ボクの見解を述べるなら、そもそも異常なのはあの町だ。キミも気づいてるだろうけど、あの医療都市は明確に治療以上の──言ってしまえば隔離を目的として作られた節がある。ボクもスラエータオナも、そもそもあの町の人は外を知らないからね」


 そう言ってドゥルジは手品の所作のように人差し指を自らに向けた。くしくもその内容は、ウォフとスラエータオナが幌馬車の中で辿り着いた仮説推論と非常に似通っている。


「それに関係するかは知らないけど、実はボクには昔からおかしな芸当が出来てね。有体に言えば、人の心が読めるんだ。まぁ、隅から隅までお見通しって訳にはいかないんだけど。あ! 今のスラエータオナには秘密ね? ボクの前であれこれ考えてくれなくなっちゃう」


 そう言って、「手の内を見せた」と言わんばかりに両掌をウォフへ見せてヒラヒラと振る藍髪の少年。そのおちゃらけた態度とは裏腹に、さりげなく与えられた情報は大きなもので、女は動揺を隠すように唇を吊り上げて犬歯を覗かせる。


「もしかして今、おれの心を読んでヘミの推理をしたか?」


「さぁどうだろうね? ただ、あの町自体がおかしいならボクのこの異常体質にも説明が付くかと思ってさ。それで何日か前からずっと色んな所に張ってるけど、今の所は良く分からないね」


 紅の女は駆け引きじみた質問で少年から更なる情報を引き出そうとするが、ドゥルジはどこ吹く風と言った表情で丁寧に眼前の肉を小さく切り分けている。張り合いの無さを感じたのか、ウォフは杯を傾けて中身を一気に呷った。


「それで、何でそれをおれに話したんだ。今切っても美味くない手札だろ」


「いや、そんな事無いよ。そもそもこの話を信じるかどうかに始まって、それを聞いた事による思考、感情、返ってくる答えは真実かウソか──キミと違って心が読めるボクには、たった一言で膨大な情報が得られる」


 飲み干した勢いでぶっきらぼうに尋ねたウォフ、そこそこの量の酒を飲んでも明瞭な意識を保つ女を銀瞳に映して、少年は種明かしを楽しむように自身の真意をつまびらかにしていく。


「……それにねウォフちゃん、キミがボクを疑ったように、ボクから見ればスラエータオナ以外の全員が信頼できないんだ。だからこのネタばらしは、ボクなりのウォフちゃんへの信頼の証と言っていい。キミは間違いなく白だ、これからもスラエータオナを助けてあげて欲しい」


 普段に芝居がかったわざとらしさを孕んでいる分、真剣な話なのにどことなく棒読みなドゥルジの口調は、却って本心を吐露している空気を醸す。前屈みになった事で垂れた前髪が彼の顔を隠したせいで表情を読み取れないが、彼の瞳は今どんな色を映しているのだろう。


「ったくしゃあねぇな~! 今日は奢ってやるから飲め飲め──ってそもそもドゥルジって酒飲んで良い年なの?」


「……ライラックに会いに行ったスラエータオナ、今頃はもう病院かなぁ」


「おいコラ、はぐらかすな」


 街は煌々と輝き、まだまだ眠る気配がない。




 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆




「ここ……で合ってるんだよな?」


 その建物を前にして、スラエータオナはついつい大きな独り言を漏らしてしまった。場所は都市中心の中でも有数の閑静な通り、そこに聳える大きな病院の前で少年と少女、スラエータオナとアシャは夜風に囁かれながら立ち尽くしていた。



 代わりの報酬として要求した、ライラックとの面会は存外あっさりと許可された。アムシャ・スプンタやヴェンディダードの話を世間に公開する気のないザラスシュトラ王にとって、その毒牙にかかった疑いのある昏睡者の存在は最高機密に等しいとスラエータオナは考えていたのだが、地図に示された面会場所は何の変哲もない街中の病棟だった。



