第266話 蓮沼興産

 話しは少し遡り、ここは蓮沼興産の会議室。


「組長、ある場所で測量ってどこです?」

「あほう! 会長と呼べ会長と、何度言ったら分かる」

「へ、へい。すんません」


 会長である正三から怒鳴られてしまった専務取締役が、頭に手をやり苦笑する。どうにもこのクセが直りませんでと。

 会議室に集められた社員は重役も含め、みんな蓮沼組の時代からいる元組員たちであった。杯を交わした親分子分の関係が、未だに抜けきれないのは致し方なし。

 上場企業で普通に社員を採用してはいるけれど、会議の招集をかけられたのはかつての子分たちだけであった。


「お前たち、異世界の存在を信じるか」


 急に徹がそんな事を口にしたものだから、若頭は何を言っているのだろうかと皆が首を捻る。だから若頭じゃなくて社長だってば。


「その異世界にある海峡に、吊り橋を架ける。お前たちに人肌脱いでもらいたい」


 真顔で話す正三に、会議室がどよめきに包まれた。眉唾ではと思ったが、組長と若頭が言うなら本当に異世界とやらがあるらしいと。


「組長、それは子会社として立ち上げた食品リサイクル会社と何か関係が? それと取引先であるロマニア食品株式会社は、みやびお嬢さんが社長で舎弟頭佐伯代貸黒田に工藤が取締役ですよね」


 全くお前たちはと、正三は渋面でコーヒーカップに手を伸ばした。どうもかつての子分たちが集まると、会議の場が蓮沼組に戻ってしまう。まあ変な派閥とか出来たりしないので、会社組織としてはうまくいっているのだが。


「大っぴらには出来ん事だから、ここにいる者にだけ話す。集めた廃棄食材はな、異世界で食糧難に陥っている国へ運んでいる。いいかお前たち、これは人助けだ」


 異世界には半信半疑だった元組員たちが、正三の人助けという言葉にビビッと反応した。会社員となっても、かつての任侠魂は忘れていないらしい。


「異世界は間違いなく存在する。資金は既に調達済み、海外出張気分でちょいと遊びに行ってみないか? 移動は一瞬だ」


 楽しそうに徹が話すものだから、面白そうだと皆が顔を見合わせ頷き合った。

 会社員となってから建築関連の資格を取得した者は何人もおり、異世界の橋梁工事に目を輝かせている。数社合同で橋を架ける工事には参加して来たが、蓮沼興産の単独事業は初となるのだ。


「ただし設計は一般の社員に事情を伏せて任せるが、測量と実際の工事はここにいるメンバーでやることになる」


 そう言って徹はみやびがスマホで撮影した現場の写真を、パソコンからプロジェクターに映し出した。へえとかほうとか、会議テーブルのあちこちから声が上がる。どっちかって言うと、海峡の岸壁にそびえ立つマーベラス城に興味を示したもよう。


「橋梁建築に使う資材の調達はどうしましょう、組長」


 土木部門の部長がつい組長と口を滑らせ、正三の眉がつり上がる。上場企業の会議室、その雰囲気はもはや組の事務所と化していた。


「港重工の会長と話しはついている。いいかお前たち、この件は他言無用、くれぐれも一般社員には内密にな」


 皆が口を揃えて『へい! 組長』と返した。だから会長と呼べと正三が額に手をやり、徹がダメだこれはと苦笑しながらコーヒーを口に含んだ。だがこんな時こそ、蓮沼組の子分たちは一致団結するのである。


 港重工もかつては港組と呼ばれていた任侠集団。蓮沼組とは友好関係にあり、こちらも暴対法の施行で堅気に転じていた。正三が面白そうなことを始めたと、深くは追求せず協力してくれることとなった次第。





 ――そしてマーベラス城。


「ねえナディア、あの人たち何してるのかしら」

「ラングリーフィンが測量に地質調査? とか言ってたみたいよ、パウラ」


 こんな距離があるのに橋を架けられるんだと、ターニャとユリアが頷き合う。みやび亭五号で昼食の準備をしながら、四人と城のメイドたちは蓮沼組が行っている作業に興味津々。

 アグネス知事も本当にモスマン帝国と橋で繋がるんだと、城壁に立ち未来に思いを馳せていた。みやびから交易都市の構想を聞いた時はまさかと思ったが、夢物語ではなく実現可能なんだと希望を胸に抱く。


「お祖父ちゃん、お父さん、そろそろお昼にしよう」

「おお、もうそんな時間か。お前ら! 飯にするから上がれ」


 正三のかけ声で丸に蓮の文字を染め抜いた、法被はっぴを羽織る集団が広場にぞくぞくと集まってくる。いや何で法被着てるし。

 近代に入り消防署が確立するまで、火事の時には火消しも担っていた蓮沼組。その時代の法被を粋だからと、みやびが倉庫から出したのだ。


「お嬢ちゃんすまねえな、ごちになるぜ」

「いいえそんなとんでもない。お代わりは自由です、気軽にお申し付け下さい」


 クリスマスでお世話になった正三に、なんとパウラが珍しく丁寧な言葉遣い。これは雨でも降るんじゃないかしらと、ナディアが目を見張る。


「……ひぎ! 何すんのよこのスカポンタン!」

「ああごめんパウラ、ついクセで」

「今のあたしに何の粗相そそうがあったって言うのよナディア!」

「いやホントにごめん、あまりにもパウラらしくなくて」


 理不尽にお尻を抓られ、それどういう意味よとなんちゃらかんちゃら。この二人は見ていて飽きないなと、正三が目を細める。辰江ターツェと契りを結んだリッタースオンの正三は、ラテーン語もカナン語も通じるわけで。

 リンド族の直系であり、ファフニールの叔母である辰江。そのリッタースオンと聞いて、臙脂色マントの誰もが驚いている。まあ池から出てきてキトンがスケスケの辰江に、正三は一目惚れしちゃったんだけどね。


「まさか異世界でソースカツ丼が食えるとは思わなかったな、みや」

「美味しいでしょ、お父さん。パウラもナディアも、腕を上げたわね」


 みやびに褒められ、舌戦を止めた二人がモジモジと体をくねらせる。尊敬できる人から褒めてもらえれば、こんなに嬉しいことはない。それは華板を師匠とするみやびだって同じ。良く出来たならば褒めてあげる、これは人材を育てるのに大事な要素。

 逆に尊敬できない相手からの褒め言葉は、真に受けてはならない。そこには悪意や嫉妬が含まれていたりするのだから。


「組長、本当にお代り自由なんですかい?」

「おう、味噌汁もいいそうだ。午後の作業もある、お前らしっかり食っておけ」


 ことここに至っては、正三も会長と呼べとは言わなくなっていた。蓮沼組ここにあり、そんな気分で豆腐とワカメの味噌汁をすするのであった。

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