第672話 番外編 それぞれの想い人
――ここは南シルバニア、淡水魚養殖エリア。
「ようアイザック、またよろしく頼むぜ」
「待ってたよルイーダ、ニジマスとブラックバスはもう用意できてる」
司書のユリウスをエラン城へ送り届けた後、ルイーダは南シルバニアに足を伸ばしていた。ここで淡水魚を仕入れ、東シルバニアへ戻る道中の町や村に卸すのだ。ニジマスは塩焼きに、ブラックバスはフライに。養殖で価格が安定し、庶民の味として人気がある。
「元気がないな、アイザック。スターシャ副隊長と喧嘩でもしたか」
「ばっ、するわけないだろ!」
アイザックは首都ビュカレストの市場で、アルネにちょっかいを出しみやびにぶん投げられた人。次はモスマンの商人にちょっかいを出し、左和女から首を切られそうになった人。まあ捨てる神あらば拾う神ありで、みやびの臣下となり養殖事業を任された人物だ。その養殖を軌道に乗せ、準貴族である士分に叙されている。
「この養殖場は国営から民間へ、移譲できる段階になった」
「士分から
「茶化すなよ、ルイーダ」
アイザックは元傭兵で、ルイーダとは昔からの顔馴染み。駆け出しの頃は、一緒に依頼をこなした事もある。彼が理不尽な理由で傭兵組合から除名された経緯も、ルイーダはよく知っていた。だから侯国の宰相に拾われたと聞いた時には、心の底から精霊に感謝したのだ。
「民営化が完了したら、新モルドバ領へ赴任する事が決まった」
「
「ああ、他にも順番待ちの候補地があるそうだ」
「そうかい……」
そうかいの後に続く言葉を、ルイーダは飲み込んだ。赴任する前にスターシャ副隊長をさっさと口説け、でないとその尻蹴飛ばすぞってセリフである。だがさすがの彼女も、人の恋路に介入するほど野暮ではない。せめてアイザックのために、精霊へ祈りを捧げるのみだ。
「それにしても、ここら辺は随分と立派になったもんだね」
「上層部で揉めたらしいがな、ルイーダ」
モスマン帝国とドンパチするための要塞だった、パラッツォの元主城がマーベラス城である。領地替えに合わせて取り壊し、跡地にカルディナ陛下の主城となる、バーレンスバッハ城を築城する計画であった。
その取り壊す予定を任侠大精霊さまは変更し、力技でモルドバ領から移転させた経緯がある。彼女はマーベラス城を、かつての敵三国に対する最前線の砦としたのだ。
「まさかこうなるとはね、アイザック」
「予想外の遙か斜め上だよな、ルイーダ」
敵三国は滅びローラン共和国が建国され、国境に脅威は無くなった。そこで当初の予定通り城を解体し、養殖場を拡張しようってのがみやびの構想であった。
ところがぎっちょん、そうもいかなくなったのだ。領民が城を中心に、勝手に城下町を形成し始めちゃったという事態が。城の外壁から馬車三台がすれ違える程度の間隔を空け、民家や宿屋や商店をどんどん建てられてしまったのだ。
正式な副知事を決めておらず守備隊任せでしたからにゃあ、とはチェシャの談。
戦後の地域計画を領民に周知させなかった落ち度だろう、とはブラドの談。
仰る通りです返す言葉もございませんのみやび、さてどうしたもんかと頭を抱えてしまったわけで。
みやびの力を持ってすれば、城をブラックホールにポイするのは簡単。だが領民たちから『マーベラス城はメリサンド帝国を統一した、シンボルではありませんか』なんて言われちゃったら無下にもできず。
みやびの管轄だからファフニールも妙子さんもアグネスも、領地運営に関しては口出しできない。だが三人とも何となく気付いていた、領民の本音がどこにあるかを。
城が旧モルドバ領にあった当時、壁に穴を空けてキッチンから出入り可能とし、外へ屋台を設置したのはみやび自身だ。今でもシルバニア方面守備隊のために、メイド達が屋台を稼働させている。
戦時中は飢えた周囲の領民へ、食事を配給した屋台である。戦後は領民がシグルズ隊長に嘆願し、お金を出せば屋台料理を購入できる許可が下りていた。
つまり城が取り壊され屋台が無くなったら困る、ならば城下町を形成して既成事実を作ってしまおう。これが一致団結した領民たちの本音ではと、侯国トップの婦人三人はみやびにアドバイス。
そんな訳で蓮沼組任侠チームの出番と相成った。
シナプス川に橋を架けてローラン共和国との交流を盛んにし、マーベラス城は内外装の化粧直しを敢行。城の屋台はもちろんそのまんま、最前線で使用されていた屋台も追加となった。
いずれ市場も形成され、ちょっとした交易都市が出来上がるだろう。町や村が点在していた国境の田舎は生まれ変わり、南シルバニア第三の都市マールズと命名されることになる。
「それじゃまたな、アイザック。スターシャ副隊長と仲良くしろよ」
「余計なお世話だルイーダ、気を付けて帰るんだぞ」
憎まれ口を叩き合えるのも友の証、ルイーダはワイバーンを飛翔させた。そして私も人の事は言えないかなと、ぽつりつぶやき
