第260話 精霊とは
昼食を終え書類仕事も片付き、みやびとファフニールは法王さまとアーネスト枢機卿を招いてお茶会を始めていた。
何となく聖職者とお話しがしたい。ファフニールが無性にそう思い、大聖堂に使いを出した次第である。
ところでこれは何でしょうかと、給仕に入ったティーナとローレルが首を傾げていた。それは熊の置物に博多人形と招き猫の貯金箱。昭和レトロの
私の趣味に何か問題でもと微笑むロマニア君主に、いえ滅相もございませんと両手をブンブン振るティーナとローレル。目が笑っていない美人の微笑みほど、おっかないものはない。
いやそれよりも君たち、扉の両脇に立つカーネルサンダースおじさんとドナルド・マクドナルドはどうして気にならないのだろうか。
エビデンス城の一階には、甲冑をまとった騎士のオブジェがずらっと並ぶ廊下がある。ティーナとローレルは、まあそれと似たようなもんだろうと思っているらしい。ケンタッキーとマックなんだけどね。
「正教会にも終末論はある」
そう言いながら、みたらし団子に手を伸ばす法王さま。アーネスト枢機卿もそうですねと頷きつつ、ごま団子を頬張る。
仏教で言うなら末法思想。
ヒンドゥー教で言うならカリ・ユガ。
キリスト教で言うならヨハネの黙示録。
北欧神話のラグナロクも、終末論と言えるかも知れない。
精霊は世界が正しい信仰を維持しているか、それを見ている。
精霊と呼ばれる存在は宇宙の意思でありその眷属、決して人類のお友達ではない。信仰心が失われる、あるいは誤った信仰に偏れば、精霊によって破壊による再構築が行われるだろう。
ヴィシュヌ神の化身であるカルキが現われ、世界を更新するのか。七人の天使がラッパを吹き鳴らし、地獄の蓋が開くのか、それは始まってみないと分からない。
宰相バリウス一派も、サルワ国にヘイン国とバジスタ国の王も、自分たちは守られ新しい世界に君臨できると信じている。その誤った選民思想こそが、世界を破滅に導いているのだけれど。
精霊は見守っている、人類が辿り着こうとするその行く末を。
ならば我々が武器を手に血を流してでもつかみ取ろうとする未来は、果たして宇宙の意思が望む世界なのだろうか。
“だったら正義って何?”
「誰もが望むことを叶えるのが為政者の仕事であり正義、誰も望まないことを私利私欲で行うのが悪かしら」
そう言って、ファフニールが魚漢字の湯呑みをことりと置いた。
民を守るのが王であり貴族、それがリンド族の絶対に譲れない
「先代のラウラさまが今の貴方を見たら、さぞお喜びになるでしょうね」
アーネストが有田焼の湯呑みを両手で包み込み、ファフニールをちょっと眩しそうに眺めた。法王さまも君主の鏡だなと頷き、団子の串を置いて緑茶をすする。
その境地に至ることができたのはみやびのおかげと、ファフニールは隣に座る愛妻に視線を向けた。当のご本人は美味しいねと、アリスと仲良く三色団子を頬張っているけれど。
法によって導くのも、武力によって捻じ伏せるのも、民を支配することに変わりはない。どのような信念に基づき統治するか、国を治める者はそれが問われている。
勝てば官軍とはよく言ったもの。
理性を失い筋の通らない戦争を仕掛け、これが正義だと主張して勝利すれば官軍になってしまう。なぜなら歴史の勝者は、
けれどそれはまかり通らないわよと、一蹴して丸めてポイするのが蓮沼みやびなのだ。筋の通らないことを殊更に嫌う任侠聖女に出会わなかったら、自分は色々と妥協していたのではあるまいか。そんな風にファフニールは感じていた。
民を守り精霊を正しく敬う心こそ、宇宙の意思に叶う治世なのだろう。任侠聖女さまを通して、若きリンドの族長はそう悟ったのだ。
「みや坊、モスマンの逆臣討伐はいつにする?」
「そうね、冬休みが終わったら食材調達も再開するわ。あと五回は食糧支援をしたいところ、討伐はそれからね」
冬休みとは何ぞやと、法王さまとアーネスト枢機卿が顔を見合わせる。
その後ろではアリスがここにお金を入れるのですと、ティーナとローレルに招き猫貯金箱の説明をしていた。アリスなんで知ってるし。
――そして夜のみやび亭本店。
本日のおすすめは、牛スジ豆腐味噌煮込みとカワハギにアオリイカのお刺身。
シルバニア領のミウラ港から北方系の魚も入荷するようになったので、壁のお品書きもずいぶんと増えている。
そのカウンター内で、カルディナ陛下とシルビア姫、頭目ラフィアとラシーダ侍従長が、なぜかワイキャイはしゃいでいた。彼女たちが手にしているのは、カワハギ。
カワハギというお魚は、名前が示す通り皮を剥ぐのが簡単な魚。ウロコを持たないので、口元に切れ目を入れ皮を引っ張ればあっさり剥がせてしまう。
アルネが下処理するのを見て、カルディナ陛下が自分もやってみたいと言い出したのが発端。クララもミスチアもエミリーも、止める気はさらさらナッシング。この人言い出したら聞かないからね。そこにラフィアとラシーダにシルビアが、面白そうと便乗したって流れ。
「肝がパンパンじゃのう。ラングリーフィンよ、これはどう調理する?」
「お煮付けにしても美味しいけど、肝を溶いだ肝醤油にお刺身を付けて食べるのも捨てがたいわよ」
「ふむ、ならば試してみようぞ」
カワハギはフグ目の魚だけれど毒は持たない。
年間を通じ美味しいお魚で、肝が大きくなるのは秋から冬にかけて。この肝が美味しくて、魚好きや釣り人の心を掴んで放さない。
「んふぅ」
カルディナ陛下、思わず頬に手を当てていた。
肝醤油でお刺身を食べた飛び入り女子たちが、うんうんと頷き足踏みを始めてしまった。海のフォアグラと呼ばれるだけあって、その美味しさに目を細めてしまう。
「あー、みやび殿」
「みやび、こっちにも回してもらえないだろうか」
見ればカウンターの男衆、尻尾を振るワンコ状態。カワハギは決して漁獲量の多い魚ではなく、無くなり次第終了は待ったなし。
しょうがないわねと笑顔を振りまき、みやびが男衆に分け前を置いていく。これは美味いですねと、ミハエル皇子にシリウス皇子が破顔する。バルディにガッサンもこれはたまらんと、熱燗をキュッと。
そんな中、カルディナ陛下がアムリタ陛下の前に、カワハギのお刺身と肝醤油をコトリと置いていた。
「妾からの気持ちじゃ」
「あ、ありがとうカルディナ殿」
「むふ、妾のことはもう呼び捨てでよいぞよ」
店内が、ちょいと大騒ぎになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます