10 【アラーク村】
道中は正に平和そのものだった。吹き付ける砂混じりの北風に、寒さに弱いドゥルジが「外套が欲しい」と愚痴をこぼし続けた以外、特筆すべきことは何も起こらなかった。
アラーク村は、端的に言えば限界集落だった。元々が交通に不便な砂漠近くの辺境、寂れるのも仕方ない上に今は冬であり、好んで訪れるものなど砂漠越えを目論む者か、あるいは探し人が居る者たちくらいであろう。
「それにしても、本当にここにアレを解決できるアシャとやらが居るのかね? おれには俄かに信じがたいんだが」
「それが間違いでも、俺たちに来ない選択肢は無かったですよ」
夕日により朱に染められたことで寂寥感を更に強める村の中で、時間帯もあってか寒風のみが道を駆け抜けている。偶に会う村の人々は話しかければ親切に応対してくれるものの、そうでなければ遠巻きに見つめる位で、積極的に関わろうとしてくれる者は一人もいなかった。
「やっぱボクたち、あんまり歓迎されてないみたいだね」
「そりゃそうだろ。おれも旅してる時はよく滞在先で爪弾きにされたもんだし、優しい奴に付いてったら下心のある奴だったりと散々だったぜ」
村に着くなり、近衛兵たちは「村の責任者に宿泊先を都合してもらいます」と言ってそそくさと立ち去ってしまった。なので、現状の彼らはさしたる手がかりも無く、手当たり次第に歩き回っては村人に話しかけて情報を得ようと四苦八苦しているのだった。
「ちょっとボク思ったんだけど、近衛の人たちが会いに行った村長さんが一番手がかり持ってそうじゃない? むしろ、その人が土地守だったりして」
「実はおれもちょっと思ってた。歩き回るだけじゃしゃあないから、そっちに向かお――おっ?」
痺れを切らしたのか、聞き込みを諦めて最善策を打ち出すドゥルジ。それに他二人も同調して踵を返したあたりで、ウォフの腰に軽い衝撃が走った。
「悪ぃ兄ちゃん! ごめんごめん!」
スラエータオナの視界の端に、背の低い少年の姿が一瞬映る。彼は相当急いでいるのか、ぶつかっても軽い謝罪のみを済ませてその場を急いで立ち去ろうとしていた。
寂れた村かと思ったけど、案外元気な子供もいるものだ。侘しい雰囲気に感化されてどことなく陰気になっていたスラエータオナが、そんな暢気な感想を抱いていると。
「んだよ! 離しやがれ!」
「離して欲しけりゃ、今盗ったもん返してからな」
ぶつかってきた少年の細い腕を、ウォフが捕まえている。
「ウォフさん言いがかりは良くないですよ、こんな子供がそんな事する訳が……」
捕らえられた少年は手足をばたつかせて必死の抵抗を見せるが、ウォフはびくともせずに少年の手首を締め上げており、女の見た目に似つかわしくない万力のような握力が少年の血管を浮き上がらせていた。スリを見たことが無いスラエータオナは突然の展開に驚きつつも、反射的に少年を擁護するが、
「おれの財布、あの一瞬でパクった手際の良さは褒めてやるが相手が悪かったな」
ウォフはその整った顔を悪人の相に歪めて、開いたもう片方の手で自らの服の裾を広げる。それを見たドゥルジはおもむろに少年をまさぐり、懐から貨幣の入った小袋──ウォフの財布を取り出した。
「はいクロ。何でこんなことしちゃったの?」
「……んだよ、オタクらが派手な街風のカッコして隙だらけで歩いてんのが悪いんだろ、クソが。この村見りゃ分かんだろ? ちょっと位は恵んでくれても良いじゃねぇかよ」
「そうは言っても、盗みは良くねぇぞ。大体どこでそんなこと覚えたんだ?」
存外あっさりと自分の罪を認め、悪びれるどころか開き直る少年。その目には都会、というより村の外への敵対心が剥き出しで燃えており、なすすべなく捕まった今も三人を値踏みするように濃橙の瞳を光らせている。
「まぁ、ボク達も取って食おうなんて考えちゃいないよ。それどころか、そのお金はあげたっていい。キミがいうことを聞いてくれるなら、だけどね」
「は!? ドゥルジ、それおれの金――」
「まぁまぁ、お金ならボクが補填するからさ。――それでキミを無罪放免にする条件だけど、具体的には二つある」
さも当然の様にウォフの持ち金を賭け金にしたドゥルジに、女は驚くような言葉とほぼ同時に長い脚で少年へ蹴りを入れる。藍色の髪の少年はそれを読んでいたように少ない動きで避けて、なお話を続けながら右手を彼に向け、指を二本立てる。
「一つはキミの名前。もう一つ、土地守かアシャって名前を知ってるかい?」
「急に何言ってんだよドゥルジ。ごめんね、このお兄さんが変なこと聞いちゃって」
