第653話 宇宙軍議の前に色々と
――ここはロマニア食品の本社ビル。
社長室のドアが開けっぱなしの場合は、中に栄養科三人組が居る証。用がある人はいつでもカモンってスタンスだからで、これは起業当初から変わっていない。だが扉のプレートが隠れてしまうため社長室どこだっけと、迷子になる社員もたまにいたりして。
それは置いといて囲炉裏テーブルを囲む面子には、佐伯・黒田・工藤の常務取締役三人と、統括部長の下田貴美子さんも加わっていた。
「学校の寮や食堂への食事提供って? 貴美子さん」
「ヘイユーという企業が経営破綻したんですよ、みやびさん。学校施設のみならず契約していたお役所や、一部の自衛隊からも打診が来てて」
ヘイユーなる企業は食材と共に、調理する人員を現地に派遣して、温かい食事を提供する会社だったらしい。その業務が今月から停止しており、どこも対応に追われているんだとか。
お弁当やお惣菜の販売と宅配、NPO法人として食堂運営、作物栽培から牧場経営まで、手広くやっているロマニア食品。この会社ならあるいは、そんな
だがこの程度の案件なら、貴美子さんの裁量で決定できるはず。こうして経営陣を集めたならば、別の問題があるって事だ。これを見て下さいと、彼女はひとつの資料を囲炉裏テーブルに置いた。
蓮沼興産の本業は土木建築だから、みやびも常務三人もよく知っている。それは契約業者を決めた入札資料で、A社の提示金額は約一億、B社は約五千万。そしてヘイユーはと言えば、何と一千八百万である。入札に縁遠い麻子と香澄ですら、何これと目を丸くしている。
「一億を提示したA社は、最初から落札する気がないな、黒田。儲からないと踏んだか、付き合いか何かで嫌々参加したか」
「そうですね、佐伯さん。この五千万ってのが妥当な線じゃないでしょうか」
「貴美子さん、入札を開いた側の想定金額はいくらだったんですか?」
「六千万を見込んでたみたいね、工藤さん。だから黒田さんが指摘したように、B社が常識の範疇に収る金額だったのよ」
複数の業者に金額を提示させ最も安い所と契約する、競争入札の仕組み自体を悪いとは言わない。だが想定金額より七割も安くてやっていけるのか、そこまで思いが至らないのは問題である。まあ一千八百万を提示した、ヘイユーもヘイユーであるが。
「建築物なら手抜き工事が怖いよな、工藤」
「そうですね黒田さん、ましてや人の口に入る食べ物です。栄養管理とか衛生管理とか、どう展開するのか参加各社にプレゼンテーションさせるべきでしょう」
その通りだなと佐伯が、渋い顔でアリスの煎れてくれた緑茶をすする。もちろんお茶が渋い訳ではなく、競争入札の有り様が渋いからだ。ただ安けりゃいいってもんじゃないだろうと。
「作る数量は把握してないけど、ひと月十四万の所もあったみたいね」
苦笑する貴美子さんに、開いた口が塞がらない経営陣の面々。
出張調理だから昼食だけって話しであれば、八時間フルではないだろう。仕込みから調理と後片付けで三時間と仮定し、時給千円のパートさんを月に二十日派遣したとする。
これでパートさんは六万円になるのだが、各種保険など会社側が負担するコストも同じく六万円程度になるはず。合わせて十二万円、食材にかかる費用はどう捻出するのだろうかと。
「まるっきり赤字よね、貴美子さん」
「だから皆さんに相談してるのよ、みやびさん」
いや同じ金額ではムリムリと、みんな揃って異口同音。ですよねーと、にへらと笑う貴美子さん。だが現在はどこも、市販の弁当で対応していると彼女は言う。
「新しい業者が決まるまでの間、市販弁当と同額でよいのなら、温かい食事を提供しましょう。この案で返事をしようかと思うの、どうかしら? みやびさん」
「うちなら市販弁当よりお安くできるでしょ、貴美子さん。ちょっと色を付けてあげたらどうかしら」
みやびらしい指示に、にっこり微笑んだ貴美子さん。ではその方向でと資料を仕舞い、彼女は常務三人と社長室を出て行った。
ガソリン代の高騰やら何やらがあっても吸収できる、赤字にならない金額を貴美子さんは算出するだろう。しかもお味が良くてボリューム満点、食中毒対策もバッチリのロマニア食品グループだ。このまま契約業者になって欲しいと、あっちこっちからお願いされる事になるとは、思いも寄らない栄養科三人組である。
「軍議も近いから、このままアマテラス号へ戻るのよね、みや坊」
「それがね、さっき早苗さんから呼ばれたのよ、麻子」
「何の話しで? みや坊」
「電話では話せないんだって、香澄。お
参加者の顔ぶれからは、何の話かまるで想像できない。少なくとも政治と軍事絡みだよねと、お茶菓子の笹ゆべしに手を伸ばす栄養科三人組。
