第694話 八方だしとカツ丼

 ――ここはお昼のみやび亭、ワダツミ号支店。


 みやびがキッチンで、ふんふーんと鼻歌交じりに作っているのは八方だし。 

 水400ccに昆布を10グラムを投入して30分浸した後、醤油50ccと本みりん50ccを加え中火で加熱。

 沸騰直前に昆布を取り出し、かつを節を20グラム投入して火から下ろす。かつお節が沈殿したら、ボウルの上にザルを置き、キッチンペーパーを敷いて濾せば出来上がり。えぐみが出るためキッチンペーパーは、絶対に絞ってはいけない。

 

 完成した約500ccの八方だしは結果として、だし汁8;醤油1:本みりん1、この比率になる。かつ丼や親子丼といった卵とじ、出汁巻き卵を作るとき、みやびはもっぱらこの八方だしを使う。出汁の風味が豊かで、市販のものとは比べものにならない。


「麺つゆはダシとかえしを別々に作るが、八方だしは一気に作るんだな、ラングリーフィン」

「そうよラフィア、簡単でしょ」


 ラフィアがお昼にカツ丼とかけ蕎麦のセットをリクエストしたため、お昼の献立はこれにけてーい。調理台の方ではメイド達が、春菊の天ぷら付きで乗員向けに量産している。春菊の天ぷらは、かけ蕎麦じゃ寂しいというメイド達の心配り。蕎麦にのせてもいいし、そのままサクサクを食べてもよし。これにお新香が付くセットである。


 ラフィアの蕎麦好きは誰もが知ってること、本人いわく三食蕎麦でもいいらしい。穀物でポリフェノールを多く含むのは蕎麦だから、まあ健康にはよろしいのかも。そのラフィアがカウンターに座り、みやびから八方だしとカツ丼の作り方を教わっているところだ。自分は蕎麦が好きでも、紅貿易公司の船乗り達は肉肉肉だから。


「ソースカツ丼もいいが、あたいはやっぱり卵でとじたのがいいな」

「んふふ、誰しもそういう好みってあるわよね」

「ところであたいのネプチューン号も、黄金船にしてくれるのかい?」

「将来的には、ラフィアも宇宙で商売したいでしょ」


 アルミスのサバト号は近代化改修が済み、入れ替わりに今はラフィアの船が宇宙船ドックにある。ヤイズ港に停泊したままだったネプチューン号を、みやびは船員ごと転移させたのだ。


「連結可能な仕様にして、お風呂も洗面も付けるわよ」

「甲板にみやび亭は?」

「あはは、お望みなら」


 そいつは有り難いとラフィアは、カエラがどうぞと置いた麦茶を口に含む。だが祭壇に六属性の人員が必要で、配下の船員をスオンにしても揃わない。


「問題は光属性と闇属性をどうすっかだな」

「任せておいて、ちゃんと考えてるから」

「それってまさか……」


 実の所ラフィアは、アメーバ状の生き物が苦手だったりする。秀一と豊に続き美櫻と彩花も、光と闇のスライムちゃんをゲットし始めた。つまりみやびは契約しろと言ってるわけで、今まで避けていたラフィアも年貢の納め時。


「妙子からマニュアルを見せてもらったんだが、どうにもピンとこなくてな」

「でもみんな、服の下に最低でも一匹は飼っているのよ。アルミスなんかフレイアから闇属性ゆずってもらって、六属性コンプリートしてるし」


 服の下に六匹もいるのかよと、呆れ返るラフィア。すると当のアルミスが胸の第一ボタンを外し、谷間から六属性が触手を伸ばしてコンニチワ。儀式の眠りから目覚めた陽美湖とミーア、シルビアと左和女までほれほれと披露しちゃう。


「あたい、マイノリティ少数派だったんだ」

「そうそう、マジョリティ多数派になろ、ラフィア。命に関わる事だし」


 にっこり微笑んだみやびは、溶き卵にきび砂糖を小さじ一杯入れてかき混ぜる。白砂糖でも良いのだが、みやびは風味の良いきび砂糖を好んで使う。卵にちょびっと甘味を付けるのがみやび流、ただしここで入れるのは半分。


「残った半分はどうするんだい」

「先に入れた卵に火が通ったら、残りの半分を入れて蓋をするの。後から入れた卵が半熟のとろとろって感じに仕上げるわけ」

「それで蓋をして蒸すのか、成る程な」


 頃合いと見て蓋を取り、盛り付けたご飯の上にカツとじを乗せる。グリーンピースを散らすお店もあるけれど、みやびは三つ葉をあしらう派。アリスが木製の角トレーにかけ蕎麦と春菊天ぷらにお新香を並べ、みやびがカツ丼を置いてはいどーぞ。


「うんうん、ふわっと火の通った卵と、とろっとろの半熟卵。そして出汁を吸ったトンカツ、この組み合わせを考えた人は天才だな」


 美味い美味いとわしわし頬張るラフィアに、ふふっと目を細めるみやび。人の体は食べたもので出来ている。自分の作ったお料理を食べている、お客さんを眺めるのがみやびは好きだ。


 ――そして夜のみやび亭、ワダツミ号支店。

 

 みやびファミリーが総掛かりで面談を行い、ネプチューン号の船員をスオンにしていた。藤堂夫妻と月夜見夫妻も陽美湖の勧めで、儀式を行いみんなクースカピー。

 いま黄金船でスオンになっていないのは、ラフィアの護衛武官とクバウク菌の研究チームくらいだろう。もはや誰が誰のスオンやら、訳わかめの状態である。しかしこれだけ増えれば、そろそろみやびは次の夢を見られそうだ。


