06 【旅立ち、再会、王都にて】

 

 藤色の髪を上下に揺らして、整備された林道を無視し起伏のある土を小さな足で踏みしめながら、ライラックは全速力で来た道を引き返していた。元から運動が特別できるわけでもなく、ましてや今は空から太陽が消えている。それゆえに彼女の足取りは不安定で、何度も躓いてしまい擦過傷が生まれたが本人に気にする素振りはない。



 今すべきは自分の心配ではない。燃える森はまだ村へは到達していないだろうが、にじり寄る火の魔はじきに家々を飲み込むだろう。もし母や父が──もしくは村の知人であったとしても──万が一取り残されている可能性を考えてしまうと、それに気づきながら生き残った所で後悔が一生自分の身を苛むだろう事は想像に難くない。彼女の信条として、それだけはどうしても嫌だった。



 結論から言って、ライラックの勇気ある行動は杞憂に終わった。最短距離を走った故に見事にすれ違ったのだろう、村はとっくにもぬけの殻で、何ならちゃっかりと家財道具まで持ち運ばれた形跡まである。



 それを確認して、彼女はその愛嬌のある目に安堵の色を灯す。その間にも迫る火の手と黒煙は惨憺たる程に威勢が良いが、気丈な少女にとってその安心感は恐怖をも凌駕する物だったらしい。



 だからだろうか、後は自分が逃げるだけという時に、振り向いて燃える森の方を確認してしまったのだ。



 視界の端、木々が折り重なって視界を塞ぐその先に幼い少女が見えた気がした。すでに避難済みの住人、そんな所に少女が一人で居るはずもないのだが、彼女の胸は妙にざわめいた。単なる見間違いで気にしてはならないと思いながらも、抗えない良心が前に進めと囁きかける。



 少しだけ確認してすぐに戻ろう。心優しき少女は、瞳に決意を宿して反対の方向へ進む。



 目的の女児はすぐに見つかった。ボロボロに擦り切れて薄くなった服を纏い、靴を履いていないため赤く腫れた足が露わになった少女が、這う様な速度でこちらへ近づいてきている。その光景に少女は思わず顔をしかめ、一目散に彼女へと駆け寄ろうとした所で。


「いや~ギリギリセーフってところかな」


 何の前触れもなく、背後からする聞き慣れた声が緊迫を断つ。振り返った時にはすぐ側へと寄って来ていた少年の、その間延びした口調はいたって通常運転で、それが却って彼女を怖気立たせた。


「とりあえず、ここは危ないから逃げたほうがいいよ。あの子ならボクが運んでおくからさ、これでも男の子だから腕っぷしには自信があるんだ。絶対的な安全は保障しないけど、それでもキミよりかはマシだと思うけど」


「……ねぇ、何でここに居るの? ドゥルジくんこそ何しに来たの?」


「そうだね……なんでここに来たかって聞かれたら、キミとスラエータオナのためかな。いやぁ、引き返すのが見えた時には驚いたよ」


 混乱する少女の質問とは裏腹に、矢継ぎ早に台詞を吐き出す少年の返答は的を得ない。困惑する眼鏡の少女、しかしドゥルジはそれを意に介すこともなく手をひらひらと振り、


「はやく言った通りに逃げてよ、ホントに危ないんだってば。見えるでしょあの炎、巻き込まれちゃうよ? キミが居なくなってスラエータオナに泣き付かれるのはボクだろうけど、そんなのは御免なんだ」


 主張を飲み込めないながら、再三の少年の忠告のままにライラックは惨状から背を向けて走り出した。走って呼吸が荒くなったことで煙でも吸ったのか、頭は締め付ける不快感と共に重くなり始め、視界はゆっくりと彩度を失っていく。



 もう一度、もう一度だけ後方を振り返る。それに気づいてこちらへにこやかに手を振る藍髪銀瞳の美少年が、理解できない悪魔に見えて仕方なかった。




 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 背後からした懐かしい声に、スラエータオナは信じられないといった顔でゆっくりと振り返る。



