19 【過去からの置き手紙】


「ならぬ」


 と。

 スラエータオナの提案は国王にすげなく突き返されるが、少年は怖気付かずにもう一度同じ要求をする。


「ですから、アラーク村に援助をしていただきたいのです! それが私の望む報酬です、ザラスシュトラ王!」


 謁見の間、アシャを無事に連れ帰ったスラエータオナ達はザラスシュトラ王から手柄を認められ、望んだものを下賜される流れとなった。



 ウォフは「衣食住」を望み、剣の腕も認められて騎士団に推薦という形で特別配属される事になったらしい。旅の途中に本人が推測したように、アシャ捜索隊の戦闘要員がウォフのみだった時点で、騎士団への引き抜きは半ば決まっていたのかもしれない。



 ドゥルジが求めたのは「金銭」、余りにも即物的な願いではあったが、これからの処遇すら決まっていない彼らには必要な先立つものではあるし、この先どう話が転がっても腐るものではない。スラエータオナからすればここで駆け引きをせず無難な事を言うドゥルジは少々意外ではあったが、この場で意図を尋ねられるほど玉座の前でリラックスする事はできない。



 そして最後、スラエータオナの要求はたった今国王によって却下された。


「ならぬといっているだろう。大抵の要求は認めると言ったが、国の運営に干渉しようとするなら別じゃ」


 尚も食い下がろうと息を巻いていた少年、その鼻先に叩きつけられた想像以上に大きな主語に、スラエータオナは虚を突かれて気勢を削がれた。玉座前に垂れ幕がかかる事で影絵のようになったザラスシュトラ王は、思案する様に肘をついてゆっくりと語りだす。


「どうも、この国がどう動いているかを説明した方が早そうじゃな。……そもそも王国を名乗ってこそおるが、国王たる儂の一存ではこの国を動かせん。伝統ある一つの国でありながら、百四十の自治体を束ね世界を調律する役目も担わされた超国家的組織、それが今のパルシスタンの実態じゃ。力を持ちすぎると力に縛られる。政策一つ通すのにも、これらの国から来た特使による議会と、五つの大国の長による決議を必要とさせられる」


 そこで老人はふうと息をついて間を作り、若者への理解を促す。目立ったレスポンスが無い事を確認して、腰かける王はしゃがれた喉で再び言葉を紡ぎ始めた。


「まして、人口減少による限界集落など何処の自治体も抱えておる問題じゃ。封印を見守る土地守の集落という存在意義をたった今失った、いずれ淘汰され消えゆく村。それをお膝元という理由だけで救おうとすれば、いずれの国からも同様の件で予算を要求されるじゃろうなぁ……分かってくれ、儂もまた傀儡に過ぎんのじゃよ」


 そう言ってザラスシュトラ王は事切れたように押し黙った。スラエータオナは唇を噛むが、ここでもう一度同じ要求を出来るほど蛮勇ではない。仕方がないと諦めかけたその時、これまで物言わぬ人形の様に口を閉ざしていたアシャが唐突に鈴のような声を響かせる。


「お話は理解いたしました、ですが……。実は私は昨日、アラーク村の方と少し会話をしました。彼らはとても良き人たちで、私の眠りを見守ってくれた恩人でもあり、私からも何か奉公がしたいのです。国としての支援を出来ないというお話でしたが、私が個人的にお手伝いをさせて頂き、、というのは問題ないですか?」


 少女はおずおずとした口調で、しかしはっきりと見通しを立てた案を奏上する。王は驚いたように低く短くうなり、押し殺すように枯れ木の様な喉を震わせる。


「うむ……本音を言えばお主という存在が少しでも衆目に晒される危険性は避けたい。何せ、こちらとしてもなど絶対に公表できぬ事柄故な。じゃが、危ぶむばかりに肝心のお主の機嫌を損ねるのはこちらとしても避けたい。……後で詳細な条件を詰めよう、お互いの意見の軸が折れない程度にな」


「アシャさん……!」


「……私は、私自身の身勝手な意思でそう選択しました。スラエータオナさんのためでは決して」


 思わぬ援護にスラエータオナの声音は弾むが、一方のアシャは素っ気ない。


「もうよいよい、世間としての立場は上でも儂は縋る側なのじゃ。冗談の様な話に乗った上でこなして見せたお主らにそう強くは出れん。はぁ、儂の代に限ってなぜこんなことに……全く酷い話じゃのぅ」


