05 【目覚め、邂逅、荷台にて】

 

 目を開いて最初に知覚したのは全身のだるさと背に伝わる振動、それと美女の顔だった。


「おっ、やっと目ぇ覚ましたか。あんたも目覚めないんじゃないかと思ったよ」


 反射的に顔を遠ざけようとして、勢いよく壁に頭を打つスラエータオナ。先ほどから体に伝わる振動と幌の中の様な光景から察するに、馬車の荷台の様な所に寝かされていたらしいことが分かる。急な場面転換に起き抜けの脳はついていかないが、どうやらスラエータオナは辛くもあの局面を生き残った上で避難している最中らしい。


「目覚めたばかりで悪いが、あんたにいくつか聞きたい事があるんだ。頭を整理しきれてないことは承知なんだが、質問に答えてくれないか?」


 低い声で呼びかけ、見知らぬ美女がこちらを見据えた。



 ルビーをはめ込んだ瞳に、血を編んだような真紅の長髪。外套を脱いで身軽な旅装だけを纏う肢体は、細いながらも筋肉のしなやかさを伺わせる。



 一瞥しただけではあるが、先程自分を助けてくれたのは目の前のこの人だとスラエータオナは確信する。ハスキーな声色と体を隠した風体のせいで、先程は女性とは判別できなかったが。



 そんなスラエータオナの思考をよそに、沈黙を肯定とみなした女性により会話は続けられる。


「まず一つ目の質問だ。覚悟はいいか?」


 そう問いかける口調にいくらかの剣呑な雰囲気を感じ取り、スラエータオナは余計な思考をやめ、唇をきつく結んでうなずく。疑問は尽きないが、混乱して自己完結した推測が出来ない事がかえって円滑な会話を助ける。スラエータオナにとって、現時点でを知る唯一の手掛かりは眼前の紅い女だけであり、彼女に従う以外に取れる選択肢は恐らくないだろう。


「っと、その前に自己紹介と状況説明だな。おれの名前はウォフ。ウォフ・シャムシールだ、気軽にウォフって呼んでくれ。あんたらは保護されて、今は馬車で王都に向かって輸送中だ。全員を一気って訳じゃないが、とりあえず助かったと思っていいぜ」


 途端、緊張を解いて軽い態度に切り替えるその様子に、スラエータオナは肩透かしを食らう。もしかすると、あえて場を弛緩させるためにやったのかもしれないが、ウォフと名乗った彼女の仕草からは特段図るような仕草は感じられなかった。


 すると途端に押し寄せるのは、あの状況から助かったという安堵とそれによる脱力感だ。肩を下ろす様に大きく息を吐きだしたスラエータオナは、名乗られたという事に一巡遅れて気付き自らも稚拙な名乗りを上げた。


「えっと……俺の名前はスラエータオナです。あの、助けていただきましたよね? その節は──」


「敬語なんかいいって! 別に恩着せようって訳じゃないんだからさ。おれとあんたは現時点でお互いの身分が分からない、つまり平等! 分かったか?」


「すみません。俺、あんまりそういうの慣れてなくて……」


 生まれてこの方、限られた人間としか関わってこなかったスラエータオナには、女の態度は少々気圧される物がある。平時なら適当に話を合わせることもできたのだろうが、切羽詰まった環境で性根を隠すこともできずに煤の残った黒髪を掻きながらそう答えたが、


「あー、何かすまん。そっちの方が楽なら好きにやってくれて構わないけど、ホントに敬語じゃなくていいんだぜ?」


 肩をすくませながらあっけらかんとした態度をとるウォフからは、意にそぐわない対応をした少年への一切の悪感情は感じられず、命の恩人の提案を深く考えず無碍にした事に後悔を覚えたスラエータオナは胸をなでおろす。しかし、片方をつむっておどけていた女の、紅玉に例えられそうなほど美しい瞳は、次の瞬間に鷹の様な鋭さへ早変わりした。


「それで、一つ目の質問だ、スラエータオナ。あんたらが住んでたあそこに何があった? 森が燃えたってのはもちろん分かってる、おれが聞きたいのはそっちじゃなくての方だ。ビビってるように見えたが、あれは元から住んでる訳じゃないって事だよな」


「…………すみません、バリガーですか?」


「──その態度、別にふざけたりしてる雰囲気じゃないよな……あれーー? これ、もしかして質問されるのはおれだったってオチか? 流石に煙を吸った程度で記憶喪失って事はないだろうしな」


 のっぴきならない雰囲気の質問にスラエータオナは逡巡するが、当然の様に話題に上がった聞き慣れない単語に、素直に反応して質問で返してしまう。



 僅かの間、ウォフはこの話の通じない少年を探る様に瞳を光らせたように見えたが、次の瞬間には悲壮感を漂わせないようにしながらスラエータオナの無知を嘆いた。


「まぁ落ち込むなスラエータオナ、そもそもおれも自分の事ばっかりで、あんたに寄り添えてなかったのが悪いんだ。一つずつ整理していこうぜ。……今の反応、言葉の意味自体じゃなく発言内容を聞き返したって事はバリガーって単語は知ってるんだよな。ここまで良いか?」


