第205話 カウンターがすごいことに 

 開店前のみやび亭本店で、妙子がウキウキしながら暖簾の準備をしていた。

 枢機卿領を経由して、エビデンス城に帰って来たみやび達。パウラとナディアも戻っており、今日からいつものメンバーで通常営業となる。 


「私の父さんと同じ名前の子、結婚するんだ」


 アルネからマルクスの話しを聞いたパウラ。彼女はお盆を胸に、年齢が一回り以上離れている結婚話に目を丸くする。ナディアもふむふむと興味津々で、逆の意味で玉の輿だわと食いついた。


 マルクスが結婚可能な十五歳を迎えるのは、今から八ヶ月後。その間に妙子が日本酒の醸造を伝授し、ヨハン君との養子縁組も行う段取りになっている。


 戻ってすぐ、交代する小さな板前さんをゲートで送り届けたみやび。後は粛々と準備を進めるのみよと、手にした菜箸を四拍子に振って笑う。


「パウラとナディアは、どんな殿方と結婚するのかしらね」


 暖簾を掛けて戻った妙子が、凸凹コンビの将来が楽しみと微笑んだ。けれど二人はと言えば、顔を見合わせ微妙な表情に。これはどうしたことだろう。

 

「私は普通の結婚より、スオンになりたいわ」

「奇遇ねパウラ、実は私もなの」


 すわっとその場にいた全員の視線が、一気にパウラとナディアへ集中した。

 妙子はもちろん麻子組と香澄組も、アルネもクリクリ姉妹も、ティーナとローレルも。そしてダイニングルームでの仕事を終え、まかないを食べていたメイド達も。


 “それってお目当てのリンドがいるってことかしら”


 誰もがそう考える中、みやびは人差し指を顎に当てて天井を見上げていた。誰も気付かなかったけれど、彼女は言葉を発することなく調理に戻って行く。


 そんなこんなで、みやび亭本店の営業開始。

 今日のおすすめは何だろうと、ワクワクしながら暖簾をくぐった守備隊や牙の面々。そんな彼ら彼女らが、カウンター席を見てマジかいなとつぶやく。


 まず皇帝の台所番であるクララが、そしてノワル国の王族を示すティアラを冠するシルビア姫が。加えてノワル国近衛隊を示す、カジキマグロがワンポイントのマントを付けたバルディもいる。みやびの急な貴人のご招待に、ファフニールが遠い目をしているけれど。


 クララは選帝侯会議の見届け人として、皇帝領から派遣された使者。八ヶ月も離れ離れは可哀想と、そうなるようみやびが皇帝陛下に働きかけた次第。

 シルビア姫は名目上、派遣した小さな板前さんと交換の人質。自分でそう言ったからね。なお彼女はノワル王の名代として、選帝侯会議に参加し投票を行う。


 まあここはどんなお偉いさんがいようとも、無礼講のみやび亭である。本日の一押しはアンコウ鍋よと、みやびがお玉を手に愛想を振りまく。

 ちなみにアンコウは皇帝領の海底で捕獲し、亜空間冷凍庫に放り込んできたもの。普通の人間なら潜水病になるところだけれど、水竜モードと化した魔王さまは水圧と気圧の攻撃なんか無効らしい。


「カルディナ姫、息災でなによりです」

「うむ、クララは春爛漫はるらんまんのようじゃな」

「うっ……」


 カルディナ姫に茶化され顔を真っ赤にするクララ。カウンター隅の皇子二人と、ミスチアがクスクス笑っている。

 アーネスト枢機卿は感無量とばかりにおいおい涙を流し、法王さまが戦争孤児を育てた甲斐があったなと慰めていた。


「ラングリーフィン、皇帝陛下から朱印状を授かったのですか?」

「んふふ、そうなのよエミリー」


 みやびが首から下げている、見覚えのある印籠いんろうに驚きを隠せないでいるエミリー。チェシャがやりましたにゃあと目を細め、みやびの足下で大盛りのお刺身を頬張る。


 朱印状は皇帝陛下だけが使える、血のように赤い封蝋で紋章印を押したカード。入国申請免除の旨が記載され、陛下直筆のサインが入る。

 印籠にも皇帝の紋章と宝石があしらわれ、大きさは名刺サイズのペンダント。チェシャによると印籠は本来、持病を持つ人が薬を入れて携帯するものらしい。


「みやび、おすすめにあるアン肝ポン酢をもらおうか」

「みやび殿、わしも頼む」

「僕らにも」


 丼によそったアンコウ鍋を頬張る、カウンター隅に陣取る男四人衆からご注文。実はみやび、アンコウ鍋の具材に肝は入れていなかったりする。酒の肴にするならアン肝は、ポン酢がいいかなと思ったのだ。祖父の正三と父の徹も大好物だしと。


 ちなみに聖職者には昆布出汁の野菜鍋。テーブル席でパルマ国の聖堂騎士七人が、あふあふ言いながら頬張っていた。彼らは許しがあるまでロマニア正教会預かりとなり、法王さまが向こうの司教に伝えてある。


「見た目は肌色の石だな、シリウス」

「しかし兄上、ラングリーフィンのおすすめにハズレはありません」


 出てきたアン肝ポン酢に、見入る男四人衆。大葉の上に一センチ幅で輪切りにしたアン肝を三枚乗せ、もみじ下ろしを添えて小ネギをあしらったもの。

 それではと、彼らは箸を付けて頬張った。熱燗が止まらなくなること請け合いと、みやびがニンマリと笑う。実際にその通りであったが。

 ファフニールも、クララと女子三人組も、シルビア姫とバルディも、柔らかい食感とお味が気に入ったようで何より。


「みやび殿、お代わりを頼む」

「食べ過ぎは体によくないのよ赤もじゃ、これで最後ね」

「ふぉっふぉっふぉ、旨い酒と旨い肴で往生できるなら本望じゃわい。ところでみやび殿、店を閉めたらわしの部屋に来てくれんか。話したいことがあっての」


 おや何かしらと、みやびは首を捻った。


 ――その翌日。

 アルネチームがみやびから呼び出され、ファフニールの執務室を訪れていた。パウラとナディアが、ラムルの町で得た食材情報とオーブンの報告書を提出。

 きっちりこなしてきましたよと、二人は誇らしげ。そんなパウラとナディアの前に、みやびがご苦労さまでしたと革袋を置いた。


「これはいったい何かしら?」

「モルドバ卿から預かったのよ、パウラ。ワイバーンの討伐報酬」


 ああそんな事もしたっけなと、パウラとナディアははにかんだ。ただしここから先が本題で、みやびはテーブルに肘をついて手を組む。

 みやびの領分なので、ファフニールはただ微笑んでお茶をすする。話しは聞いているから静観するつもりなのだろう。アルネも同様に、成り行きを見守っている。


「あなた達をシルバニア領の士分に任命します」


 その言葉でパウラとナディアは、カキンと音が聞こえそうなほどの石像と化してしまった。


 スオンとなる以外でロマニア侯国の民が貴族となるケースには段階がある。その第一段階が士分で、目覚ましい功績を上げた者に授与される。

 更に功績を重ねた者が男爵に、国営事業に携わるようになれば子爵に引き上げられる。羊の放牧は国営事業だったので、ヨハンの亡き父も子爵であった。


 士分になると僅かだが知行地が与えられ、自分の領地から収入を得られるようになる。貴族の端くれとなるわけで、それで二人は固まってしまったのだろう。

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