第698話 決戦を前にしたひとこま
病原菌の多くは中温菌で、人間の体温に近い温度が増殖に適している。最適温度から外れても分裂は可能だが、時間がかかるため増える数は少なくなる。
これを踏まえ自由水が含まれる食品を、20℃から40℃の温度環境下に長時間放置しない。食品の製造販売に於いては、留意すべき衛生管理と言えるだろう。
「コンビニの揚げ物や中華まんの保温器って、70℃度前後の設定だよね、香澄」
「炊飯ジャーの保温もそのくらいだね、麻子。60℃でも繁殖する菌がいるから」
高等部の頃から食品衛生を学んでいる、栄養科三人組ゆえその辺の知識は備えている。ロマニア食品を立ち上げた際には、店舗を含む調理現場に保健所の施設検査が入った。保健所が真っ先に見るのは冷蔵庫と、その冷蔵庫に温度計が付いているかだ。
「冷蔵庫の温度は1℃から5℃、冷凍庫はマイナス18℃からマイナス22℃だね」
「そう言えば検査では製氷機の有無も聞かれたよね、みや坊」
「保健所は製氷機が無い場合、どこから氷を調達するのか確認するわけよ、麻子」
そんな話しをしつつ三人は、夜のみやび亭に向けて仕込みの真っ最中。
タコバジル星でスルメイカとマアジが豊漁とのこと、さっそく瞬間転移で買い付けた任侠大精霊さまである。
マアジは夕食のフライ定食にと、調理台で近衛隊とメイド達が下処理中だ。スルメイカはみやびが雷撃でアニサキス対策をしつつ、塩辛とイカそうめんにしていた。
イカの塩辛にはスルメイカが最適で、理由は肝が大きいから。三杯捌いたら一杯をイカそうめんに、残り二杯と肝三個を塩辛にって配分がみやび流。
ゲソとエンペラは塩辛に使わず唐揚げにして、七味を振ったマヨネーズで食べるともうね、ビールが進んじゃいます。
「みや坊は相変わらず捌くの速いわね、魚市場の職人かってくらい」
「んっふっふー、割烹かわせみで鍛えられてるからね、麻子」
ウナギやアナゴも速いみやびだが、手順が多いイカでも流れるように下処理していく所はさすが。なお胴と肝は塩をたっぷり振って、亜空間倉庫の冷蔵室にいってらっしゃい。一日寝かせるため、塩辛はあさって以降のお楽しみ。これもまた塩蔵で、素材から自由水を無くす工程となる。
他にミウラ港からカンパチとキハダマグロも入荷したので、イカそうめんと合わせてお刺身盛り合わせ。これが立て看板に書く、本日みやびがお勧めする一品となる。
麻子組はと言えばマミヤ号産の
香澄組はイタリアの定番おつまみ、ブルスケッタの具材を準備をしていた。スライスしてオリーブオイルを塗り、カリッと焼いた
具材はトマトがよく使われるけれど、料理人の感性でいかようにもなる。手がけているのは、オーソドックスな完熟トマト・捻りを加えたミニトマトにアボカド・極め付けは焼きサバにチーズマスタードソースの三種類。
聖職者には焼きサバを、同じく焼いたシメジとマイタケに変えるんだそうで。いやそれどっちも美味しそうなんだけど、これが香澄による本日のお勧め。
「そう言えば新沼海将をこっちに転送したわよね、みや坊」
「本人が早苗さんと話したいって言ってきたんだ、香澄」
何の件だろうと、顔を見合わせる麻子と香澄。
副総理の早苗さんは防衛大臣を兼務しており、新沼海将は自衛隊のトップである。非常事態に備え二人には、ダイヤモンド通信の専用回線を用意しているのだ。わざわざ会いたいとなれば、これはただ事じゃ無いわけでして。
「顔を合わせて話しをしたいってか。むふふ、これは恋かしらね、香澄」
「みや坊助けて、麻子からオヤジ臭がする!」
しっつれいなと麻子がおたまを手に取り、香澄がパンナイフを構える。お二人とも手にした道具に魔力を込めませんように、属性無視の万能攻撃になっちゃう。
何やってんだかと、へにゃりと笑う任侠大精霊さま。でも早苗はバツイチで、新沼海将は
「お赤飯でも炊いておこうかしら、あとマダイのお頭付きも」
そんなことを独り呟くみやびの後ろで、麻子と香澄がちゃんちゃんばらばらと、仁義なき……いや仁義あるお遊びを始めちゃう。何だかなぁと眉尻を下げる双方の嫁たちと、アルネ組にカエラ組である。
――場所は変わって、こちらは亜空間倉庫の居住エリア。
「カンパチとキハダマグロはお刺身っしょ? お二人さん」
「そうねルイーダ。マシュー兄さん、マアジはなめろうで行こうよ」
「いいねいいね、スミレ。スルメイカはコチュジャン炒めにしようか」
「コチュジャン炒めに賛成。合わせるのはチンゲンサイでどうかしら、エミリー」
「アスパラガスとの組み合わせも捨てがたいわ、ミスチア」
みやびの買い付けは各艦隊と、亜空間倉庫の分もしっかり含まれている。イレーネとパトリシアはガリアン艦隊に、ミウラ港チーム三人とラナ・ルナ・ロナの三姉妹はルベンス艦隊に、今はお料理指導で出向いている。なお三姉妹は、マシューファミリーにジョイン済みだ。
「お刺身となめろうにコチュジャン炒めか、なら春雨サラダはどうかしら、ザルバ」
「いいですね、カリーナさま。スープはあら汁ですかな? クーリエ殿」
