第660話 ジーナの通訳
――ここはアウト・ロウのシェアハウス。
居室とアトリエがある二階から、ころころと笑い階段を降りてきたみやび。どうかしたのと首を捻るファフニールに、彼女はアンジーのアトリエに行ってみてと目尻を拭った。
みんなには特に何も話しておらず、いつも通りファミリーの唇を奪ってきた任侠大精霊さま。彫刻家であるアンジーがパラッツォの銅像を手がけているのだが、それが抱腹絶倒ものだったらしい。
「右手で長剣を中段に構えててね、構図は格好いいのよ」
「それがどうして可笑しいの? みや坊」
「だって左手に一升瓶なんだもの」
「ぶっ」
酔っ払いが剣を抜き暴れてる姿にしか見えないのよと、みやびが眉尻を下げ右手をひらひらさせる。それ本人は知ってるのかしらと尋ねるファフニールに、お任せの制作依頼でまだ見てないと返すみやび。アグネスさまの意向によっては亜空間倉庫に封印でしょうかと、アリスがへにゃりと笑う。
封印って何の話しと、フレイアが話しに加わってきた。もちろんそれは栄養科三人組と妙子さんの、お蔵入りにしたすっぽんぽん……もとい裸婦像のこと。完成しちゃいるけど自分たちが生きてる間は公開しない、そう決めて魔法鍵が付いた部屋に隠しているアレだ。
「私も見てみたいわ、みやび」
「フレイも入れるよう、魔法鍵に追加登録しておくわ。でも笑わないでね」
「笑う? どして?」
キョトンとするフレイアに、ファフニールが思わず吹き出しそうになっていた。だってみやびの裸婦像は右手に出刃包丁、左手に持っているのはマダイなんだから。
構図はお任せでと、チェシャに丸投げしたブラドのせい。請け負ったアンジーに罪はないわけで、全ては依頼した彼の責任である。
ではアンジーのアトリエに行って現物を見てみましょうと、ファフニールがフレイアを誘い階段を上って行った。メライヤも私はオルファの居室に行きますと、二人の後に続く。
メアドの気持ちはよく分かったけれど、特にお膳立てはしていない。縁があれば精霊が背中を押すだろうし、余計な策はむしろ無粋とみやび達は考えたのだ。
ちょうどそこでドアベルが鳴り、市場へ買い出しに行ったメイド達が戻って来た。赤黒カレーに続き、蓮沼家の艦めしを教える約束はアリスも忘れてはいない。今日はタコライスとアラビアータになるようで、メイド達は材料の調達に出ていたのだ。
タコライスのタコは海のタコに非ず、タコスの具材をご飯に乗っけたお料理。それを丼にでんと盛って出すのが蓮沼家。アラビアータとは唐辛子を利かせた、トマトソースパスタのこと。ロングパスタではなく、ペンネで出すのも蓮沼家の流儀。
ミートソースやカルボナーラなど、基本となるパスタは身に付けているメイド達。だがアラビアータはまだ冊子になく初めてで、瞳をキラキラさせちゃってるよ。
かつて何度か提供しており、古参のメイドは身に付けている。だが新しい子は知らないし、これは蓮沼家の独自レシピなのだ。
アリスはワイキャイはしゃぐメイド達に囲まれ、始めましょうかとキッチンに向かった。人気者だねぇと、目を細める任侠大精霊さまである。
今ダイニングにいるのは、絵筆を手にキャンバスと向き合うジーナ、竪琴を爪弾くドーリス、そしてみやびとメアドだ。マイ湯呑みの緑茶をずずっとすすり、成り行きを見守る任侠大精霊さまの図。
「いつも弾いてる曲、聞かせて欲しいのだ、ドーリス」
「あら、『だー!』がないわね。お腹の調子でも悪いのかしら、メアド」
「元気がないから心配だわ、そう言ってるのよ」
絵筆を動かしながら、補足説明を入れたのはジーナだった。
「ぱたぱた飛び回られると気が散るわ、テーブルに行ってちょうだい」
「いつもの定位置でゆっくり聞いてねって言ってるのよ、メアド」
これにはみやびも驚きで、ドーリスのツンデレ語をジーナが通訳しているのだ。考えてみればこの二人、いつもダイニングに陣取っている。竪琴の音色は筆が進むからとジーナは話していたが、どうもそれだけじゃないっぽい。
実は面識のない者がシェアハウスを訪れた場合、ドーリスはその性格から警戒する意味でダイニングに居座っているのだ。もちろん悪意を持たない業者さんもいるわけで、何でもかんでもガルルと牙を剥かれては困る。
そんな彼女の手綱を握る役目が、ジーナだったんじゃあるまいか。アトリエに引き籠もることなくダイニングで玄関を見張る、そんな役割分担を二人は自然と請け負っていたのかも。
「いつもの曲って何? 私のレパートリーは幅広いのよ、メアド」
「スカボロフェアーなのだ、ドーリス」
「あれが好きなんだ、しょうがないわね、弾いてあげるわよ」
「気持ちを込めて演奏するわと言ってるのよ、メアド」
ドーリスはジーナの通訳を否定する事なく、みやびからもらったウォークマンで覚えた曲を奏で始めた。テーブルにちょんと乗っかり、瞳を閉じて聞き入るメアド。竪琴のきらびやかな音色が、ダイニングに流れ旋律を奏でて行く。
スカボロフェアーは
アメリカのミュージシャンであるサイモン&ガーファンクルが1968年に発表しヒットさせたのも、数あるバージョンのひとつ。ベトナム戦争に対する反戦歌を、乗せる形で輪唱し有名になった。
Are you going to Scarborough Fair?
