第659話 見上げれば星雲
「ひとつ可能性があるとすればですにゃあ、メアド」
「うんうん、このコンビーフ食べていいのだ、ぜひ教えて欲しいのだ」
チェシャのお皿は既に空、メアドに出した分で
『メアドはもしかして、チェシャと話す切っ掛けが欲しくてコンビーフを?』
『間違いありませんね、フレイア。お姉ちゃんもそう思いませんか』
『あはは、二人ともよく見てるわね。メアドが香澄ご指名でおねだりするのは、ポテトサラダと相場が決まってるの。だから私もちょっぴり、違和感は感じてたのよ』
そのメアドに向かい、チェシャは人差し指を立てた。竜族と血の交換をすれば可能性は高いですにゃあと。するとスフィンクス、がっくりと肩を落としてしまった。お近付きになりたい相手が、その竜族なんだとこぼす。
声には出さないがカウンター席もキッチンの中も、一体誰だろうとワクワクテカテカしてしまう。インタビューに突撃しようとするティーナの首根っこを、妙子さんががっちりと掴んでいた。
そこへ再起動した香澄が戻り、何かあったのと目をぱちくり。とっくに復帰はしていたのだが、メイド達から相談を受けていたのだ。土佐作りは普通のお刺身と違いネギとミョウガをあしらいに使うから、彼女らに盛り付けを教えていたわけ。
「卵が先か鶏が先かでございますにゃあ、メアド」
「うう、私はどうすればいいのだぁ、チェシャ」
「この場合はどう考えても、鶏が先でございましょう」
するとメアドはふよふよ浮き上がり、なぜかみやびの所へ。何やらごにょごにょと耳打ちを始めるが、甘いですよスフィンクス。みんな竜族とリッタースオンなんだから、聴力を最大にしてるもの。
メライヤにはいつでもオルファと会えるよう、転送ダイヤモンドが付いた指輪を渡している。メライヤにくっ付いてシェアハウスへ行く度、メアドは竪琴を奏でるドーリスに惹かれていったんだとか。
だーだー言ってる割りに内面は繊細で、メライヤとオルファの邪魔はけしてしないスフィンクス。そんな彼女にとってダイニングキッチンは、竪琴の音が流れる癒やしの空間だったに違いない。テーブルにちょこんと乗り、演奏に聴き入るメアドの姿が容易に想像できると言うもの。
芸術家と音楽家の集団であるアウト・ロウは、押し並べて変わり者が多い。その性質が最も分かりやすいのは、創作に集中し出した時だろう。寝食を忘れたり人の話しを聞いてなかったり、周囲を無視して我が道を行く典型とも言える。
メアドが心惹かれたのは、そんな中でも気難しさでは一番のドーリスだ。吟遊詩人ユニットのリーダーで、奏でる竪琴の音色は素晴らしい。だが口を開けば辛辣な上、お気に召さない相手であれば塩対応のリンドである。
これはどうしたもんかと、さすがの任侠大精霊さまも頭を抱えてしまう。
スフィンクスはみやびにぺこりと頭を下げ、お座敷二番テーブルへしょぼんと戻って行った。その後ろ姿を見送り、ファフニールはカウンターに頬杖を突き、フレイアは升酒を口に含んだ。
二人は聴力を最大にしてカウンター越しに、メアドがみやびに伝えるごにょごにょをしっかりきっちりくっきり聞いていたっぽい。
相手がドーリスだと判明したが距離があって、詳細まで聞き取れなかったカウンターとキッチンの面々。皆を代表するようにティーナが、みやびにインタビューを試みようとする。
だがそこは良識のある妙子さんとアグネス。彼女らの意を汲んだレアムールとエアリスの手により、ティーナはキッチン奥へずるずると連行されることに。
「ドーリスは私たちの身内よ、みや坊。メアドを家族として迎えるか、決めなきゃいけないわね」
「私としては受け入れてあげたいな、ファニー。でも相手は堅物のドーリス、不安しかないわ」
「閉店したらメライヤも呼んで、囲炉裏テーブルで相談しましょうか、みやび」
「うん、そうしようフレイ」
アリスやチェシャの前例もあるし、アメロン星では帝国旗にも用いられる守護獣である。そして何よりも、メアドは憎めないみんなの人気者だ。恋心を成就させてあげたいものの、相手は難攻不落の要塞に等しい。果たしてどうなりますことやら。
「みんな見て、岩井さんのネックレスよ、良いと思わない?」
暖簾をくぐったゲイワーズが、さっそく錬成した作品をみんなにお披露目する。銀製のチェーンがちょいと太めの、ダイヤモンドネックレスだ。秀一たちから格好いいとか、私も作ってもらおうかしら、なんて声が上がる。
「岩井さんとしてはどうなのかしら」
「俺は気に入りました、海将補殿。勤務中に付けていても?」
「もちろん構わないわよ」
アリスが三人に新しい生ビールを置き、では乾杯とジョッキをぶつけ合う岩井さんと
