第662話 スライムちゃんは優秀だった
共同体が本拠地とする惑星はクバウク星なので、そこから
相手がアミノ酸では竜族も感染する可能性が高いと、真戸川センセイは危機感を募らせていた。生きとし生けるもの全てを抹殺し得る、有機物という名の暗殺者だと。
「みや坊やアリスも、悪玉アミノ酸を作れるのかしら、麻子」
「私らも六属性を揃えたら生み出せるんじゃない? 香澄」
その発想は止めてと、ドン引きの妙子さんにアグネス。
アルネ組とカエラ組も、豊と秀一も、岩井さんと彼にべったりな
そんな中、人差し指を顎に当てて宇宙を見上げ、頭を左右に振る任侠大精霊さま。左右に振る回数が多く、時間が今までになく長い。何を言い出すんだろうと、見守るキッチンスタッフとカウンターの面々。
「お酒を飲んでるなら体は酸性よね、麻子、香澄」
大学で同じ講義を受けているから、二人はそうだねと頷く。
アルコールを分解する過程で乳酸が生成され、人間の体液は酸性側に傾く。これが二日酔いになる原因のひとつでもあるが、人の体は本来、弱アルカリ性を保つように出来ている。
次男坊が発症しないのはアルコールを常に摂取しており、体がずっと弱酸性をキープしているからではあるまいか。素人考えだけどとみやびは言うが、麻子も香澄も調べてみる価値はありそうだわと口を揃えた。
「真戸川センセイ、サンプルを酸性の環境にさらしたらどうなるかしら」
『そうか
麻子が
予想していたのか、カウンターのみんなにも同じ皿が並べられて行く。一人前で済むわけないもんねと、にんまり笑う麻子と香澄。キッチンの中ではアルネ組とカエラ組、妙子さんとアグネスが、はむはむ味見しております。
「牛肉とオイスターソースって合うんだね、豊っち」
「このチーズ入りライスコロッケも、お品書きに入れて欲しいよな、秀一」
ちょうどそこへ真戸川センセイから、実験の結果報告が入った。弱酸性で活動停止となり、エナメル質の臨界
『ノーベル賞ものですよ、みやびさん』
「あはは、それは解析に当たった学者さんチームに譲るわ」
通信用ダイヤモンドの向こうから、相変わらず欲のない人ですねと、真戸川センセイの笑い声が聞こえて来た。予防と治療にはお酒、重症者には酸性の点滴、防疫の消毒には酸性水と、対策が立てられていく。
『ところでみやびさん、この流動体はどうしようか』
「流動体って?」
『解析メンバーの誰かに貼り付いて来たんでしょうね、スライムでしたっけ』
「うげっ!」
バイオハザード・レベル四の隔離部屋になんでまたと、呆れを通り越してため息をつく任侠大精霊さま。だがちょっと待てと、彼女は思い直す。どうして殺人アミノ酸の影響を、スライムは受けないのかしらと。
「もしかしてスライム、クバウク酸を食べてるんじゃないかしら、センセイ」
『まさか……いやあり得るかも知れないな。研究のため
「もちろんよセンセイ、思う存分やって。取りあえずさ、ご飯食べに来ない?」
『おお、夢中になりすっかり忘れていた、みんなを連れて甲板に行くよ』
――そして閉店後、ここはアマテラス号の祭壇。
精霊化は解除しており栄養科三人組と嫁達が、囲炉裏テーブルを囲み額を寄せ合っていた。緑茶を煎れたアリスがふよふよと、みんなに湯呑みを置いて回る。
クバウク酸の予防と治療法は確立したけれど、ウィルスと違い人間の体に抗体が出来るわけじゃない。つまり治っても再感染は普通に起きるわけで、クバウク酸を根絶やしにする必要があるのだ。
「亡くなった両親の体、真っ白い粉の山になってたわね、麻子」
「ちょっとそれ言わないでよ、香澄。粉末調味料を手にする度に思い出しそう」
「けどスライムがへっちゃらなのも驚きね、みや坊。白い粉を食べて増えてるし」
「そのメカニズムが分かれば、根絶できるってセンセイも言ってたわ、ファニー」
隔離部屋の窓越しから観察したみやび達だが、スライムは間違いなくクバウク酸を食べていた。口がないから食べると言うより吸収してるんだが、なんで平気なのかしらと誰もが首を捻る。
取りあえずサンプルとなった家族を乗せてきた、駆逐艦の乗員を何とかしましょうとみやびは緑茶をすする。それって共同体を助けることになるのではと、テーブルを囲む誰もが思うところ。
「彼らは白旗を上げた捕虜だわ、人権と生きる自由があるでしょ」
どこまで行ってもみやびはみやび、武器を置いて降伏したならば、けして悪いようにはしない。そもそも捕虜を見捨てたら夢見が悪いでしょうと、任侠大精霊さまはへにゃりと笑う。
「人道的見地に立脚すれば、見殺しにはできないわね、香澄」
「そうね、クバウク星には酸性雨を降らせましょうか、麻子」
みやびは立ち上がると、祭壇を操作して回線を開いた。相手は駆逐艦サバトの艦長アルミスで、スクリーンに彼女の顔が映る。駆逐艦サバトは訓練艦でたいした兵装は積んでおらず、乗員も艦長を含め最低限の七名だ。