ドゥルジは少年に旅の目的について尋ねるが、幾人かの大人に尋ねても首を横に振るばかりだった土地守とやらの所在を、こんな幼気な少年が知っているはずもない。スラエータオナは今の発言をドゥルジ特有の戯言と判断し、不信を隠すことのない少年に謝罪の言葉を述べた。三人組から財布をスろうとした彼の精神も大概図太いが、それを脅しとして子供相手に棍棒外交を試みるドゥルジも大人気ない。だが返ってきた反応は予想とは違うもので、
「チッ、クソが。あ~、俺の名前はセピーデダム、ただの善良な一般人だ。だからアシャなんて知らねぇ。少なくとも俺は、な」
滲み出る育ちの悪さを隠すこともなく、セピーデダムと名乗った少年はぶっきらぼうに言い放つ。その言葉に妙に含みがあった事から、スラエータオナは黒瞳を瞠目させ、改めて目の前の少年をまじまじと観察する。
無造作に伸びたハネの強い砂色の癖っ毛に、良く焼けた健康的な小麦色の肌。冬だというのに履いたボロボロの半ズボンからは痩せ細った二本の足が伸びていて、若い事を考慮しても全体的に未発達な印象が受けられる。そうしている間も油断なく三人を睨んでいる、夕焼けと同じ色をした瞳からは、子供に似つかわしくない殺気に似た警戒心が漏れ出していた。
「俺が名乗ったんだからオタクらも名乗れよ。それとも都会ってのは名乗ることすらしない恥知らずの集まりなのか?」
「今喋ってるのはボクらだよ? そんなこと案内してからでもできるでしょ?」
「チッ、気色悪ぃ笑顔しやがって。まぁいいか、ほら付いて来いよ。金は貰ったんだ、期待に沿えるかは知らねぇけど、オタクらの会いたい奴のところまで連れてってやるよ」
尽きることなく悪態を吐き、セピーデダムは顎をしゃくって付いて来いとジェスチャーをする。その様子にドゥルジは満足そうな顔をして、迷う素振りを見せずに彼の後ろを付いていく。一歩遅れてウォフがそれに続き、展開に付いて行けていないスラエータオナも、数拍の後ようやく彼に続いた。
「それにしても、セピーデダム君はその……寒そうな服を着てるけど、それはどうして?」
「ハッ、そんなのさっき言っただろ? 貧乏なんだよこっちは」
少しでも彼の警戒心を和らげようと、スラエータオナは跳ねっ髪の少年に話しかけるが、返ってきた返答はすげないものだ。しかし、不必要な世話焼きに定評のある黒髪の少年は、なおも果敢に話しかける。
「良かったらこれ、着る?」
「……俺は安い同情と無責任な共感が一番嫌いなんだ、そんな施しは受ける気にもなんねーよ」
「そうじゃなくて、俺ちょっと暑くてさ。さっきのが悪いと思ってるなら、この上着持っててもらえる?」
「――チッ、しょうがねぇヤツだな」
ついにはスラエータオナの強引なやり口に根負けしたのか、セピーデダムは苦い顔をして外套を受け取り、不健康に痩せた体に羽織る。
「粋なことするな、あんた」
「……本当に暑かっただけですよ」
その様子を見たウォフは口端を歪めてスラエータオナを小突き、女の乱暴な冷やかしにスラエータオナの頬が僅かに緩む。ドゥルジは油断なくセピーデダムを見張っていて会話に混じってくることはなかったが、ニヤつきながら時折横目に視線を向けてスラエータオナとウォフの顔色を伺っていた。
数分と経たない内にセピーデダムは一つの民家の前で足を止める。他の家と比べれば多少大きいが、裏を返せばそれだけが特徴の平凡な一軒屋。痩せぎすな少年はその扉を乱暴に叩き、尋ね人の名を呼んだ。
「おいアン! 俺だ、居るか? 客だ」
「その声はセピードですね。開いてますよ」
扉の向こうから聞こえてくるのは穏やかな少年の声。セピーデダムと違い変声期に入っているのか、低いとも高いとも形容しがたい不思議な魅力の声がスラエータオナたちを歓迎する。
「お、お邪魔しまーす」
スラエータオナを先頭に、招かれた家の中におずおずと入っていく一行。とんとん拍子に進む話に、件の人物が本当に求める情報を握っているのか、却って不安になってくるスラエータオナ。ザラスシュトラの言い渡した使命が果たしてセピーデダムに付いて行くことで遂行できる物なのか、いまだに心の底では確証が持てていなかった。
玄関先、入ってすぐの部屋には、本を読み耽る少年が1人椅子に腰掛けていた。小説に出てくる導き手のような老婆でも、妖精のような人ならざる存在でもなく、スラエータオナたちと同じような年頃の少年。あるいはその少年が本当に何の変哲もなかったなら、一連の話を子供の冗談と受け止めることもできただろう。
「紹介すんぜ。コイツは俺の友達のアン、オタクらが言う『土地守』だ」
「いらっしゃい、君たちが僕のお客さんですか?」
そう和やかに話しかけてきた少年は、常世の生き物とは思えない純白に身を染めていた。
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