第650話 フレイアの憂い

 麻子が披露したならばと、香澄がみやびにごにょごにょと。頷いたみやびが亜空間倉庫からポンと出したのは、牛のネックとスネであった。

 筋肉繊維ゆえその性質上、焼くと固くて歯が立たない部位だ。もっぱらカレーやシチューにポトフといった、煮込んで柔らかくする料理に用いられる。スーパーでカレー・シチュー用のラベルが貼られ、売られている牛肉はほぼこの部位ってこと。


「縦に入ってる繊維をね、横から薄く切るのよ、アヌーン」

「まるで焼き肉のカルビやハラミみたいな厚さですね、香澄さま」

「んふふ、もちろん焼いて食べるわけじゃないのよ。スジとかあるけど、外さないでこのまま使うからね」


 この時点で香澄が何を作るか、みやびも麻子も嫁達も気付いている。板額家の限定メニュー、コンビーフだと。缶詰でお馴染みだけど、香澄の家は手作りするのだ。


「切った肉に塩と胡椒を振って揉み込んで、味を馴染ませるのに三日ほど寝かせます。それをことこと四時間ほど煮込んで、肉と煮汁を分けるの」


 煮込んで分けたやつがこちらですと、肉と一緒に出してもらった鍋の蓋を取る香澄先生。まるでお料理番組の段取りねと、思わず手を叩いて笑う瑞穂さん。作るのは難しくないけど、完成まで時間がかかるお料理番組ではありがち。

 香澄は分けた煮汁の入る鍋を火にかけた。肉の旨みがたっぷりの煮汁には、ゼラチン質が溶け出している。


「つまり冷めると固まるのですよね、香澄さま」

「そうよアヌーン、固まり方が緩ければ粉ゼラチンを足したりするの。次は分けた肉を包丁で細かく叩くわよ」


 そこで香澄の愛妻エアリスの出番。私に任せてと風属性の力で、筋肉繊維をぱぱっとほぐして行く。やり過ぎるとペーストになっちゃうから気を付けてねと、そう言って香澄は次の準備を始める。


「ほぐした肉と温めた煮汁を混ぜ合わせるのだけど、ここから先の工程で使う道具は全部、熱湯にくぐらせて消毒してね」

「その行為にはどんな意味があるのですか? 香澄さま」

「これから型に入れて冷ますのだけど、真空パックにすれば缶詰と同じで、長期保存食になるのよアヌーン。だから雑菌が入らないようにするの」


 職種を問わず、無意味と思えるような作業にも何かしら意味がある。お料理に限って言えばこれは、食中毒を起こさない為の儀式と言えなくもない。長方形の型とヘラを、お湯に放り込む香澄先生である。


「日本で見た缶詰のコンビーフそっくりですぅ、アルネ」

「脂身のない肉を使ってるから、見た感じがもう肉々しいわね、ローレル」


 冷やして固まったコンビーフに包丁を入れ、香澄は五センチ幅で取り出し皿に盛り付けていった。そのまま出しても良さそうなのだが、そこで終らないのが板額香澄という料理人である。


 純粋に味わってほしいからソースの類いは使わず、上にミックスペッパーをあしらっていく。胡椒こしょうと言えばブラックペッパーとホワイトペッパーが頭に思い浮かぶけれど、実はグリーンペッパーやピンクペッパーなんてのもある。茶色いコンビーフが四種類の胡椒で彩られ、リーフレタスを脇にちょちょいと添えて完成。


「コース料理のメインを張ってもおかしくないわよね、ティーナ」

「うんうん美味しいね、カエラ。これをと畜場の関係者が知ったら大喜びじゃないかしら」


 ネックとスネはと畜場も煮込み用に販売はしているが、日によって売れ行きが悪いこともある。そこはジョシュアと畜場の責任者の娘、保存食として加工すれば鮮度を気にせず売りさばけると鼻息が荒い。


「そう言えばコンビーフを手作りするようになった切っ掛け、聞いたことがなかったわね、香澄」

「そうだっけ? みや坊、たいした話しじゃないのよ。コンビーフを使った惣菜パンやサンドイッチを、板額ベーカリーで売り出そうかって話が家族で持ち上がったの」


 充分たいした話しじゃないのよと、みやびも麻子もコンビーフをひょいぱく。こり

ゃ酒の肴にも良いなと、パラッツォもブラドもフォークが止まらないご様子。


「スパムもそうなんだけど、市販のコンビーフってお高いじゃない。それで取引先の精肉業者に相談したのがきっかけかな」

「ふむふむ、それで実際に商品化したわけね、香澄」

「それがですね麻子殿、世の中ままならないものでして」


 板額ベーカリで販売している、サンドイッチと惣菜パンの売れ筋ランキング、じゃじゃーん!


