第651話 人が人を裁くとは
――ここはエビデンス城、みやび亭本店。
夕食のタイミングが重なる場合、栄養科三人組がエビデンス城に居れば、蓮沼家の面々もこちらに呼ぶのがお約束。
もうみんな顔馴染みだから、正三と辰江はブラドとパラッツォが陣取るカウンター隅へ。源三郎さんとアンガスはラフィア率いるモスマン領事チームに呼ばれ、桑名の旦那は瑞穂さんと
「スリーストライク法って? 山下さん」
「アメリカでは二十六の州と連邦政府で採用されてる手法なんだ、みやびちゃん。重罪の前科を持つ者が三度目に有罪判決を受けた場合、最後に犯した罪の内容に関わらず終身刑を受けるって制度さ」
「それでスリーストライクなんだ、更生の見込みが無いと判断されるってことね」
その通りと頷くカウンターの山下に、黒メバルのお煮付けをことりと置くみやび。メバル族は種類が多いけれど、その白身は押し並べて味が良く、刺身でも煮付けでも焼きでもどんとこい。
昔は庶民の味でお煮付けと言えば、カレイかメバルかってくらい馴染み深いお魚さんであった。身離れが良く煮汁に出汁が染み出すので、身を煮汁に浸して食べたらもうご飯が止まらない。
だが最近では漁獲量が減り、すっかり高級魚となってしまった。メバルを気軽に食べられるのは、やはり釣り人の特権かもしれない。
「ようやく赤葉容疑者の公判が始まったけど、やるせない事件だよな」
「何年か前、アニメーション制作会社のスタジオ
みやびだけでなく麻子と香澄もすぐ反応したので、若い人の方が覚えてるもんだなと、山下は黒メバルの煮付けを頬張った。
放火によって三十六名の方が非業の死を遂げ、重軽傷者も三十二名に上る事件だ。当時の社屋には七十名の社員がいたわけで、考えてみればほぼ全員が、生死の境を彷徨ったことになる。
「山下さんはこの事件を、どんな風に捉えているのかしら」
「赤葉容疑者は過去に窃盗事件で逮捕され、その数年後に強盗事件で逮捕されてる。刑務所を出所してから放火事件を起こすまで、何か危険信号と言うかサインは無かったのかなってね、みやびちゃん」
秋葉原の無差別殺傷で、行為へ走った犯人に前科は無かった。この場合は防ぎようがないけれど、赤葉被告には二回の前科があった。そう言って山下は、愛妻
「三回目は取り返しの付かない重犯罪だった、それでアメリカのスリーストライク法を持ち出したのですね、山下先輩」
「まあな、奈央。スリーストライク法にも問題は多々あるが、前科者の再犯を防ぐ抑止力にはなっている」
地球では司法も大変なのですねと、ジェラルド大司教が胡麻豆腐に箸を入れた。
メリサンド帝国に於いて犯罪者は、罪状に合わせた労役を課せられることになる。例え脱獄しても魔法の囚人腕輪を外さない限りは、どこへ逃げようとも犯罪者のままだ。その腕輪を外す事が出来るのは、修練を積んだ聖職者に限られる。
受刑者が更生したかどうかを、聖職者は清き魔力で見抜く。腕輪に触れれば信仰の深さが読み取れるからで、どんなに取り繕ってもこれは誤魔化せない。更生していなければ刑期は延び、延び延びで終身労役になることもあるとジェラルドは話す。
「現状の地球でそれを実現するのは難しそうね、山下」
「刑務所に入り出所してからの、再犯を防ぐ手立てはないもんですかね、早苗さん」
「受刑者に対する特別調整制度があるけど、更にそこからもう一歩踏み込む必要がありそうね」
強盗の罪で懲役三年六ヶ月に服した赤葉被告は、精神障害があると診断された。このため国が福祉施設や自治体など、受け入れ先を斡旋する特別調整の対象に決まったのだ。
出所してからこの制度を使い、半年ほど更生保護施設に入所。その後アパートに移り住み、特別調整の一環として生活保護や訪問介護を受けたのである。問題は赤葉被告が社会に適合したかどうかで、その追跡調査が甘いと早苗は指摘する。
「生活保護を受けてるなら、贅沢しなきゃ日々の暮らしに困らないわよね、麻子」
「衣食住が足りれば、人はだいたい落ち着くもんだけどね、香澄」
音楽を大音量で流し、近隣住民とのトラブルが絶えなかった事が判明している。この時点で更生保護施設に戻すとか、何か方法があったのではと山下は唇を噛んだ。
「中に人がいると分かってる場合の放火って、日本の刑法では殺人罪と同じよね、桑名さん」
「現在建造物等放火罪だね、みやびちゃん。被害者がいてもいなくても、死刑または無期懲役、情状酌量があって懲役五年以上だ」
それで死者三十六名と重軽傷者三十二名を出したのだ。情状酌量は無いなと、山下も奈央も頷き合う。秋葉原無差別殺傷の被告は、既に死刑が執行されている。最高裁までもつれ込むだろうが、赤葉被告も極刑は免れないだろうと。
小説の新人賞に応募した作品を、パクられたのが動機じゃなかったっけと、麻子も香澄も当時を思い出す。いやそれは無いわと、奈央が顔の前で手をひらひら振った。
