12 【三千年前からの伝言】
見る者が見れば、アンの微笑はさぞ破壊力が高かったろう。造られたものと見紛うような顔立ちに透き通った肌を持つ少年が笑うのだから、それはまるで絵画の一つの様だった。
──スラエータオナは、アルビノの少年から続々と明かされる新情報を前にしてそんな益体のない事を考えてしまうほどに、凡そ真面な思考回路が働いていなかった。音声として耳に入れているし文章として脳にも運んでいる、しかしそれを元手にあれこれと推論する体力は残っていなかった。
アンとしては只求められた知識を求められたように披露しただけなのだろうが、常識と隔絶された情報は中々簡単に受け入れられたものではない。そんな静寂と停滞の中で、一番初めに口を開いたのはドゥルジであった。
「三千年の封印って言うけどさ、逆に言えばこれまで解かれてないって事でしょ? そんな物、ボク達にどうしろって言うのさ」
真っ先に口を開いたからには思考はまとまっているようで、藍髪の少年による指摘は正鵠を得たものである。であれば当然、それに対する回答が用意されてるであろうと身構えたスラエータオナだったが、それを聞いたアンは面映ゆそうに頬を掻いて、
「場所に関しては見れば分かります、それで解放に関してなのですが──」
そこで言葉を詰まらせる白い少年。生まれる間は次の瞬間に疑問になり、さらに次の瞬間には不安へと変わる。堪らずに追って質問をしようとした気配を察知してか、アンはどうにか言葉を繋いだ。
「今年は何年でしたっけ」
「え?」
質問の意図が読めず、まぬけな声を漏らしたウォフ。その質問に何の意味があるのか分からないとばかりに大げさなかぶりを振りながらも、女は律儀に答える。
「今年は
一拍の間を置いて、ウォフが奇妙な符号の一致に対して舌を巻く。生きていく中で意識したこともないような紀年法の始まり、それがアンの一言でこうも示唆的になるのだと、女は納得したように言葉を締めくくった。
そしてここに、言葉に出さずとも同じ推論に辿り着いた者がもう一人いた。依然として話に付いて行けていないが、素直に情報を耳に入れていたことで三千という数字が何度も出てきた事に気付き、なかば近道のような形で情報の収束点に辿り着いた男。
しかし、やっと問答の輪に入れると思った黒髪の少年が口を開く前に、意外な人物からの横槍によって場の主導権は移り変わった。
「待て待て待て待て、昔からしつこいくらい聞かされたけど生きてるなんていっぺんも聞いてねぇぞ! どういう事かもう一回頭から説明しろよ、アン!」
語り部の少年から見てもセピーデダムの反応は意外だったのか、血の透ける白い瞳を何度かしばたたかせた後、その美しく均整の取れた顔を穏やかに緩めて柏手を打った。
「そうですね、僕も少し話急ぎ過ぎました。念のため、一度整理しておきましょうか」
そう言ってどこからともなくノートを取り出し、紙の両端に「建国神話」と「崇炎教」と記し、その下にそれぞれ「建国神」「アムシャ・スプンタ」と書き足す。
「建国神話は区分で言うと国史、つまり史実にあたります。ここに登場するのが初代国王クシャスラ・ワルヤ率いる建国の七柱、このパルシスタン王国を築いたとされる七人の偉人ですね」
そう言って少年は先ほど書いた建国についての部分を丸く囲み、「歴史」と注釈をつける。
「一方で、アムシャ・スプンタとはこの国における最大の宗教──興りを考えると国教と言うべきでしょうか? その崇炎教の中に登場する、『絶対悪』と戦いこの世界に平和をもたらしたと考えられている善の七神の事です」
アンは同じような仕草で、紙の反対側を「説話」と書いて括った。セピーデダムはいまだ理解に至っていないのか苦虫を噛み潰した顔で記述と睨めっこをしているが、スラエータオナを筆頭とした王都から訪れた顔ぶれには、何となく事情を察したような次の言葉を待つ余裕が感じられた。
「史実を口伝するための建国神話と、当時の価値観を今に残す宗教的な創世神話。共に三千年前を舞台にした七柱という相似からこの二つの関係を研究した方も過去にはいたでしょうが、今世に出回っている情報だけでは確信には至れなかったでしょう。まさか内容の全く違う二つが──」
そこでアンは言い切らずに一拍置いた。それが聴衆から答えを引き出すためなのか、それとも態度に似合わず言葉に演出を付けたがる性分だったのかは分からないが、それまで蚊帳の外であった少年は、ようやく問答の最先端に立つ事が出来た。
「全く同じ事実を伝えていたとは」
スラエータオナの口から自然とまろびでたその呟きに、アンは完成した絵を眺めるような目つきで頷き、書き下ろした白い紙の真ん中、先ほどまでの記述のちょうど間へ両方から矢印を伸ばし「アシャ・ワヒシュタ」と大きく記した。
「それで、そこの伏線が回収されたところで封印を解放する方法の答えにはなってなくない?」
しかし、白い少年が見せた納得顔はドゥルジの腑に落ちなかったようで、男ははっきりと分かる不満げな口調で疑問を発した。ただアンはそれを想定していたのか、ドゥルジ特有の粘っこい言い回しに少しも気を悪くする様子を見せず、ただ粛々と折り重ねる様に自らの知識を一本ずつ紡いでいく。