仲良しで大恩があるスミレと家族になりたい、そのスオンであるクーリドと血の交換をしたい。そんな事を考えながら、機首を東へと向けたルイーダであった。
――ここは首都ビュカレスト、エビデンス城の調理場。
夜はみやび亭本店となるが日中は、ダイニングルームで提供する三食の仕込みをする場となる。主要メンバーが宇宙へ行き、留守を預るのはパウラとナディアだ。
「私は赤カレーを指揮するわ、ナディア」
「黒カレーは私の班に任せて、パウラ」
新しい冊子が配布され今週の献立表には、蓮沼家の艦めしがずらりと並ぶ。もちろん麻子の味噌チャーハンに、香澄のコンビーフも。新作レシピにやる気満々なのは、一般採用メイドだけではない。
領事としての仕事が忙しくなければラフィアに、カリーナとフェリアも仕込みに参加する。いま調理場は新しいレシピで、熱気ムンムンの活況を呈していた。
「まさかマーベラス城が保存される事になるとはね、パウラ」
「でも思い出の白出汁……もとい城だし、感慨深いわね、ナディア」
「ルキアとシズクも、ターニャとユリアも、きっと同じ気持ちだろうね」
二人はあの城がなかったら私たち、スオンになれたかしらとしみじみ話し出す。ケヴィンとアダマスとの出会い、縁とは不思議なもんだよねと。
そんな話しを小耳に挟みながら、ラフィアはシモンヌと香辛料の調合をしていた。シモンヌは
「チェシャ殿がいなくて寂しいかい? シモンヌ」
「どど、どうしてそれを、ラフィアさま」
「見てれば分かるって、いつ告るのさ」
シモンヌの手から黒胡椒の粒がこぼれ落ち、手近にあったすり鉢ですすいと受け止めるラフィア。ゲートは時間軸を飛び越えるから、しょっちゅう顔を出してるじゃんかとすり鉢を差し出す。
それを受け取りながらシモンヌは、簡単に言ってくれますねと唇を尖らせた。聖獣さまでしかも帝国伯知事のお立場、こんな私でよいのかと日々悩んでいるのですと、すり鉢に視線を落とす。
「うまくいけば、あたいはシモンヌと家族になるかもな」
「……はい? 今なんと」
「重婚が可能になったから、これはチャンスだと思ったんだよ」
「あのあの、お相手を聞いてもよろしいですか?」
「隠すつもりはないさ、ブラドだよ。しかしどうしてリンド族の男は、こうも鈍感なのかね。わざと露出度の高い服で執務室に行っても、あんにゃろうは眉ひとつ動かさないんだ」
黒胡椒の粒をハンドミルに入れながら、それはお察ししますと苦笑するシモンヌ。その様子が容易に想像できたからで、お互い苦労しますねと眉を八の字にする。
そんな彼女に今度ブラドとチェシャを、二人でモスマン領事室に拉致しないかとラフィアは持ちかけた。まさかと、フリーズしてしまうシモンヌ。
「城内でそんな事をしたら、罰せられるではありませんか、ラフィアさま」
「領事室はモスマン帝国領だよ、シモンヌ。中で何が起きようと、メリサンド帝国法は適用されない」
「うわ……ラフィアさまって、何て確信犯なのでしょう。取りあえず山椒とマタタビの準備ですね」
あれれ、シモンヌその話しに乗っちゃうんだ。
「話しが早くて助かる、唇を奪って血の交換をすれば、後は分かるよな」
これはブラドとチェシャ、年貢の納め時かも知れない。直系家族にこの二人が加わることで、妙子さんファミリーも賑やかになりそうだ。
「直系となればファミリートップの死期が、自分の死ぬ時と聞き及んでおります。ラフィアさまは、それでよろしいのですよね」
「私はこう思うんだ、シモンヌ。好きになった相手と生死を共にする、それはステキな事なんじゃないかなってね。海賊もどきの、私が言う台詞じゃないけどな」
そんなことないですと、首をプルプルと横に振るシモンヌ。やはりラングリーフィンが見込んだお方、尊敬に値すると微笑む。目的達成の為ならば、手段を選ばない辺りもさすがですと。
「あんた、あたいに喧嘩売ってる?」
「とんでもない、私たち良い家族になれそうな気がします、うふ」
二人で手がけたカレーのミックス香辛料が間もなく出来上がる。パウラとナディアがご飯は白米にしようか、ターメリックライスにしようかとピーチクパーチク。
カリーナがサラダに使う野菜が足りませんと、みやびに回線を開く。すると即座に調理台へキュウリやレタスが現れ、よっしゃと取りかかるシーパング三人組とサルサにアヌーン、そしてフェリア。
「ラングリーフィンに、折り入ってご相談が」
『どうしたのよカリーナさま、妙に改まって。もしかして愛の告白とか?』
「そうです」
『まじか!』
任侠大精霊さまが
皇族の血筋で行く行はモスマン帝国の、宰相まで登り詰めるかもしれないカリーナ嬢。彼女が想いを寄せるお相手とは、果たして誰なのだろうか。
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