第600話 飯塚の過去
――ここはイラコ号の作物栽培エリア。
「飯塚よ、この脇芽を取らないのは、何か理由があるのか?」
「トマトは一本仕立てと、わざと残した脇芽を伸ばす二本仕立てがあるんです、ジェシカさん。熟練農家なら、三本仕立てだって」
以前ジェシカは飯塚に、脇芽を取らない方が実が多く付くのではと尋ねた。だがそれでは栄養分の取り合いとなり、実は大きくならず味も落ちると飯塚は答えた。
二本仕立てや三本仕立てはそれを覚悟の上で、水やりや肥料を与える難易度が格段に上がると承知の上で、チャレンジする玄人技である。
「水耕栽培ですから、水やりを気にする必要はありません。植物に必要な十六種類の栄養素は、いかようにも調整できます。この株で行うのは二本仕立て以上で、どれだけ美味しい実を収穫できるかって実験ですね」
自分は本来そのデータを収集するために、イラコ号へ呼ばれたと彼は話す。ひとつの株からどれだけ収穫できるか、挑戦するわけだなとジェシカは納得したようだ。だがその目は、ついつい飯塚の手首に行ってしまう。自殺未遂と分かる、リストカットの
「俺には昔、幼馴染みが二人いました。一人は
「飯塚
よく分かりましたねと、飯塚は並んだ苗の手入れをしながら笑う。
どうしてこんな話しを始めたのか、飯塚自身もよく分からないでいた。ただジェシカと一緒にいる時間は長く、まるで高校時代のダチみたいに思えたのだ。そして彼女の目が、手首の傷痕を追っている事にも気付いていた。
「章子はね、啓介を選んだんです。正直悔しかったけど啓介ならいい、俺はそう思えたんですよ」
「私の星ではその場合、剣による決闘となるんだが」
「いやそれ日本じゃ無理だから」
だが啓介と章子の交際は、長くは続かなかった。親同士が犬猿の仲で、とんでもないと引き裂かれてしまったのだ。今は十八歳になると親の承諾が無くても、結婚できるよう法律が改正された。もっと早くそうなっていればと、飯塚は高校時代の苦い思い出を
「章子は自殺の決意を固めました。そんな馬鹿なことするなって止めたんですけど、彼女の意思は変わらなかった。俺が説得した所で、あいつは誰もいない所で死ぬ」
「まさか飯塚、その自殺に付き合ったのか? お前には義理も責任も無いのに」
「章子の心に刺さったまま抜けない棘が、どんなものか痛いほど分かったから」
トマトの葉っぱが揺れている、室内に空気を循環させているからだ。真っ赤に色付いた実が、もう食べ頃だよって顔してる。
飯塚直人は幼馴染みの自殺に付き合った、だが自分だけ生き残ってしまった。浴槽に溜めた水を真っ赤に染めた二人だが、部活帰りでシャワーを浴びようとした章子の妹に発見されたのだ。
事実を知らない野次馬から見れば無理心中で、心ないマスゴミは面白おかしく報道してくれた。それでも飯塚は真実をけして口にしなかった、章子の死を冒涜するような気がしたから。
親兄弟からは愛想を尽かされた。
章子の両親からは罵倒された。
啓介からは絶交を言い渡された。
高校は退学せざるを得なかった。
居場所を失った飯塚は、暴力団の門を叩いたのだ。
「でも総長……お嬢さんは俺にこう言ったんです。幼馴染みとして出会ったなら、それは前世で縁を結んだ人。一緒に死のうとしたなら、来世で必ずまた出会う。その時は絶対に死なせちゃだめだぞって」
飯塚の頬を、一筋の涙が流れ落ちて行った。
俺はあの時、学校を休んででも、親に何と言われようとも、章子の傍にずっといて自殺を阻止すべきだったと。悔やんでも悔やみきれない自責の念が、涙となり床に落ちる。
そんな飯塚の顔に、にょきっと人差し指が向けられた。もちろんジェシカで、自らの牙で噛んだのか血がぽこりと浮き上がっている。バハムル族の、竜族の血だ。
「私とも縁を結んでくれないか、飯塚」
「どうして……俺を」
「お前は私が探し求めていた伴侶だ、
――ここは亜空間倉庫。
アルネ組とカエラ組が運動会テントで、カリーナとフェリアが屋台で、そしてたまたま調味料を取りに来たマシューが飛び入りで、それぞれ腕を振るっている。
黄緑色した女の子がこれはすごいと、特にマシューの見事な鍋さばきに目を奪われていた。ホムラは知らない、それがマシューにとっちゃ一人前の量であることを。
キラー提督と艦長たちを招待し、身内のお祝いを企画した栄養科三人組。飯塚は儀式をクリアしてグースカピーだから、ひな壇にいるのはジェシカ領事なわけで。
