15 【タメ口】


「じゃあな、寝床は自分らで探せよ」


「いやいや、マーニーさんは泊まっていいって言ってたよね?」


 食後しばらく、砂色の髪の少年によって外に呼び出された一行は吹く風と同じように冷たい言葉を投げかけられていた。ドゥルジは目を伏せかぶりを振って否定するが、セピーデダムは取り付く島もない。


「……ダメだ、オタクらと慣れ合っても俺に得がねぇ。マーニーさんは優しいからああ言っただけだ、外で凍えながら寝てろ」


「そうは言っても、ボクらに頼る相手なんてどこを探しても居ないよ? そもそもボクとスラエータオナも身寄りがなくてさ、そういう寂しさはキミにも分かるんじゃないのかい?」


「はあ? そもそも俺は孤児じゃねぇ! ……それに、最後には居なくなっちまう奴らと仲良くしたって虚しいだけだろ」


 ドゥルジは藍髪を指で遊びつつ強めの自虐で懐柔にかかったが、セピーデダムはどこか諦念を孕んだ言葉を最後に音を立てて扉を閉め、それきり会話が事切れてしまう。場はしばしの困惑ともの悲しさに包まれるものの、もう一度扉を開けて止めるよう催促するおこがましさは発揮できず、星月だけが見守る寂しい道に取り残された。


「居た居た、皆さん一体どこに行ってたんですか。迷惑なので勝手に消えるのは止めて下さいね?」


 心なしか丸まった背中に、数刻ぶりのくぐもった声が掛けられる。振り返るまでもなく背後にいたのは近衛兵で、良く喋る背の高い影と無口な背の低い影が明かりのないこの村の闇によく馴染んで、数歩ほどの距離に居るのに輪郭がぼやけているように見えた。


「いやいや、そんなに怪しげな目で見られても、一日は共に過ごした仲じゃないですか」


 彼らの存在なしに聞き込みを成功させてしまった以上、良く喋る黒服の男に馬を駆った以上の価値は感じられない。そんな視線を察知したのか冗談めかした焦りを浮かべて、近衛兵はスラエータオナたちに近寄りつつ声のトーンを落とす。


「皆さんが村を散策している間に、今夜泊まれる場所と情報を手に入れてきましたよ。聞きたいですか?」


 近衛兵はそう言って小首を傾げるが、あざとい仕草でも鳥の様な覆面では表情は読み取れず、却って気味の悪さを生む。その姿を見たウォフは勝利宣言のように口の片端を釣り上げて獰猛に笑い、その思わせぶりな態度の鼻っ柱を折りにかかった。


「アシャは砂漠にいるって話だろ? 明日も早くなりそうだからさっさと寝床に連れてってくれ」


「いやはやもうお知りとは耳聡い……どこでその話を?」


 ウォフの切った手札の出所を近衛兵は訝しむが、それに返答する気は毛頭ないとばかりにウォフは形の良い顎をしゃくって二人の少年に後を付いてくるよう促し、近衛兵たちが来た道を辿って勝手気ままに歩き出す。道中で何度か同じ質問をされたが、ウォフが無視を決め込むかドゥルジが冗談を飛ばすばかりで、横を歩いていたスラエータオナは流石に近衛兵が不憫になった。それでも、先ほど聞いた内容を思うとわざわざ蒸し返すのは気が引けるほど、少年の脳は疲弊していた。


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 連日に渡る未明の起床に関わらず、スラエータオナの脳はいやに冴えていた。開かない目で食事をとるドゥルジの寝癖を真剣な顔で見つめつつ、快眠を挟むことで少し整理された昨日の情報を一つずつ思い出しては朝食と共に噛んで飲んでいく。



 昨晩に別行動だった近衛兵が馬を担保にして駱駝を借りたらしく、砂漠へはそれに乗って行く手はずになっているらしい。愛馬を勝手に保険にされたウォフは拗ねていたが、旅のためと最後には了承していた。



 またしてもスラエータオナの与しない所で物語は転がっていくが、黒髪の少年は段々とそれを冷静に受け止めつつある。ヘミという狭い世界で生きていた頃はともかく、この世には往々にして全く制御できない事柄があるもので、自身にできるのはその荒波を溺れずに泳いでいくことだけだ。そもそも、故郷に起こった異変の解決を「アシャ・ワヒシュタ」に求めてきている訳で、今更事態の中心に居ようとするのは烏滸がましさの極みだろう。


「あぁ? あいつらを此処に置いてくってどういう事だよ」


 近衛兵と話していたウォフが不意に出した大声に、眠たげだったドゥルジの目が開く。声の主である女は、起き抜けとは思えないほど美しく流れる赤髪を朝風に靡かせて、黒い鳥面に食って掛かっていた。


