14 【揺れて良い】
「マーニーさん帰ったぜ~」
乱暴に扉を開け、セピーデダムは我が物顔で玄関をくぐる。その後ろからは、夕食のための食材を抱えたスラエータオナたちが申し訳無さそうに続いた。
「お帰り、セピ──後ろの方は?」
「客だよ客。都会の方から人が来てるって噂になってたろ? ちょっと知り合いになってな、食材はやるから飯食わせろ、だとよ」
簡略した馴れ初めをぶっきらぼうに語り、セピーデダムは食卓へどっかりと腰を下ろす。田舎と言うには言い得て妙、不便とまではいかないが旧式の設備が調理場を席巻していて、既に取り掛かっている料理が食欲を誘う香ばしさを漂わせている。
五人分には少々少ない食材の山を調理場まで運び込んだ後、ウォフは少しでも料理を手伝おうとその場に残ったらしく、居間に戻ったドゥルジとスラエータオナは都合上セピーデダムと相対するような形で席に座った。旅のこれからについてはアンの家で粗方話し終えてしまったので話題もなく、しばしの間重い沈黙が場を包み、耐えきれなくなったのかドゥルジが「ところで」と軽い口を開いた。
「そういえばココに来た時から気になってたんだけど、人口に対して男手が少なすぎないかい? ナンパには困らなさそうだけど、ちょっと変じゃないかな」
藍髪の少年にとって常套である冗談と本音をない交ぜにした軽口は、ドゥルジを毛嫌いしているセピーデダムにとっては非常に神経を逆撫でするらしく、質問ははっきりと聞こえていただろうにも関わらず褐色の少年は暫くの間返答しなかった。
「ねぇ、キミに聞いてるんだけど」
「……言っただろ、ウチの村は貧乏なんだよ。農業の出来ないこの時期は総出で都会に出稼ぎに行ってんだ、だから今はガキと女しかいねぇ。この答えで満足か?」
渋々返した言葉は、想像以上に逼迫したアラークの現状を伝えるものだった。何一つ不自由なく日々を送ってきたヘミ出身の二人とはかけ離れた生活で、思わずスラエータオナが顔を暗くしたのも分かる生々しい貧しさは、むしろセピーデダムが良く彼らへ話す気になってくれた方だろう。あえて乱暴な口調でドゥルジの追及をいなそうとした褐色の少年だったが、しかしドゥルジの浮薄な悪辣さはその傷を平気で抉る。
「成る程、父親っぽい人が見当たらない理由はなんとなく分かったよ。それで、キミが帰って来た時にこの家の人を名前で呼んだのは何でなのかな? さっきの話でも母親は居ておかしくないと思うけど」
「何が言いたいんだテメェ!」
ドゥルジの陰湿な言葉の刃は彼の盾をあっさりと突き破り、激高した彼の両腕はそのままニヤケ面の胸倉へと伸びる。もはや一刻の猶予もなく爆発しそうな彼の激情を抑えたのは、他でもない彼の親代わりだった。
「セピードには本当の両親も私も居る、なら愛してくれる人がみんなの二倍いるってことじゃない? それはとっても素敵だわ」
マーニーは寂しそうに笑って、出来上がった料理を机へ運んでくる。セピーデダムは彼女に言葉を投げかけようとして、でも何もせずに黙って手の力を抜いた。褐色の少年から恨めしげな目を向けられてもいまだ余裕ぶった素振りを崩さないドゥルジに、スラエータオナも流石に咎めようと一度は意気込んだが、これ以上に空気を悪くする事が憚られて続く言葉が出ない。
ドゥルジの舌から様々な方向に飛ばされる棘、それは否応なく場にいる者全てに届いたが、セピーデダムの養母は微笑で受け流して食器を並べ、空気を変えるように手を大きく叩いた。
「こんな物しかないけど、遠慮せずに食べちゃって!」
「い、いただきます」
料理を運んできた陽気な女性に促され、一時は食事に指を伸ばしかけたスラエータオナ。だがしかし、僅かな逡巡の後に、表情に滲んだ迷いそのままに食器を戻す。その様子を見て、今まで忙しなく口に物を運んでいたウォフの動きが止まった。
「どうした、食欲ないのか?」
