第588話 サクランボ狩り

 同じ作物でも早生種わせしゅ中生種ちゅうせいしゅ晩生種ばんせいしゅの大きく三つに分けられ、収穫時期がそれぞれ異なる。山形県と言えばスイカだけでなく、サクランボでも有名な産地。メロンやキウイのように追熟しないフルーツだから、収穫する時期が即ち食べ頃ってことになる。


 一番早く時期を迎えるサクランボが高砂や紅さやかで六月上旬。

 次が佐藤錦さとうにしきで六月中旬から下旬。

 最も遅いのが紅秀峰べにしゅうほうで七月以降。


 ここは山形県天童市にある、とあるサクランボ農園。実はみやびのお祖母ちゃんの実家だったりして。宇宙人とお友達って事は知ってるし、宇宙クルーザー飛天丸を見たいってリクエストがありまして。


とがいどご遠いところよぐきたなあよく来たなあがらっしゃい家に入んな、正三」

「お世話になります、お義兄さん」


 遠いっちゃ遠いんだけど、飛天丸だと東京から十五分もかからないんですはい。子供たちがうわあと歓声を上げ、庭に着陸したクルーザーにわいきゃいはしゃいでいる。

 お祖母ちゃんの長兄が農園主なんだが、八十歳過ぎても矍鑠かくしゃくとしてて元気いっぱい。天童市は将棋駒と将棋盤の生産でも有名で、正三はお義兄さんに付き合わされるもよう。大の将棋好きで、ある意味で拉致されたとも言う。


 栄養科三人組と嫁たち、アルネ組とカエラ組は、お孫さん夫婦の案内で紅秀峰べにしゅうほうの区画に案内された。比較的新しい品種のサクランボなので、佐藤錦と味比べをして欲しいらしい。


 紅秀峰べにしゅうほうは、佐藤錦さとうにしき天香錦てんこうにしきを交配して生まれた品種。

 新しいとは言うものの、紅秀峰が生まれたのは昭和五十四年の話しだ。果樹栽培農家とは果樹となる木を植樹し、長い年月をかけて育む果樹園の守人と言えるかもしれない。


「佐藤錦より粒が大きいね、麻子」

「噛み応えがあるよね、香澄。美味しい美味しい」


 麻子が言った噛み応え、実はこれがミソだったりして。追熟しない果実だから、摘んだその時から傷みが始まる。それを日持ちさせるために、晩生種で実が固めの天香錦と、中生種である佐藤錦を掛け合わせたサクランボ、それが紅秀峰なのだ。


ひのあだる日の当たるたげどごのほうが高いところのほうがあめど甘いよ

んだんだそうそう


 お孫さん夫婦のアドバイスに、それは貴重な情報と喜色満面のみやびたち。今まで脚立に乗ってはいたが、割りと低い場所を摘んでいたのだ。

 みやびにそっくりな宇宙人(という事にしている)アリスが、籠を持ってふよふよと高い方へ。蓮沼家へのお土産を確保する上でも、これは重大任務である。


「ここにメアドがいたらどうなるかしら、みや坊」

「ひゃっほうって、飛び回ってもりもり頬張るだろうね、ファニー」


 違いないと、麻子も香澄もへにゃりと笑う。お孫さん夫婦はふよふよ飛び回るアリスに、こんな宇宙人もいるんだと感心しきりであった。


「お世話になりました、お義兄さん」

ふゆにもございん冬にもおいでラフランスばじゅぐすじぎによ洋梨が熟す時期に


 お義兄さんは正三に、一勝二敗で再戦に燃えているもよう。

 ラフランス、つまり洋梨だが果実の見栄えはよくない。山形県では明治八年に栽培が始まったけれど、当初は不評であった。とても固く、食べられたもんじゃないと。


 ここで果実に関する追熟の話しに戻るのだが、収穫してすぐ食べるのが望ましい果実と、収穫してから熟成させる果実がある。

 ラフランスは正に後者で、当初は食用に向かないと放置されたのだ。ところが黄色くなり良い香りを放つようになって、これは熟成させる果実なんだと、改めて認識されるに至ったわけだ。

 これはメロンやキウイもそうで、収穫してから熟成させる。そんな追熟タイプの果実を、冷蔵庫に入れるなんてもっての他。


「みやびさん、こいずこれたのまれでだもんだ頼まれてたものだ

「東京でうまぐそだづがうまく育つかわがんねがな分からないけどね

「うわありがとう健児おじさん、清子おばさん、大事に育てるわ」


 みやびがお孫さん夫婦から受け取ったのは、紅秀峰の苗木だった。

 山形県の内陸部は冬の寒さが厳しく、夏は暑い典型的な盆地。その寒暖差と火山灰を含む土質が果菜類の味を良くし、栽培に適した地域とも言えるだろう。


「みや坊、どうかしたの?」

「ちょっと考え事をね、ファニー」


 操縦桿……もといコントローラーを握るみやびと、助手席に座るファフニール。キャビンはお座敷スタイルなので、お腹いっぱいのみんなはうつらうつら。玉こんにゃくやらどんどん焼きやらを出され、思いっきり食べたから幸せそうな顔をしてる。