 ――少し長めの藍色の髪、常に薄笑いの甘い顔、人を見透かしたような銀色の瞳は、スラエータオナと傍らに立つ女を交互に見ている。信じられなくて、幻のようで、それでも続いたウォフの言葉にそれも否定される。


「ああ、紹介しとくよスラエータオナ。コイツがさっき言ってたもう一人の――」


「ドゥルジー!!」


 言うが早いか、スラエータオナは歓喜の絶叫を上げてドゥルジに抱きつく。それは長らく張り続けていた緊張の糸が完全に解けた瞬間だった。目に嬉し涙を浮かべ腰にしがみつくスラエータオナを、ドゥルジが何とか引き剥がす。


「なぁ本当にドゥルジだよな!?化けて出てるとかじゃないよな!?」


「大丈夫ホントホント。ちゃんと生身のドゥルジですよ~」


 信じられないのか何度も確認するスラエータオナに、ドゥルジは自身の生存に太鼓判を押す。それからも何度かそのやり取りを交わして、興奮も次第に治まりを見せてくると共に頭の冴えが戻ると、スラエータオナは顔を悲しげに曇らせ呟いた。


「でも、お前が確認したい顔があったってことは……」


「……やっぱり察するよね。ごめんスラエータオナ、ボクが力不足で。ライラックちゃんは今寝てるよ、後で顔でも見に行ってあげて」


 ――こればかりは、ドゥルジもその軽薄な態度を潜める。多分、泣きたいのはお互い様だからこそ、ここで弱い姿を見せるのはよくない。


「何で謝るんだ。……不謹慎かもしれないけど、無事なのがお前で良かったって本当にそう思ってるよ」


 男に言われてもドゥルジは嬉しくないだろうと、そう高を括ったからこそ躊躇わずにクサい台詞を言えたスラエータオナなのだったが、ドゥルジは想定外に面食らったようにその甘い顔から表情を消している。


「ところで」


 話題を変えようとでもしたのか、ドゥルジはスラエータオナの横に立つ赤髪の女に目線を向けて、


「あの時はバタバタしててお礼も言えなかったね。ウォフちゃんのおかげでスラエータオナを見つけるのに失敗したのを取り戻せたよ、ありがとう」


「おいコラ、馴れ馴れしく呼びしてくるんじゃねぇ」


 一瞬見せた薄ら笑いの奥もつかの間、口では感謝をしつつもおどけた仕草を隠さない様子は、非常時であっても変わらないドゥルジで、それが不満だったのか腕組みをしていたウォフは不機嫌そうに鼻を鳴らした。



 それが友好的であったかはともかく、ウォフとドゥルジの顔合わせは終わった。馬車が止まったのは王都と呼ばれていた都市へ入る大通りの半ばのようで、突き当りには挿絵でしか見たことのない大きな城が聳え立っている。何やら忙しくする者もいるが、スラエータオナらは手持ち無沙汰で放り出されている所に


「すみません、宜しいですかな?」


 と、深く静かな声が掛けられる。スラエータオナが振り返ると、そこには厳めしい服に身を包んだ大男が数人。何事かとたじろぐスラエータオナと、それと比べていくらか平静な二人に対し、先ほど話しかけてきた男が厳かに言った。


「すみませんが、貴方がたには王城への召喚命令が下っています。ご同行、頂けますかな?」


 ──

 ────

 ──────


 戦装束の男らに前後を挟まれて、スラエータオナたち三人は都市の街道を歩いていた。大通りには露店とも商店とも見分けがつかない、道に突き出した沢山の建物が列を成して並び、煌々と灯るランプや蝋燭が眠らない街を作り出している。木と土石で作られた建物はヘミとは雰囲気が異なり、どことなく異国情緒を漂わせていて、幻想的な明かりの加減と相まって魅惑的である。