「いえ、その、もてなして頂けるのは有難いんですが、村に押し掛けた上に食事まで強請ったのは迷惑じゃないかと今更ながらに……」
ドゥルジが乱した場の雰囲気が尾を引いているのか、語気を弱めて苦しげに呟いたスラエータオナを、マーニーは軽快に笑い飛ばす。目尻に皺の刻まれた女性へ、スラエータオナは何とか口角を上げて愛想笑いを浮かべるが、その歪な笑みにマーニーは難色を示した。
「スラエータオナくん、だっけ。笑おうとする気概は嬉しいけど、無理に笑おうとしなくていいのよ」
女はスラエータオナの黒瞳を覗き込み笑みを作ってみせる。スラエータオナは彼女の言葉を受けて、黒い瞳に二律背反を映したままで心情を吐露した。
「正直、この歓迎は凄く嬉しいです。この村に来た頃はみんな僕たちのことを怪しげな目で見てたので、てっきり厄介者だと思われてるのだと……」
「あっはっは、そりゃだってこんな食べ物も金も無い村に来る都会人と言えば税の徴収くらいだもの! 誰だって怪しむわよ!」
スラエータオナの後ろ向きな謝辞を大仰な自虐で笑い飛ばす女の姿を見て、不意に黒髪の少年の心にライラックとその父母と囲んだ風景が浮かぶ。前は食事中にこんなにも会話することは無かったのだが、他所の家で食卓を囲む行為がスラエータオナの習慣に埋め込まれている分、体が自然と反応してしまったのだろう。気付けば、スラエータオナの唇は細かく震えていた。
「おいどうしたスラ公、舌でも噛んだか?」
「いや別に、そんなんじゃないけど……ならどうしてここまで良くしてくれるんですか?」
セピーデダムによる謎のあだ名に指摘が飛ばないほどに焦ったスラエータオナは、急いで頬を擦って弁明してからマーニーへ再び問いかける。女は特に考え込む様子もなく
「別に良くしてるつもりじゃないわよ? この村はもう持たないのに施しは無し、なのに一丁前に搾取はする国と都会を良く思ってないのは多分事実よ。でもそれとあなた達個人には関係はないわ、むしろセピード以外とご飯を食べるのは久しぶりだから楽しくなっちゃう」
あくまで自然体のままあっけらかんとそう答えて、女はコップの水を煽った。スラエータオナにはその態度が不可解で、彼女の気風のよさには同意しかねる。そう言いたげな少年の表情を見てか、マーニー上機嫌な態度から穏やかな顔つきに戻る。
「私だって若い頃からこんなんじゃなかったわ。でもね、都会に憧れる気持ちも妬む気持ちも、この村が好きなのも嫌いなのも、都会の人に辛く当たるのも暖かく接するのも、全部私の感情なの。おばさんからの小言だけどね、自分の感情を一つに決めちゃダメよ。迷ってる事があるのならどっちも正解、それは両方とも紛れもない自分自身だから」
女は朗らかに、そして強い言葉でスラエータオナたちの若さを肯定する。少し地方訛りの混じったその言葉には、長い人生を歩んだ道程からくる含蓄とスラエータオナに必要な心持ちが確かにあって、その意味に少年は自身の中の解けないわだかまりに少し折り合いがついたような心地だった。
「さあ食おうぜスラエータオナ、決起集会代わりだ」
スラエータオナはウォフの差し出したコップを受け取り、塩っけのある野菜を煮込んだスープに硬いパンを浸して食べる。正直な所、ライラックの家でご馳走になっていた食事とは食材の時点からかなり程度の違ったものであったが、今はこの質素な食事が何よりも体に沁みる。
ヘミに居たままでは出会えなかった人や考えに、外の世界に来ることも良い事だと思いながら、スラエータオナはつかの間の団欒を楽しんだ。
――今の彼らは与り知らぬことであるが。この村にとっては酒も肉も冬場には金にも等しい価値のある食べ物であって、スラエータオナたちの持ってきた食材は微かながらも確かに都会からの恵みであった。
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