老体にとっては若者の一喜一憂が煩わしかったのか、飽き飽きした様な声色で、国王は自らの不幸を嘆く。



──実際その通りではあるのだ。アラークでアンから受け取った情報が信頼できるという前提なら、全てを知った顔でスラエータオナたちを「建国神アシャ・ワヒシュタ」の捜索へと送り出したザラスシュトラ王でさえ、三千年前から続く因果にたまたま巻き込まれただけに過ぎない。それこそ先王が健在であったり後進が早く育っていれば、この謎めいた物語とは関わらずに一生を終えられたはずだ。


この場において、アシャを除く登場人物は全て受動的に物語へと参加させられている。だからこそ、自分の物語は自分たちで選び取るしかないのだ。


「お主らの話は聞いたところで、それでは話を先に進めようか?」


「って事は聞かせてもらえるのかな? 王サマが白々しく隠していた、実在する神話ってのをさ」


 一拍置いて声の調子を下げたザラスシュトラ王へ、ドゥルジは意地悪く頬を吊り上げて返す。どうもスラエータオナ以外の二人は王への敬意が足りない所作が多いが、寛大にして軽剽なザラスシュトラ王は冗談めかして咎めるか無視するかばかりで、本気で問題視する素振りが無い。


「……この短い旅路で多くを学んだようだな。儂がそう仕向けたのだから当然ではあるが」


 王の調子はいつもと大差ないが、それでもスラエータオナたちに伝わる音の質は先ほどまでと打って変わって冷徹なものを漂わせた。沈黙を肯定として老人は尚も続ける。


「先刻、儂はこの椅子が飾りに過ぎんと言ったが……当然、異なる部分も存在する。その一つが帝政時代から伝わる純王家の秘宝、ワルヤ家の遺産であってな」


 ワルヤ家、その単語にアシャの頭が微かに動く。その反応を確認する様にして、ザラスシュトラは用意していた台詞を読み上げるかのごとく言葉を繋いだ。


「その中に、帝国最後の皇子にしてパルシスタン最初の王たるクシャスラ・ワルヤ先王の日記がある。その中で語られているのは、後に建国神話として語られる事となった帝政最後の日々と、彼自身が建国神アムシャ・スプンタを集め束ねたという記録じゃった」


「クシャスラ・ワルヤ様……私にとっては昨日の事のように覚えています。授かった大恩、到底忘れられるものではございません」


 無機質な調子でのオウム返しながら、その名を呟くアシャの声にはどこか郷愁の念の様な響きが混じっている。その王が、少女が昨夜にも思い出していたその人なのだろうか。



 三千年の時を掛けて繋がれる思い出話、しかしスラエータオナたちが求めている話はそれとは少し違う。そういった空気を察したのか、老人は感傷的な少女とこれ以上の会話を続けずに咳払いをして話題を戻す。


「崇炎教と建国史における神話は切り口の違う同一の物である、というのは土地守から聞いて既に認知しておると思ってよいな?」


 その問いかけに、三人は無言で首肯する。盲目の王はそれを確認できないが、漂う沈黙を是と捉えたのか満足そうに息を吐いて細い指を組んだ。


「……これは本来墓に持っていくはずじゃったが、時が来た以上は告げなければなるまい。崇炎神話において、アムシャ・スプンタがと呼ばれる邪な神と戦った事は教養として知っておるだろうが……同一の物語を起源とするなら、当然建国神話──史実にもそれに当たる存在がある。あらゆる歴史書から失伝した、パルシスタン国家転覆を試みた最古にして最後の反逆者、それが『ヴェンディダードの魔王』」


 老王の至って真剣な口調から出でた、小説の単語の様な奇怪な響きに、スラエータオナは生唾を飲む。


「手記によれば、人ならざる力を持った『ヴェンディダードの魔王』はアムシャ・スプンタとの戦いの末に秘儀によって封印を施されこの国の礎となったらしい。そして、こうも記述があった。三千年の末に此方と彼方は目覚め、再び戦うことで真の平和が訪れる。その未来を者が居た、と」


 そこまで言い終えた老人は、咳払いをして椅子に深く腰掛けた。当然の様に衆目はアシャへと一斉に集まるが、少女はさして怯える様子もなく訥々と自身の見解を述べる。


「語りのための誇張はありますが、概ねは間違っておりません。私の受けた伝言も、目覚めた先で正義と天則を示せと」


「お主の存在が、何よりもそれを事実だと裏付けていると言えるじゃろうな。……本当の所は儂も信じたくなかったのじゃよ、しかし逃げられない貧乏くじを引いてしもうた」


 王はどこか悔恨する様に掠れた声で呟き、頭を抱える様にして続ける。


「ここ最近、バリガーの行動が異常化して来ておる。神話にも悪神の使徒として語られるものの、これまでは只の害獣だったにも拘らず、数年前から明らかに統率された行動や積極的な人間への襲撃が報告されるようになってきた。加えて、そこのアシャが伝承通りに眠りから醒め儂と言葉を交わして居る。信じたくなかったが、最早疑う事はできない。手記に記されていたのは事実じゃ、この国は三千年前の禍根によってふたたび戦場となる」


