第619話 混浴の是非
――ここはアマテラス号の男湯。
「あの、フレイアさん、どうしてこっちに」
「ティーナとローレルから、男湯にと言われたのですが、石黒殿」
「いやいやいや、女湯に行った方が自然かと」
「そうなのですか? 高田殿。私はどちらでも構わないのだけれど」
胸の膨らみはそこそこあるし、体の線だって女性らしい。まあ股間には立派な竿も付いてるんだけど。ティーナとローレルは何を考えてと、顔に手をやる石黒と額に手をやる高田。
しかし総長の二号さんだから本人が良いと言えば、雅会メンバーに反論の余地はない。それは居合わせた秀一と豊も同じで、目のやり場に困っている。
ファフニールに切りそろえてもらった髪は腰の高さで、スオンとなったから紫と黒のグラデーションが美しい。そして本人はふんふーんと体を洗い、次いで髪を洗い始めるのだ。それ男性用のトニックシャンプーなんだけどと、顔を見合わせる雅会メンバー達である。
「なあ秀一、女湯に固定してもらうよう、みやびさんに言うべきじゃないかな」
「でもさ豊っち、そしたらメイドさん達とか、救出したアンドロメダの女子とか、何て言うだろう」
「そっか、それこそLGBTだな。彩花と美櫻もどんな反応を示すやら」
「フレイアさんがどんな人か、浸透するまでは男湯がいいのかもね」
「取りあえず女性用のシャンプーとコンディショナー、男湯にも置いてもらおうか」
その人物の人となりが分かっていれば、安心できるし受け入れられる。
だが正体不明の輩がワタシ体は男だけど心は女よと、女子トイレや女子更衣室や女湯へ入って来たらどうなるだろう。性犯罪の温床になりかねないゆえ、LGBTは議論を尽くすべき問題なのだ。
「ふう、すっきりさっぱり!」
「フレイアさん、これどうぞ」
「それは何かしら? 秀一殿」
「イラコ号で生産している牛乳です、風呂上がりにはやっぱこれでしょう」
脱衣所の冷蔵庫には低温殺菌した牛乳が、ミルクピッチャーにいつも入っている。フェイスタオルを首から掛け、腰に手を当て牛乳を一気飲みする、フレイアと秀一に豊の図。ちょいと三人とも、早くおパンツはきなさいって。
――そしてみやび亭アマテラス号支店。
「男湯に入ったのね、フレイ」
「はい、風呂とは中々良いものですね、みやびさま。エピフォン号では桶に汲んだ水を、ただ掛け流すだけでしたから」
出汁巻き卵をことりと置くみやびに、待ってましたとフォークを手に取るゴンゾーラ族の竜。ファフニールの好物がきんぴらごぼうであるように、フレイアは出汁巻き卵が大のお気に入り。ひょいぱく頬張り、むふんと目を細めている。
「まるで江戸時代より昔の日本だね、香澄」
「そうそう、桶に汲んだ水で行水だったんだよね、麻子」
日本人に毎日入浴する習慣ができたのは、銭湯が普及し始めた江戸時代のころ。各家庭にお風呂が備わったのは、実は明治も大正も通り越して昭和に入ってからだったりする。
それに伴い銭湯は減少していくわけなんだが、地域に於けるコミュニケーションの場でもあったから、何とも寂しい限り。
ここで大事なお知らせをひとつ。
みやびは小学生の時分から、麻子と香澄は中学一年生から、蓮沼銭湯を利用していた。三人とも蓮沼組任侠チームとの混浴には、すっかり慣れている。
組員たちも組長の孫とご学友に変な事をすれば、指を詰めて組を破門となるから節度ある混浴となる。もとより将来の姐さんとなるみやびを、任侠たちは敬い慈しんだのだ。
つまり栄養科三人組はフレイアが、男湯に行こうと女湯に行こうと気にしちゃいない。リンド族も性欲は血の交換だから、やっぱり気にしてない。でも気にしちゃう人が、カウンター席には何人かいる訳で。
「フレイアさんと一緒に入ったんだ、秀一」
「そうだけど、豊っちと三人で牛乳も飲んだよ、美櫻」
「それで、舐め回すように見たわけ? 豊っち」
「待てよ彩花、見たけど見てない」
秀一よそこじゃないだろう、豊も語彙を増やせ。二人ともいやらしい目では見てないのだが、美櫻と彩花には伝わっておらず、ジト目を向けられてしまう。だがここでフレイア専用の浴室なんて話しになると、それこそ差別に繋がるからよろしくない。
「ここから進展すると嬉しいのですぅ、ティーナ」
「もうひと押しかしらね、ローレル」
暗躍するキューピット二人がむふんと笑い、秀一たちに生ビールを置いて行く。そして話しを聞いていた黄緑色の子は花を咲かせ、マーメイドは足下にウロコを落としちゃう。
「わ、私も男湯に行ってみたいです、ポリタニアは?」
「奇遇ねホムラ、私もそう思っていたところよ」
