第261話 東西大陸の統一
「妾は敬意を表して呼び捨てを許しておるのじゃが?」
周囲の反応に唇を尖らせ、胡乱な目をするカルディナ陛下。けれどラシーダ侍従長とルワイダ皇后は、箸を手にしたまま完全に固まっていた。
停戦期間はあったものの和平条約を結ぶまで、ドンパチやってた帝国同士。その女帝さまがアムリタに、歩み寄りを見せている。それは皇族としての社交辞令なのか、女性としての愛情表現なのか、見極めねばなるまい。
メリサンド帝国の女帝陛下とモスマン帝国の皇帝陛下が、婚姻関係を結んだら大陸はどうなるのだろうか? そんな顔でお互いを見るミハエル皇子とシリウス皇子。
「帝国がひとつになるのじゃから、
パラッツォがボソリと呟き、確かにとブラドも相づちを打つ。大帝国の誕生ですねとシルビア姫が乗っかり、本当の意味で和平ですねとバルディが腕を組む。
西の大陸と交易がしやすくなるわけで、そいつはいいと頭目ラフィアがアンガスと視線を交わし合う。なんせ密航ではなくなるのだから。
ならば首都はどこに構えるのが妥当でしょうとエミリーが天井を見上げ、領民の大移動になりますねとガッサンが拳を口に当てる。
すると大帝国の名称はどうすると法王さまがお通しを頬張り、聖職者の人事異動も大変ですねとアーネスト枢機卿が言い出す始末。
「ちょっと待って、みんな話が飛躍しすぎよ!」
慌てて妙子が事態の収拾を試みる。
なんせカルディナ陛下がそなたらはと、カウンターの中で出刃包丁を握り締めているのだから。誰かが何か言うたび、まな板に置いたダイコンへ斬撃が加えられており何それおっかない。ダイコンの輪切りが、次々と量産されているのだ。
「ねえアムリタ陛下、カルディナ陛下のことどう思う?」
一瞬で凍り付いたみやび亭本店。
任侠聖女さまがど直球で聞いちゃうものだから、もちろんカウンターの内も外も、テーブル席も固まってしまった。
ここでそれを尋ねますかとヨハン組の箸も止まり、当の女帝さまは陸にあげられた魚の如く口をパクパクさせちゃっている。
けれど冷静に成り行きを見守っている者が二人、それはクララとミスチアだった。
実はミハエル皇子やシリウス皇子が皇帝となったならば、その身分に合う女性は何人か候補がいた。ところが女帝の場合、婿に入る相応しい男性が残念ながら見当たらないのだ。
スケベ公……もといランハルト公の子息が最も相応しいけれど、女の子続きでやっと男子が生まれたばかり。つまりまだ赤ちゃん。
――これってもしかしたら良縁では。
クララとミスチアは、そんな風に捉えていたのだ。良く言えばおてんば、悪く言えばじゃじゃ馬のカルディナを、アムリタが好いてくれるかどうかは別問題であるが。
「快活で、行動力のある方だと思います」
みやびの問いにアムリタが、すごく真面目に答えていた。
今のところはそんな印象なのねと、妙子がクスリと笑う。穂ジソを摘みに調理場の窓から飛び出しちゃう姫さまなんだけどと。もちろん声に出しては言わないが、出刃包丁の斬撃で輪切りの大根がまた増えた。
喧嘩したらベットにウシガエルを仕込まれるかもよと、ファフニールもクスリと笑う。声に出してはいないのだが、なんと籠にあった大根が全部輪切りに。
これはブリ大根にしましょうと、すかさず麻子組と香澄組がまな板から全て回収。二人ともグッジョブ。
クリクリ姉妹がブリをさばき始め、アルネチームが煮汁の準備を始めた。量が多いので、味噌だれふろふき大根も作りましょうかと提案したのはアリス。いいねいいねとお付き四人が手を叩き、それぞれが準備に入って行く。
「それでカルディナ陛下は、アムリタ陛下をどう思っているのかしら」
うわ聖女さま聞いちゃったと、誰もが耳をダンボにして本人の言葉を待つ。そのカルディナであるが、今度はキュウリを手に取り飾り切りを始めてしまった。
松の木に木の葉と、すいすい作っていく女帝さま。あら器用ねと、ルワイダもラシーダも目を丸くする。アムリタも姿を変えていくキュウリに、思わず見とれていた。
考えてみれば女帝さま、ほぼ初期から調理場で料理を覚えてきたのだ。その腕前はお店を開けるレベルにあり、結婚相手は食事に困ることなんて無いだろう。
「殿方とのお付き合いがどんなものか、妾にはよう分からん。じゃがアムリタ殿とは、仲良くやれそうな気がしておる」
「僕も呼び捨てでいいよ、カルディナ。機会があれば、こんど皇帝領を案内してくれないか」
そんなことをアムリタに言われ、カルディナの頬が桜色に染まった。飾り切りしたキュウリを皿に乗せ、もろ味噌を添えてずいっとアムリタに差し出す女帝さま。
二人ともまんざらではないんだなと、カウンターの常連たちが微笑み合う。東西大陸の統一が、一気に現実味を帯びてきた。
血生臭い武力闘争はもちろん、民族差別も人種差別も存在しない平和な世界。それをリンド族はどれほど夢見たことだろう。竜でありながら人と交わり子孫を残す運命を背負ったリンド族にとって、それは待ち望んでいた優しい世界。
「まさか……」
「ブラドよ、どうかしたのか?」
「ああいや、何でもない」
ブリ大根を頬張るパラッツォが怪訝そうな顔をし、ブラドは何かを振り払うように味噌だれふろふき大根に箸を入れる。
“大精霊の巫女として大精霊の
カルディナ姫が女帝となった時点で、古文書の趣旨は達成されたとブラドは思い込んでいた。けれどそれは前哨戦に過ぎないと彼は気付いたのだ。
みやびが
「はい、活アオリイカのお刺身よ。お砂糖かけたみたいに甘いから、みんなきっと気に入るはず」
「むほ、これは美味いな麻子殿」
アミノ酸の塊であり、人間の舌には甘みに感じられるアオリイカ。すっかり顔が緩んでしまったパラッツォに、黙っていれば深窓の令嬢である麻子がオヤジ顔で間もなく終了でーすと応えるの図。
大精霊の巫女が、ブラドの前にアオリイカの皿をことりと置いた。頬張ってみればそれは確かに甘く、熱燗が止まらなくなる。
かつて城の酒蔵に落ちてきた女子高校生は、本当にこの世界をひっくり返す存在なのだ。ブラドはそれを今、はっきりと実感していた。
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