第646話 蓮沼家で自動車談義

 マクシミリアとサッチェスをアメロン船団に送り届け、蓮沼家へと移動したみやび達。お料理をする事に変わりは無いけれど、アンドロメダ銀河へ戻る前の気晴らしと言うか息抜きである。


 ご褒美ってことで墓荒らしに同行した、メイド五人も連れてきていた。

 ここが噂に聞く日本なんですねと、興味津々の一般採用メイド達。初期からいる古参だから近衛隊とも顔馴染みですゆえ、非番の近衛隊メンバーが東京見学に連れ出して行った。行き先は多分、庶民の台所である大川通り商店街だろう。


 ――そしてここは蓮沼家、夜の母屋。


 相変わらず高齢ドライバーの事故が絶えませんねと、京子さんが読んでいた夕刊をたたんで脇に置いた。彼女の愛車はバリバリのラリー仕様、ランサー・エボリューション最終型だ。当然マニュアル車で足下には左から、クラッチ、ブレーキ、アクセルと、三つのペダルが並ぶ。


「平成七年まではオートマ免許なんかなくてよ、みんなクラッチ操作が必要なマニュアル免許を取ったんだよな、源三郎」

「そうですね会長正三、むしろマニュアルだから操作を間違えようがなかった」


 慣れれば二速発進も出来るが三速や四速ギアで発進しようとすれば、エンスト即ちエンジン停止となる。街中でやっちゃうと恥ずかしいですよねと、男衆がへにゃりと笑う。はいはい、みんな覚えがあるようで。

 昔はアクセルがワイヤー式だったから油切れなんかの理由で、アクセルが戻らない故障もあったなと、経験があるのか源三郎さんが当時を懐かしむ。


「そういう時はどうするの? 源三郎さん」

「クラッチ切ってフットブレーキ踏むだけですよ、お嬢さん。オートマだったらギアをニュートラルに抜けばいいんです」

 

 そんな会話の中、近頃は足下にサイドブレーキのペダルが付いてる車種もあると、徹が口をへの字に曲げた。あるあると京子さんが頷き、慣れない人だと混乱するわねと同意を示す。


「お父さん、操作ミスで事故に繋がる要因って、どんなものがあるのかしら」


 みやびの問いに徹はブリ大根に箸を伸ばしながら、一番はシフトレバーだと眉間に皺を寄せた。確かにそうだなと顔を見合わせる、昭和の時代に免許を取った男衆。


「シフトレバーがスティックになってるやつね? 徹さん。私もあれには戸惑うわ」

「どういうこと? お義母京子さん」


 それはねと京子さんは、手にしていたしゃもじをを縦に振った。尚おひつに入っているのは、香澄が手がけた鶏肉とシメジの炊き込みご飯だ。


「オートマはシフトが縦にスライドする方式が標準で、上からP・R・N・D・2・Lの順に並ぶでしょ、みやちゃん」


 Pはパーキングで、駐車した時にギアがロックされる。

 Rはバックギア。

 Nはニュートラルで、ギアがどこにも入っていない状態。ただしロックされていないから、ブレーキを踏んでないと傾斜がある場所では車が動いてしまうので要注意。

 Dはドライブで、車が走行状態に応じクラッチ操作をしなくても、自動でギアチェンジしてくれる。これこそオートマのオートマたる所以ゆえん

 2は2速のレンジ、セカンドギアのこと。登坂力が必要な場面等でギアを2速に固定してくれるし、エンジンブレーキを効かせたい時にも使われる。

 Lは1速のローギアを指し、こちらもエンジンブレーキが主な用途だ。


 ところがスティック方式のシフトは、慣れないドライバーを悩ませると京子さんは唇を尖らせる。ジグザグのゲート式シフトも増えて来たが、それでもギアがどの位置かはシフトを見れば一目瞭然。しかもドライバーはシフトをどこへ入れたか、手が覚えてるものよと話す。

 比べてスティック式は操作した後、センターの定位置に戻ってしまう。今ギアがどこに入っているかは、メータパネルの表示を見ないと分からず誤操作の元になると。


 Dに入ってると思ってアクセルを踏んだらRだったとか、逆もまたしかり。高齢者に限った問題ではなく、マニュアルや従来タイプのオートマシフトに慣れ親しんだドライバーからすれば扱いにくい。


「最近のオートマ車って、マニュアル車より難しいのかもね、香澄」

「それだとオートマの意味なくない? 麻子」


 言うねぇと笑い出す蓮沼家の面々。

 だが間違ってはいない、マニュアルの煩雑なクラッチ操作を無くし、ドライバーの負担を軽減したのがオートマなのだ。それを難しくしてどうするのかと。


 ちなみに栄養科三人組はマニュアルで運転免許を取得しており、辰江はもちろんアンガスの嫁であるシオンと、山下の嫁であるマルガマルゲリータもそう。蓮沼興産もロマニア食品も、マニュアルの社用車があるからで必然的にそうなった。

