第598話 砂の惑星(1)
――ここはアマテラス号に連結したイラコ号、作物栽培エリア。
「このトマトと大葉、鉢に土で植えているのだな、飯塚」
「トマトは脇芽から増殖させて水耕栽培にします。大葉はこうして成長点を切って、水に生けて根出しするんですよ、ジェシカさん。この大葉も水耕栽培に回すための元株なんです」
「成長点を切ってしまったら、そこから上に伸びないのでは?」
そう思うでしょと飯塚は笑いながらポケットに手を突っ込み、ミルクキャンディをジェシカに手渡した。
大葉、つまりシソの葉の成長点を切る作業が
大葉は葉っぱを食用とするため、枝を増やして葉を多く茂らせる育て方になる。これは同じシソ科のバジルも同じで、キャンディを口の中で転がすジェシカがそういう事かと頷いた。
「それにしてもトマトと大葉、鉢の土がずいぶんと違うのだな。トマトの方は白っぽい茶色で、大葉は黒い土だ」
「大葉は肥料食いですからね、栄養満点の土を使ってます。トマトは土壌改良材に近い、栄養のない土を使ってます」
「トマトはそれでいいのか?」
もちろんトマトにだって肥料は必要ですよと、飯塚は葉っぱを摘まんで微笑む。トマトは肥料が無くてもだめだし、肥料をやりすぎてもだめ。その境目が大葉とは比べものにならないほど、線引きがシビアになるのだ。
ミニトマトは中玉や大玉に比べれば初心者向きとは言うが、種苗メーカーも肥料メーカーもけして簡単とは言ってない。単に実ができれば満足って人ならそれで良いかもしれないけれど、収穫量を増やそうとなれば肥料の与え方が肝になる。
「ボケって言うんですけどね、ジェシカさん。肥料過多だと葉っぱばかり茂って、花芽が付かなくなるんです。花が咲いても実を付けないまま花落ちしたりして」
「それは厄介だな、どうやって解消するのだ」
鉢植えやプランターなら、水をどんどん流して肥料を洗い流すと飯塚は言う。だが畑で露地栽培だとこの手は使えず、前に育てていた作物の残留肥料でボケが出たりするんだそうな。
「農家はそこまで考えて、畑を耕し土の栄養分を分散させ、次に育てる作物のローテーションを決めるんですよね」
「そうか、飯塚が良く言う土に親しむ、何となく分かるような気がする」
今は水耕栽培だから水に親しむですけどねと飯塚が笑い、そりゃ確かにとジェシカも目を細めた。そこへ青い人とスフィンクスがやって来て、トラブル発生と告げる。
「トラブルって? メライヤ領事」
「養鶏エリアからニワトリが脱走して、みんなが追いかけ回してるのよ、ジェシカ領事。ほれあそこ」
メライヤが指差す先を見れば、雅会のむさ苦しい……もとい任侠の徒が大勢走り回っているではないか。甲板でのランニングをみやびは推奨しているが、船内でそれはいかがなものか。あいつら何やってんだと、飯塚はもちろんジェシカも呆れ顔。
ニワトリと言えば誰もが、白いブロイラーを思い浮かべるかもしれない。ブロイラーとは品種名ではなく、食肉用として改良されたキジ科ヤケイ属の総称である。
みやびはお味が良いって理由から、イラコ号にはブロイラーだけでなく
とーとーとーなんて話しかけて、キャッチできるほど甘くはないのだ。
「あのニワトリを敢えて選んだからには、美味しいんだよね? 飯塚」
「そうですよジェシカさん、放し飼いだから筋肉は少し固いけど、味はすこぶるいいです。肉から染み出る脂は黄色みを帯びてて濃厚。おっといけね、口の中に唾液が溢れてきた」
ほうほうそれは楽しみと、メライヤもジェシカも口の両端を上げた。
そこへ連絡を受けたアリスがふよふよと参上、逃げ回る軍鶏にぴしゃんと雷撃をお見舞いして一件落着。おおうと拍手喝采の、雅会メンバーである。
「ジェシカージェシカー、口の中で何をもごもごしているのだ?」
目ざといメアドに問われ飯塚にもらったと、人差し指を彼に向けるジェシカ領事。当然青い人とスフィンクスに詰め寄られるわけで、敵わないなとへにゃりと笑い、ミルクキャンディを差し出す飯塚である。
「ところで隣のエリア、葉っぱがずいぶん青々としてるな、飯塚」
「味見します? メライヤさん。ジェシカさんもぜひ、気に入ると思いますよ」