「ご存じの通り、崇炎教の教えでは世界は三千年周期で世界が変わっていくと言われています。その一つの楔が、善神が悪神と戦いこの世につかの間の平和をもたらした三千年前。そして既に三千年の安寧は過ぎました。そして起源を同じくする建国神話では、建国の神たちは新たなる王朝が誕生する時に甦り、再びこの大地に栄華を齎すと言い伝えられています。……つまり、分かりますか?」
先ほどまでの明瞭で遠慮もなく矢継ぎ早に繰り出されていた情報とは異なり、どこか要領を得ない言葉尻に、ウォフの精悍な眉が片方だけ吊り上がる。怪訝な表情を浮かべても絵になる真紅の女は、そのままの表情でまさかと切り出す。
「あんた……もしかして、ちょうど三千年経ってキリが良い時に丁度良くアシャを求める旅人が現れたから、根拠とか理屈も無しに今なら封印が解けるはずって言ってんじゃないだろうな?」
ウォフの低く乾いた声での質問は、本人にその気が無くてもどこか詰問めいている。そんなスラエータオナと感想と同じものを抱いたかはともかく、追及を受けたアルビノの少年は膝上の紙束を机に戻してばつが悪そうに居直った。
「すみません、封印の解き方は伝承されていないんです。ですからまず、封印まで向かっていただくことを優先して頂ければ……」
これまでは丁寧な言葉ながらもどこか言葉に強さ、人を惹き付けてやまないような独特の自信が溢れていたアンの語尾が、初めて少し弱いものに変わる。スラエータオナたちからすれば最後の詰め部分、肝心要を丸投げされた形になった訳で、当然のように不安が湧き出るかと思われたが、当人たちの反応は少し違っていた。
「また丸投げかぁ、何というかホントにお粗末な旅だよね」
「しゃあねぇ、むしろこんな突発的に始まってるのにポンポンと話が上手く転がる方が怪しいんだよ。それでアンとやら、アシャが封印されてるのが砂漠ってんならもう一つくらい伝えることがあるんじゃないのか? バリガーの生息図とか」
「げっ」
あくまで前向きに、旅の次なる目的地である砂漠についての思案を始めるウォフたち。この短い期間でスラエータオナにとって急に距離の近い存在となった「バリガー」、しかしその名称が出た瞬間にセピーデダムは露骨にマズいといった反応をした。
顔を歪めた反応の先にいるのは、これまでで一番顔を明るくさせた真白の少年だった。超然とした雰囲気を纏っていた少年はその瞬間から童心に帰ったように顔を綻ばせ、心なしか弾む声で早口で告げる。
「ここの砂漠に生息するのは『砂鰐』ですね、今すぐ資料を持ってきますのでしばしお待ちください、それと冷えてきたのでセピードは薪をいくつか家の中に入れておいてもらえますか?」
アンはそう言うと不意に席を立ち、せかせかと奥の部屋へ消えていく。セピーデダムは請け負った任務を面倒くさそうにはしているが、無碍にはできない関係のようで舌打ちをしつつも家の外から薪束を運んできた。
相性が良くないように見えても決して切れない縁、その光景にヘミでのライラックやドゥルジとの日々を重ねてしまったスラエータオナが郷愁に浸っていると、褐色の少年はほんの少しだけ柔らかくなった口調で話しかけてくる。
「悪いな、アンは学者気質つーかなんつーか、好きな物の話になるとやけにはしゃぐんだよ……それで? オタクらがそこまで必死になってる理由は何なんだよ」
「さっきも言った通り、目覚めなくなった人を治す手段を探し回ってるんだよ。まさかその手段が神様を起こして頼る事とは思わなかったけどさ……」
先ほどの問答の中で答えた質問を聞き直され、セピーデダムの興味が無さそうな態度は本当にそうだったのだと心の中で擦り合わせつつ、なるべく平易で角の立たない言葉を使って説明した。セピーデダムは道中で話した分だけスラエータオナに心を開いているのか、不機嫌そうにしながらも会話には応じてくれている。
「それじゃあ、全くの他人の為にこんなクソ田舎まで来たってのか?」
「それは……そうだよ。俺たちはただ助けたい人がいるから此処に来た。別にここをクソ田舎だとは思ってないけど」
「チッ、おためごかしが胸糞悪ぃ、赤の他人の為にそこまで尽くせるもんかよ。本気で言ってんならテメェはいつか必要のなかった責任感で潰れるぞ」
スラエータオナの宣誓に対して、年のわりに世間ずれしたセピーデダムの反応は冷たい。後から思い返せばこれも彼なりの気遣いだったのだろうが、まだ若いスラエータオナにはそれに気付く道理もなく、ただ彼は真っ直ぐ前だけを見て真摯な気持ちで応えた。
「いや、俺はただ自分に正直に生きてるだけだよ。損得なんて考えたこともない」
その言葉に、セピーデダムは今日一番の大きさで舌打ちをする。そこから数瞬は地団太でも踏みそうな勢いで空中を睨め付けていたが、肩を下ろすように息を吐いた後に改めてスラエータオナへと向き直った。
「ったく青臭ぇ、都会育ちってのはこうもヌルくてガキっぽい頭になっちまうもんなのか?
──ただ、そういうのは嫌いじゃねぇ。オタクの名前を教えてくれ。俺の事はセピードでいいぜ、皆からはそう呼ばれてる」
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