第204話 甲殻類と軟体動物
白米や炊き込みご飯は口にしたことがあるけれど、赤飯は初めての皇帝夫妻。そして顔を赤らめながら毒味をしているクララに、何かあったのだろうかと首を捻る。
そこへ
みやびがクララに馴れ初めを尋ねたのは、説明する材料が欲しかったから。皇帝夫妻がそりゃ目出度いと、お祝いの言葉を彼女に贈った。
これでクララは検閲を気にすることなく、実家の母親に結婚する旨の文を出せる。城の中でも外でも、そして城下町でも、彼女とマルクスは手を取り合い大っぴらに歩けるわけだ。
「貴族は子供が物心つく前から許嫁を決めるケースが多くてな。クララの婚約相手が亡くなった時には、身分に合うちょうど良い相手がおらんかった」
「そうですわね。このまま行かず後家になるのではと、気に病んでおりましたのよ」
そんな風に話す皇帝夫妻だが、年の差婚について触れないのは大人の思いやりだろうか。けれど二人とも、どうやらマルクスを気に入っていて婚姻を歓迎している。
料理だけではなく教養と宮廷作法も身に付けており、インペリアル城の専属になってくれるなら嬉しいと楽しげに笑う。
「ではお毒味も済みましたし、どうぞ召し上がって」
みやびの合図でメイド達が、皇帝夫妻とシルビア姫の前に料理を並べていく。
魔王さまから食べてみなさいと、調理場で味見をさせられた彼女達。最初は怖がっていたけれど、その味わいに
「まずはアオリイカとマダコのお刺身から。何も付けず、そのままでどうぞ」
みやびに勧められ、皇帝夫妻とシルビア姫は恐る恐るフォークを刺す。生まれて初めてのイカとタコ、しかも生食である。
されど皇帝陛下は、息子二人と娘が美味いと書簡にしたためていたからと、気合いを入れて頬張った。毒味でクララも普通に食べていたしと、皇妃とシルビア姫も覚悟を決めて口に含んだ。
マグロやエビなら下ろしワサビと醤油がよく合う。
イワシやアジ、カツオなんかは下ろしショウガと醤油の相性が良い。
アナゴやシャコなら
酢締めされたコハダやサバは、そのまま何も付けず食べた方がいい。
白身魚と
余談ではあるけれど。
回らない江戸前のお寿司屋さんに行くと、お客さんの前に出した時点で寿司には既に味が付いている。素材に合わせた味付けを施し提供してくれる、それが本当のお寿司屋さんと言えよう。
マグロなら煮切り醤油を塗り、ワサビを添えてつけ台に。アナゴはツメを塗り、シャコは煮切り醤油とツメのどちらが好みかお客さんに聞いて出す。
なので味が付いているにも関わらず、何でもかんでも醤油に浸して食べるのは頂けない。素材の味を引き出す手間と工夫を全否定する行為で、寿司職人泣かせの嫌な客となる。
そんなわけでみやびが提供した、アオリイカとマダコのお刺身は柚子とノワル国で入手した塩で味を付けたもの。淡泊な白身が持つ旨みを、生食で存分に引き出すならこれが一番。
「このアオリイカとやら、甘みがあるな。マダコも噛めば噛むむほどに旨みが出て来る。これは参った」
「どうして今まで、食用にしなかったのでしょう。不思議でなりませんわ」
「それはノワル国も同じです、皇妃さま」
ノワル国と交わした塩の交易は、味噌と醤油に日本酒のライセンス生産を付帯した契約だった。派遣する予定の小さな板前さんは全てに携わっていたので、他国に生産拠点が出来ることとなる。
お料理を世に広めるならば、調味料はもとよりお酒も一緒に広めないと片手落ち。そこんところはみやびも抜かりはない。
「交代で派遣する小さな板前さんに醸造させても良いわよ、皇帝陛下」
「それは誠かシルバニア卿!」
「一度返してもらうマルクスにも、醸造技術を教え込むつもり。皇帝領内で生産しちゃって構わないわ」
「それは有り難い話しだが、無論タダと言う訳ではあるまい?」
「んふふ。対価はそうね、私に帝国内での入国申請を全て免除する、朱印状をくれると嬉しいな」
来た来たと、貴賓室の壁際に控えるみやびチームがニヤリと笑う。じつはこれ、チェシャから入れ知恵された交換条件であった。
帝国法を遵守するみやびは、どの国へ行こうとも必ず入国申請を行う。法は守るためにあると、曲がった事が大嫌いな性分がそうさせているのだ。
しかし皇帝陛下より賜る朱印状入りの
けれど実際に印籠を所持しているのは、陛下の実兄であるランハルト公ただ一人。皇位継承権を持つ三兄妹すらまだ与えられておらず、そう簡単には授与されないシロモノである。
「私は光と闇の合わせ技で、ロマニアの軍勢を率い即座にインペリアル城へ馳せ参じる事ができるの。すぐにとは言わないから、考えといて。では次にクルマエビの天ぷらを、こちらの天つゆに付けて召し上がれ」
天つゆはうどんやそばの麺つゆに砂糖を加え、酢とごま油を少々。学園の学食からヒントを得た、割りとパンチを効かせた味でご飯がモリモリ欲しくなるみやび流。
エビだけでは寂しいので、シシトウ・シイタケ・青ジソの天ぷらも加えてお皿の盛り付けも美しい。
丼に盛った白米の上に全部乗せて、天つゆをかけて頬張るのも捨てがたい。そう思っちゃったヨハン君とアルネ、そしてティーナとローレルである。
「うん、外はサクサクで中はプリッとしておる。この天つゆも良い仕事をしておるな」
お三方が思わず赤飯に手を伸ばし、エビの頭で出汁を取った味噌汁をすすりほうと息を吐く。これがあのエビなのかと。
そして見た目としては一番インパクトのある、蒸した毛ガニの皿へと目を向ける。
みやびは茹でるのではなく蒸す主義で、その後氷水に浸けるやり方。そうすると殻からの身離れが良くなり食べやすい。
“
カニの身をほじくるあの道具、正式にはこんな名前らしい。いやいや、別に知らなくても人生には何の影響もないだろう。
けれどカニの身をほじくる行為は人を夢中にさせ、無口にしてしまう魔力がある。会社の宴会などで、仲の悪い者同士を同席させるならば、カニが良いと言われる所以がここにある。
カニもこんなに美味しいのかと、道具を動かす手が止まらないお三方。そこにみやびが五百キロ爆弾を投下した。
カニミソたっぷりの甲羅へ、温めた日本酒を注いではいどうぞ。日本酒プラス旨みたっぷりのカニミソ、このコラボが決定打となる。
「シルバニア卿、そなたに朱印状を授けよう」
皇帝陛下、甲羅酒をすっかり気に入ってしまったようだ。これには日本酒が不可欠なので、回避のしようがない。
皇妃もんふぅと頬に手を当て、シルビア姫は父上にお伝えせねばと瞳を輝かせた。魔王さまが仕組んだエビカニ・イカタコの晩餐は大成功。
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