第263話 コノシロ三昧
ファフニールのお気に入りであるマイ湯呑み。ずらっと並ぶ魚漢字を見ていくと、魚へんに冬と書かれた文字がある。読み方は
「みやび殿、これは美味い魚じゃな」
「気に入ったみたいね、赤もじゃ」
わざと薄く切った酢締めのお刺身だけれど、お醤油に浸けると表面に脂の膜が浮いてくる。良質な脂が乗っている魚であることは間違いなく、パラッツォが頬を緩めて熱燗をキュッと。
「シルビア姫、こんなに食べやすい魚だったでしょうか?」
「煮ても焼いても骨がじゃまして、食べにくい魚だったはずよ、バルディ」
領地に港を持つラシーダ侍従長もガッサンと顔を見合わせ、首を捻っている。こんなに食べやすかったかしらと。
航海で魚を口にする機会が多かったラフィアも、へえーという顔をしていた。アンガスとサレウスは初見さんなので、うまいうまいと頬張っているが。
この鮗という魚、スーパーや魚屋さんで見かけることはまず無いだろう。地方の一般向け魚市場なら、季節によっては並ぶかもしれない。
実は出世魚で、成長に合わせて呼び名が変わるお魚さん。関西でブリの幼魚をハマチと呼ぶように、コノシロも成長度合いで名称が変わる。
関東では
ところが江戸前寿司では、幼魚であるシンコとコハダを寿司ネタにしているというこの不思議。その理由は成魚となったコノシロの、骨格にある。
『おうみやび、この魚わかるか?』
『初めて見るかも。どうやって捌くの? 華板』
『ニシン科の魚でな、骨が入り組んでる。ちっちゃいうちは気にならねえが、大人になると骨が硬くなって食べにくいのさ。それで寿司ネタにはシンコやコハダを使ってるわけよ』
それが分かっていながらどうして大人になったコノシロを仕入れたのかしらと、みやびは首を傾げる。けれど華板は、冬のコノシロは脂が乗って美味いんだぜと口角を上げた。
『刺身でも焼きでも煮付けでも、五ミリ以下の間隔で骨切りをするんだ。そうすると口に入れても骨が気にならなくなる。ウツボも同じさ、よく見てな』
華板が包丁を入れる度にジャリジャリと音がし、骨の入り具合と強さが分かる。成る程これではそのまま食べるの難しそうと、みやびは真剣に見入る。
東京では市場価値が低い大人になったコノシロさん。でも原因は骨の下処理に手間がかかるからで、魚を知り尽くした名人が包丁を握れば最高のご馳走となる。
『むふぅ、華板これ美味しい!』
『だろ。五ミリ以下だ、覚えとけ』
コノシロがよく食される地域では、この骨切りをお婆ちゃんもお母さんも普通にこなす。けれど残念ながら、その技術は失われつつあるのが実情。成魚となったコノシロを気軽に食べられるのは、調理法をよく知る漁師や釣り人の特権かもしれない。
あまりにもお安いのでつい競り落としてしまったカエラとティーナが、カウンター内の奥でホッと胸を撫で下ろしていた。不評な魚を大量に仕入れてしまったかと、内心ドキドキだったのだ。
まあ骨の硬いハモでさえ、骨切りして
ところでよっぽどティーナと一緒にいたいのか、最近カエラは暖簾を下げるまでカウンターの中にいたりする。閉店後の恒例となっている、お風呂にも一緒に入る。
彼女も料理の腕前はお店を開けるレベルで、アルネチームとローレルが赴任していったみやび亭本店では欠かせない戦力となっていた。
どっちからでもいい早く口説けと、近衛隊では周知の事実となっているカエラとティーナ。内緒ではあるがアルネとローレルも、二人をよろしくお願いしますとみやびに託して赴任したからね。
「ラングリーフィンよ、それは何じゃ。切り身を包丁で勢いよく叩いておるが」
「んっふっふー、コノシロのなめろうよカルディナ陛下。食べてみる?」
もちろんと頷くカルディナ陛下に、ミスチアとエミリーも乗っかる。アムリタ陛下とルワイダ皇后も手を挙げ、挽肉のように魚をミンチ状態とする料理に興味津々のごようす。
千葉県は房総半島の郷土料理であるなめろう。語源はあまりの美味しさに、皿まで舐めてしまうところから来ているらしい。
小骨の多い魚でも細かくミンチにしてしまえば、口に入れても骨が全く気にならなくなる。そのミンチに薬味と味噌を加えたのが、なめろうと呼ばれる料理。これを最初に考え出した人は、天才だよねとみやびは思う。
「あーラングリーフィンよ、白米が欲しいのじゃが……」
「僕も欲しいです、母上はどうしますか?」
「そうねアムリタ、私ももらおうかしら」
そう言うと思っていたのか、妙子がすすいと動いてご飯を、アリスがふわふわ浮きながらシイタケのお吸い物を置いて行く。他の皆さんは熱燗追加ですねと、カエラが徳利を並べて行った。
カウンター隅の男四人衆が、なめろうこっちにもプリーズと手を挙げる。おっしゃどんと来いと、みやびの包丁がリズミカルなメロディを奏でていった。
「出刃包丁といったか? その短剣は人を殺めるのではなく、生かす武器なんだな」
鍛冶職人であるアンガスの武器発言に、調理科三人組が武器じゃねーよと眉尻を下げた。だがこの世界の住人からしたら、刃物は全て武器である。
「ちょいと見せてもらってもいいだろうか、ラングリーフィン」
「いいわよ」
生粋の刀鍛冶に、布巾で拭い差し出すみやび。
それを受け取ったアンガスは、
それを親指の爪に当てれば、力を入れなくても爪がするする削れていく。本来の切れ味はもちろんだが、よく手入れされているのが分かる。
「見事な短剣ですな」
だから武器じゃねーよと、麻子と香澄が眉を八の字にする。
そしてみやびはと言えば、なめろうの形を丸く整えフライパンで焼き始めていた。魚と薬味と味噌の焼ける匂いが漂いはじめ、それは何だと店内が騒然となる。
「さんが焼きって言うのよ、みんな食べる?」
つまり魚ミンチのなめろうを焼いたハンバーグ。
そんなバリエーションがあるのかと、誰もが驚き食べたいと手を挙げる。もう一度ご飯を炊いた方がいいわねと、妙子とアリスが頷き合っていた。
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