 最近オートマのシフトで見かけるBとかMって何かしらと、そんな話題に流れて行く栄養科三人組である。


「黒田のグランドチェロキーにはシフトの一番下にMがあるよな、あれはどんな時に使うんだ?」

「自分がどのギアで走りたいか、任意に選べるレンジがMなんですよ、佐伯さん。まあオートマに於けるマニュアルモードですね」


 グランドチェロキーは八速オートマだからそれは便利よねと、走り屋の京子さんが黒田にお銚子を向けた。こういう話になるとノリがよくなる、みやびのお義母さんである。


 カボチャの煮物を箸で掴んだ桑名が、シフトにBレンジがあるオーナーは使い方を理解してるだろうかと憂い顔。Bをバックと勘違いする人はいないだろうが、使うべき所でちゃんと使わなければ危ないケースもあると話す。


 Bとはエンジンブレーキのことであり、ハイブリッド車に搭載される機能だ。長い下り坂などアクセルを踏んでいなくても、速度が上がってしまう場合に用いる。


 普通の車はギアをシフトダウンすれば、エンジンブレーキが働きタイヤに制動がかかる。ところが変速ギアを持たないハイブリッド車だと、シフトダウンによるエンジンブレーキという概念がそもそも無い。そこで制動をかけるモードとして、Bレンジが採用されているわけだ。


「Bレンジはどんなシチュエーションで使うの? 桑名さん」

「それはね、峠道なんだよみやびちゃん。エンジンブレーキを併用しないと、肝心のフットブレーキが最悪は利かなくなるんだ。そっちの方はむしろ、京子さんの方が詳しいんじゃないですか?」


 桑名のご指名に、フットブレーキの利きが悪くなる要因はふたつあるのよと、京子さんは人差し指と中指を立てた。

 ひとつはべーパーロック現象で、フットブレーキの使い過ぎにより摩擦熱がブレーキフルードに伝わり、ブレーキ液が沸騰して油圧が伝わらなくなる現象。

 もうひとつはフェード現象で、こちらもフットブレーキの使い過ぎでブレーキパッドが高温となり、摩擦材の熱分解で発生したガス膜が制動力を低下させる現象。


「峠道で特に長い下り坂だと、ドライバーは無意識のうちにシフトダウンして、エンジンブレーキを併用してるはずよ、みやちゃん」

「それじゃBレンジがある車で、使い方を知らない人が峠道に行ったら危ないのね、お義母さん」


 実際にそれで道路から外れ転落する事故が起きていますと、山下が熱燗を口に含んだ。台風の影響か急激に気温が下がったので、今夜の蓮沼家は熱燗である。


 車に個性や独自性はあっても良いけど、操作系がメーカーや車種によって異なるのはどうなんでしょうと、奈央がアジフライに箸を伸ばす。

 Bレンジなんてエンジンブレーキの利きを二段階に分けて、アクセルを踏んでない時は従来シフトの2とLに割り当てれば良いのにと佐伯が言う。ユーザビリティを考えたら確かにその通りで、技術的にも可能なはずと工藤が頷く。

 操作系は各社共通でシンプルがよく、余計なものを独自で新たに追加するのは悪手という結論に達する蓮沼家である。


「正三さんは免許を返納する予定はおありなのかしら」

「わはは、俺が車に乗る時は運転席じゃなくて後部座席ですよ、早苗さんだってそうでしょ」

「んふふ、議員でいる間はね、でもそろそろ考え時かしら」


 高齢ドライバーが起こす事故は、ひとつは操作ミスとそれに伴うパニック、もうひとつは高齢者ゆえの急性疾患だろう。前者は講習や訓練でどうにかなっても、後者は防ぎようがない。

 心不全とか脳卒中とか、運転中に起きたらどうにもならないことは、正三も早苗も言われなくたって重々承知している。

 ちょっとしんみりしちゃった蓮沼家のお茶の間。だが源三郎さんが嬉々として、三人で返納しに行きましょうかと持ちかけ始めた。


 宇宙クルーザーである飛天丸はオートモードだと、進行方向に障害物があれば避けるか止まるし、コントローラーから手を離すと空中で静止する仕様である。事故を起こしようもなく、源三郎さんはみやびに錬成してもらう腹づもりっぽい。


「大気圏からの離脱や再突入も視野に入るの? 源三郎さん」

「いえいえお嬢さん、大気圏内でいいです。大きさも普通乗用車サイズで」

「それならお安いご用だけど」


 このひと言がいけなかった、みんなが自分も欲しいと言い出しちゃったのだ。

 愛妻を同乗させれば系外惑星法で免許は不要。早苗さんにはモムノフさんが護衛に付いてるから、こっちも系外惑星法で通ることになる。


 あんたらはと半眼になる任侠大精霊さまだが、将来は世界中にこの乗り物を普及させる計画ではある。石油資源でもガス資源でもなく、信仰の力によって生み出される魔力を動力源とする乗り物。無公害だし良い宣伝になるわよねと、麻子も香澄も肯定的だったりして。


痛車いたしゃとか、塗装が面倒くさいのは却下ね」

「お嬢さん、それはないっすよ」

「……はい? 工藤さんどんな風にしたいのかしら」

「ネギを手に持つ初音ミクとか」


 悪くないわねと腕を組む麻子と、ツボにはまったのかテーブルの縁をぺしぺし叩く香澄。工藤の愛妻であるミリーアメリアが、それって何なのと首を捻っている。

 床の間では満君とクロヒョウ三兄弟が、団子状態でクースカピーと眠っているお茶の間であった。

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