「岩井さんは、いつ海上自衛隊へ?」
「入隊の話か、ちょっと恥ずかしいな、豊君」
頬をぽりぽりと掻き、にへらと笑う岩井さん。祭壇で一緒に過ごす時間が長いこともあり、秀一たちとはだいぶ打ち解けたみたいだ。未だにみやびは海将補殿、麻子と香澄は一佐殿だけど。
海上自衛隊で幹部士官を目指す場合、防衛大学や一般大学の卒業者が、江田島と呼ばれる幹部候補生学校を受験することになる。これがA幹と呼ばれるエリートコースで、三十歳辺りまでには一等海尉になっているはず。
岩井さんの年齢なら三等海佐や二等海佐でもおかしくないわけで、秀一たちは腑に落ちないでいたのだ。昇進が遅れる理由があるとするならば、何か不祥事をやらかしたか、入隊時期が遅かったか、このどちらかなわけで。
「大学を出て上場企業に入社したんだが、上司とそりが合わなくてな」
「退職しちゃったんですか?」
「まあそういうこった、豊君。後は定職に就かずアルバイトでふらふらしてた」
その頃に出会ったバイト先の年上女性と結婚し、子供が生まれたと彼は話す。当初は幸せな日々が続いたけれど、その年上女性は他に男を作って失踪、まだ幼い息子を連れ実家に戻ったんだと。
「実家に帰ったものの、何も手が付かなくなってな。あの頃の俺は……言い方は古いが、世捨て人みたいなもんだったな。唯一の生き甲斐は息子で」
「それが、どうして海上自衛隊に?」
「ちょっと秀一」
人の半生に踏み込むような話しとなるから、尋ねた秀一を美櫻が咎めた。だが岩井さんはいいんだと笑い、空になったジョッキを振った。アリスがすすいと動き、新しい生ビールを置いて行く。
「見かねた両親から息子を取り上げられ、祖父から大判の封筒を渡された。中身は江田島の受験願書で、父親でありたいなら男を見せろってな」
江田島を受験できる上限年齢は院卒で二十八歳未満、年齢的にリトライのない一回だけのチャレンジとなる。当時の合格率は六パーセント前後と狭き門だ。岩井さんは息子に会わせてもらいたいが一心で、がむしゃらに勉強したと当時を振り返る。
晴れて合格はしたが、江田島へ入学するまでにブランクがあった。だからこの歳で一等海尉なのさと、岩井さんは事もなげにジョッキを呷る。だがその表情は自分に絡み付いていた、負の連鎖を断ち切り人生を切り開いた
「ひっく、岩井ひゃん、苦労人なんれふね」
気が付けば、
「二人とも、俺のために泣いてくれるのか?」
「だって、だって」
「あらやだん、思わず泣いちゃったわ」
「ありがとな、それじゃお礼にとっておきの話しをひとつしよう。実は俺、
小さな子供が大人に悪戯を仕掛けるような、そんな表情の岩井さん。
泳げない人が何でまた海上自衛官にと、呆れる栄養科三人組と秀一たち。妙子さんも飯塚も嘘でしょうと、手の動きが止ってしまった。
「八キロメートルの遠泳をパスしないといけないのよね、岩井さん」
「よくご存じですね、海将補殿」
黒田からの受け売りだが訓練に関して、海自は自衛隊の中でも過酷だと聞き及んでいたみやび。よくそれで泳ぎ切ったわねと、思わず感心してしまう。岩井さんの祖父が陸自でも空自でもなく海自の願書を押し付けたのは、もしかしたらカナヅチを克服させる意図もあったのではあるまいか。
「入隊時にね、自分はカナヅチですって自己申告してるんですよ。でも教官から泳げるようになるからって、にっこり笑って言われて」
それって泳げるように『なる』じゃなくて『させる』だよねと麻子が、間違いないわねと香澄が、スパルタ教育キタコレと頷き合う。実際そうでしたと、歯を見せて笑う岩井さん。泳げない者は赤い水泳帽を被らされるから、恥ずかしかったとも。
「だからゲイワーズ、ピューリ、泣いてくれるな。俺にとっては良い思い出なんだ、もっかい三人で乾杯しようぜ」
例え人生につまずいても、そこから這い上がった人は強いなとみやびは思う。カウンター越しに岩井さんがジョッキを呷り、ゲイワーズがやんやと囃し立てる。涙を拭ったピューリが岩井さんステキと、腕に絡みついている。
眺めていて心温まる光景だし、板場に立つ身としては料理人冥利に尽きるというもの。だがちょっと待て、ピューリよ岩井さんにくっ付き過ぎ、大丈夫なんだろうか。
人は縁に触れて良くも悪くも変わる。でも悪縁を良縁に変えるのは、ちょっとした切っ掛けと本人の強い意志だよねと、みやびは顔を真上に向けた。
そこには満天の星雲が広がっていて、キラキラと瞬いている。決戦を前にしてひと悶着もふた悶着もありそうな気がするけれど、今宵のみやび亭も穏やかな時間が流れて行った。
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