ちょっとこの二人を何とかしてと、青い人が箸を落としそうになった。そこで任侠大精霊さまは顎に人差し指を当て、暗黒宇宙を見上げるのだ。頭を右に、そして左に振る。
「女湯はそのままに、男湯は廃止して混浴にしようかしら」
「あの、すみません、それはお嬢さんも男湯に来るって事でしょうか」
「ダメなの? 石黒さん」
陸に揚げられた魚みたいに、口をパクパクさせる石黒。思わず生ビールを吹き出してしまう高田に、箸からタクアンが落ちた飯塚。アリスが大丈夫ですかぁと、ふよふよ浮きながら高田におしぼりを手渡している。
みやびの案は女性の安全を守りつつ、ジェンダーレスとするなら最適解かも知れない。実際に高速道路で渋滞が起きれば、パーキングエリアもサービスエリアも男子トイレは自然に共用と化すのだ。
やましい心を持って女子トイレへ侵入しようとする輩に、男子トイレの共用はこの上ない歯止めとなるだろう。
男女共用の一辺倒ではなく、女子専用は確保する。全国の自治体は公共施設に配慮すべきで、何でもかんでも男女共用にする県知事は、スカポンタンのスットコドッコイであろう。
見せて減るもんじゃないしと麻子が、むしろ
希望があれば醤油味と塩味の鶏唐揚げもありますよと、一般採用メイドがくるくると立ち働く。サラダバーには行列ができ、欠食児童だったリリム達もトングを手に、あれやこれやと皿に盛る。
ドレッシングは五種類あって、どれにしようかと彼ら彼女らは悩んでしまう。甘いインド式、サウザンアイランド、シンプルにフレンチ、いや青ジソも捨てがたく、ゴマだれもいいよねと。
「みやびさま、私もアウト・ロウと呼ばれる十二人に会いたいのですが」
「嫉妬とか焼きもちとか起こさない? フレイ」
「まさか、そんな感情は自らを醜くするだけ。だからファフニールさまも私を受け入れてくれたのでしょう?」
「そうねフレイア、私は貴方と良き友人、良き家族になりたいと思っているわ」
ジョッキをこつんとぶつけ合うファフニールとフレイア。これが自然体の大人対応なんだと感じ入り、秀一たちもジョッキをぶつけ合う。
そこへすかさずティーナとローレルが秀一たちに、アボカドとオクラに千切りショウガを散らしたサラダを並べて行く。
トマトソースで爽やかに演出しちゃいるが、それ男性にとっては精力剤に等しいのだけど。ウナギの蒲焼きを精力レベル四とするならば、アボカドにオクラとショウガの組み合わせはレベル五である。
――そして閉店後。
お座敷テーブルでみやびが紙にペンを走らせ、ファフニールとフレイアがそれを眺めていた。みやびが書いているのは、アウト・ロウの一覧表だ。
ドーリスは竪琴奏者、気持ちを和音で表すが、口を開けば結構な毒舌。カレンはギター奏者で、ジュピターは横笛奏者。
常に行動を共にしている訳ではないが、声が綺麗な声楽のマドラもいる。この四人が吟遊詩人ユニットであり、ビュカレストの市場では市民から愛されているリンド。
ジーナは画家で、個展を開けるほどの才能を持つ。エビデンス城には彼女が手がけた油絵がいくつも飾られており、特にカップルが持つ雰囲気の表現には唸らされるものがある。ファフニールが椅子に座り傍らにみやびが立つ絵は、一般採用メイドにステキとため息をつかせるほど。
アンジーは彫刻家、栄養科三人組と妙子さんの裸婦像を制作した張本人。銅像は完成しているが、みやび達が生きている間は亜空間倉庫にある秘密部屋の中。今はパラッツォの銅像に取りかかっているようだが、髭もじゃにしようか髭を剃った顔にしようかで、悩んでいるもよう。
「みやびさま、この売れない恋愛小説家って何ですか?」
「そういう人もいるのよ、フレイ」
はにゃんと笑うみやびとファフニール。
オルファの事なんだが、書く文章は至ってまとも。だが恋愛経験が無いのに、恋愛小説を書こうってのが間違ってる。そんなわけでみやびは日本のライトノベル小説を読めと、彼にラブコメを五十冊ほど買い与えていた。
「あの、すみません、みやびさん」
「あら秀一さん、豊っちまで、どうかしたの?」
「眠れないんだよな、秀一」
「そうなんです、ちょっと甲板をランニングしてもいいかな」
みやび亭の閉店後は、緊急事態でもない限り朝まで自由時間だ。どうぞと返すみやびに、秀一と豊は揃って走り出した。
キッチンで後片付けをしていたティーナとローレルが、チッと舌打ちをする。そのまま美櫻と彩花の部屋へ突入すれば良いものをと。二人の暗躍がヒートアップしそうで、ちょいと心配である。
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