「うんうん、カンパチとキハダマグロなら、あら汁よねクーリド」
「そうですね、姉上。あと副菜にもう一品、長いものおかかバター炒めなんてどうでしょう。あなたはどう思う? フェリア」
「一汁四菜にサラダ付き、それで行きましょうクーリドさま」
いいねいいねと頷き合う、亜空間倉庫の料理人チーム。
そこでルイーダが、カンパチとキハダマグロの頭とカマ、どうするねとによによ。数に限りがあるので、竜騎士団には行き渡らないのだ。
それは私たちのまかないでしょうと、目を細めるミスチアとエミリー。カマ焼きも兜焼きもご馳走なんだけどと、はにゃんと笑うスミレとマシューである。
この場にカルディナがいたら『なんじゃと?』と半眼になりそうだが。後ろの方でメイド達が、やったねとハイタッチしてたりして。
そんなわけで食材と調味料が決まり、モムノフさん達がぱらたたたと、台車を牽引したスクーターで保管エリアへ向かった。みやびの影響を色濃く受けているから、こと食に関しては頼りになるアンデッド集団である。
「聞いたか
「しっかり聞いたよ、
調理台からちょっと離れたテーブル席で、午後のお茶をしていたヨハン君とレベッカに、へットとラメドの四人。ご相伴に預かれるよう、調理に参加しましょうと話しはすぐにまとまる。
「私は火属性の力で、加熱調理の補佐をすれば良いわけだな、ダーリン」
「そうそう、僕は魚を捌く方に回るよ。ヘットとラメドは調理の方へ」
頷き合い席を立つヨハンファミリー。焼いたカマは絶品よねとラメドが、兜焼きの目玉も捨てがたいよとヘットが、むふふんと笑みをこぼす。そこへカイル君とフランツィスカが何の話しとやって来て、ちょいとややこしくなるのだが。
――そしてこちらはアマテラス号の、セカンド蓮沼家。
夜はみやび亭に行くこともあるし、茶の間で夕食を摂ることもある蓮沼家の男衆。彼らに言わせると、茶の間の居心地と雰囲気が大事らしい。
「満君と黒ヒョウ三兄弟はどこに行ったんだろう、京子」
「水を張ってない池が秘密基地になってるみたいよ、徹さん」
「池でかたまって寝てる時ありますよね、山下先輩」
「あれは見てて和むよな、奈央」
こちらも今は午後のお茶タイム。
マーガレットにベネディクトとコーレルは、築地へもジャンプ出来る転送ダイヤモンドをみやびからもらっている。今日はサンマとギンザケに、シャコエビを仕入れたもよう。サンマはもちろん塩焼き、ギンザケはカルパッチョに、シャコエビは塩ゆでと、これでもう三品。
ところがぎっちょん、蓮沼家の夕飯は一汁三菜どころか五菜、場合によっては二汁七菜になったりもする。シオンが里芋のお煮染めを、アメリアが野菜かき揚げを、マルゲリータが挽肉のオムレツを手がけている。
「最近は夜になると、カリーナとマキシーがよく顔を見せるな、辰江」
「それは正三さん、ちょっとずつ色々食べたいのよ。女子ってそういうもんなの」
そう応え急須のお茶っ葉を取り替える辰江に、成る程なと頬を緩め広げていた新聞を畳む正三。トレーニングジムで汗を流してきた佐伯と黒田が、ああそういう事ねと苦笑する。
片や縁側では源三郎さんと工藤が、あーだこーだと悪戦苦闘中。ミニ反重力ドライブを搭載した、リュックを試しているのだ。リュックとは言ってもパラシュートと同様、両肩と両足にベルトで装着する仕様である。荷物も入れられるから便利なんだけど、問題はコントローラーの操作方法だった。
「L1とR1を同時長押しで、反重力ドライブ起動だよな、工藤」
「そうですね、源三郎さん。左のスティックが進行方向で、右のスティックが上昇と下降に姿勢を保持する操作みたいです」
「十字キーと○△□✕ボタンは?」
「機能は割り振ってあるみたいですけど、お嬢さんが使うなって言ってました。特に✕ボタンは」
何でまたと尋ねる源三郎さんに、✕は音速飛行ですと真顔で答える工藤。いやいやちょっと待たれよと、ドン引きの源三郎さん。その肩をがっしと掴み、逃がしませんよと怪しげに笑う工藤。お嬢さんのために二人で人柱になりましょうと、訳わかんないことを言いやがる。
「基本操作とは別のボタン、俺は触らねえぞ、工藤」
「いや源三郎さん、男なら試してみたいじゃないっすか。未知の領域へ誘うボタンがここにあるんですよ」
うるせえ独りでやれと、源三郎さんは宙に浮かんですーいと飛んで行った。
どうも○△□✕ボタンは、大気圏離脱と再突入も視野に入れた機能っぽい。つまり速度調整とシールド関係ね。十字キーは今後採用するかもしれない、武器系統の選択だろう。
「
台所の窓から顔を出した愛妻アメリアが、笑顔の鬼女と化していた。目が笑っておらず出刃包丁を手にしているから、その迫力たるや本物の鬼も逃げ出しそうな位だ。
人工サタン戦を前にして誰も気負っておらず、みやび亭も亜空間倉庫もセカンド蓮沼家も、いつも通りの時間が流れて行く。その蓮沼家で奥の座敷じゃ新沼海将が、早苗さんを口説いてるけど。
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