 初めて見る風景に、スラエータオナが不思議そうな顔で辺りをしきりに見回していると、


「それにしても、さ」


 振り返り、ドゥルジが唐突に口を開く。一瞬男たちに緊張が走った気がするが、すぐにその空気も解ける。どうやら私語に問題はないようだ。そのまま、ドゥルジは人差し指をスラエータオナに向けて、


「それにしても、ボクが思ってた数倍は落ち着いてるよね。もっと取り乱すかと思ってたけど」


「それは道中でウォフさんにも話は聞いてたし、ライラックたちも別に死んだわけ……じゃないんだよな?」


「いやそうじゃなくてさ、当たり前にこの人たちに付いて行ってるけど何で疑わないのって」


 俯きつつも言葉に力は残っているスラエータオナに、銀の瞳に妖しい色を灯したドゥルジからの不意打ちが決まった。予想外の言に少年はとぼけた顔をして返すしかなかったが、


「あんたマジで意地が悪いな、おれとあんたは向こうで救援に来た騎士団に挨拶してるだろうが。無駄に脅さずちゃんと説明してやれ」


 と、苦い顔をしたウォフがすかさず横槍を入れる。性質たちの悪い冗談を好むドゥルジは人を選ぶのだが、彼女との相性は悪くなさそうだ。そんなスラエータオナの心情は露知らず、ウォフは背後を歩く騎士を親指で差し、


「覚えといて損はないぞスラエータオナ、この服を着れるのはここパルシスタン王国が誇る最強戦力の王都騎士団だけだ。流浪の民であるおれですら知ってる位に名の通ってるバケモノ集団だから、何かあったら頼っとけ」


 そう言って、やや乱暴に騎士団の説明をしてくれる。騎士団に対して敬意があるのかないのか分からない語り口を聞きながら、スラエータオナは改めて隣を歩くウォフを眺めた。



 森と荷台の上、薄々気付きつつも正確に並び立つ機会が無かったので分からなかったが、ウォフはスラエータオナからすれば少し頭を上げないと目線が合わない。背丈は丁度スラエータオナとドゥルジの間くらいだろうか、燃えるような美しい長髪こそ持っているものの、その美丈夫然とした顔立ちと低くハスキーな声は、ただの旅装束が男装足り得るほどの凛々しさを演出していた。



 そうしている間に、説明されなくても目的の王城と分かる、ひと際大きく荘厳な建築物はもう目前へと迫っていた。きっと材料は周りの建物と同じものなのだろうが、いくつかの尖塔と堅牢そうな壁で飾られ街灯に薄暗く照らされた高貴な立ち姿は、まさしく王城の名に相応しいだろう。


「すっげえな……俺もいろんな国を巡ってきたけど、こんな規模のデカい建物は初めて見たかも知れねぇ」


 ウォフが、思わず感嘆の声を漏らす。正面にはぶ厚い鉄の門が立ち塞がり、衛兵と思しき軽装の人物が両端に陣取っている。騎士団が彼らを意に介さずそのまま真っ直ぐ進み続けると、槍を手に持った衛兵に呼び止められた。


「誠に失礼ではありますが、後ろの方々はどなたでありましょうか?」


「おっと失礼。これでよろしいかな?」


 呼びかけに応じ、スラエータオナたちを先導して先頭を歩いていた、やや薄くなった白髪を後ろで纏めた男が懐から紙を取り出した。出会い頭の第一声からいかめしい男を想像していたスラエータオナであったが、門兵への対応はいかにも穏やかな老人といった柔和さで、とても剣をとりそうには見えない。


「ははっ、確かに。団長殿、夜分遅くまでご苦労様です」


「団長!?」


 提示された書状にスラエータオナたちが招集された理由でも記載されていたのだろうか、一通り目を通した兵士が最敬礼で老兵たちを通用口に通すが、何気なく出た『団長』という単語にウォフは驚愕で目を見開いた。


