第603話 マーメイドの星(1)

 ――ここはエル・シャダイに教えてもらった海の惑星。


 やっぱり船は水に浮かんでこそよねと、甲板で釣り糸を垂らす栄養科三人組と嫁たち、アルネ組とカエラ組に秀一チームである。


 宇宙船は平底で喫水線を持たず、ホバリングしながら海面に浸かっているだけ。海水であれば真水だけでなく、マグネシウムにカリウム、ナトリウムにカルシウムが手に入る。反重力ドライブが分解し蓄えている最中で、レクレーションを兼ねたほんの時間つぶし。


 海水に含まれる微量ミネラルは、人間にとっても植物にとっても必須栄養素。特にマグネシウムはお豆腐を固めるにがり・・・なわけで、栄養科三人組にとっては正に恵みの惑星だったりする。


「キラー艦隊は海水だけ汲んで離れたみたいね、麻子」

「軍人は漁師じゃないからね、香澄。捕り方も調理法も知らないって言うか、ジェシカ領事に聞いたら食用としての認識が無かったみたい」


 そりゃまたもったいないと、メタルジグでバーチカルジギングをしていた香澄に何かがドカンとヒット。思いっきり走るあたり、背の青い魚だろう。

 甲板の反対側で、サンドクラブの身を使ったエサ釣りの美櫻にもヒット。香澄も美櫻も手に持つ竿が、見事な弧を描いている。

 よっしゃでかしたとタモ網を手に、駆け寄るジェシカとメライヤ。リール竿の使い方がよく分からず見学に回っていたが、ご相伴に預かれるならと積極的である。メアドもいいぞがんばれと声援を飛ばし、甲板が一気に活況を呈す。


 反重力ドライブによる資源の抽出が終われば、みやびと香澄にアリスは海底都市へ向かう。他のメンバーは僅かに存在する小島の、調査へ出かける事になっていた。魚介類の補給基地として、この星に駅を作るかどうかの重要な見極めだ。


「カンパチならぬカンロク? みや坊」

「頭の模様が漢字の八じゃなくて六よね、ファニー」

「美櫻さんの魚も尻尾にまだら模様があるだけで、マダイよねアルネ」

「体表にあるコバルトブルーの点々、どう見てもマダイだわカエラ」


 では早速下ろしましょうと、待機していた一般採用メイドがキッチンに運んで行った。またお寿司が食べられるかなと、ついついニヤけてしまうメライヤ領事とジェシカ領事である。


「惑星を釣っちゃったかな、秀一」

「根掛かりしたと、正直に言いなよ豊っち」


 ああん? と半眼を向ける豊に、ふふんと笑う秀一。

 根掛かりとは釣り針が水底の、岩や海藻に引っかかっちゃうこと。釣りではよくある事だから、洒落で地球を釣ったなんて笑いを取る釣り人用語である。


 針が折れたり糸が切れるのは承知の上で、豊はラインをタオルでぐるぐる巻きぐいっと引っ張った。素手でやれば悪くすると手を切るからで、ガテン系のバイトをこなしてきた豊の二の腕に力瘤が出来る。


「……あれ」

「どうかした? 豊っち」

「重いけど上がって来るんだよな、彩花」


 ならばリールで上げようと、ドラグをちょっと締めた豊が竿を立てては巻き、竿を立てては巻きを繰り返す。リールのドラグとは釣り糸が耐えられる負荷に設定し、過負荷となった時は糸が切れないよう糸巻きのスプールから送り出す機能だ。


 重いながらもえっさほいさと巻き上げた時、豊の竿に事件は起きた。ドラグが悲鳴をあげ、釣り糸が百メートルほどスプールから引っ張り出されたのだ。

 十メートル毎に五色で色分けされた糸だから、何メートル持っていかれたかが分かる。カーボンファイバー製の竿は逆Uの字に曲がり、昭和時代のグラスロッドだったらとっくにポキっと折れているかも。


「これは大物の予感がするわ、香澄」

「走らないから青物じゃないね、麻子」

「ラインの耐荷重は? みや坊」

「糸は五号で三十六キロまでだけど、それ以上の獲物だわ、ファニー。これは魚が弱るのを待つようね」


 豊と正体不明の魚による、糸を巻いては引き出されの攻防が始まった。横に走ると言うより底に潜ろうとする動きで、糸を海底の岩礁にこすり付けて切ろうとしているのが分かる。

 シールドを解除しているので青い空と青い海、そして照り付く太陽が豊の体力を奪っていく。もう汗まみれで『心頭滅却すれば火もまた涼し』とプリントされた、Tシャツが体にすっかり張り付いちゃってる。