笹ゆべしは山形県と宮城県じゃ有名な和菓子。ゆべし自体がクルミを用いた餅菓子で、生笹で包んだ事から笹ゆべしと呼ばれるようになった。
みやびにとってお祖母ちゃんの実家である、山形から届いたもの。笹の風味とクルミの風味が妙に合うねと、顔を綻ばせる栄養科三人組であった。
――そして夜の割烹かわせみ。
「板前として勝手口から入るのは慣れてるけど、ねえ香澄」
「お客さんとして暖簾をくぐるのは何て言うか、お尻がむずむずするわね、麻子」
それは私だって同じよと、みやびが年季の入った引き戸をからりと開けた。直ぐにいらっしゃいませと出て来た、仲居頭の
みやびのポケットから親指サイズのアリスが、どもどもと手を小さく振る。五月さんもすっかり慣れたもので、アリスちゃんの分もお料理あるわよと微笑んだ。
「お祖父ちゃんも何の話しか聞かされてないんだ」
「おっつけ到着するって、桑名の旦那から連絡があった。新沼海将も真戸川センセイも一緒らしいぞ、みや」
既にポン酒で始めちゃってる正三と徹だが、突き出しがエビのしんじょう揚げであった。当然ながら目をキラリンと光らせ、二人の小鉢に箸を伸ばす栄養科三人組。おいおいと眉を八の字にする正三と徹だけれど、料理人の
「単純な料理なんだけどね、みや坊」
「単純だからこそ奥が深いのよ、麻子」
「うわぁ、ふわっふわで美味しい。これぞ割烹かわせみって味よね」
割烹かわせみの味、香澄が言う通りなのだ。
誰にでも真似出来そうで、絶対に越えられない壁がある。もちろん素材は吟味されたものだが、ちょっとした塩加減、ちょっとした揚げ加減、そこに職人の経験と技がぎゅうぎゅうに詰まっている。
私らもうかうかしてらんないねと、決意を新たにする栄養科三人組。ちょうどそこへ、早苗さん達のご到着と相成った。
「レールガンの量産を蓮沼興産とロマニア食品で? 本気ですか早苗さん」
「本気も本気、大真面目よ正三さん」
徹がむしろ港重工や常陸造船の方が適しているのではと、駆け付け三杯の早苗さんに徳利を向ける。駆け付け三杯とは酒宴の席に遅れた人へ、続けて三杯飲ませる罰ゲームみたいなもの。もっともお猪口のぬる燗だから、大人対応の遊び心みたいなもんだが。
「四菱マテリアルの系列、四菱重工では国産戦闘機の開発をしてますよね。そっちじゃダメなんですかい? 早苗さん」
「産業スパイの入り込む余地がない、任侠企業でやって欲しいのよ、正三さん」
そうそうと頷き、新沼海将と真戸川センセイが
イクラと木の芽をあしらい見た目が美しい反面、氷頭なます自体がコリコリとした食感でお味がとってもよろしい。
これもまた割烹かわせみの味ねと、栄養科三人組はそっちに意識が向いちゃってるよ。蓮沼で軍需産業を、親方日の丸でやるかって話しになってるんだが。
「核弾頭すら迎撃できる日本の隠し球です、正三さん。だから機密保持のため、外国人労働者も派遣社員も採用してない蓮沼にお願いしたいのです。真戸川センセイも、思うところがあるんじゃないですか?」
「そうですね、新沼海将。研究開発は全て、蓮沼総合研究所で行いましたから。この話しは是非とも、受けて頂きたいです」
研究するにも場所と予算が無いって真戸川センセイが言うもんだから、蓮沼総合研究所に部門を新設して資金援助をしたのはみやびである。
こりゃ断れそうもないなと顔を見合わせる正三と徹。なんせ種を蒔いたのは、パトロンとなった直系の身内なんだから。
みやびが発展させたいと考えている
「ところで
「すべて蓮沼にやらせ……任せろと仰ったわ、正三さん」
「いま言い直しましたよね」
「言い直さなくたって一緒でしょ」
開き直る早苗さんに桑名の旦那がくぷぷと笑い、マグロの山かけを頬張った。
マグロを食べた時、かみ切れずスジが口の中に残ったり、スジが歯と歯の間に挟まったりという経験は誰にだってあるもの。
そのスジを徹底的に取り除く仕込みは、江戸前の寿司職人ならば当たり前。それを山かけにする場合、乗っけるとろろの味付けがこれまた職人技となる。
「んふう、おいひいおいひい、おいひいよ麻子」
「とろろが良い仕事してるよね、香澄」
麻子さんと香澄さん、レールガンの生産にはまるで興味がないみたい。みやびもとろろに加えて伸ばした出汁の比率はと、思考がそっちに向いちゃってる。
まあ何やかんや言って、血生臭い話しにはならない割烹かわせみの奥座敷。板場で華板の立花が、これがかわせみの味だぜって、むふふと笑いながら包丁を握ってたりして。
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