「ですから、安全の観点と駱駝の頭数から考えて、お二人にはお待ちして頂いて私とウォフさんで向かうのが一番堅実では、と」


 ウォフと比べて近衛兵はかなり声量を抑えているが、東雲前の村は当然ながら静寂のただ中で、その内容はスラエータオナたちの耳にも否応なくはっきりと届く。スラエータオナはその内容に納得と共に僅かな悔しさを味わうが、ウォフは欠伸を漏らしてうっすら涙の浮かんだ眦のままでこれ見よがしに腰の剣を強調した。


「あーだこーだ言ってるけどさ、あんたらはおれが戦力として足りるって判断したからこそ仰々しい騎士じゃなくてあんたらを使者として遣わせた訳だろ? ま、あんたらは黙って村に残ってくれや」


「今回の目的はあくまで対象の確保ですので、戦う以外の選択肢も忘れずにいて下さいよ」


 その言葉を最後に、話し手たちはスラエータオナらの側に帰ってくる。そのまま席に着くかと思いきや、真紅の女はドゥルジの背後に回り、緩慢に咀嚼する彼の肩に手を置いて意味深に薄笑いを浮かべた。


「なぁドゥルジ、ただ手綱を持つくらいなら出来るよな?」


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「それにしてもあんた、手綱を取るの上手いのな。一昨日まで振り落とされないよう女のケツにしがみ付いてた癖に」


「……ボクだってこれくらいできるよ、無能は無能なりに頑張って成長するものさ」


 出発してから1時間足らず、彼らを取り巻く空間は明らかに変容しつつある。アラークには枯れながらも森があり疎らに草も生えていたのだが、次第に蹄が打ち鳴らす大地はひびの入った不毛の地に変わっていき、照りつける陽気も心做しか棘を孕んできていた。


「おれは砂鰐に集中するから、そっちを見つけるのは任せる。『見れば分かる』って言うくらいだから何か明らかな目印があるんだろ」


 借り受けられた駱駝は二頭で、片方にはウォフとスラエータオナが乗り、もう片方は荷物を積んだ上でドゥルジが綱を握っていた。確かに二頭で五人と荷物は運べないが、それでも不慣れなドゥルジに操舵をさせてまで近衛兵を置き去りにした事が気掛かりで、スラエータオナがおっかなびっくり尋ねてみたところ、ウォフは普段から更に一段低くした声で返答を寄越した。


「向こうの情報の出所が気になったからだよ。あんなびっくり箱、おいそれと耳に挟む事も信じる事もできやしねぇのに、近衛の連中はおれらが誰に聞いたか深く追及しなかった。アシャの名前の初出が国王なのも併せると、あいつらは最初から全部知ってるんじゃないかと思ってな」


「それがどうして置き去りに繋がるんですか?」


「んなもん決まってんだろ、ちょっとでもおれ達しか知らない場面を作った方が盤面を乱せるからだよ!」


「ウォフちゃんは口調の割にいつも頭を動かしてたから、流石にもうちょっと思慮深い案だと思ってたんだけどなぁ」


「それにしても風が強ぇな、目がしぱしぱして仕方無ぇっての、クソが」


「あ、今のセピードっぽ~い」


 他愛ない会話を交わしながらも歩みを止めない彼らへと、砂交じりの風は徐々に激しさを増して吹き付けてくる。口周りに布を巻いていても防ぎ切れない自然の猛威に、ウォフは口汚く悪態をついて口内の砂を吐き出した。


「ねぇ、風の話だけどさ……」


「何だよドゥルジ、昨日みたいに寒いから外套寄越せってか?」


「そうじゃなくてさ、あれ見える?」


 ドゥルジに嫌味を言われた仕返しか下でやり返すウォフに、「そうではない」という代わりに藍髪を揺すって、綱を離した左手ではるか遠くを指し示した。


 眼前、広がるのは岩と砂ばかりの荒涼とした光景のみで、吹き荒ぶ砂塵が視界を阻む。そう、場所が前方に存在する。


「ほぼ間違いなく、あれが祠だよな……」


 視線の向こう、荒ぶる砂嵐が一点に収束し半球の壁を創建している。砂漠に釣り合うその荘厳な姿、しかしそれが天然に生まれる自然の驚異とはあまりにも考え辛い。


「確かに『見れば分かる』ね、主張が激しすぎるよ。それに、そんな分かり易いのに封印が解かれてないのも方法が確認できないのも納得が出来た。あれ、飛び込んで怪我で済むかな?」