 ウォフはあくまで、スラエータオナに友好的に接している。そこに何も特別な意味はなく、単にこの小さな幌付き荷台に他の乗り合わせた人が居ないからだけなのかもしれないが、どうやらウォフとの共通認識に齟齬がありそうな黒髪の少年にとっては、威圧的な相手ではない事はかなりの僥倖であった。


「バリガーって神話に出てくるあの怪物、ですよね」


「まぁ多分間違ってないな、ただ別に神話に出て来るってだけで空想上の生き物じゃないぞ? 人里離れたところに群れてるのが普通だから、ああいう風に人間の居住区にあれだけの数がいたのは異常事態ってだけで」


 さらりと出される情報は、小さな町で暮らしてきた少年にとっては常識が覆される内容であった。都合、真贋問わず物語が好きであるスラエータオナは沢山の物語に触れてきた自覚があるが、その中で語られるバリガーとは神話に登場する悪魔の手先であり、害獣感覚で野に居るような存在ではなかった。



 ──まあそもそも、彼の町には少数の家畜やペットを除いて動物はほぼ住んでいなかったのだが。



 涼やかな黒瞳を丸くして軽く息を呑んだスラエータオナに、ウォフは真紅の瞳を伏せて嘆息する。


「まぁ知らなかったなら今学んだって事で良いじゃないか、むしろあんたのそのズレは次の質問に繋げやすくて助かる。あんた達が住んでた町、ありゃ一体どういうことだ。おれは砂漠に取り残された文明の名残かと思ったんだが、むしろ小さいながらも発展してたじゃねぇか」


「……俺の故郷の名前はヘミって言います。何というかその……訳あって普通には暮らせない、持病があったりする子供を引き取って育てている、医療都市だって聞いてます」


 その言葉を聞き、ウォフは眉をひそめて腕を組む。何度か口を開けては閉じ、何かを迷っている様子がありありと伺える。その様子に只ならぬ気持ち悪さを覚えて、スラエータオナは思わず声を上げる。


「ウォフさん、何か言いたい事があるならはっきり言ってください。俺だって何が何だか分かってないので、今は一つでも情報が欲しいんです」


「いや別に、ただ上手い返答の仕方に困ってただけなんだよ、うかつに触れにくい話題だし。むしろやたらと子供の割合が多かったのも含めて色々繋がりはしたよ。ありがとな」


 吐息の様に漏れ出でたさりげない感謝は、ウォフの燃えるような色の長髪と凛々しい目鼻立ちによって、まるで物語の一場面のように際立つ。しかし、スラエータオナがそれに対しての反応を形にする前に、ウォフは矢継ぎ早に考えを並べ始めた。


「となると、あんたの常識がおれのと少しズレてるのは、単に町の外を知ってるか知らないかの差か。他の施設と複合してた方が治療に便利なのにわざわざ僻地に建てたのは、ヘミが治療じゃなく隔離を目的に作られたって事なら話は合うか──」


「あの、ウォフさん? どうしたんですか急に」


 先ほどまでの少々荒い口調ながら朗らかに接してきた姿とは一転、突然に独り言を呟きながら長考を始めたウォフにたまらずスラエータオナは呼びかけた。


「いや、こっちの考え事……って訳にも行かないのか。ちくしょう困ったな、おれとしてはもう少し落ち着いてから話したかったんだが」


 しかし、軽くあしらう様な生返事の後、唇を噛みながら焦ったように自身の紅い髪を梳かすウォフの姿に、スラエータオナの一度弛緩した心は再び警鐘を鳴らしている。



 確実にまだ伝えられていない情報、それもとびきり悪い物が残っている。その予感が、スラエータオナの背筋に冷えた鉄を這わせたような寒気をもたらした。


「……スラエータオナ。あんた、突然大声を出したり荷台から飛び降りたりする手合いじゃ無いよな?」


 もはや脅迫に近い確認に、スラエータオナは狼狽える、しかし。


「今の俺にはできるだけ聞く義務があると思います、それが今できる精一杯の行動ですから」


 スラエータオナはまっすぐ真紅の瞳を見据える。交差する黒と赤、その視線に満足したのかウォフは大きく息を吸い込み、抑揚を抑えて滔々と話し始めた。


「なら心して聞け。……数時間前に砂漠の町で爆発を伴う火災が発生、更に現場には複数のバリガーが出現。これに街の自治体と偶々通りかかったおれは自力での対処を図り、バリガーによる人死には抑えたものの事態の収束には失敗。その後駆け付けた王都騎士団によって町の人員は一旦王都に保護されることになった。ここまでは単なる事故処理の話なんだが……」


 そこでウォフは話を区切った。どうやら、スラエータオナだけが受け止め切れていない火災とバリガーとは違い、ここからは彼女自身にとっても話しがたい内容の様で、スラエータオナが憔悴してないか気を配りつつ、何度か呼吸を整えてから続きを語らんと眦を決した。