青い人とスフィンクスが、千住丸率いる子供たちが、何が出るかなーとわくわくしている。そりゃこの面子だからね、美味しいものが色々と出てくるでしょう。
お料理はマシュー達に任せテーブルを囲み談笑する、みやびチームとキラー提督チームの面々。給仕はモムノフさんがそつなくこなすので、食前酒を楽しみつつ和やかな雰囲気だ。
「色恋には興味が無いと思っていたが、そうでもなかったんだな、ジェシカ君」
「それって褒めてます? キラー提督」
「そうじゃない、安心したんだよ。伴侶を持たない竜族が戦場で朽ち果てるなど、こんな寂しいことはないからな」
その通りだなと、ファフニールは梅酒を口に含んだ。キラー提督も艦長たちも、竜族の悲哀を理解している。だからみやびは言葉が通じるか、話し合える相手か、確かめるために戦艦の祭壇まで行ったのだろうと。
「雅会から初のスオン誕生だね、麻子。もっとカップルが増えるといいな」
「お目出度いけど、あの子たちが暗躍しないかちょっと心配だわ、香澄」
麻子が言うところのあの子たち、そりゃもちろんアルネ組とカエラ組に決まっている。船内に飯塚とジェシカの噂を流布したのは、歩くスピーカーでございますから。
「マシュー兄さん、そのエビチリ何人前?」
「一人前に決まってるじゃないか、アルネ」
特大すり鉢に盛ろうとするマシューを、ふざけんなと止めに入るアルネとカエラ。やっぱり始まったと
どうやらメニューは中華三昧になるようで、ティーナが
東坡肉は中華風豚の角煮で、蚝油牛肉は牛肉のオイスターソース炒め。チャーハンや焼き餃子も、カニ玉に
エビチリは大皿に盛って皆さんに取り皿をと、アルネがモムノフさんに指示を飛ばす。今度は
取りあえず蒸し料理をどうぞと、カリーナとフェリアが
「ところでジェシカ領事、ひとつ聞いてもいいかしら」
「何かしら、メライヤ領事」
「導火線というか起爆剤というか、飯塚に惹かれた切っ掛けってあるわけよね」
それをここで聞きやがりますかと、メライヤに半眼を向けるジェシカ。けどそれは誰もが拝聴したい恋バナで、身を乗り出し耳をダンボにしちゃってる。
「ジェシカージェシカー諦めるのだ、みんなに燃料を投下してやるのだ」
メアドあんたまでと、眉を八の字にするバハムル族の竜。だがこうなると白状しないわけにはいかず、ジェシカは赤面しながらも潔く口を開く。
「ものを言えぬ植物に、どうして欲しいと対話を試みるその姿勢に惚れた」
うわあと、思わず身悶えしちゃう皆の衆。
すると中華の香りで満ちていたテーブルに、全く別の甘い香りが漂ってきた。その発生元はと言えば、なんとホムラであった。見れば右二の腕に、白い花が咲いているではないか。
「み、皆さんすみません。我が種族の女子は恋バナになると、花が咲いてしまうのです」
喩えじゃなくリアルで花を咲かすのかと、誰もが唖然としてしまう。咲いた以上は実を付けるわけで、乙女の果実と呼ばれるんだそうな。
「食用に……なるのかしら? ホムラ」
「もちろん食用ですし美味しいですよ、ファフニールさま。これは好きな人に渡す、特別なプレゼントになるんです」
言ってるそばから実が膨らみ、ピンク色の果実へと成長した乙女の果実。ちょっと見せてとみやびは席を立ち、実った果実に魔力探知を試みる。するとそれは純度の高いダイヤモンドに、飽和するまで魔力を蓄えた状態に等しかった。
「好きなお相手がまだいない女子って、この果実はどうするのかしら、ホムラ」
「恋に憧れる娘が授かった恵みとして、一度祭壇にお供えするのです、みやびさま。そのあと家族みんなで美味しく頂くのですよ。痛みが早いからすぐに食べないと、酷い味になるんです」
プレゼントされたお相手も、同じく祭壇にお供えしてから食べるのだと、ホムラはもじもじしながら話す。竜族がいないあの地下都市に必要な魔力を、支え供給しているのは純粋に恋する乙女ではあるまいか。
そんな仕組みを作る酔狂な精霊がいたっておかしくないと、栄養科三人組も嫁たちも思わずにいられない。誰かを好きになる感情と祈りは、正しい方向であれば創造へ傾くのだから。
そのホムラがお味見しますかと、ちょんともぎ取り収穫しちゃう。痛みはないのかとドン引きしちゃう面々だが、どうやら本人は平気っぽい。そのお味は甘めのミックスフルーツジュースで、アルコール成分を含む果実であった。
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