08 【始まりの助走】
謁見の間から出ると騎士たちのほとんどが引き払われ、先ほど国王にアランと呼ばれていた老騎士のみが変わらぬ姿で待機していた。
「我が王とはよく話せましたかな?」
「ええ、何と言うか、色々と聞けました。俺たちの今後の事、今から何をするかも」
「良好な交流が出来たようで幸いです。彼の事ですから、またぞろ空気を読まぬ冗談など言って困らせたでしょうが、別に悪気が──」
「悪いが。アランさん、談笑なら今度にしてくれ」
にこやかに話しかけてきた老騎士に、スラエータオナは言葉を濁して応じた。ザラスシュトラ王とよほど懇意なのだろう、こころなしか饒舌になる男に、ウォフが眠そうに横やりを入れる。老人ははてと首をひねると、
「私の名、大方ザラスシュトラが教えたのでしょうが、全く公私の境界が緩い御仁ですね。全く困ったものです」
そう独りごちて少年らへ向き直り、
「私としたことが名乗るのを忘れておりました。私の名前はアラン、騎士団長などという分不相応に背負った肩書に押しつぶされそうな、只のしがない老骨にございます」
そう言って深々と頭を下げた。年齢も地位も遥かに上の人に丁寧に応対され、反射的にスラエータオナもそれに負けないほどの深さで礼をする。
「すみませんこちらこそ遅れました、僕がスラエータオナでこいつがドゥルジ、それでこの人が──」
「ウォフ・シャムシールってんだ。敬語は使わなくても、いいよな?」
「ええ、お好きなようにどうぞ」
緊張感が解けたのか敢えての強気なのか、ウォフは『団長』にやたらと不遜な態度で応じるが、かの穏やかな老騎士は不満そうな様子すら伺えない。
「それではそろそろ参りましょうか。ささやかですが食事と、それに寝床も用意させていただきました。明日は早いと聞いておりますので、今日の所は体をお休めになってください」
アランがスラエータオナたちを先導するように歩き始め、少年らも黙って従い後ろを付いていく。彼らの無言の誘導に沿って王城の外に出る道を辿ると、王都に来たときは点いていた街灯もすっかり落ち、しっとりとした夜の雰囲気が街に漂っていた。
疲れからか、ついさっきまであれほど元気だった一行からは言葉が失われる。会話がなく手持ち無沙汰なスラエータオナは、ヘミの事を思い出してしまわぬように明日からの事を思案などしていたが、先頭を往っていたアランが思い出したように話を切り出した。
「そういえばウォフさん、貴女から預かっていた荷物は部屋へ、馬は厩舎へ留めてあります。いやはや貴女がお持ちの馬は賢くて素晴らしい、主人で無いにも関わらずこちらの言う事を理解しているように従順でした」
「だろ? バフマンって呼んでやってくれ、訳あって譲り受けたんだが相当な名馬のはずだ。それとおれの荷物って言ったが、剣と通行証も返してもらえるんだろうな?」
話はウォフの所持物の話に移る。スラエータオナと出会った時には手ぶらであったが、旅人であるというからには当然自分の荷物も持っているだろう。なぜ全て一旦没収されていたのかスラエータオナが質問すると、
「当たり前だろバカ、あんな事があった所に『偶然通りすがった』って言い張る武装した人間がいたら誰だって警戒するだろ。おれは通行証で身分が照会できるから良かったけど、普通なら拘束されるような事案だぞ」
「えぇ、貴女が正式な入国者であることは確認できましたので全てお返しします。これからも必要な物でしょう」
「いや~助かるわ、あれが無いと住所も職業も記憶も不定の怪しすぎる女だからな。ってか、おれの潔白が分かってたからおれの話せずに謁見に通したのか?」
饒舌に話すウォフと他二人に対して、会話を隣で聞いていたドゥルジは内容に興味が無さそうだ。生粋の野次馬気質である軽薄な少年がここまで我関せずの態度は少々奇妙であるのだが、それを気にする前にウォフの何気なく放った一言が、スラエータオナの心に棘のような違和感を生む。
「? 今、何か記憶が不定って聞こえたような──」
