第663話 新薬と母乳

 ――ここはアマテラス号の祭壇。


 みやびが通信を開いた相手はゲッペルス国家主席だが、ベッドで点滴を受けている姿が痛々しい。だが一命をとりとめたのだから、天はこの男にまだ生きろと言っているのだろう。

 駆逐艦サバトの艦長アルミスと乗員たちはすっかり回復し、再発せず艦内の除染が確認出来たため、今ではこっちにご飯を食べに来ている。サンプルとなった家族の長男と長女も、点滴が外れベッドから起き上がれるようになった。ただし次男坊に関しては、アルコール中毒の荒療治が必要かも。


 それはさて置き。

 みやびは鷲見城の城下町に於いて、アリスと共に雨雲を生み出し火事を鎮火させたことがある。アウト・ロウも含めたファミリー全員での精霊化だと、超大型台風を幾つも同時に発生させる事が可能になっていた。

 もちろん台風の進路をコントロールできる大精霊の御業みわざ、この手を使い酸性雨を惑星全域に降らせたわけだ。クバウク星の感染症を一次的に沈静化させ、八十六度のウォッカと点滴を供与したわけである。


『超新星爆発を起こせば簡単だったものを』

「でも貴方はこうして生きてる。憎まれ口をたたけるようになって、安心したわ」

『ふん、宗旨替えの件だが議会で、満場一致で採択された。クバウク星の民はみな、正しい精霊信仰に移るだろう』


 これでスライムちゃんを惑星に放せるねと、麻子と香澄、嫁たちが嬉々として頷き合う。だがそれで助かったとして、我々はどんな裁きを受けるのかと、病床のゲッペルスは苦しげに尋ねてきた。病が苦しいのではなく、心が苦しいのだろう。


「それを決めるのは私たちじゃないわ。ガリアン星やラカン星、迷惑をかけたアンドロメダの星々が決める事よ。でも私の提案を受け入れてくれるなら、悪いようにはしないわ」

『提案……とは?』

「まだ準備中だから詳細は後で。それじゃ手の施しようがない、重症患者のサンプルよろしくね、お大事に」


 通信を切ったみやびは、囲炉裏テーブルへ回りちょこんと座る。そこにはジャレル司令官とユンカース、マクシミリア陛下にサッチェス首相、更に真戸川センセイもいたりして。


「まさか共同体を助けるとは思いませんでした、みやび殿。何とも複雑な心境です」

「その気持ちは分かるけど、クバウク星全体がもう私たちの捕虜なのよ、ジャレル司令官。情けは人のためならず、正しい精霊信仰を信奉するなら尚更ね」


 みやび殿らしいですねと、マクシミリアがダージリンの紅茶をすする。ティースタンドには軽食が並べられており、サッチェスがそうですねと頷きながらスコーンに手を伸ばした。

 みやびを含め、誰も気付いていない。大精霊セラぽんセラフィムと配下の精霊たちが一番納得する方法で、アンドロメダ銀河の信仰を取り戻した事に。


「真戸川センセイ、途中経過を聞かせて、重症患者をどうするのかも」

「中々面白いことが分かったよ、みやびさん。スライムはクバウク酸を取り込んだ後、別のアミノ酸に変えるんだ。研究チームはこれを、クバウク酸2ndセカンドと呼んでいる。人体には影響無さそうなんだ」

「……はい?」


 また新種のアミノ酸ですかと、誰もが目を点にしてしまう。だが真戸川センセイはここからが本題なんだと、瞳を輝かせながらフルーツサンドイッチに手を伸ばす。


「この2ndセカンドがね、オリジナルのクバウク酸と結合して3rdサードになるんだよ」

「ちょちょ、待ってセンセイ、また新種なの?」

「これが正常な人体、弱アルカリ性の環境下でリジンとバリンに変わるんだ」


 ほええと、目を丸くする栄養科三人組。リジンとバリンは必須アミノ酸で、人間が食べ物から摂取しなきゃいけないものだからだ。

 つまり2ndセカンドを培養して経口摂取できるタブレットにすれば、発症することなくクバウク酸を根絶できる新薬の出来上がり。


「それで治験の為に、手の施しようがない重症患者が欲しかったのね」

「まあそういうことなんだ、みやびさん。取りあえず血管注射で2ndセカンドを送り込み、効果を調べたい」


 もし上手くいってタブレットが完成したら、本当にノーベル賞ものねところころ笑う任侠大精霊さま。研究チームが発表する論文には、みやびの名前も入れるからねと返す真戸川センセイ。受賞するならやはり功労者のみやびも一緒に、彼はそう考えているのだ。


 ――そして夜のみやび亭アマテラス号支店。


「アマテラス相談所、お願いしていいかしら、みやび殿」

「あら、どうかしたのアルミス。不当な差別はしないようにって、船内では徹底してるんだけど」

「いえその、差別や人間関係の悩みではなくて」


 なんだあと、非常に残念そうな顔をするティーナ。ちょっとこの歩くスピーカー、なんとかして。まあそれは脇に置いといて、どうも感染の後遺症で、アルミスは一時的に高プロラクチン血症になってるもよう。

 研究チームには博士号を持つ医師もいて、診てもらったらそう診断されたらしい。平たく言うと妊娠も出産もしてないのに、母乳が出ちゃうという症状だ。ここは妙子さんの出番、彼女はアルミスを手招きしてキッチンの奥へ。