「ゴエティアって古代ヘブライ語から、いろんな言語で翻訳されたはずなのよ」

「それってどういう意味? 香澄」

「紀元前から中世にかけての話しだから、翻訳の過程で誤訳があると思うのよね、麻子。四方を守る魔王の配置も違ってたりするし」


 東西南北を守護する魔王はソロモン王が使役した、七十二柱の悪魔のどれかに該当するのでは。香澄はそんな仮説を立てたようで、アマイモンは第七柱のアモンじゃないかしらと。


「ラテン語圏のマリア・アントーニ姫がフランスのルイ十六世に嫁いで、名前がフランス語読みでマリー・アントワネットになったのよ、麻子」

「そっか、ヨーロッパは地域によって言語が違うもんね、香澄。誤訳って言うか、言語違いで名前が変わったってことか」


 そうそうと頷く香澄。しかしそれで悪魔を突き止めたとしても、みやびはぶっつけ本番な事に変わりはない。早い段階で魔王が持つ属性を見極めること、それに尽きると二人はみやびをチラリと見やる。


「粒子砲が使えるんだし、そんな心配しないで二人とも、それよりこれ見てみ」


 なんとみやび、手にした出刃包丁で自分の腕を切ったのだ!

 キッチンもカウンターも騒然となり、一斉に念入りシリアルバーをみやびに差し出しちゃう。所がその切り傷が水煙を上げ、塞がっていくではないか。


「甘いものが使った、光・地・風の合わせ技よ。自分自身にしか使えないけど致命傷でなければ、周囲の元素をかき集めて修復するの」

「お姉ちゃん、技名は決めましたか? イメージがあれば、その三属性が揃ったスオンは会得できるはずです」

「単純明快よアリス、セルフ・リペア自己修復ってね。発動すれば怪我するまで持続するから、戦闘前にかけておけば安心安全」


 おおうと声を上げる、キッチンとカウンターの面々。自分にだけという条件付きではあるが、治癒は代償が必要となる等価交換の原理を覆したのだ。六属性コンプリートがいかに重要か、誰もが再認識していた。

 そして今まで念じて来た『元気になあれ』は、大精霊の祝福だったことをみやびは告げた。シリアルバーやウエハースは、間接的に触媒として機能していたのだと。


「それもこれも、夢で経験した戦闘のおかげね。こんな事も出来るようになったわ」


 手を触れていないのに、フライパンがふよふよと浮き上がった。同じく浮き上がったおたまが、こんここんとフライパンを叩く。ポルターガイスト現象だわと、香澄がわーおと手をぱちぱち叩く。

 いやこれが刃物で飛んできたらと、青くなるキッチンとカウンターの面々。だがパラッツォは面白いと、熱燗を口に含んだ。戦場で累々と横たわる死体の武器を、ぜんぶ我が武器として使えるじゃろうと。


「ところでみやび殿、今日のお勧めにあった軍艦焼きとは?」

「ハッカクっていう魚を背開きにして、味噌を塗って焼いたお料理よ、赤もじゃ」


 ハッカクは通称で、正式和名はトクビレ。筒切りにすると断面が八角形だから、ハッカクの通り名で呼ばれている。日本では主に北海道で水揚げされ、大型の雄は関東じゃ高級魚扱い。

 開いた身側に塗る味噌は、ハッカクの肝、本みりん、日本酒を合わせたもの。合わせ味噌が焦げないよう、皮を下にしてじっくり焼く。そのまま出しても良いのだが、みやびは輪切りにしたネギを上にたっぷり盛る派。身を味噌とネギに絡めて、どうぞ召し上がれ。


「こいつはまた、美味いなブラド」

「脂が乗ってて、焼いても固くならない身質だな、パラッツォ。確かに美味い」

「初めて口にする魚だけど、地元じゃどうだったんだ? 高田」

「昔は大衆魚だったんですよ、石黒さん。焼くとエビやカニのような香りがして、食欲をそそるんです。お高くなっちゃって、俺も食べるの久しぶりでして」


 そんな会話を聞いてしまえば、飯塚と岩井さんも手を揚げる。それとは対照的に秀一チームとカルディナが、これまた本日お勧めのモツカレー串をご注文。


 静岡県は清水の郷土料理で、串に刺した牛もつをカレーで煮込む料理。お品書きには無く、みんなの感想を聞いてみようって試み。評判が良ければ定番メニューにしようかと、栄養科三人組が企画したもの。


「こっちがお蕎麦屋さん的な和風カレー味、辛さはマイルドよ。こっちはガラムマサラたっぷりの、スパイシーな味」


 皿に盛られた二種類の串へ手を伸ばし、交互に頬張る秀一チームとカルディナ。無言である、無言であるがその目は細められ、揃って生ビールをぐびぐびと。こりゃ決まりだねと麻子が、決まりっしょと香澄が、お品書きのニューフェイス来ましたとハイタッチ。


「みやびよ、ひとつ聞いてもいいかや」

「なあに、カルディナ」

「串に刺した牛もつを、注ぎ足し注ぎ足し煮込むのであろう? そのカレーはどんな味になるのか興味がある。下手なビーフカレーよりも、濃厚ではあるまいか」


 本格インドカレーで料理人のスイッチが入ったカルディナである。絶対に言うと思っていたのか、そのカレーを小鉢によそった香澄と、作り置きしてたナンを加熱して出す麻子。


 ちぎったナンをカレーに浸けて頬張ったカルディナが、んふうと足をパタパタさせた。何それ美味しそうと、秀一チームが身を乗り出す。

 そりゃ串を何本も入れるからね、牛モツのエキスがカレーに染み出すもんね。これは数量限定で、みやび亭の裏メニューになりそうな予感。

 今宵のみやび亭も銀河の星々を眺めながら、ゆったりとした時間が流れて行く。

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