13 【砂に挑む】


 随分と乱暴な名乗り直し、それが褐色の少年なりの距離を詰める表現と悟って、スラエータオナの声色は少し音階が上がったものとなった。


「俺の名前はスラエータオナ、それでこっちがドゥルジと──」


「ウォフ・シャムシールだ。言ってもあとどれくらいこの村に居るかは分からねぇが、せいぜい仲良くやろうぜ」


 友人と呼べるかは分からない、それでも旅先で新たに生まれた交友に心を躍らせるままに自己紹介をするスラエータオナ、そして好意的に手を差し出すウォフ。しかし日焼けした少年は煩わしそうにそれを跳ね除けて、薪を焼べたばかりのまだ冷たい暖炉の前でふんぞり返る。


「どうせその内に別れるんだ、余計空しくなるだけだからオタクらの態度なんてどうでもいい。ただそこのクソ野郎、オタクはアンの見た目に文句付けやがったから特別だ。俺にはどうでも良いがアンに敬語を使いやがれ」


「キミ、財布盗んだこと忘れてない? 良くそんな上から来られるね」


 セピーデダムはドゥルジを指差し糾弾した上で、首をかき斬るジェスチャー。その剣呑な仕草とは裏腹に和やかな空気が流れ、窓から伝わり流れ込む冷気は燻る薪の熱で仄かに暖かさを帯びる。


「セピードが外の人に心を開くなんて、非常に珍しいものを見られました」


 アンは扉越しに先ほどの会話を聞いていたようで、大判の本を抱えて戻るとにこやかに笑いかけながら元の椅子に腰掛ける。その笑顔はきっと彼なりの喜びの表現なのだろうが、感情を読み取りにくい濁った目と白い肌のせいでその行為も非常に弱々しく映った。


「貴方がたがこれから向かう砂漠は、この辺りで双子砂漠と呼ばれています。その名の通り二つの砂漠が隣接することであたかも双子のように繋がった面白い形状なのですが、特筆すべきはそこではないんです。この村に近い方の砂漠は典型的な岩石砂漠で所々に砂地や湧き水による緑地が見られるだけなのですが、遠い方は全く様相が違っていまして──」


 少年が持ち出した書物は図鑑か何かの様な装丁で、先ほどの下りを踏まえると砂鰐の生態などが記されたものなのだろうが、アンはそれを広げて見せる前に滔々と砂漠の特徴を諳んじ始めた。



 一息で喋っているのではとばかりの勢いに、スラエータオナたちは口を挟む隙すら与えられず彼が止まるのを待つばかりだ。


「いやいやアン、別にこいつら薀蓄を聞きに来た訳じゃねぇから。アンは短い話を長くし過ぎなんだよ」


「本題から逸れていました、ありがとうございます」


 セピーデダムの話を踏まえるとアンという少年は少々知識に掛かり切りなようで、それを見咎めてか砂色の髪の少年が冷ややかな声が飛ぶ。その憎まれ口を白髪の少年は嫌な顔一つせず受け止め、微笑を湛えて感謝の言葉を述べた。



 そのやり取りを見て、スラエータオナには不良少年と相反しそうな白色の少年とが親しくしている理由が何となく分かった気がした。真白の少年の穏やかさの前では、少年の如何なる悪態も意味をなさないのだ。


「それで砂鰐は……ここに記載されてますね」


「こんな書き込まれたバリガーの図は初めて見たぞ、これあんたが書いたのか?」


「ええ、土地柄で死体が運び込まれることがあるので、その中から状態の良いものを一つ」


 おもむろに図鑑を開いたアルビノの少年、その白く細い指にめくられたページの先にいたのは想定以上の画力で描かれた砂鰐の姿と詳細な生態解説で、その詳しさにウォフとアンは盛り上がる。そしてその側で、感慨とはほぼ真逆の感情に襲われている者が居た。



 スラエータオナは、つい数日前のことを克明に思い出す。黒光りする鱗の巨体、覗く赤い舌、剣山のように生え揃った牙、木の幹のような尾、そして何よりあの目だ。種族は違えどバリガーに共通する黒い鱗と縞瑪瑙の瞳と相対したその時から、その胸には薄まれども消えはしない恐怖心が燻っている。



 想像の中で存在する巨大な爬虫類に射竦められ、スラエータオナは歯の根が噛み合わなくなるような怖気を知覚する。視点の定まらなくなった黒瞳を見て心配したのか、彼の肩に振り返った女の掌が重ねられた。


「心配すんな。並のバリガーからならおれが守ってやるし、そうじゃなくても砂鰐は――」


「積極的に人を襲う種類ではないです」


 安心させるように強い言葉を使うウォフに、アンの知識が重ねられる。その通りだと首肯する真紅の少女から引き継ぎ、純白の少年は自身の見解を述べた。


「砂鰐はバリガーの中でも比較的大人しい種類です。水分の蒸発を防ぐための硬い表皮を持ち生半な武具は通らないようになっていますが、砂漠という食料の乏しい地域を住まいとしているからか、余計な体力の浪費を防ぐために昼夜を問わず土の下に潜ってほとんど動きません。ただし強い縄張り意識を持ち、自ら砂鰐の縄張りに近づいた生き物は悉くがその胃袋に収まることになります。特に子持ちの砂鰐は気が立っており、行商人を敵と捉えて襲ったという話は幾度か耳にしたことがありますので、砂鰐の子供を見かけてしまったら速やかにその場を離れて下さい」


 アンは淀みなく砂鰐についての知識を披露し、あまりにも流暢なその言葉遣いに周りが若干引き気味に頷く。質問も浮かんで来ないほど過不足なく与えられた情報に押し黙る一同、その姿を終わりの合図と取ってか、セピーデダムは立ち上がって客人たちを足蹴に扱い始めた。


「ほらほら、帰れ。もうオタクらに構うほどアンは暇じゃねーっつの」


「じゃあキミはボクらに構ってくれるのかい?」


「はぁ? 構うわけねぇだろ、クソが」


「本当に良いのかなぁ、財布――」


「あー分かった分かった! 次はどこに案内すればいいんだよ、あぁ!?」


 不遜なセピーデダムの態度に、ドゥルジは隠していた言葉の小銃をチラつかせて脅迫紛いの行為をする。褐色の少年は黄昏色の瞳に焦りを浮かべて、大声で言葉の続きを抹消しにかかった。アンはいつの間にか図鑑を脇に置いており、スラエータオナたちが訪れた時と同じ姿勢で別れの挨拶を述べた。


「それでは皆さんご壮健で。屋根の下からではありますが、皆さんの旅路が成功に終わる事を祈っています」


 アルビノの少年の最後の言葉は、実にそっけなかった。その態度は、悪態をつきつつも情に絆されて心を開いてくれたセピーデダムとは真反対で、彼ら二人がどれだけ補い合っているのかを示すようでもあった。



 扉を開けると村は暗闇に包まれる一歩手前で、先ほどより幾分か陽の沈んだ暮れ泥む赤と青のせめぎ合う天蓋の中、冷えて乾いた砂交じりの風がスラエータオナたちを撫でて空へと帰っていく。外套の隙間から刺す冷気にドゥルジは身を震わせ、セピーデダムを流し目で見ながら尋ねた。



「そろそろ夜ご飯の時間だと思うんだけど、何処か居座れる場所はない? 一応食べ物は持ってきてるんだけど」


 銀の鏡に反射する痩せた少年は、スラエータオナの外套を不格好に着た状態で、今の空を映すような色をした瞳を苦々しげに瞑り、観念したように溜め息と舌打ちを連続で吐き捨てた。




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