 ザラスシュトラはそれだけ言い切って口を閉ざす。王の語り口は明瞭で、絶望と諦念のない交ぜになった声色でありながらも、その内容は不思議なほどスラエータオナの腑に落ちた。たった四、五日前の出来事でありながら遠く感じる在りし日、あの時にヘミが燃えた時から一続きの筋書きであったのだ。


「つまり何だザラスシュトラ王、あんたは結論を敢えて言わなかったが、おれ達に他のアムシャ・スプンタも探して見つけて仲間にさせる役割を任せようってか? ご丁寧に説明なしに一人目を終わらせて拒否しにくい空気を作ってまで」


「……儂がそう誘導したのじゃから、そう聞こえたのであれば間違いではないだろうな」


「しかも先に報酬を提示しやがって。おれ達の要求は呑んだ、だからそっちの要求も呑めって事か。流石に国王ともなると当たり前みたいにそういう事してくるんだな」


「誉め言葉と受け取っておこう。長生きすると、どうも打算的な物言いが増えてな」


 ウォフの不遜な言葉遣いにも気を悪くする事無く、玉座に腰掛ける王は泰然と受け流す。ザラスシュトラは現状を嘆いている様ではあったが、かといってすべてを投げ出すほど打たれ弱い人物でもないようだ。


「して。ただ巻き込まれただけのお主らは、儂の口車に乗ってくれるかの?」


 唐突に、ザラスシュトラ王の語気が国王のそれとなる。あくまでこちらに委ねる口調ではあるが、それは依頼というより要請に近い。誰かが喉を鳴らす音が聞こえるほどの静寂の中で、やはり先陣を切ったのはこの女だった。


「おれは本当に巻き込まれただけだ、こいつらの町に通りかからなければ何も知らずに生きてただろうさ。だからこそ、遠慮なく首を突っ込ませてもらうぜ王様よ。成り行きじゃあるがこのウォフ・シャムシール、微力ながらこの国の剣として戦わせてもらおう」


「ボクは戦いとか全然なんだけど、ここまで関わって逃げるとかどうせできないでしょ? それに、ウォフちゃんとアシャちゃんってタイプの違う美女とこれからも一緒に入れるのは本望だね」


 朗々と宣誓を述べたウォフに、いつもの軽薄な口調ながらも前向きな姿勢を見せたドゥルジ。アシャは当然の様に当事者であるために、返答を残されたのはスラエータオナのみとなった。


「本当に嫌なら辞めて良いんじゃぞ? 儂としても本当に心苦しい提案なのじゃ」


「……一つだけ聞かせて下さいザラスシュトラ王。私どもがその役割に選ばれたのは偶然なのでしょうか?」


 中々返答を貰えない故か、気遣ったように声色を優しくして語りかける老王。その穏やかな口調へ記憶には無い祖父の存在を思いながら、少年は今一度質問をした。


「……答え辛い質問じゃが、偶然じゃ。これまでもお主らの様にバリガーによる被害を受けた者はたくさんおる、しかし今回は『昏睡する子供』という新たなる異変が確認された。──不謹慎だと憤って当然じゃが、儂はそれに何か啓示めいたものを感じたのじゃ。発生した新たなる異常、そしてそれに当てはまらないの子供たち。儂はそれに縋りたかった……許してくれ」


 ザラスシュトラの飾らない言葉は、どこか王という衣を脱ぎ捨てた本心からの偽りないものに聞こえた。『偶然』と明言されたスラエータオナ、しかし少年の黙っていれば冷たい印象を受ける表情は、その言葉を受けて緩んだように見えた。


「安心しました、私……いや、俺の事を特別って言っていただけなくて。ザラスシュトラ王よ、謹んでお受け致します。きっと俺が戻りたい風景とその旅は繋がってる、そう思うんです」


 少年は相好を崩しながらどこか独り言じみた口調でそう答えた後、覚悟を決めたように毅然とした表情を作って、最後の一言にありったけの想いを賭けて言い放った。


「ところで、先ほど却下されたという事は、俺は別の報酬を望んでも良いのでしょうか」


「今度は大きな注文をしてくれるなよ、できるだけ小規模に穏便に済むやつで頼む」


図々しいともとれる催促に、ザラスシュトラは機嫌を損ねることは無く、むしろスラエータオナがまた怖いことを言い出さないか怯える様にして承諾を返す。その返事を聞いてスラエータオナは微笑み、


「だったら、俺の望みは──」


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