「授乳ブラを用意しましょうか、アルミス」

「あの、そう言う問題ではなくて、妙子殿」


 聞けばブラの中にスライムちゃんが入り込み、乳首をチューチュー吸っちゃうらしい。母乳だもんね、栄養満点だもんね。あらまあと、はにゃんと笑う妙子さん。

 でもそれなら授乳ブラは必要ないって話しになるのだが、アルミスにとっては深刻な問題らしい。乳首を刺激され続け、体の芯が熱くなるんだとか。


「未婚なの? その、男性経験は」

「艦隊勤務まっしぐらでしたので、そっちの方は……」


 つまり未開通なわけで、それは困ったわねと頬に手を当てる妙子さん。だがこの場合、一番良い解決法はひとつなのだ。膝の上で拳を握るアルミス、その拳に手を添え妙子さんはにっこりと微笑んだ。


「抗わないで、その身を熱くなるままに委ねなさい」

「すると私はどうなってしまうのでしょう、妙子殿」

「体が宙に浮くような、逆に高いところからどんどん落ちて行くような、そんな感覚を経験することになるわ」

「それちょっと、怖い」

「ぜんぜん怖くないのよ、アルミス。すごく気持ちいいから、今夜試してみなさい」


 聞き耳を立てていた栄養科三人組が、うわあと目を伏せた。それぞれの嫁たちも、ちょびっと身をよじる。今夜は卵化するようかしらと、同じ事を考えるみやびと麻子に香澄。性欲があるのは健康な証、出すべきものは出汁……もとい出しちゃいましょうみたいな。

 まだ仮で卵化を経験していないアルネ組とカエラ組、そのファミリーである豊と秀一がはてな顔。経験済みの美櫻と彩花は、ほんのりと頬を朱に染めている。


「お姉ちゃん、本日お勧めの特性煮卵、まだありますか」

「これが最後ね、はいよ」


 アリスのお盆へ置くついでに、彼女の耳たぶを軽く摘まんで揉んじゃうみやび。これが実は、今夜卵化するよって合図だったりする。途端にアリスはるんるん気分となり、ハイテンションでテーブル席へ特性煮卵を運んで行った。

 あらあらと、苦笑するファフニールとフレイア。そうは言っても二人だって嬉しいわけで、口元が緩むのを止められないでいる。


「香澄さん、アルミスにバジルソースパスタとアボカドサラダを」

「かしこまりー妙子さん」


 思わず顔を見合わせるみやびと麻子。バジルソースとアボカドって、女性にとっては精力剤だからだ。自分たちの嫁にもとささやく二人に、分かってますよとウィンクで返す香澄さんであった。


 ――翌朝、ここは洗面室。


 アルミスは歯ブラシを咥えたまま、鏡に映る自分の顔をポケッと見ていた。妙子の計らいで個室を与えられ、スライムちゃんと一夜を過ごしたわけでして。


 栄養満点の母乳でスライムは増えていき、あろうことか股間にまで吸い付かれてしまったアルミス。女性の膣はおぎゃあと生まれた時から、乳酸菌が存在している。外部からの雑菌から膣内を守る働きがあるんだけれど、スライムちゃんはその乳酸菌も捕食し始めたのだ。


「意識が何回途切れたか、覚えてないわ」


 そうつぶやいて、気を取り直し歯磨きを再開するアルミス。

 そこへあらお早うと、洗面道具を手にした妙子さんがやってきた。彼女も昨夜は卵化したらしく、醸し出す雰囲気が何だか艶っぽい。そんな彼女にどうだったと尋ねられ、思わず言葉に詰まる駆逐艦の艦長さん。


「悪くはなかったでしょ?」

「女になるって、ああいう事なんですね、妙子殿」

「感染でぼろぼろだったお肌がツヤツヤになってるわね。後で私の部屋に来なさい、基礎化粧品を分けてあげる」


 軍人が化粧などと眉尻を下げるアルミスだが、女の武器を使える期間は長くないのよと微笑む妙子さん。二人の足下ではスライムちゃんが、球状になってコロコロ転がっている。アルミスによって増えた子たちで、どうも彼女になついたっぽい。


「このスライム達はどうすれば……」

「飼えばいいじゃない、増殖させた製造元は貴方なんだから」


 身も蓋もない妙子さんの口撃に、顔を真っ赤にするアルミス。だがまんざらでもないらしく、彼女はおいでと手招きしてスライムちゃん達を身に纏う。

 ぱっと見は四色カラーのマーブルコーティング。みんなびっくりするから、そのまま朝食には行かないでねと笑う妙子さんの図。


「お早うございます、妙子さん、アルミス艦長……ってスライムに好かれてますね」

「お早う、岩井一等海尉、私が製造元ですからね」

「へ?」

「お早う、岩井さん。ピューリは一緒じゃないの?」

「あいつ低血圧で、朝はダメなんですよ」


 口に出しては言わないが、今の言葉にええ? と目を見開く妙子さん。

 アルミスはスライムちゃんを全身に張り付けたまま、着替えてきますからまた後でと、洗面を出て行った。

 妙子は心を落ち着けて、歯磨き粉を歯ブラシへにゅるんと出す。今の岩井さんの口ぶりでは、ピューリと同じベッドで寝ているように聞こえたからだ。

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