第259話 香澄のパスタ
調理台に茹でる前のロングパスタがずらっと並んでいる。表面がザラザラしているものと、つるつるしているものの二種類。
「香澄、ザラザラしているのは不良品?」
「そんなわけあるかい! このアフォ麻子」
足を踏もうとする香澄の攻撃を、ひょいひょい躱す麻子の図。端から見れば、二人でダンスしているようにも映る。相変わらずねとメイドたちがクスクス笑う。
自分の領地であるミズル州に、パン工房やチーズ工房だけではなく、パスタ工房も設立していた香澄。鍛冶職人や木工職人をずいぶんと悩ませたようだが、ようやく量産にこぎ着けたらしい。
「料理によって使い分けるのかな? 香澄」
「うっふっふー、気付いたようね。イタリアで有名なパスタメーカーで例えるなら、ディチェコとバリラの違いかしら」
それってどんな違いなのよと尋ねる麻子に、重要事項だからよく聞きなさいと腰に手を当てる香澄センセイ。粉物どんとこいの彼女に言わせると、パスタには外せない知識らしい。
ミートソースやクリームパスタなど、ソースを絡める料理ならばザラついているタイプを。アラビアータやペペロンチーノといった、オリーブオイルを生かす場合はつるつるしているタイプをと、香澄センセイは鼻息を荒くする。
「ミートソースやボロネーゼを食べ終わった後、皿にソースがいっぱい残っちゃう経験ない? それはソースが絡みにくいつるつるタイプを使っているからよ」
「あ……、そういうことか」
ラーメンに使うストレート麺と縮れ麺の違いなのねと、香澄が言わんとすることを麻子は理解したもよう。スーパーで何となく手にするロングパスタも、料理によって使い分ける必要があるんだと。
「でも国産のロングパスタってさ、ほとんどがつるつるタイプじゃない? ソース系のパスタはどうすればいいのかしら」
「そこでソースに絡みやすいよう、敢えて細いパスタを選ぶわけよ」
それで太さが色々あるんだと、麻子は感心しきり。
そんなわけで、表面がザラザラなソース系と、つるつるなオイル系を使い、みんなで茹でて試食会の始まり始まりー。
面白そうだと、女帝さまにミスチアとエミリーが参戦。クララにシルビア姫とラフィアも加わり、今日も調理場は和気あいあい。
「うんうん、同じ太さのパスタとミートソースでも、ザラザラとつるつるでは味も食感も全然違う」
「お分かり頂けたようね、麻子殿」
どや顔の香澄だけれど、そこはお料理の探求者同士。麻子も美味しいものは美味しいと、今度はペペロンチーノを頬張る。
「ザラザラした方は食感がモチモチしてるけど、つるつるの方は芯があっていかにもアルデンテって感じね」
「だからつるつるをソース系に使う時は、細麺を選んで更に
一緒に試食しているメイドたちが、香澄と麻子の会話に耳を傾けていた。調理科三人組の何気ない会話には、お料理に欠かせない大事な要素が含まれていたりするからだ。
「イタリアでは1.7ミリあたりをスパゲッティーニ、1.5ミリあたりをフェデリーニ、1.3ミリ以下をカペリーニって呼んでるわ」
「それを日本人は
呆れる麻子に、これは日本の製粉業界にも責任があるわねと香澄は笑う。どんな料理にするかで、ザラザラとつるつる、そして太さを使い分けるのよと人差し指を立てる。
「香澄殿よ、今ここに並んでおるのは何ミリなのじゃ?」
「幅広く対応できる1.6ミリよ、カルディナ陛下。一気に発注すると鍛冶職人が発狂しちゃうから、バリエーションはこれからゆっくり増やすつもりなの」
「ほうほう」
小麦の粉を練って麺を作るという文化すら無かったこの世界。そう言えば昨日はマカロニサラダという料理があったなと、女帝さまは思い出す。
「それはショートパスタって言うの。
「ほうほうほう」
スープやサラダの具材だけではなく、ショートパスタはメイン料理にも出番があると、香澄が鍋をかき混ぜる。それはグラタンにするためのホワイトソースで、マカロニを投入するつもりなのだろう。
香澄が持つパスタ工房、ぜひ我が国にもと思ったのは女帝さまだけじゃない。エミリーもシルビアもラフィアも、目をキラリンと光らせていた。
そんなわけで本日お昼のダイニングルーム。
ザラザラはミートソースとカルボナーラ、つるつるはペペロンチーノとアラビアータ、これがお代り自由。
そこにマカロニグラタンとシーザーサラダが付き、デザートにベイクドチーズケーキが添えられる。今日も腹ペコたちによって、ダイニングルームは大盛況。
――その頃、ここはファフニールの執務室。
畑を荒らす鹿や猪の駆除依頼に、捕獲と書いて紋章印を押すみやび。モスマンの領地に運んで繁殖させ、森を森らしくさせたいのだ。
その傍らでは、ペンを手にファフニールがポケッとしている。心の深い所に泡立つ色で、彼女が何を考えているかをみやびは察していた。
「八年前、リッタースオンがみんな最大奥義を会得していたら……」
「そうね、レゾリューションを発動する必要は無かったかもね」
あっさりと答えを出しちゃうみやびに、身も蓋もないわねとファフニールは頬杖を突く。そんな二人に、正式に養子となったアリスがお茶を置いた。
「ファニー・マザーのお気持ちはよく分かります」
どうやらアリス、ファフニールのことはファニー・マザーと呼ぶらしい。みやびはあくまでも、お姉ちゃんでとゴリ押ししているようだが。
リンド族の女性は、卵を産むのに十年もかかる。ファフニールにとってアリスは母性をくすぐられる、特別な存在なのだろう。なんせ愛妻そのまんまそっくりな、ミニみやびなのだから。
「けれど情勢はよろしくありません」
顔を見合わせるみやびとファフニール。アリスの言う情勢とは何の事かしらと、二人は首を捻る。
そのアリスが聞いて下さいと急須を置いた。
八年前までは、純粋に国家の利益を追求した戦争だった。けれど今はモスマンとの和平が成立し、精霊をどう敬うかの戦いになって来ていると彼女は言う。
「この世界を存続させるか、破壊による再構築を敢行するか、それを問われているのです。お姉ちゃんがこの世界にいるのも、私が人の姿でここにいるのも、全ての精霊からの問いかけではないでしょうか」
破壊による再構築なんて認めないとみやびが半眼となる。その通りよと、ファフニールは魚漢字が並ぶ湯呑みを手にしていた。
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