 一位:タマゴサンド/焼きそばパン。

 二位:ハムレタスチーズサンド/カレーパン。

 三位:ツナマヨサンド/コロッケパン、同率でハンバーグパン。

 四位:BLT(ベーコンレタストマト)/チーズピザコロネ。

 五位:ハムチーズサンド/トンカツパン。

 六位:ポテトサラダサンド/照り焼きチキンパン。


 ハンバーグとか照り焼きチキンとか、サンドイッチにすれば良いものをと思われるかもしれない。だが板額ベーカリーはバゲットを縦に切って開き、間に具材をぎゅうぎゅうに詰めて挟むのだ。

 それも分類上はサンドイッチと言えるが、紙袋から引っ張り出してかぶりつける点で惣菜パンとしている。実際に近くの男子高校生やガテン系の職人さんが、良く訪れ購入していく。


「つまり売れ筋ランキング上位には入らなかったと? 香澄殿」

「お値段は低く抑えられたんだけどね、麻子。日本人のコンビーフに対する意識が薄い、そんなとこかなぁ。これ好きって、ファンになってくれた人もいたんだけどね」


 ありゃまあと、眉を八の字にするみやびと麻子。だがそれでお蔵入りになったかと思いきや、別の問題が浮上しちゃったと香澄が頬をぽりぽりと掻く。

 ほぐしたコンビーフ入りのポテサラサンドとか、コンビーフ入りオムレツサンドとか、そっちに人気が出ちゃったんだとか。もちろん値段はお安く設定されており、お客さんも手に取りやすいわけで。


「つまり手作りコンビーフ、止めるに止められなくなったんだ」

「まあそういう事ね、みや坊。でも家族で試行錯誤を重ねた味、これをぶ厚く切って思う存分食べられるのが、我が家の限定メニューね」


 高タンパクで低脂肪だしと付け加え、尻尾を振るワンコ状態の常連たちに切り分けていく香澄。そこへお待ちくださいとアヌーンが、ずずいと話の輪に入って来た。


「お話しを聞く限り、コンビーフを使ったポテトサラダやオムレツといったレシピがあるのですよね」

「そりゃいっぱいあるわよ、アヌーン。極め付けはほぐしたコンビーフをご飯に乗せて生卵を落とした、コンビーフTKGたまごかけごはんとか」


 それを言っちゃったら香澄さん、カウンター席もテーブル席も黙っちゃいないわけでして。アグネスが足りるかしらと炊飯釜の蓋を開け、もう一回炊くようねと妙子さんがすすいと動き出す。


 火鍋に始まり赤と黒のカレー、そこに味噌チャーハンとコンビーフ。次に発行する小冊子はすごいことになりそうと、編集を担当するアルネ組とカエラ組のによによが止まらない。

 そしてこれらの料理は数量限定となるものの、みやび亭本店のお品書きに加わることとなる。美味しいものは皆で共有すべき、そんな常連たちの情熱……もとい食い意地がそうさせたとも言うが。


「みやび、ちょっとアリスを借りていいかしら」

「どこか行くの? フレイ」

「ダイニングルームにあるっていう、ファストフードコーナーを案内して欲しくて」


 みやびがエビデンス城の中だからどうぞと返し、フレイアはアリスに目配せをして席を立つ。それじゃお風呂上がりに火天の間でと、彼女は暖簾をくぐりみやび亭を出て行った。

 誰も不自然には思わなかったけれど、みやびはちゃんと気付いている。案内ならお付きのアルネ組やカエラ組に頼んでも良いはず、ならばアリス個人に用事があるのだろうと。


 ――そしてここはダイニングルームの、ファストフードコーナー。


 ハンバーガーショップのバーガーエンペラー。

 うどんとそばに助六寿司のみやび庵。

 ラーメンショップの麻子軒。

 洋菓子専門店のメリーゴーランド香澄。


 これらを運営するメイド達にも新メニューの噂は届いているようで、アリスが顔を出す先々で問い詰められてしまう。


「人気者ね、アリス」

「いえ、全ては私の蒔いた種ですから」


 二人はトレーを手にテーブルへ着き、食前の祈りを捧げ箸を手に取る。アリスは麻子軒でとんこつラーメンと餃子のセット。フレイアはみやび庵できつねうどんといなり寿司のセット。


 ちなみに牙と一般採用メイドの親族限定ではあるが、ファストフードコーナーでの購入をブラドは認めていた。友人知人から頼まれているのだろうが、夜間にも関わらずバーガーエンペラーとメリーゴーランド香澄に行列が出来ている。


「私を指名した理由をうかがっても?」

「みやびもそうだけど、アリスも勘が鋭いわね」


 お互いにふふっと笑いながら、アリスはとろっとろのチャーシューを、フレイアはジューシーなお揚げを頬張る。休憩に入った守備隊員と牙たちが遠巻きに、何で二人がここにいるんだろうと首を捻っているが。


「精霊が聖獣を生み出すように、悪しき信仰でも聖獣を生み出せる。そうでしょアリス、原理としては可能なはず」

「確かに、でもその場合は聖獣と呼べませんね。敢えて言うなら破壊獣でしょうか、フレイアさま」

「六属性持ちだったら強敵になると思わない? 単純に万能属性攻撃でぶっ叩くってわけにはいかないでしょう」


 魔力量のキャパは置いといて、アリスがみやびとガチ勝負したらどうなるか。まったく想像できないわと、フレイアはいなり寿司を頬張る。まさかアンドロメダ共同体にそんな隠し球がと、眉をひそめ餃子を頬張るアリス。


「心の泡立ちで感じるのよ、みやびはそれを危惧してるって。いつも通りに振る舞ってはいるけれど、ファフニールも気付いてるはずだわ」


 傍から見れば万能で無敵に思えるみやびだが、同等の性能を持つ相手には決定打が無い。お姉ちゃんどうするんだろうと、箸が止まってしまうアリスであった。

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