スカボローの市へ行くのかい?
Parsley, sage, rosemary and thyme
パセリ、セージ、ローズマリー、タイム、
Remember me to one who lives there
そこに住むある人によろしく言ってくれ、
For once she was a true love of mine.
彼女はかつて私の恋人だったから。
歌詞も覚えたようで、弾き語りをするドーリス。その歌声を聞きながら、みやびは不思議な曲だなと頬杖を突いた。
男性は女性に対し、縫い目のないシャツを作り、
女性は男性に対し、砂浜に畑を作り、羊の角で耕せと要求する。砂浜では塩害で作物なんか育たず、こちらも無理難題を押しつけている。
けれど両者とも、それが出来たら私の恋人だと言うのだ。お互いに実現出来ないことを求めていて、よりを戻す気あるんかいなと問い詰めたくもなる。だがその答えと思われる歌詞が、数あるバージョンの中にはあったりして。
Oh, Let me know that at least you will try,
ああ、せめてやってみると知らせて欲しい。
Or you'll never be a true love of mine.
でなければあなたは恋人ではない。
無理だと最初から諦めるのではなく、やってやろうじゃんって意気込みを見せて欲しい。つまり現代風に言えばチャレンジすることなく、諦めちゃうヘタレじゃ困るってことね。これが中世イングランドに於ける、男女の恋愛観だったんだろう。
ハーブの『パセリ、セージ、ローズマリー、タイム』がリフレインで入る理由は、歌詞を考えた吟遊詩人ご本人に聞かないと分からない。魔除けのおまじないとする説もあるが、きっと何か意味があるよねと、みやびは考えてみる。
ローズマリーは貞操の象徴で、今でも花嫁が髪に飾る習慣を残す地域がある。タイムは勇気の象徴で、女性が騎士に贈り物をする場合はタイムの葉を添えたらしい。
パセリやセージにも、当時は何か意味があったのかも知れない。それはきっと恋のほろ苦さとか、切なさとかを、お料理に使うハーブに喩えたんだろうなと。
「この曲を聴くと落ち着くのだ」
「眠ったらどうやってたたき起こそうかと考えていたわ」
「そう言ってもらえると嬉しいわ、なのよメアド」
「ドーリスともっとお話しがしたいのだ、転送ダイヤモンドをもらったからいつでも来れるのだ」
「あらそう、好きにすればいいわ」
「いつでもいらっしゃいって言ってるのよ、メアド」
ツンデレ語を通訳できるジーナはすごいなと、思わず感心してしまうみやび。重婚の話しをした時、ドーリスは子種を下さるのですかと口にした。身も蓋もない言葉ではあったが、彼女はあの時スオンにして頂けるのですね嬉しいと言ったんだろう。
いまドーリスとメアドの背中を押しているのはジーナだ。
本人にその自覚はないのだろうが、二人が仲良くなれるようにと働きかけている。どうでも良い相手ならば、頼まれてもいない通訳をわざわざするはずもない。
難攻不落の要塞でも一輪の花は必要、むしろだーだー騒がしい花が好ましいと、ジーナは考えたのかも。
そこへ笑いすぎてお腹を抱えた、ファフニールとフレイアが階段を降りてきた。やはりあの構図で一升瓶はないわと、口を揃え頷き合っている。パラッツォとアグネスよ、もう遅いけど一度見に来た方が良いかも。
「お姉ちゃん、みんなに昼食のお声がけしてきますね」
「ありがとうアリス、メライヤとオルファはラブラブの最中かもだから注意してね」
「合点承知です!」
ふよふよと階段を上がっていくアリスを見送り、ドーリスはテーブルに乗るメアドに視線を戻した。その手がポロンと、ド・ミ・ソのCコードを奏でる。何だろうと首を傾げるメアドに、ジーナがクスクスと笑う。
「全くもう、じれったいわね」
「え? 何を怒っているのだ、ドーリス」
「怒ってないわよ、メアド。もっとリクエストしてだって」
「わかったのだー! それじゃ千本桜がいいのだー!」
どうやらメアド、調子が戻って来たようだ。それにしてもみやびがドーリスにあげたウォークマン、どんな曲が収録されているのやら。ごった煮を通り越して闇鍋に近いのではあるまいか。
それでも千本桜は栄養科三人組が、よく歌って踊る曲。なのでメイド達も知っており、アップテンポな曲調にステップを踏み始めた。桜は分かるけど環状線って何だろうねと、タコライスにアラビアータを仕上げながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます