第550話 生乳からバター

 ――ここは亜空間倉庫、みやび亭屋台の前。


 調味料を融通してもらおうと訪れた、モスマン領事館チームとシーパング領事館チーム、そして鷲見城チームとてんこ盛りマシュー。

 倉庫を利用したいだろうなと思い、みやびはそれぞれに移動用ダイヤモンドを預けていた。申し合わせた訳ではないのだが、何故かみんな揃っちゃったという偶然のお久しぶり。


 欲しかった調味料を置いてテーブルを囲み、近況報告をしながらみんなでわいきゃい。五香粉ウーシャンフェンを置いたのはスミレで、鶏排ジーパイ魯肉飯ルーローハンだろうか。マシューが置いたのは花椒塩ホアジャオエンで、あれに焼いた鶏皮を付けたら美味しい。みんな料理人だから、それぞれの調達した調味料で頭にレシピが浮かんじゃう。

 

 線引きされたコートでは、千住丸さま率いる子供たちがフットサルに夢中。屋台でカリーナとお付きのフェリアが、おやつにとホットケーキを焼いていた。焼けるホットケーキミックスの香りって、何だか不思議と心が安らぐ。


「パウラ、モスマンでは味噌醤油の生産、順調なの?」

「紅貿易公司が力を入れてるから生産も販売も絶好調よ、スミレ」


 やはり作り手と流通網を両方持つ組織の強みよねと、鷲見城のアスカとハンナが頷き合う。そこへナディアが、味噌醤油組合でも立ち上げたらと言い出した。


「最初は国営で、軌道に乗ったら民間へ移譲する。ラングリーフィンがなさる、第二次産業の広げ方をお手本にしてはどうかしら」

「そっか、その手があったわねアスカ」

「うんうん、戻ったら藤堂さまに相談しようハンナ」


 それにはスミレも思うところがあったようで、陽美湖と桔梗に話さなければと考えを巡らせる。食料品業界だけで言えば、農業や漁業が第一次産業、それを原料として加工食品を作るのが第二次産業、出来上がった加工食品を販売するのが第三次産業と言える。


 紅貿易公司は加工と販売を組織だって出来るため、市民に浸透するのも早いのだ。任侠組織であるから価格設定も適正で、ぼったくるようなことはしない。それを見習い国が主導して、道を開拓すればとパウラとナディアは言う。


「パウラもナディアも、雰囲気が変わったね」


 マシューに言われ、そうかしらと顔を見合わせる二人。

 パウラとナディアはスオンとなってから、ずいぶんと落ち着いちゃったもよう。以前のような漫才は、あんまりやらなくなったらしい。

 よく知るソフィアとエミリアが、領事としての仕事っぷりを話しぷくくと笑う。パウラの言葉遣いも貴族らしくなっており、これは夫であるケヴィンの影響だろうと誰もが顔を綻ばせた。


「全国に散っているお料理伝道師を一同に集めてさ、ここでレシピ会議を開けたらいいね、スミレ」

「それいいわねマシュー兄さん、ラングリーフィンにお伺いを立ててみましょう」


 ラナ・ルナ・ロナの三姉妹が、是非にと食い付いてきた。

 マシューはただのてんこ盛りって訳じゃなくお味は確かで、アルカーデ共和国では聖職者向けのオリジナルレシピをいくつも考案している。

 バーレンスバッハ城での任期を終えたらうちに引っ張りたいと、法王さまもアーネスト枢機卿も虎視眈々と狙っているくらいだ。当然ミーア大司教も黙っちゃいないわけで、マシューはしばし皇帝領に身を置いた方が平穏かもしれない。


 伝染病騒ぎでスオンが一気に増え、その後も愛を育んだカップルが徐々に増えつつある。今ここにいるメンバーも任期を終え、いずれロマニア侯国へ帰還する日が訪れるだろう。もしかすると日本での活躍、いやいや天の川銀河に飛び出しての活躍だってあるかも。


「はい皆さんもどうぞ、ホットケーキにアップルティーよ」


 みやび亭屋台を鉄板焼きスタイルにして、ホットケーキを一気に焼いていたカリーナ。彼女がお付きのフェリアと一緒に、マシュー達へ湯気が立つお皿を並べて行く。気が付けば隣のテーブルで、子供たちがもりもり頬張っていた。

 どうりで静かになったわけだと、破顔するマシューとスミレ。首にホイッスルを下げた監督役の初音が目を細めながら、並べた子供たちのカップにアップルティーを注いでいる。


「ところでカリーナさま、あの見慣れないモノは何ですか?」

「バターメーカーと、ラングリーフィンが仰っていたわ、マシュー」


 それでホットケーキだったんだと、熱で溶けていくバターに頬を緩ませる面々。だがそのバターメーカー、何でこんな形にと首を捻る。

 今ではとんとお見かけしなくなったが、両手にシンバルを持った猿の人形が昭和の時代にはあった。動力はゼンマイ式で、物置で見つけたみやびがピコーンと閃いたっぽい。


 生乳が入った容器をシャカシャカ振るお猿さん人形、しかも全身フルメタル。制作を依頼された港重工の開発陣が、超合金ロボかよと苦笑したのは想像に難くない。もっとも遊び心を持ち合わせているから、本気で作ったらこうなった。


 羊飼いが作る正統なバターに比べれば、なんちゃって感は否めない簡易バター。けれどシチューやポタージュスープに用いれば、風味を格段にアップさせてくれること間違いなし。それはここにいる、料理人の誰もが考える事。


「欲しいねスミレ」

「調理場に置くのだから、猿でない方がいいわ、マシュー兄さん」

「どんな形ならスミレは満足なんだい?」

「そうね、ワイバーンやグリフォンだったら許せるかも」


 大して変わらないでしょうと、みんな手を叩いて大笑い。ワイバーンは手がないから、口にくわえてシャカシャカ振る仕様になるのかと。

 なにようと、唇を尖らせるスミレ。前足のあるグリフォンだけれど、容器を振る姿が想像できないと、カリーナもフェリアもお腹を抱え笑っている。


 生乳をペットボトルなんかに入れて、二十分くらい振ると乳脂肪分が分離する。その固形成分がなんちゃってバターになるのだが、日本の店頭に並ぶ牛乳でそれはできない。

 何でかって言うと日本の牛乳は、品質均一化のためホモジナイズされているから。圧力をかけて攪拌し、乳脂肪の大きさを均一にするのがホモジナイズ。これだといくらシャカシャカ振ってもバターは出来ないのだ。

 敢えてホモジナイズしない、ノンホモ牛乳を出荷する生産者もいるにはいる。だが一般家庭で常用するには、入手困難だしハードルが高いってのが現状。生乳が一般的な惑星イオナだから出来るのだ。


「バターを取り出した後の溶液は、低脂肪乳だよってラングリーフィンが話していたわ。みんな飲んでみる?」

「私は牛乳を飲むとお腹がゴロゴロするんですけど、大丈夫なんでしょうかカリーナさま」

「あら奇遇ねアスカ、私もそうなのよ。騙されたと思って飲んでみて、お腹に優しいから」


 乳脂肪を分離してしまえばスッキリしたお味。これは牛乳が苦手な子供に良いかもと、誰もが頷き合う。問題はフルメタルのお猿さんではない、別の形にしてもらうことねと、みんなして額を寄せ合うのであった。


 ――そしてこちらは夜のみやび亭本店。


 今夜のお勧めイチオシは、舌平目のアラカルト。フランスではムニエルで有名だけれど、日本でも水揚げのあるお魚さん。その形からウシノシタと呼ばれ、赤いのと黒いのがいて赤いのが上等とされる。


「ウロコを落とさなくても、口元から皮を剥がせるのですね、ラングリーフィン。まるでカワハギみたい」

「んふ、淡泊な白身でどんなお料理にも合うのよ、シルビア姫」


 最初に出されたのは切り身に、みじん切りにした大葉とネギを混ぜ合わせたもの。添えたワサビを乗せて、ムラサキにチョンとつけて、さあどうぞ。


「こいつは美味いなブラド」

「いい味だ、こんなのを佳肴かこうと言うのだろうな、パラッツォ」


 ノアル国で食用にしてましたっけとバルディが、これは父上にご報告せねばとシルビア姫が。海なしのコレガ国から来たルミナスも、頬に手を当て両膝をパタパタさせている。


 舌平目と書くがヒラメではなくカレイの仲間。本当に牛の舌みたいな魚だけれど、豊洲市場ではキロ千円から千五百円くらい。捌き方さえ覚えてしまえば、こんなお手頃で美味しい魚はそうそうない。


 次に出て来たのは、天ぷらにしたあと甘酢あんをかけたもの。そして真打ちであるお煮付けも登場。カウンター席もテーブル席も、すっかり静かになっちゃった。

 次々に上がる声は熱燗とご飯で、お燗を付けるのが追い付かず妙子がわたわたしている。ご飯足りるかしらとアグネスが炊飯釜の蓋を開け、サルサとアヌーンがお米を研ぎ始めていた。


「はいはーい、どうかした? マシュー、スミレ」


 着信で出刃包丁を置いたみやびが、話しを聞いて猿じゃ駄目なの? と問い返す。やっぱりあれはねと麻子が、そうだよねと香澄が、フルメタル猿はちょっとと頷き合う。あら汁を椀に盛るアリスが、お猿さんは不評なんだと意外そうな顔をしていた。

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