「紅秀峰の苗木、その命について考えてたんだ、ファニー」

「命?」


 サクランボの種は、発芽率が非常に悪い。もし芽が出たとしても、交配を繰り返した品種は病気に弱く、大きく育つ確率は更に低くなる。

 ではどうするのかと言うと、病気に強い品種の株に、紅秀峰の苗を連結させて育てるのだ。これを接ぎ木と呼び、色んな作物で応用されている。


「台座となった株と紅秀峰の苗、命は同じか別かってね」

「その顔だと答えは出ているみたいね、みや坊」

「うん、スオンと同じなんだと思う」


 人間は見方によっては、脆弱で不便な生き物かもしれない。

 例えば体内で、ビタミンCを生成できないのは人や猿だ。多くの栄養素を食物から摂取しなければならず、極端に不足すれば何かしらの病気を患う。


 脚気はビタミンB1不足、夜盲症はビタミンA不足、戦後の日本ではよく見られた症状だ。肉食動物のように肉だけ食べていれば、体の組成を維持できる、なんて便利な仕組みにはなっていない。


 それが竜族とつがいになることで血の交換を行い、魔力と病気にならない肉体を手に入れ、必要な栄養素を体内生成する能力が身に付く。


「つまり台座がリンドで、紅秀峰の苗が人間なのね、みや坊」

「そう、二つの命が融合してる状態、それがスオンなんだと思うな、ファニー」


 達観ねとファフニールは笑い、生命の不思議よねとみやびも笑う。後ろのお座敷ではみんなクースカピーだが、窓に東京タワーと池袋サンシャインが見えてきましたよっと。


 ――そして夜のみやび亭本店。


「前妻のミルズが亡くなった理由じゃと?」

「そうよ赤もじゃ、前から聞こうと思っていたの。竜族の血をもってしても癒やせなかった病気って、何なのかなって」


 本来ならはばかられる質問を、みやびは面と向かってパラッツォにしていた。そんな彼にみやびが置いたのは、山形名物である赤カブの甘酢漬け。

 店内がシンと静まり返り、やきもきしているのはファフニールと妙子さんだけじゃなかった。アグネスもブラドも、辰江に麻子と香澄も、それ聞いちゃっていいのと。 


「シャルルは西シルバニアの子爵令嬢じゃったな、あの母親と一緒じゃよ」

「つまり……拒食症だったのね」

「モスマン帝国との攻防戦で、ミルズは親兄弟を全て失った。みんなレゾリューションを使ったからな」


 レゾリューションはスオンのカップルが、自らの命を触媒として使う禁呪。射程は短いが属性無視の万能範囲攻撃。帝国とロマニア侯国を守るため、その命を散らした英霊だ。


「マシューの妹もそうだったわよね、香澄」

「ご飯が食べられなくなる病気か。これは手の施しようがないわね、麻子」


 言いにくいであろう話しをしてくれたパラッツォに、みやびは微笑みながら徳利を向けた。夫婦として一度深い縁を結んだのだから、来世できっと会えるよと。

 自分のお母さんになるか、娘になるか、姉になるか妹になるか、それは分からないけどねって言いながら。


「精霊化を果たしたら死ぬときは一緒なんだから、アグネスを大事にしなきゃダメよ、赤もじゃ」

「もちろんじゃみやび殿、尻に敷かれておるがな」


 あらそんなつもりはありませんよと、アグネスが怪しい笑みを浮かべながら小鉢を置いた。それは小魚とクルミの佃煮で、ご飯もお酒も進んじゃう一品。


 店内に和やかな雰囲気が戻り、注文が次々飛び込んでくる。

 サルサとアヌーン、牡丹ぼたん菖蒲あやめあおいがクルクルと立ち働く。奥ではエレオノーラとシモンヌが次々と魚を捌き、アルネ組は揚げ物、カエラ組は焼き物と、今夜も大盛況だ。


「アリス、本日お勧めの玉こんにゃくとはいったい?」

「こんにゃくはご存じですよね、ジェラルド大司教。玉にしたこんにゃくを甘塩っぱい煮汁で煮込んで、串に刺して和からしを塗って食べるんです。聖職者の方でも大丈夫ですよ」


 是非それをと、注文するジェラルド大司教とアリーシャ司教。赤カブの甘酢漬けもお勧めですと、付け加える事もアリスは忘れない。


「ヨハン、どうしたんだ?」

「忙しそうだから手伝ってくるよ、レベッカ」

「そうか、ついでにマダイの兜煮をお願いしてもいいか」


 分かった任せてと、ヨハンが嬉々としてカウンターの中へ入っていく。その背中を見送ったフランツィスカが、ふうんと目を細めた。


「レシピの冊子、全部集めてるみたいね、レベッカ隊長」

「羊飼いの特質なのかな、フランツィスカ。まあヨハンの作る料理はどれも美味いけどな。特にバターやチーズを使った料理は」


 あらごちそうさまと笑うフランツィスカの隣で、カイル君が急に咳き込んだ。愛妻がチーズピザに、タバスコをたっぷりかけた事実に気付かなかったもよう。コップの水を飲み干すカイル君に、大丈夫? と水差しを向けるフランツィスカであった。

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