隣で石黒が栽培しているのは、英名でウォータークレス。日本だとフランス語読みで、クレソンと言った方が馴染み深いかもしれない。アブラナ科の植物で、これほど水耕栽培に向く葉野菜はないだろう。
「茎ごと食べるのか、うんうん少し辛みがあって美味しい」
「でしょう、成長が早いから宇宙旅行では期待の星なんです、ジェシカさん。肉料理の付け合わせとしては、バツグンに相性がいいですよ」
ミルクキャンディを食べ終えたジェシカが、目を細めてはむはむ。
青い人とスフィンクスは口をもごもごさせており、キャンディを消化するまでちょっと待ってと待機中。なら一回中断すればと、小皿を差し出す石黒である。
そのころ祭壇ではみやびが、ひとつの惑星を注視していた。太陽に近すぎて水が液体として存在しない星だから、本来なら捨て置けって感じなのだが。
それでも何か気になるらしく、みやびはコスモ・エレファントによる惑星探査を提案していた。彼女の直感は当たりで、大気圏に入ったら何と生命反応が出たのだ。
「見事な砂漠だね、麻子」
「砂漠と言うより砂の惑星だね、香澄」
「でも空気中に酸素があるって事は、水が循環してる証拠よね、みや坊」
「たぶん地中深くにヒントがあると思うのよね、ファニー」
大気成分が確認できたので、コスモ・エレファントから降り立った栄養科三人組と嫁たち。日の出前を選んで着陸したから、灼熱の太陽はまだ昇っていない。だがどっちを向いても砂丘に砂丘で、生き物が存在するのか甚だ怪しい雰囲気ではある。
砂漠のダンジョン探索ねと麻子が言い出し、そんなもんあるかいなと香澄が突っ込み、二人してピーチクパーチク。
「エアリス、ちょっと」
「どうしたんですか、レアムール隊長」
「これって昆虫よね」
「確かに、分類としては甲虫でしょうか。前羽を広げてるけど飛ぶ様子はないし、何してるんでしょう」
どれどれと、みやびとファフニール、麻子と香澄も観察してみる。
甲虫とは固い前羽と下に膜状の羽を持つ昆虫で、カブトムシやクワガタムシはその代表格だ。ホタルやテントウムシ、カミキリムシやコガネムシなんかもそう。
よくよく見ればその広げた前羽に水滴が出来ており、虫さんの口へ流れているではないか。空気中にある水分、つまり朝露を集めて体を潤しているのだ。実はこんなタイプの昆虫、地球の砂漠にも存在している。
「生きる知恵なんだろうけど、すごいね麻子」
「たくましいと言うか何と言うか、ほっこりしちゃうね、香澄」
だがその虫さん、砂から飛び出した生き物にぱっくり食べられてしまった。姿はトカゲで、大きさは日本の土手なんかによくいるカナヘビに近い。
「む、虫さんがああぁ」
「香澄! 再起動しなさい捕獲よ捕獲」
麻子の言う通りと、みんなして砂に潜ったトカゲを追いかける。通った所の砂がもっこり膨らむから、それを頼りにみんなして追いかけていく。
砂漠の追いかけっこに夢中となり、気付けば地平線から太陽が昇り始めていた。やっぱり紫外線が強く、肌がジリジリ言い始めた。
香澄が日焼け止め持ってくれば良かったと、口をへの字に曲げちゃう。そこはやっぱり女の子、美肌を保つのに強い紫外線は天敵よと。
「よっしゃゲット! 随分と手こずらせてくれたわね」
でかした麻子と、彼女の手にあるトカゲさんをみやび達は観察してみる。熱がこもる色は避けているようで、背中は薄茶色にお腹は薄らピンク色。お目々はきょろっとしており、割りと愛嬌がある。
「食物連鎖で考えたらこのトカゲを餌にする生き物だって、存在する可能性があるわよね、みや坊」
「そうだねファニー。この星、もうちょっと探索してみたいかな」
するとみやび達がいる場所が、どんどん沈み始めた。すり鉢状に落ちて行く感じはまるで蟻地獄。みやびはすかさず物理無効と、魔法耐性の祝福をみんなにかけた。
「瞬間転移で離脱じゃないの? みや坊」
「この先どうなるか見てみたいのよね、ファニー」
麻子と香澄のあんたはねって恨み節は、砂に呑まれかき消された。
彼女たちがいた場所は砂に埋もれ、周囲に溶け込み何が起きたか判別できない。ただただ、砂だけが広がる大地であった。
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