 世間の目を考えて靴だけは履いてもらったが、スラエータオナが連れている少女は貫頭衣を着たままである。歓楽街と違ってこちらの区画に夜の人手はほとんど見られないものの、その僅かな通行人の反応は当然の様に訝しい。挙動不審で更に怪しまれない様にスラエータオナは堂々として歩いたが、却って滑稽さが増していたかもしれない。



「私に地図は読めませんが、指示された場所に病院があるのであれば正しいのではないでしょうか」


 傍らに立つ少女はやはり無機質な声と表情で、スラエータオナの呟きを肯定してくれる。その一言に背中を押されて、スラエータオナは建物の中へと歩を進めた。指定された地図には丁寧に部屋番号が記載してあり、わざわざ尋ねなくとも目的地は分かるようになっていたが、それに従って最後の階段を上がる手前でスラエータオナは立ち止まらざるを得なくなってしまう。


「封鎖されてる……」


 踊り場には立ち入り禁止の立て看板、そして上階には一切の明かりが灯っている気配がない。ここまで来て口惜しくはあるが引き返す他にない、スラエータオナはそう判断してすごすごと引き下がろうとするが。


「待って下さい、何処に行こうとしているのですか」


 少女の冷たい声が階段に反響して上下へと抜けていく。闇に溶けそうな黒髪の少年はやや困ったように頬を掻いて、少女へと説明する。


「ああ、アシャさんには読めないかも知れませんけど──」


「馬鹿にしないで下さい、私でも読めます。その上で、これは人除けだと思います」


「な、成る程! 木を隠すなら森の中って事ですね?」


「どれだけ特殊な症例と言えども、病院に病人が運び込まれるのは当然では無いでしょうか。様々な目から患者自体の存在を隠したいと言っても、そこは一般の方と動線を区切れば全く問題無い筈ですから」


 言語体系が同じでも文字は変化している、少年はそう判断して諭すように伝えようとするが、あっさりと否定された。口調が無機質なために言葉選びによっては冷徹な印象を与える少女の言動、それに再び背中を押されて、少年たちは階段を上がっていく。



 下の階から見た通り、指定されたフロアには一つの照明も灯っておらず、閉められたカーテンの隙間から差す街の明かりだけが廊下をぼんやりと浮かび上がらせている。夜目を利かせて慎重に歩いた廊下の突き当り、角部屋に当たるところにライラックの眠る部屋は位置していた。


「アシャさん、どうやらここらしいです」


「……」


 隣の少女へ確認するように一言告げて、少年は一度大きく息を吸い込み、無自覚に乾いた唇とは裏腹に汗の滲む掌で扉を開ける。その勢いで揺れたカーテンが月の光を部屋に連れ込んで、小さな病室ベッドに横たわる人間の顔を白く照らした。


「──ライラック」


 少年は、まるで自分の一言で少女の存在が証明されるかのように、万感の想いでその名を呟いた。いつも着用していた眼鏡も髪留めもなく、傷の無い生まれたままのライラックの寝顔が、被せられた毛布の間から覗いている。



 ──これまで生きていた中で、ライラックの存在を強く意識したことは無い。強いて言うなら出会ったばかりの時だろうが、それ以来ずっと側にあった少女の顔を見るだけでこれ程込み上げる物を感じたのは初めてだったかもしれない。



 アシャは特段の言葉を挟むでもなく、感動に打ち震える黒い瞳の少年を見つめていたが、やがて少年の様子がおかしいことに気付いたのか袖を引いた。


「スラエータオナさん?」


「……アシャさん、変だと思いませんか。さっきから身じろぎ一つしない所か、寝息すら聞こえてこない。これって普通ですかね……?」


 見下ろして年下の少女に質問する少年には、祈るような表情が浮かんでいた。しかし、表情のない少女にはそれに適当に同調して相槌を打つだけの共感性が感じられない。鉄面皮をやや歪めて困った顔をするしかない少女を置いて、少年は藤色の髪の少女へと近づき手を取る。


「──っ! 冷たい……」


 スラエータオナの血色は見る見るうちに悪くなる。少年は急いで少女に掛かった寝具を跳ね除け、逡巡したように首を振った後、少女の上下しない胸へと耳を押し当てた。



 少年に、心臓の鼓動は届かなかった。


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