09 【旅立ちの日に】
「……おはよう」
「お、おはようございます」
憮然とした表情で片手を挙げたウォフに、スラエータオナは多少面食らいながらも挨拶を返す。早朝というにも早すぎる明け方、陽が昇る前の薄闇の中で、彼らは馬小屋の前に佇み、寒さに耐えながら落ち合う時間を待っていた。
ウォフは昨日と同じ旅装の上から外套を羽織り、腰には見覚えのある長剣を差した状態で、凛々しい顔立ちを思い切り崩して寝ぼけた顔を浮かべていた。彼女の切れ長な目は薄く開けられた瞼によって更にその鋭さを増し、一見して睨みを利かせているようにしか見えない。
「ドゥルジ、ウォフさんが怖いんだけど、俺が来る前に怒らせたりした?」
「あ? 何か言ったか」
「落ち着いてよウォフちゃん。そんなに怒ると女子力が無くなっちゃうよ?」
「誰がウォフちゃんだ」
耳聡く会話を聞き取ったウォフは自身の真紅の髪を乱暴にかき乱し、欠伸を噛むように舌打ちをした後に黙りこくった。それを良しとして眠たげに銀の目を擦るドゥルジに対して、スラエータオナは質問する。
「ところで案内人が居るって言ってたけど、まだ来てない感じ?」
「ここですよ」
「……!」
まだ日が昇る気配のしない夜空を見上げ、スラエータオナが遠巻きに毒を吐く。それを聞いてか聞かずか、彼らに程近い暗闇が人語を発し、死角からの不意打ちにスラエータオナは小さい悲鳴を上げた。名誉のために記しておくが、彼は決して怖がりではない。ただ彼らの異形が不意を打つには十分すぎるだけの話であった。
鳥を模したような、立派な嘴の生えた覆面。全身を黒ずくめで固めた奇怪な格好は、さながら暗闇に潜む暗殺者のようだ。物陰から現れた鴉のような人間は三人から怪訝な顔で見つめられるも、特に気にする仕草も見せない。
「どうも、ご紹介に預かりました案内役の近衛兵です、皆さんお揃いのようで安心しましたよ。太陽が出ると、この姿は目立って今の様な驚かし方はできなかったので満足です」
覆面でくぐもった声で上機嫌そうに話すのは一人だけだが、もう一人同じ格好をした人間が隣に立っており、口を開くことなく表情の見えない顔で真っ直ぐこちらを見据えていた。
「んで、おかしな格好をしたあんたらが近衛兵って証拠はどこにあんだよ。完全に不審者だろうが、夏でもその格好なのかよ」
「いえいえ何も好んでしている訳ではなくてですね、近衛には顔どころか肌すら晒すことは許されていないのですよ。怪しまれるのも分かりますが、出来るだけ早くアラークへアシャ殿を探しに行きたいとは思いませんか?」
ウォフから鋭く向けられる疑念と追及の目を、近衛と名乗った黒ずくめは軽くいなしてそそくさと馬小屋の中へ入っていく。ナンセンスとばかりに首を振るウォフを先頭にして、スラエータオナたちもそれに続いた。
「話は既に通っていると思いますが、アラークへは片道に一日ほどかけて向かいます。食料はこちらで準備しておきましたが、なにぶん強行の旅ですので不便は強いられます。ウォフ殿は慣れっこだと思いますが、お二方はご容赦ください」
「へーい」
半ば強制的に起こった昨夜のものとは違い、自発的に遠出をするのは人生でも初めてであり、それ故にスラエータオナは緊張した面持ちで首肯するが、同じ立場であるはずのドゥルジの相槌は随分と緩い。
「我々も話には聞かされている所ですが、それにしても件のアシャ殿の存在と今回の事件、一体どうつながるのでしょうね。と申すより、そもそもアシャ殿はどのような方なのでしょう」
「はぁ? あんたらも聞かされてないのかよ、じゃあ昨日言ってた『土地守』とやらに手掛かり丸投げなのかよ、雑だな」
「我が王からは最低限の情報しか受け取っていませんので。『面倒に巻き込まれるぞ』と」
「はっ、人に命令しといて面倒とはあの爺さんも随分と面の皮が厚いな」
使者が嘴の向きを変えて入れた補足情報に、愛馬との再会に多少機嫌も上向きだったウォフは途端に不機嫌になり、鼻を鳴らしてザラシュストラを揶揄した。鴉のお面はウォフの不敬な態度を咎めることはなく、馬の背に荷物を括りつけながら話を続ける。
「そういえば、皆さんは乗馬の経験などはありますか?」
「おれは当然あるけど、あんたらはどうよ」
「ボクは全然無理、動物に好かれないから」
「俺もやった事ないです」
「はぁ……我が王は、どうして皆さんを選んだのでしょうか」
小気味いいテンポで否定を述べるスラエータオナたちに、覆面男はお手上げといった仕草で遺憾の意を表明する。しかしながら、その簡潔な態度が彼らの置かれた現状を如実に表していた。偶然に生き残ったから特別なだけの、運のみの「選ばれし者」。スラエータオナとドゥルジは、現状そう表現するほかない程に能力に欠けている。
「まぁ、だから案内役が二人なんだろ? 勿体ぶらずに後ろに乗せてやれよ」
「当然のように言っておりますが、貴女が乗せるのは」
「ナシ! 二人乗せたら重いもんなー、バフマン」
初めは寝惚けていた様だったウォフも段々と調子が出てきたのか、自慢の白馬を撫でながら近衛兵と小気味よい会話を続ける。彼女の指摘が当たっていたのか定かではないが、黒ずくめの男はため息をついて少年らを馬に乗せてくれた。
「ありがとうございます、えーと……すみません、なんてお呼びすればいいでしょうか」
「名など不要でございます。どうぞご自由にお呼びください、スラエータオナさん」
「じゃあ一号と二号で」
冗談なのかすら分かり辛いドゥルジの雑な受け答えに、暫定一号さんは何の受け答えもせずに馬の手綱を持って
「アラークには馬を飛ばして日没までに到着する予定ですので、捜索と往復を含めても三、四日程度で帰って来られるかと。そうそう、スラエータオナさんにはこの品を差し上げましょう。……と勿体ぶっても只の盾なんですが、有事の際に丸腰というのも何ですから」
口の減らない近衛は、そう言って自らが背負っていた木の盾を渡してくる。この場合の有事の際とはやはりバリガーの事なのだろうか。昨日聞かされたウォフの口ぶりだと、少し野に向かえばそれなりに生息していそうな雰囲気だったので、またアレに出会うかと思うとスラエータオナの気持ちは若干塞ぐ。
「それでは参りましょうか。ご安心下さい、馬は夜目が利く生き物ですので暗闇で迷子になったりなどしません」
そんなスラエータオナの憂鬱は知らず、『一号』もとい良く喋る方の近衛は馬を走らせ始めた。
加速していく風景はどこか、追い立てられるスラエータオナたちの境遇を暗示している様に思えた。
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