「これ無理、ハサミで糸切っていいかな」

「ぜんぜん心頭滅却できてないじゃない、豊っち。ほら飲みなさい」


 スポーツドリンクが入ったボトルを差し出す彩花と、そのストローを口に咥える豊の図。どうも彩花さん、途中リタイヤを許さない性分らしい。

 筋肉が白身の魚は青魚と違って、走り回らないぶん総じて持久力がある。これはハタ科の大型魚かもと、栄養科三人組は当たりを付けた。


「お姉ちゃん、行ってきましょうか」

「そうねアリス、お願いしていいかしら」


 お任せ下さいとマーメイド化したアリスが海に飛び込み、しばらくして豊の竿は静かになった。大間のマグロ漁師が使う電気ショックを、アリスが水中で直接ぶっ放したのだ。


「やっぱりハタ科の魚だよね、香澄」

「でも二メートル越えよ麻子、重さも二百キロはありそう」


 タモ網に入るわけもなく、地属性の力でひょいっと甲板に引き上げたみやびが、三百キロ近いわよと補足。その彼女がタマカイじゃないかしらと、出刃包丁で即座に〆た。


 タマカイはハタ科に属する魚では世界最大級、老成魚となれば四百キロにもなるらしい。日本でも沖縄や伊豆諸島などで漁獲されるが、もちろん希少で幻と言われるほどの高級魚である。

 透明感のある白身でお刺身なら、冷蔵庫で数日寝かせた方がアミノ酸が増え断然美味しい。皮はぶ厚くゼラチン質の層があり、これがまた鍋物に良く合う。

 ただしウロコがちょー硬いため、包丁で皮の表面と一緒にウロコを除去するすき引きという手法が用いられる。これこそ料理人が持つ腕の見せ所で、みやびの見事な手さばきに誰もがうわぁと息を呑んだ。


「タマカイは寝かせて三日後か、楽しみだなメライヤ領事」

「待たされるのが嫌ではなく、ワクワクさせる調味料なのよね、ジェシカ領事。日本の魚食文化って、ホント面白いわ」

「メライヤー、ジェシカー、あら汁をもらって来たのだ!」


 メアドがふよふよ浮きながら、三人前のあら汁を乗せたお盆をカウンターに置く。あの後も色んな魚が釣れて、お昼に刺身盛り合わせを追加したみやび亭アマテラス号支店である。

 肉肉肉はもちろん、魚魚魚も大好きな雅会の任侠たち。今日はこの星で停泊するからと、昼からお酒を解禁にした任侠大精霊さまに狂喜乱舞。


 暗黒空間を航行してきて、久しぶりに浴びる太陽なのだ。みやび亭を海の家にして、真夏の砂浜みたいな雰囲気を味わって欲しい、そんな気遣いだったりする。

 配下の手綱を上手に握る手腕も、みやびの持って生まれた才能かもしれない。麻子も香澄も嫁たちも、アルネ組もカエラ組も、その心意気に賛同して腕を振るう。ビーチパラソルやビーチチェアを置いたのも、雰囲気作りの一環である。


 つまり海の家にありがちな、青のりたっぷりの焼きそば・醤油ラーメンと味噌ラーメン・カツ丼と親子丼・カレーライスに五目炒飯・単品で焼き鳥各種や餃子もあったりして。

 一般採用メイド達が海の家とは何ぞやと、首を捻りながらも給仕をしている。これはやっぱりあの子たちも、日本に連れていくべきねと頷き合う麻子と香澄。キャンプ場に海水浴場、花火大会に盆踊り、浅草や築地の食い倒れツアー、極め付けは割烹かわせみかしらと。

 何それ面白そうと、キッチンスタッフがみんな食い付いてきたりして。なら妙子さんにお願いして浴衣も用意しなきゃと、みやびがむふんと笑う。


 そんな中でホムラが一心に、中華鍋を振るっていた。てんこ盛りマシューの鍋さばきに影響を受けたのか、まず身に付けたいのが炒飯なんだとか。一朝一夕いっちょういっせきで身につく技術ではないけれど、その一念が人を大きく成長させる。


「ふええ、麻子さまのようなパラパラ炒飯になりませんです、アルネさま」

「焦げるの恐れて火力を抑えてるからよ、ホムラ。高火力で短時間、そして一気に仕上げる、それこそが麻子さまの真骨頂なんだから」


 それでも使う調味料の比率は合っているから、味は悪くないのよとカエラが笑う。うるさいお客さんでなければ出せるレベルになってるからと、ティーナが火属性の力で五徳に乗った中華鍋の火力をアップする。


「ところでどうして今、腕に花が咲いたの? ホムラ」

「だってアルネさま、皆さん仲がよろしくて胸がきゅんとしちゃったんです」


 早くこの子に性教育をと栄養科三人組に、視線を向けるアルネ組とカエラ組。

 花を咲かせれば代償となるご飯の量がハンパなく、マシューとは違った意味でてんこ盛り料理人に進化しそうなのだ。腕はまだまだ未熟だけど中華鍋の中で、五目炒飯がどんどん量産されていく海の家である。

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