「ウォフちゃん、やっぱ団長って言うからには有名人なのあの人?」


「分かんねぇのかバカ! さっき説明したろ、騎士団がこの国の最高戦力なんだから、それを率いてる騎士団長ってのはつまり軍部の実質的な頭だよ!」


「いえいえ、私など歳月のみが取り柄の只の老骨に過ぎません」


 ドゥルジ得意の、敢えて空気を読まない気の抜けた口調での質問に、ついウォフも前のめりになって大きな声で話してしまう。当然先導してくれる『団長』本人にも聞こえる訳で、老兵は人当たりの良い笑顔でと首を振った。


 ウォフはその形の良い口を歪めて歯を見せ、いかにも余裕といった笑顔で愛想笑いをするが、天衣無縫といった印象を与えるこの女にも緊張を走らせた事こそが、スラエータオナに老人の格を伝える最も効果的な方法であった。



 そうこうしている間にも足は止まらず、一行は王城の内部へと歩を進める。建物を豪奢にして権威を示すというのは、古今東西のあらゆる朝廷がとってきた常套手段、当然このような大都市を司る建物であればその常識に従うのが筋であろう。



 しかし、王城の中は清貧といった形容が似合う、決して見た者を圧倒するような類の代物ではなかった。反面、これだけ広い城内にも関わらず清掃ひとつとっても隅々に気は行き届いており、背伸びをせず構える事が強者だと言わんばかりの質実剛健さがあった。



「ところで団長殿、ボクたちは何で王城に招かれてしかも王様に謁見することになってるのかな? もちろんアタリは付けているけれど、直接は聞かせてもらってないんだけど」


 前触れもなく、ドゥルジがその軽い口を開く。その口調が余りにも気安かったので、先ほどウォフに聞かされた団長の地位を思うと、この不敬な少年の首が飛ぶまであるかもしれないと、隣のスラエータオナは自身が氷像になったかの様な寒気を味わうのだが、


「なぜ、ですか? それは言葉に困窮すると申しますか、なんと言いますか……実の所、我々も測りかねておりまして。ただし、切れ者である我が王が騎士団のみならず近衛まで動かしたのであれば、余程の事と思って宜しいかと」


 少年の不躾な態度に憤慨するどころか丁寧に応答する、度量の広い老騎士の歯切れはどことなく悪い。その返答にウォフは紅玉の様な瞳に怜悧な思案の色を灯し、ドゥルジは探る事を楽しむように好色な笑顔を見せる。


 またぞろスラエータオナの知らない新たな単語が出てきたのだが、発言して良いか逡巡する間にも団長は新たな言葉を続ける。


「そういった理由で、貴方がたには実際に王へ謁見して頂きますが、決してとっつきにくい人物ではありません。むしろ逆と申しますか……おや、王の間に到着しましたね。王の命により我々はここに待機させていただきますので、どうぞお三方で参ってください」


 そんな会話している間に辿り着いたのは、飾り気のない城内において一際目を引く荘厳な扉。そしてそれに辿り着くなり、この場を乗り切るための頼みの綱であった団長を失う一行。扉番とでもいうべきか、観音開きの両側には身なりのいい男が二人ほど立ち、スラエータオナたちを見つめている。



 目線を合わせ頷き、一歩進んで扉の前に立つスラエータオナたち。重い音を立て扉が開かれると、控えめながらも凝った装飾が目を引く、王の間と呼ぶべき空間が眼前に広がった。



 赤絨毯を直進したその先、玉座と思しき前には薄手の布がかかっており、腰掛ける王の姿を捉える事はできない。玉座までの大空間には片眼鏡をつけた高官が一人ばかり居るだけで、何とも持て余した感は否めなかったが、却って生まれる不気味なほど静かな緊張感が、時が遅く感じるほどに心臓を竦みあがらせる。


 数歩進んだ先で跪く三人の様子を見た片眼鏡の男が、玉座に向けて合図をする。ついに頂点まで高まった緊張に、スラエータオナは冷や汗をたらして身を固くするが、


「ようこそ、いらっしゃいパルシスタンへ!」


 張り詰めた空気は、王自身の気の抜けるような挨拶にぶち壊された。


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