第587話 インセクト・テイマー
――ここはマミヤ号の作物栽培エリア。
「すまないな飯塚、私が口をすべらせたばっかりに」
「いいんですよジェシカ領事。正直に話したら、あっそうで終っちゃったんで」
飯塚は手頃な中玉トマトを、作業に付き合うジェシカへ手渡した。マスクメロンは試験中だっただけで、役得と言うか実った作物の味見は許されている。
みやびは嘘の報告はしないでねと、それで済ましていた。もっとも飯塚の特別な揺れ動きに、ピンと来てしまったのだが。
トマトを食べた時の笑顔が眩しくて、飯塚はついマスクメロンに誘っていた。だがその情報を、彼はジェシカ本人に話していない。
誰かを好きになる感情に、いちいち理由付けをするのは難しい。飯塚もあの時、どうして誘ったのかよく分からないでいた。
顔立ちとか体型とか、外見的な印象ではない。トマトを食べた時ジェシカが発した命の輝き、そのまばゆさに飯塚は惹かれたのかもしれない。
「ところで飯塚よ、その小瓶は何に使うんだ、水が入っているようだが」
「液体肥料を溶かし込んだ水ですよ、ジェシカ領事。トマト栽培で下葉や脇芽の処理をするでしょう、この瓶に脇芽を生けておくんです」
「部屋にでも飾るのか? そんな趣味があるとは思わなかった」
違いますよと飯塚は、トマトを頬張るジェシカに白い歯を見せて笑った。では何のためにと、彼女は鼻に付いた汁を手の甲で拭う。
トマトの脇芽を水に浸けておくと、一週間から二週間くらいで根が出てくる。液体肥料を溶かし込んでいれば、もっと速く出て来る。トマトにはそんな性質があり、摘む方法は違うが大葉もこの手が使える。
「それって飯塚、同じ品種のトマトを増殖できるということか?」
「そういうこと、種まきから育てる必要がないんです。こいつも根が充分伸びたら、あっちの空きスペースに定着させるんですよ」
ほええと目を丸くするジェシカに微笑みながら、飯塚は脇芽を小瓶に挿した。その
脇芽には、もう花芽がついていたりする。
「思うに脇芽を取らない方が、果実はいっぱい付くと思うのだが」
「その通りなんですけどね。でもそうすると一本のトマトで、栄養分の取り合いが始まる。実は大きくならず、味も薄くなっちゃうんです」
子孫を少しでも多く残そうと、トマトは沢山の実を付けようとする。それをコントロールして食用に適した実を得るのが、トマト栽培の面白さであり難しさでもある。ミニトマトは元々実が小さいから育てやすいが、中玉トマト、大玉トマトの順で難易度は上がって行く。
「飯塚よ、ひとつ尋ねてもいいか」
「どうしたんですか? 妙に改まって」
「瓶に差した脇芽の命は、元となったトマトの命と一緒だろうか、別だろうか」
「根を出せば自らの意思で、茎を伸ばし葉を広げようとします。俺は別の命になったと思っていますよ、ジェシカ領事」
そうだよなと、ジェシカは頷いてトマトを頬張った。生命の不思議、自然の摂理は奥が深い。作物を育てていると、何となくそれが見えてくる。飯塚はスイカのエリアに行きませんかと誘い、もちろん行くと瞳を輝かせるジェシカである。
育った果実を食用とする野菜は、果菜類と呼ばれている。トマトやスイカはもちろん、カボチャにイチゴもそうだ。
花の種類には両性花と単性花があって、雄しべと雌しべ両方を持つのが両性花、雄花と雌花に分かれているのが単性花だ。
両性花は放っておいても受粉できるが、単性花の場合はそうもいかない。雄花の花粉を雌花の雌しべに運ばなければ、受粉されず実にならないのだ。花粉の主な運び手となるのは昆虫で、花粉媒介昆虫と呼ばれている。
スイカやカボチャは単性花で、しかも花は一日しか咲かない。天候次第では昆虫の活性が低く、人間が綿棒とか持って受粉させる必要があることも。
「ふむ、ならスイカはどうやって受粉させているのだ? 飯塚」
「そっちのエリアでは、ミツバチも一緒に飼ってるんですよ。総長……お嬢さんは不思議なことに、ミツバチに好かれてるんですよね」
あのお方は
そんなみやびの離れに住み着いて、冬を越せそうもなかった日本ミツバチ。巣は万年常春のロマニア侯国に移され、つつがなく分家を増やした。マミヤ号で飼われている日本ミツバチは、その分家を持ってきたものだ。
「紅茶を頼むと砂糖だけでなく、ハチミツも出て来るのは自家製だからか」
「シナモンの瓶も付いて来ますでしょう。ハチミツとシナモンの組み合わせ、体に良いそうですよ。香澄さんの受け売りですけど」