「そこで発見されたのは約1500人の無事な成人と数十人の負傷者、それに数百人の。原因は未だ持って不明だそうだ。ただ、あんたの話を踏まえるとつながる事はある。それがバリガーなのかおれたち外の人間なのか世界そのものなのかは分からないが」


「──俺たちはそうならない様にヘミの中で暮らしていた。そう言いたいんですか」


 結論にたどり着き、スラエータオナは声を絞り出す。起こってしまった未曾有の悲劇はまだ実感は薄く、心が麻痺を起こしている様だ。


「正直、その医療都市ってのがどれくらい特殊な事をやってるかは知らないんだが、少なくともおれが見聞を広めてきた中でこんな話は聞いたことが無い。そういう意味で、あんたらはよっぽど特別だと思う」


 ウォフは、その返答が救いにならない事を知ってであろう、切れ長の瞳を伏し目がちにして言いにくそうに答えた。しかし、スラエータオナは、意気消沈の淵に立たされつつも最も知るべきことが残っている事を忘れてはいなかった。


「ウォフさんは第一声に『あんたも』って言いましたよね。という事はその……俺以外にも無事な人が居るんじゃないですか?」


「何だ、結構頭回るじゃねーかスラエータオナ。俺が確認できた範囲では、あんたが生存した二人目だ。もう一人別の台車に生きてる奴がいる。何でも、昏睡してる人の中に確認したい顔があったらしくてな、今はそっちに付いてるらしい」


「え……たったの二人? ──そ、その人の名前は分かりますか!」


 スラエータオナが立てた推論が気に入ったらしく上機嫌になったウォフに伝えられた人数に、スラエータオナは冷や水を掛けられ臓腑が縮み上がる時のような、意識の遠のく耐え難い感触を覚えた。それでもまだ希望は捨てられないとばかりに大声で返したスラエータオナを、ウォフが片手を上げて静止する。


「悪いがそこまでは知らないんだ。何分おれも焦ってたから完璧に把握できてなくてさ、だからこうやって情報を集めてるってわけ」


 平静な面持ちを保てなくなってきたスラエータオナとは対照的に、ウォフはあくまで気丈に振る舞う。それは気を遣わせまいとする他に、彼女が暗にこういった修羅場を経験しなれている事を示唆していた。二人の間には一度の会話では埋まらない人生経験の差があると、スラエータオナは心の端で痛感する。


「あんたの痛みや不安はできるだけ理解したいし、当然色々聞きたい事はあるだろうけどさ、お互い一問ずつって事で次の質問に行っていいか。あんたは?」


「それは……俺にも分かりません。こっちが聞きたいくらいです」


「まぁそうだよな、知ってたら逆に怖いわ。ただ調べる側としては、あんたやもう一人みたいな特例が居る方がややこしいんだよ。これだけ成人と未成年で起こってる事柄が違うなら、当然疑うのはそこになるんだが。一応あんたを運んだ時にぶくぶく太った先生から色々聞いたけど、見た目で偽ってるだけで実はもう中年なんて事は無いよな?」


「ぶくぶくって……院長先生に確認とったなら大丈夫ですよ、あれでも俺にとっては親代わりのような存在ですので。俺は十六歳です」


「あんたまだ十六なの? めちゃめちゃ年下じゃーん!」


 暗くなりつつあった中でおもむろに変わった話題に、スラエータオナは毒気を抜かれる。元から距離を詰めてくる方であったが、年齢の話題になって更に砕けたウォフが肩を叩いてくるので身じろぎすると、幌の隙間から覗く外の風景がスラエータオナの黒瞳に移り込んだ。


「ああそうだ。話を聞く限りじゃ、あんたはあそこから出た事がないんだろ? おれの腹時計的には、そろそろ到着する頃合いだと思うんだが……」


 話すが早いか、これまで一定のペースで走り続けてきた馬車がゆっくりと速度を落とし始める。


「おっ、言った側からご到着か、こいつはツイてるな! ……何て、今じゃ皮肉にもなんねぇな」


 コロコロと、先ほどまでの極度の緊張状態からは想像もできないほど自然体のままに話し続けるウォフに、気付けばスラエータオナの表情はいくらか柔らかくなっていた。思えば、それは目覚めて初めての破顔だ。不謹慎であると己を正し慌てて口を引き締める彼に、ウォフは優しく笑いかける。


「何だ、辛気臭い顔ばっかしてたから分かんなかったが、あんた笑えばそれなりに見れる面じゃねぇか」


 気付けば馬車は完全に静止していた。ウォフに背中を押されながら、幌の中から脱出するスラエータオナ。煌々と輝く人の営みの光と満天の星月は、昨日までのスラエータオナが求めても見る事の叶わなかった物で、不本意ながらも思わず踏み出した一歩に、しばらくの間心を奪われるように風景を眺めてしまった。



 そんなスラエータオナの背後から、わざとらしい足音が近づいてくる。あえて己を主張するように石畳を踏みしめる音は独特で、背に声をかける前に気配を察知した少年に掛けられたのは、


「キミが無事でボクも嬉しいよ、スラエータオナ」


 薄っぺらで、それでいて万感を込めた言葉だった。


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