「調子はどうかしら、アルミス」
「発症したよみやび殿、皮膚が白い粉を吹き始めた。他のクルーも同じだ」
「助かる方法を見つけたんだけど、私の出す条件を呑んでくれるかしら」
条件も何もと、アルミスはころころと笑い出した。感染した家族の輸送命令を受けた時、自分たちは死を覚悟した。どのみち母星に残っても結果が同じなら、連合艦隊の持つ医療技術に賭けたかったんだと。
「条件とやらを聞こう、みやび殿」
「正しき精霊信仰に宗旨替えを。これを連れて行きたいのだけど、悪しき信仰の徒には攻撃的になっちゃうから」
みやびがポケットから出して見せたのは、赤・青・緑・黄色のスライムちゃん。四匹一緒になって丸くなれるかしらと念じたら、ちゃんとボール状になってくれた。実はみやび、無意識のうちにスライムをテイムしているのだ。集合と号令をかければ、わさわさ集まって来る。
「艦内を酸性水で消毒した後この子を放すわ。病原体を食べてくれるから、艦内は安全になるの」
「私たちの治療はどうなる」
「んふふ、お酒を飲んでもらう事になるわね」
「は? 酒?」
人工サタンを生み出すため、国力を注ぎ込んで来たクバウク星の民。全てはノアの箱船に乗せてもらうための奉仕であったが、伝染病で選民神話は既に崩壊している。
長いこと疑問に思っていた、いや思わないようにしていた、悪しき精霊信仰の正当性。それが失われた以上、もはや迷うこともない。アルミスはみやびの出した、宗旨替えという条件を受け入れるのだった。スライムちゃんにちょっとビビってるけど。
――翌朝、と言うか宇宙なので九時間後。
ここはマミヤ号の甲板、宇宙輸送機コスモ・ペリカンの格納庫。
サンプルの家族を受け取る時は、隔離部屋ごと吊り下げた訳だが、今度は向こうへ自分たちが乗り込む事になる。防護服を着るようかしらと思案する麻子と香澄に、みやびがにへらと笑った。
「まさか今からお酒飲めとか言わないわよね、みや坊」
「それはないない、香澄。みんなには重ねがけになっちゃうけど、ほれ」
七色に移り変わる光の粒が、祝福となって参加者全員に降り注いだ。栄養科三人組と嫁たち、飯塚とジェシカ、そして志願した雅会任侠チームに。
「今のは? みや坊」
「んふふ、イン・アンナにイナンナって愛称を付けたとき、彼女がかけてくれた祝福よ、ファニー。必要に迫られると、宇宙船と同じシールドが体を覆ってくれるわ」
お姉ちゃん練習しましたもんねとアリスが、地属性の力で酸性水の入ったタンクをひょいひょい並べて行く。雅会の面子はハンドポンプ式の噴霧器を背負っており、これで艦内を消毒するわけだ。戻って来るときは自分たちもそれで消毒、みんなでかけ合いっこになりそうな気がするけれど。
「あのお酒が気に入ると良いわね、
「私は美味しいと思うけど、
発艦したコスモ・ペリカンの格納庫で、そんなこと言っちゃうゴンゾーラ族の竜姉妹。いやあれはちょっとと、眉を八の字にする石黒と高田のコンビ。
みやびが用意したのはアルコール度数八十六パーセントのウォッカで、普通に火が付くから火気厳禁である。酔っ払ってもらいたいんじゃなくて、ちびちび飲みながら体の酸性を維持して欲しいのだ。
「甲板へ降りた途端にシールドが発動しちゃったよ。雅会の諸君、消毒よろしくね」
了解ですお昼は焼き肉でと、噴霧を始めた石黒と高田。あんたらはと笑いながら、スライムを転移させてばら撒く任侠大精霊さま。輸送機の計器類に酸性水を噴霧する訳にはいかないが、そんな箇所はスライムがもぐもぐしてくれるから便利だ。
「無理して立ち上がらなくていいわよ、どんな状態? アルミス」
「熱が出て来た、体もだるい。その酒を飲めばいいんだな、みやび殿」
ウォッカの瓶を受け取り口に含んだアルミスだが、思わず吹き出しそうになっていた。それは他の乗組員も同じで、これはきっつーと声を上げる。火気厳禁ですからねと、アリスが人差し指を立てて念を押す。みやびはみやびで、スライムをどんどん転移させていた。
「で、そのスライムとやらを体に貼り付かせるわけか」
「慣れれば可愛いものよ、ほれほれ」
「うひゃは、服の中に入って来た! つめたこちょば、つめたこkwくいryb」
語尾が言葉になっておらず、身悶えするアルミス。腰が引けてる他の乗組員にも、嫁たちが両手にスライムを掴みうりうりと迫る。人権と生きる自由とは言ったものの、このさい人権は無視されるもよう。
アルコールでクバウク酸を弱らせ、スライムにもぐもぐしてもらうこの作戦。人体を使った治験に該当するが、命がかかっているから仕方がない。
みやびが出した調理台で、麻子と香澄が焼き肉の準備を始めていた。タレは麻子謹製の甘口と辛口、お酒だけじゃなくご飯も食べてもらわないとね。
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