第649話 ヨハンとレベッカの決断

 あのビビリ具合は何だったんだろうかと思えるほど、上機嫌でバニラアイスを頬張るヨハン君。アリスがしてやったりの顔で、彼にお冷やを注いであげている。

 赤カレーと黒カレーを完食した相棒に笑みを浮かべながら、レベッカがちょっと相談に乗ってもらえないかと切り出した。


「それは私たちにってことかしら、レベッカ」

「みんな揃ってるからこそ聞いて欲しいんだ、みやび殿」


 メイド達は新レシピをゲットし、ひゃっほうとエビデンス城へ戻って行った。よってダイニングキッチンに今いるのは、ヨハン組を除きみやびファミリーだけ。レベッカの相談とは、ファミリーのみんなにって事なんだろう。


「実はヘットとラメドから、スオンの申し入れがあった」

「あらおめでとう、良かったじゃないレベッカ」

「簡単に言ってくれるなよ、フレイア殿」


 羊飼いの兄妹はとうとう行動に出たかと、事情を知るアウト・ロウの面々がバニラアイスを口に入れた。みやびとの重婚に悩んでいた彼ら彼女らに、決意を促したのがヘットとラメドなのだ。

 受け入れるべきとアウト・ロウ達は思っているけれど、そこは首都ビュカレストの守備隊長だ。パラッツォの後継として次の竜騎士団長って噂もあるし、口出しはちょっとはばかられる。


「ヨハン君はどう思っているのかしら」

「そうねみや坊、ヨハンの気持ちを聞きたいわ」


 帝国伯のみやびと君主ファフニールに尋ねられ、ヨハン君は手にしたスプーンをグラスカップにかちゃりと置いた。愛妻レベッカをチラリと見たけれど、彼には彼なりの想いがあるようだ。


「バウアー家を再興しオアナの町を復活させる、子供の頃から思い描いた夢は達成しました。でも生きるって、更なる夢を追い求めることなんですよね。それを教えてくれたのはラングリーフィン、貴方です」


 私そんな偉そうなこと言ったっけと、思わず破顔してしまう任侠大精霊さま。

 でもヨハン君は真顔で返す、言葉ではなく行動で示してくれましたと。いくつもの戦場を共にし、ずっと見てきましたからと。

 既に二人で何度も話し合ったのだろう。ヨハン君の紡ぎ出す発露に、レベッカは口を挟む事なく静かに聞き入っている。


「僕は戦争孤児でしたから、教会の子供達が家族でした。ヘットとラメドは僕らのお屋敷で、ハウスキーパーもこなしてくれます。身分とか出自なんて関係ない、もう僕にとって二人は家族なんです。だから本当の家族になって、精霊になって、永劫の時を一緒に過ごしたい」


 宇宙の羊飼いかしらと微笑むファフニールに、迷える子羊を救う羊飼いですと瞳を輝かせるヨハン君。こりゃ本物だと、誰もがそう思ったに違いない。いいじゃないとフレイアが目を細め、うんうんと相槌を打つみやびとファフニールである。


「レベッカが戸惑っているのは、ある種の貞操観念でわだかまりがあるからよね」

「その通りなんだフレイア殿、だから参ってる」

「スオンは相手の性別を問わないでしょ、レベッカ。だからハーレムも逆ハーレムもないの、血の交換をした時点で家族になるのよ」


 理屈では分かっちゃいるんだけどと、ぼやきながら眉を八の字にするレベッカ。アウト・ロウの面々も、その気持ちはよく分かっている。二人だけの純愛ってのが頭から抜けず、それで悩んだわけだから。


「儀式が急ではジェラルド大司教に、また迷惑かけちゃうわね、ファニー」

「そうねみや坊、日取りは前もって決めといた方がいいわ」

「ちょ、待ってくれ、私はまだ何も」


 慌てるレベッカをよそに、日程を決め始めるみやびとファフニール。ヨハン君も宇宙の羊飼いになるなら、早く六属性を揃えなさいと釘を刺すのも忘れない。こりゃ二人とも、決断する時が来たようだ。


「ところでオルファ、巫女戦記なんだが」

「何か不都合でも? レベッカ隊長」

「その……何だ。私とヨハンが剣でスオンを決めたくだり、何とかならないか? 恥ずかしくて」


 何を仰るうさぎさんと言わんばかりに、アウト・ロウの全員が揃ってブーイング。本人が羞恥心を覚えるエピソードこそ、読者にとっては最高の燃料投下と異口同音。

 私だって敬称の付け方で、みや坊とドンパチやったくだりが恥ずかしいと、遠い目をする君主ファフニール。そんなこともあったわねと、みやびが手を叩きころころと笑ってしまう。


「ところでオルファ、ここまで緻密な情報をよく集められたな。出所はいったいどこなんだ?」

「申し訳ありませんが、情報提供者の詮索はマナー違反ですよ、レベッカ隊長」


 ああん? とオルファに半眼を向けるレベッカだが、みやびもファフニールも分かっている。あの子ですあの子、歩くスピーカー以外に誰がいますか。


 ――場所は変わってこちらはエビデンス城の調理場。


 夜になればみやび亭本店となる訳だが、スプーンを手にした妙子さんがカタカタ震えていた。目の前にあるのは、真っ赤なカレーと真っ黒なカレー。


「ほ、ほほほ、本当に辛くないのよね、あなた達」

「嘘ではありません、ブルク・グラーフィン城伯婦人。あのヨハンさまが美味しいと完食なされたのですから」


 ちらりと入り口に視線を向ける妙子さんだが、エレオノーラとシモンヌが退路を塞ぎ、逃がしませんよとによによしている。窓を見やればサルサとアヌーン、牡丹ぼたん菖蒲あやめあおいが、まさか窓から逃げようなんて思ってませんよねと人間バリケード。


 いま調理場で一番地位の高い妙子が口にしてくれないと、みんな試食が出来ないのだ。シェアハウスのメイドチームが鍋で持ち帰った、カレーを食べてみたくてジレてるとも言う。

 栄養科三人組から指導を受けてる中での試食はセーフなんだけど、この場合はそうも行かない。妙子さんが先という身分の明確な線引きがあって、口に入れてくれるのを彼女らは待っているのだ。


「みんなどうかしたの? うわ妙子さま、何その赤いのと黒いの」

「ちょうど良いところへ、アグネスさま。これを試食してみて下さいな」


 パラッツォの愛妻であるマルク・グラーフィン辺境伯婦人、アグネスの登場である。ただし前述のルールに変わりはなく、妙子さんとアグネスの二人が口にしなきゃ話しは同じ、むしろハードルが上がった気がしないでもない。


「ここ、これがカレーなのですか? 妙子さま」

「みたいです、アグネスさま。辛くはないという話しですが」

「溶岩と液状にした噴煙にしか見えないのですけど」


 はい、アグネスさんに座布団一枚。

 そろそろ覚悟を決めて下さいませと、みんなが入り口と窓を閉め鍵をかけちゃった。ちょいと君達よ、その行動に身分差は関係ないのね。

 人生の岐路に立たされたような顔で、スプーンを差し入れる妙子さんとアグネス。その後お代わりが不可避で賑わっちゃう、調理場の赤と黒タイムであった。


 ――そして夜のみやび亭本店。


「公開してない我が家のレシピ? サルサ」

「そうです麻子さま、何かあるのでしたらお聞かせ下さい」


 サルサとアヌーン、牡丹ぼたん菖蒲あやめあおいが、そしてエレオノーラとシモンヌも、ワクワク顔だよ。隅っこでアリスが人知れず、麻子さまごめんなさいと手を合わせていたりして。


「うちの、塚原家の限定メニューと言えば……味噌チャーハンかな」

「チャーハンに味噌を使うのですか!?」

「ただの味噌じゃないわよ、サルサ。我が家オリジナルなの」


 何それ食べてみたいと、店内が騒然となってしまう。

 フレイアはまだだが、食べた事がある栄養科三人組と嫁達が、あれは美味しいわよねと頬を緩ませた。これにはアルネ組とカエラ組も寝耳に水だったようで、それ詳しく教えて下さいと本気モードに。


 しゃあないと麻子が棚から出した一斗缶は、味噌ラーメンに使う調味味噌。

 ニンニクとショウガをみじん切りにして、輪切り唐辛子と一緒にごま油で炒める。それを油ごと合わせ味噌に練り込み、一斗缶の中で熟成させたものだ。

 飲んだ後の〆として味噌ラーメンを注文する常連も多く、みやび亭本店ではいつも常備している味噌ラーメンスープの素。


 もちろん作り方はメイド達にも伝授されており、お馴染みの調味味噌と言える。

 これをおにぎりに塗って焼くと絶品なのよね、なーんて話しをエレオノーラとシモンヌが始め、それには激しく同意ですとキッチンスタッフが声を揃えた。


 いやまて初耳なんだがとカウンターの隅で、パラッツォとブラドが物欲しそうな顔をしちゃってるよ。後で作ってあげますからと妙子さんが、本日お勧めの肉豆腐を置いて行った。


「この調味味噌にね、醤油と日本酒に豆板醤をちょびっと入れて伸ばすの。出来上がった味噌ダレが炒飯一人前に対し、大さじ半分を意識してね、みんな」


 麻子の解説に聞き入る、キッチンスタッフの面々。

 そして溶き卵とご飯が入る中華鍋が躍動を始め、カコンカコンと小気味よいおたまの音がリズムを刻む。具材は刻んだネギだけと至ってシンプルなんだが、漂ってくる香りが胃袋を直撃してくれやがります。


「麻子さま、炒飯なら一気に仕上げるのでは? どうして中華鍋を止めたのでしょうか」

「ほんのちょっと焦がして風味付けするのよ、サルサ」


 味噌も醤油もネギも、わざと焦がした時の香ばしさ、その悪魔的な魅力は誰でも知っている。程よくうっすら焦げ目が付いた所で、再び中華鍋が踊り出し、おたまが心地よいリズムを奏でて行く。

 ノリノリの麻子と漂う良い匂いに、これは絶対美味しいやつだと、カウンター席もテーブル席も期待が膨らむと言うもの。元となった調味味噌にはニンニクとショウガを利かせてあるから、どっちかって言うとガテン系の男飯なんだけどね。


「はい、焦がしネギ味噌チャーハンの出来上がり、皆さん召しあーがれ!」


 常連はもちろん、入店していた守備隊や牙にも振る舞われた味噌チャーハン。結果は予想通りで、これはお品書きに入れるべきとの声が相次ぐ。


「そう言えば東天酒家麻子の実家のメニューには無いよね、麻子。何か理由があるの?」

「あはは、これは中華じゃないってね、父さんのこだわりがあるのだよ、香澄殿」


 こんな美味しいのにねと、顔を見合わせるアルネ組とカエラ組。でも作り方は覚えたでしょと、人差し指を立ててにっこり微笑む麻子先生であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る