第648話 蓮沼家の赤と黒
――ここはアウト・ロウのシェアハウス。
みやびがファミリーの十二人に、虹色指輪を手渡していた。通信機能とみやびの元へ瞬間転移できる、ダイヤモンドも付いている。アンドロメダ共同体の本拠地でドンパチやるならば、精霊化の際に全員を集めたいからだ。
無敵の任侠大精霊にそこまでの場面が訪れるだろうかと、ファフニールにフレイアはもちろん、みんなそう思ったに違いない。けれどみやびは虫の知らせと言うか、何か良からぬ事が起きそうな予感がしていたのだ。
「はいオルファ、これはメライヤの分よ。目覚めたら渡してあげて」
「お預かりします、ラングリーフィン。ビュカレストにはしばらく滞在されるのでしょうか」
「他人行儀なのはめっ!」
「す、すまない、つい習慣で。気を付けるよみやび」
「んふふ、滞在と言うかメライヤの起床待ちよ」
アンドロメダに戻り敵の本拠地へ赴く際、メライヤとの精霊化も試したいとみやびは考えていた。宇宙で生身の船外活動は二十五分に伸びたのだー! と、メアドが我が事のように自慢していたからだが。
単身で敵艦隊に突っ込み、至近距離から粒子砲を撃ちまくる。電子戦で敵の祭壇を乗っ取り、白旗揚げなきゃブラックホールにポイだ。
「ところでオルファ、みんな集まってるからこそ聞いてみたいのだけど」
「なんだいドーリス、妙に改まって」
今ここにいるのは、みやびファミリーの面子だけ。ドーリスが口角を上げ竪琴をポロンと鳴らし、ファ・ラ・ドのFコードが室内に響き渡った。なんかもったいぶってるわねと、絵描きのジーラに彫刻家のアンジーが顔を見合わせている。
アリスがみんなの湯呑みに緑茶を注いで回る。お茶菓子はなんと、わさび煎餅に唐辛子煎餅だったりして。眠気覚ましも兼ねるのか、高速道路の売店でたまに見かけるやつ。それをみやびが竜族向けに、激辛でアレンジしたもの。
「メライヤのさ」
「メライアの、何だい? ドーリス」
「血のお味ってどうなの」
「ぶふぉっ」
盛大に緑茶を吹き出すオルファに、大丈夫ですかぁとおしぼりを渡すアリス。
酸素を鉄ではなく銅で供給しているアメロン星人だ、それは興味あるねとファミリーみんなの目がキラリン。さあどうするオルファどう答える、全員の視線が集まっちゃってるぞ。
「みやびを鰹出汁に例えるなら、メライヤは昆布出汁かな、ドーリス」
「作家らしい表現をありがとう、オルファ。でも何言ってるのかよく分からない」
半眼でポロンと不協和音を奏でるドーリスに、ダイニングキッチンがどっと笑いに包まれた。まあオルファからすれば、甲乙付け難くどちらも美味しいってことなんだろうけど。
でもさでもさと、みやびがテーブルをぺしぺし叩く。私から言わせてもらうと、みんなだって微妙に風味が違うと。それは興味深いわねと、フレイアがわさび煎餅をぱりりと頬張った。
「料理人の舌を持つからこそ、微かな違いに気付くのでしょうね、みやび。ちなみに私はどんなフレーバーなのかしら」
「フレイはそうね……シナモンの風味があるわ。ファニーはね、バニラがうっすらと香るの」
ますます分かりませんと、眉を八の字にするアウト・ロウの面々。
でもドーリスはクローブ、ジーナはカルダモン、アンジーはナツメグ、オルファはスターアニスよと、指折り数えていく任侠大精霊さま。
お昼はカレーでデザートにバニラアイスかしらと、顔を見合わせるファフニールとアリス。出て来た香辛料でカレーが頭に思い浮かんじゃう辺りは、もはや職業病ねと眉尻を下げるお二人さんである。
そこへ扉のベルがチリンと鳴りこんにちわと顔を出したのは、昼食の準備にやって来たメイド達であった。アリスがちょいちょいとメイドらを手招きし、キッチンで作戦会議を始めちゃう。
何と奇遇なことに、彼女らもカレーにするつもりだったらしい。運び込まれた食材の数々を吟味するアリスが、むふんと笑い人差し指を立てた。
「艦めしカレーにしましょうか」
「あの、アリスさま、それはどんなカレーなのでしょうか」
きょとんとするメイド達。
そりゃ無理もない、みやび亭でも城のダイニングルームでも、今まで出したことがない蓮沼家の限定カレーですゆえ。
海上自衛隊には潜水艦や掃海艇を含む護衛艦全てに、個々のカレーレシピが存在する。それは母港となる基地や航空隊の食堂も同じで、いったいどんだけレシピがあるのやら。
護衛艦『いせ』のちりめんカレーとか。護衛艦『かが』のポテバターチキンのトマトカレーとか。掃海艇『ちちじま』の牛筋カレー&コーヒーライスとか。ちょっと何それ食べてみたい、聞き捨てならないってのがある訳でして。
海自出身の黒田が当時を懐かしみ、みやびに再現をお願いしたのがきっかけではある。更に男衆の好みを取り入れアレンジを加え、そうして蓮沼艦めしカレーは生まれたのだ。
「小冊子には掲載されてないのですよね、アリスさま」
「もちろんです、皆さんこの機会に覚えてみませんか?」
メイド達が是非お願いしますと、首を縦にぶんぶん振った。
本格インドカレーはもちろん、タイ式グリーンカレーに欧風カレー、学校給食カレーからドライカレーに至るまで、頭にはしっかり入っている。けれど自ら創作料理として、カレーをアレンジした事は無いのだ。良い経験になりますよと、にっこり微笑むアリス先生である。
蓮沼家の艦めしカレーは二種類あって、赤と黒。
赤カレーはその名の通り、見た目が真っ赤で辛そうなんだけど、実はマイルドなカレーだったりして。その秘密は素材に
基本は辛み成分がない、三種類のスパイスを用いる。エスニックな芳香を持つクミン、甘くスパイシーな風味を持つコリアンダー、鮮やかな黄色のターメリック。唐辛子をはじめとした辛み香辛料を、苦手とするお子ちゃまには喜ばれる。
黒カレーはイカ墨かと思えるような色合いだけど、もちろんイカ墨ではありまっせん。小麦粉とカレー粉が煙を出して焦げる直前まで、濃い茶色となるよう炒めるのがミソ。これを煮込むとあら不思議、カレーの色が黒くなるのだ。そこに
ここまでが基本の万人向けで、更に発展させるのよと、アリス先生がおたまを四拍子に振った。ペンを手にメモを取るメイドらの、顔がもう真剣そのもの。
クローブ・ナツメグ・シナモンを合わせたような、奥行きのある香りが持ち味のオールスパイス。香りの王様と呼ばれカレーには定番のカルダモン。辛さの元となるチリペッパー。
「この六種類を使いこなせるようになれば、創作カレーの幅がぐっと広がります。色と香りに辛さ、これを意識しながらブレンドして下さいね」
はーいと声を揃え、教わった赤カレーと黒カレーを仕込むメイド達。
胡椒ですら苦手とする小さな子供もいるわけで、既製のカレー粉は使えないとお悩みのお母さんも多いはず。そんな時は辛くない三種類のスパイスを基本にしてねと、念を押すアリス先生である。
「蓮沼家には艦めし和食、艦めし中華、艦めし洋食、そんなのもあるんだけどな」
ついつい呟いてしまったアリス先生。
そりゃ海上自衛隊だって、毎日カレーって訳じゃない。大海原で生活する隊員が、曜日感覚を失わないようにする工夫でもあるのだ。ゆえに金曜日がカレーの日となってるだけで、隊員の腹を満たすメニューは多種多様。
「あの、アリスさま、いまのお話しも小冊子には無いのですよね?」
「あわわ、聞こえちゃったのね、もちろん掲載されておりません」
「ふむふむ、そこまで仰ってまさか……教えないとは言いませんよね」
メイド達に迫られちゃったアリス先生、これは言い逃れできそうもない。結果として新たに場を設け、講習会を開く約束をさせられてしまうのだ。
もしかして麻子さまと香澄さまにも未公開のレシピがあるのではと、メイド達が手を動かしながらそんな話しを始めちゃう。もちろん塚原家と板額家にも独自のレシピがあるわけで、お二人を巻き込んじゃったと額に手をやるアリスの図。
そこへまたドアベルがチリンと鳴り、お邪魔するよと顔を出したのはヨハン君とレベッカであった。エビデンス城でアルネとカエラから、みやびがシェアハウスにいると聞き、市内の巡回がてら立ち寄ったらしい。
席に着いたヨハン君が伸ばした手首を、みやびががっしと握って止めた。彼のその手には、激辛わさび煎餅が摘ままれていたからだ。お隣ではレベッカがこりゃ美味いと、激辛の唐辛子煎餅をポリポリ頬張っているわけだが。
「ラ、ラングリーフィン?」
「食べてもいいけど、きっと後悔するわよ」
顔は笑っているが目が笑っていないみやびに、全てを察したヨハン君。見た目で分かるようにして下さいよと、へにゃりと笑いわさび煎餅を指から離す。
唐辛子煎餅は表面にチリパウダーを
「良い匂いがするな、みやび殿」
「アリスの指導でね、ちょっと変わったカレーを仕込んでいるの。ヨハン君もレベッカも、一緒に食べていくといいわ」
「そいつは有り難い、ごちになるか、ヨハン」
「でも辛さが気になるよ、レベッカ」
そこへ出て来たのは真っ赤と真っ黒、二種類のカレーである。こいつは珍しいなと目を細めるレベッカに、ひえぇと腰が引けてしまうヨハン君。
もちろん彼の分にはチリペッパーを使っていないのだが、見た目のインパクトはやっぱりすごい。直前に煎餅の件があったから、尚更ではある。
「辛くはありませんよ、ヨハンさま。先入観を取り払い、無心で食すのです」
「ほ、ほんとだよね、アリス」
いいから黙って食えと、スプーンをヨハン君にぐりぐり押しつけるアリスの図。骨は拾ってやると、全くフォローになってない言葉をかける愛妻レベッカであった。
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