「あぁ悪い、言ってなかったっけ? おれ、記憶喪失なんだわ。自分がどこで生まれたとか全く覚えてないから、故郷を探して旅してるんだよ」
「いや、それ俺達より深刻な問題抱えてないそれ!?」
浮かんだ疑問符のままに質問する黒髪の少年に対して、随分とあっけらかんに答えるウォフ。けらけらと笑う赤髪の女に対して理解できないと言わんばかりに声を荒げるスラエータオナだったが、次の返答の前にアランが声を上げた。
「お疲れ様です、騎士団寮に着きましたよ」
目の前にあるのは特筆すべきところの無い、奇を衒っていない外装。3階建ての横に長い建物には騎士団のものと見られる大きなエンブレムが飾られており、この建物がどんなものなのかを堂々と主張している。
「ああ、やっと寝られるのか! もうくたくただぜ」
ウォフが、思いっきり伸びをして肩の力を抜くように息を吐く。老体に似合わぬ早足で歩くアランに連れられ、部屋番号の振られていない部屋に誘導された三人は、長い長い一日の終わりを告げられた。
「ウォフ殿の荷物はこのお部屋に運ばせていただきましたが、この区画は空き部屋でございますのでどこでもご自由にお使いください。扉を開けておいて頂ければ食事を運びますほか、浴場はご自由に使ってもらって構いません。それでは、夜も更けていますので今晩は早めにお休みになって、明朝は陽の昇る前に、建物左にある厩舎前にお越しください」
事務的な連絡を残して、男は踵を返して去ろうとする。その背中に何としても思いを伝えたくて、スラエータオナは声を張り上げた。
「アラン団長、俺達を助けてくれて、本当にありがとうございました! 感謝する事しかできませんけど本当に──」
「我々は人を守る事が使命にして生きがい。その言葉が、何よりの報酬です」
そうにこやかに微笑んで、今度こそ老騎士は去っていく。その背中を見送りながらスラエータオナは、長く張り詰めた緊張が解ける余韻で体に鉛の様な重さが圧し掛かるのを感じた。
早々に「んじゃ明日」と部屋に入ってしまったウォフに取り残され、全身に染みる疲労感に眠気を掻き立てられながらも、スラエータオナはドゥルジを呼び止めた。
「ドゥルジ、眠たいのは分かるけどちょっと待ってくれ。二人っきりで話したいことがいくつかある」
「ええ……ボクもうそんな気力ないんだけど」
「ドゥルジ、頼むよ」
「明日の朝にでもしてよ。アラークだっけ? どうせそこまで一日かかるんでしょ、そこで話せばいいよ」
少しでも早くドゥルジと自身の体験をすり合わせたかったのだが、眠たげに藍色の髪を指で弄ぶ少年にすげなく押し返されてしまった。
仕方がないので目の前の扉を開けると、小奇麗に整頓された部屋が一つだけある。暖かそうな掛け布団と、恐らく剣と盾のための壁掛け、それに控えめに置かれた棚だけの簡素な内装は、あまり物に執着のないスラエータオナ好みのものだ。
いい加減疲労も限界に達していたのか、食事と風呂が残っているにも関わらずベッドへ吸い寄せられるように歩いていくスラエータオナ。最後の足掻きとしてここに着くまでの会話を走馬灯のように思い返しながら、疲れの残る体を背中に伝わる柔らかな寝具に託したのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
誰もが寝静まった深夜、ドゥルジは寝床に入ったまま、誰に向ける訳でもない述懐を静かに発する。
「キミがあの娘をどんな風に思ってるかは知らないけど……キミはもっと、利己的に傷つくべきなんだ。ボクは無能で無価値な道化だけどさ、キミはボクが必ず守るから。――スラエータオナは自分の幸福だけを祈っていればいい」
銀の瞳に数え切れない感情を宿して、悔いる様に、そして熱に浮かされた様に、滔々と呟き続けるドゥルジ。その命の声を聞き届ける者は、冬夜の静けさだけだった。
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