 藍髪の少年の弱気な疑問が、布越しにスラエータオナの耳朶を打つ。その不安を蹴飛ばすように、真紅の少女は声を荒げて発破をかけた。


「上等だ! むしろあれ位デカい障害の方が話に信憑性が出るぜ!」


「俺は少しでも可能性があるなら乗るしかないと思うけど、ドゥルジは行けるか?」


「どうせ、行かないとライラックは助けられないんでしょ? はぁ、ボクは無茶は嫌いなんだけどなぁ……」


 頬を叩いて気合を入れなおすスラエータオナと、肩を竦めて溜息をつくドゥルジ。各々の方法で心を整え、いざ往かん砂の防壁。と言っても、やることは淡々とした行軍で。


「砂が分厚いところは足を取られるから避けるとして、岩に不自然な穴が開いてたら気を付けろよ。いくら砂鰐が大人しいっつっても、巣の上を通ったら呆気なく食われるぞ」


「分かりましたウォフさん。右側は大丈夫そうです」


 次第に悪くなる視界に、砂鰐の存在にだけ気を割きながら、駱駝の上のスラエータオナたちはお互いの無事を伝えながら進んでいく。まだ習得して日の浅いドゥルジには駱駝の操舵に集中してもらって、ウォフと二人で手分けして砂鰐に警戒する。外套を深く被った上で顔に布を巻いているが、その隙間からわずかに覗く切れ長な黒瞳にも容赦なく砂は吹き付ける。


「できれば日が昇りきる前には辿り着きたいな。あんな仰々しい壁があるっつっても、三千年も人間の体を維持するための仕掛けがあるだろうから、それを解く時間も考えたい──クソ、近づけば近づくほど風が強くて嫌になる……ぜ?」


 少し先導していたウォフが、語尾をひっくり返して間抜けな声を漏らした。彼女の様子で身構えたスラエータオナも、声こそ発しないものの驚きは隠せない様子だった。


 吹き寄せている黄色い風は変わらないものの、眼前には砂漠には似つかわしくない緑と青が広がっている。有体に言ってしまえばオアシス、砂漠に現れた生命の憩いの場所。突然開けた光景に、スラエータオナたちの思考は一瞬緩む。


「ちょうど良い、此処で一回体制を整えるか? 口も濯ぎたいな」


「ウォフちゃん、そんなことよりあの水溜りの側の黒い塊、なに?」


 口元の布をさすって一瞬の出来事に折り合いをつけようとするウォフに、軽薄ながらも緊張感を孕んだ声が届く。ウォフはもう既に半身を地面に降ろそうとしていたが、その景色を紅の瞳に映すなり飛び跳ねるように身を固め、血相を変えて吼え立てた。


「あれは砂鰐の子供だ、なら側に親がいる! あんたはドゥルジの駱駝に乗って今すぐここを離れろ!」


 次の瞬間、状況はめまぐるしく動いた。急ぎ手綱を取ったドゥルジが荷物を落としてスラエータオナを乗せる前に、砂埃揺を立てて揺れる地面が駱駝を牽制し、地中を蠢く何かの存在を声高に主張している。中々顔を表そうとしないが、子供が寛いでいたオアシスに突如現れた闖入者に気が立っているのは確かだ。


「ウォフさんは!?」


「気にすんな、早く行け! こいつはおれが引き付ける!」


「自分のためじゃないのに何でそこまで!?」


「単に好きでやってるんだよ! ただそうだな──見返りとして、次会ったらタメ口を使ってくれよ」


 その言葉を最後に、ドゥルジが手綱を鳴らして駱駝を走らせる。後ろに乗るスラエータオナは最後まで何かを発言していたが、幾重にも巻いている布と音を立てて吹く砂交じりの風に遮られて女の耳に明瞭な言語を届けることはできなかった。


 そして、蹄の音に反応したのか砂に潜んでいた巨体が持ち上げられた。バリガーに共通する黒い鱗と太い尾に、鰐の特徴である大きく縦長に開いた顎には河に住むそれよりも数の多い歯が生え揃っている。湧き水の隅に黒く固まった幼子たちをウォフから守る様に、岩のような質感の扁平な体を両者の間へと素早く滑り込ませた。


「さぁ、やっとおれの出番が来たぜ……!」


 ウォフは自分を鼓舞するように強い言葉を砂に吐き、無理矢理に口の端を歪めて凛々しい顔立ちに不敵な笑みを浮かべる。美しいルビーの双眸に映るのは、己が斃すべき巨大なバリガーと旅で積み上げた剣気のみ。


「あんたも親ならさ、必死で頑張ってる子供には優しくしてやってくれよ」


 紅き戦士と砂漠の王。互いの初撃が激突し、穏やかなオアシスに剣呑な砂柱が立った。 


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