「だって一次選考落ちだもの」
「どういうこと? 奈央さん」
「一次選考は外部の下読みさんが審査するのよ、みやびちゃん。応募規定を守ってるか、カテゴリエラーになってないか、それをチェックした上で作品を評価するの」
新人賞には数百、時には千を超える応募作品が寄せられる。人気レーベルともなれば五千超えもあり、玉石混淆の中から光るものを探し出す作業となる。編集部で一次審査から行うには人手が足りず、それで下読みと呼ばれる仕組みがあるわけだ。
応募規定を守れない人はそもそも論外。カテゴリエラーとは、そのレーベルに合ってない作品という意味。極端な話しBL小説を扱うレーベルに、百合小説で応募したら落とされるに決まってる。
その上で編集部からの要望も加味し、下読みさんは応募作品を絞り二次審査へ回すと奈央は言う。何でこんな作品を一次審査で通したんだと、下読みさんが怒られちゃうこともあるらしい。
「つまり一次で落ちたって事は、下読みさんしか読んでないわけよ。二次審査に当たる編集部の人達は目を通してないはずだから、パクるもへったくれもないわね」
そもそもと、奈央は叩きキュウリを頬張り箸をくるっと回した。
どこがパクリなのか裁判で検証が行われたけど、留年とか校舎の垂れ幕とか、そんな表現は学園もの書いてたら普通に被るでしょうと。
それで勝手な思い込みから放火したのと、眉を曇らせる栄養科三人組。弁護側は被告人が当時、精神もう弱であったと主張し無罪か減刑を求める方針だと桑名が付け加えた。
「みやびちゃんが裁判長なら、どう裁くのかしら」
「それ私に聞くの? 早苗さん」
気が付けばキッチンもカウンター席もテーブル席も、みんなみやびの言葉を待っていた。任侠大精霊の巫女は赤葉被告のような罪人に、どんな判決を言い渡すのだろうかと。
人差し指を顎に当て、天井を見上げるみやび。頭を右に、そして左へと振る。そんな彼女が口にしたのは、『小っちゃい』だった。
「いったい何と戦っているのか、人を殺める大義名分がそこにあるのか、自分でも分かってないのでしょうね。世間は無敵の人とか揶揄するけど、私から見たら他人を巻き添えにした自殺行為でしかないわ」
ならやっぱり判決は極刑かしらと問うファフニールに、うんにゃとみやびは首を横に振った。まさかと、店内が騒然となったのは言うまでもない。
「私たちは今まで武器を手に取り、多くの命を殺めてきたわ。自分と家族を守るために、国と領民を守るために、世界の安寧を築くためにね。
他者を傷付ける理由がさ、自分の思い通りにならない世間や社会への恨みとか。被告の歳は四十五だっけ? 小学生じゃあるまいし、人としての器が小っちゃい小っちゃい」
でもねと、みやびはサバの棒寿司を切り始めた。サバの半身を丸々使うのが棒寿司で、薄く削いだ身を使用しているのがバッテラ。棒寿司は胃袋にガツンと来るから、お腹を空かせた守備隊や牙の常連には喜ばれる。
「私は聞いてみたいのよね、ファニー」
「被告人に? みや坊」
「どんな量刑でも受け入れますと言えるか。被害者とその家族に心からの謝罪ができるか。パクリだなんて了見の狭い自分を見つめ直せるか」
それが出来ないから極刑になるのではと、フレイアがサバの棒寿司を手で摘まむ。
そうなんだけどねと笑いつつも、みやびは棒寿司を切り、アリスがふよふよと皆に皿を置いていく。
「本人が自己改革できないまま極刑にしたら、
情状酌量は難しくても、人間性を失った犯罪だからこそ人間性に目覚めよ、それがみやびの裁きなのだろう。同じ極刑でも転生先が、昆虫と哺乳動物では雲泥の差。聖堂騎士から大司教に抜擢されたジェラルドが、達観ですなと頷いていた。
「みやびさん、さっき亜空間倉庫でミーア大司教にお会いしたのだけれど、アルカーデ号はいつでも出航できるそうよ」
「了解、妙子さん。陽美湖さまと藤堂さまもアメノイワフネ号を出すって言ってくれてるし、すっごく頼もしいわ」
卓上調味料が欲しくて亜空間倉庫にちょこちょこ顔を出す、惑星イオナのお偉いさん達。最近はラー油とゴマ塩に、ウスターソースと七味唐辛子をよく持っていくそうな。なんだかなぁとは、カリーナとフェリアの談。
人種の違いによる影響とかが無ければ、メライヤの眠りから覚めるタイミングは明日になるだろう。みやび達はそれを待って黄金船に戻り、アンドロメダ共同体の本拠地である空域へ、いざ乗り込むこととなる。
もちろん敵情視察が主目的であって、のっけからドンパチやるつもりはない。だが何が起こるかは分からず、だからこそ今夜は蓮沼家も呼んでの場としたんだろう。みやびは天の川銀河の船を、全て出す総力戦も視野に入れているのかも。
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