では後で試してみようと微笑むジェシカを伴い、飯塚はスイカとカボチャのエリアに入った。そしたらメライヤとメアドが、他の組員からスイカを切り分けてもらっていた。もはや勝手知ったる他人の家、いや宇宙船。メアドが前足を器用に動かしスイカを持って、しゃくしゃく頬張っている。
「そいつは尾花沢か? 石黒」
「そうです兄貴、しゃりっとしてて甘いですよ」
「兄貴はよせよ、名前でいい。そいつをジェシカ領事にも」
尾花沢は山形県にある地名だが、尾花沢とその周辺で生産されるスイカの総称で品種名ではない。主に祭りばやしと富士光が栽培されており、八キロから十二キロの重さに育つ。
「飯塚ー飯塚ー、種はどうすればよいのだ?」
「飲み込んでもいいし、気になるなら皿に出してもいいですよ、メアドさん」
昔は種まで食べると盲腸になるなんて迷信もあったが、飲み込んでも問題はない。種をその辺にプププと飛ばさないでねと、石黒が釘を刺していた。ちなみに種はカボチャやヒマワリの種と同様、塩炒りすると普通におつまみとなる。
――その頃ワダツミ号のみやび亭では。
テーブル席に栄養科三人組、対面にはマクシミリア陛下とサッチェス首相が座っていた。嫁三人はキッチンに入り、何やら作っているもよう。
「子牛をあんなに頂いてしまって、何とお礼を申し上げて良いのやら」
「気にしないでサッチェスさま、草はいっぱいあるのだから放牧するといいわ」
本当に気にしなくていいからと、みやびは重ねて言う。
実のところ今の日本は飼料代が高騰し、牛を肥育するのが困難な状況だ。そのため競りに出される子牛が、千円でも買い手の付かないケースがあるんだとか。子牛一頭を競りに出すまで、諸々で四十二万ほどの経費がかかると言うのに。
栄養科三人組はそんな子牛を、ロマニア食品として買い取ったのだ。一部は会社運営の放牧場へ、残りは育てて増やしてと引き渡したのである。
鶏はビュカレストのギブソンから、三百羽買い付け既に渡してある。それもこれもタコバジル星には、飼料を必要としない広大な牧草地があるからだ。豚に関しても現在手配中で、うまく行けば合鴨にウズラも出せそう。
傍から見たら、至れり尽くせりに映るかもしれない。だが日本の気候は太平洋の海水温に左右され、一定周期で飢饉が訪れる。歴史がそれを証明しており、食糧供給源となる惑星を、みやびはイオナの他にも増やしておきたいのだ。
情けは人の為ならず。
人に対して情けを掛けておけば,巡り巡って自分に良い報いが返ってくる。そんな意味の古い言葉だ。対義語は恩が仇、悪因悪果、となる。
自分や仲間が困った時に助けてくれる人を増やす、これもみやびが持って生まれた性質。タコバジル星には食物生産能力を、どんどん上げて欲しいのだ。
「それにしてもみやびさま、あれはズルいです」
「はい? 何のことかしら、マクシミリア陛下」
うちら何かやらかしたっけと、顔を見合わせる麻子と香澄。キッチンの嫁三人も、思わず手を止めてしまう。でもマクシミリアは違うの違うのと、慌てて両手を左右にブンブン振った。
「醤油と味噌がズルいのです」
唇を尖らせる陛下に、ああそういう事かと、嫁三人は再び手を動かし始めた。醤油と味噌だけではありませんと、サッチェス首相も眉を八の字にする。
首相は
「まずは米と麦と大豆に空豆の栽培だね、麻子」
「牡蠣と海老の養殖、あと胡麻に唐辛子、それと塩田もかな、香澄」
「作物栽培は源三郎さんに出張ってもらうわ、麻子、香澄。海の養殖はミウラ港にある私の工房から出そうかしら」
ならうちらの工房からも出すわよと、麻子も香澄も乗り気である。バルサミコ酢やワインビネガーも欲しいから、妙子さんの工房からも出してもらおうと、話しはトントン拍子に決まっていく。妙子さんの工房からも出す、それってイコール酒造も含まれる事になるわけで。
そこへ嫁三人がどうぞと、背の高いグラスを置いて行った。
何とそれはフルーツパフェで、下からバニラアイス、コーンフレーク、チョコレートソース、生クリーム、輪切りのキウイ、生クリーム、細かく刻んだオレンジとパイナップル、生クリーム。
そしてアイスディッシャーで丸くしたバニラアイスを頂上にでんと乗せ、上からチョコソースで飾り付け。そしてイチゴと白桃とバナナで周囲を囲い、ウエハースを刺して完成。
これは美味しいとひょいぱく食べるマクシミリアとサッチェスだが、揃っておでこに親指と中指を当てた。キーンと来るからね、ゆっくり食べないとね。
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