第127話 ジーラ・フォン・コルベール

 市場見学に先立ち、みやびはエラン城の地下牢へ足を踏み入れた。絵踏みを拒否したがゆえに、牢屋送りとなった武人を解放するためだ。


「鍵が無いですって?」

「王寄りだった衛兵が、牢の鍵を持ったまま一緒に亡命したようでして」


 悪臭が漂う中、みやびに問われ同行した文官が鼻をつまみながら答えた。

 囚人達の食事は一日黒パン一切れに塩豆のスープのみ。体は痩せ細り目は窪み意識が朦朧もうろうとする彼らの瞳に、若草色のマントが映っていた。


「鍵が無いなら、壊せばいいだろう」


 信仰を捨てなかった同僚達を救いたいが一心で、騎士団長と戦士団長が文官に詰め寄る。一刻も早く太陽の下へ出してあげたいのだ。


「それが頑丈でして、斧を使っても割ることができず……」


 確かに斧を打ち付けた痕はあるが、その程度ではびくともしないようだ。こういう変な所にお金を費やす、逃げた王の性格が垣間見える。


「どうせ錠前は作り直しでしょ、さっさと救出するわよ」


 そう言うや、みやびは風属性と地属性の合わせ技で錠前を次々破壊していった。灌漑かんがい工事で川床を掘ったあの力を錠前にぶつけたのだ。無駄に頑丈な錠前が粉々に砕け散り、金属音を響かせ床に落ちる。


「ラングリーフィン、今のは……」

「これがリンドの力よ。あなた方と剣を交えずに済んで良かったわ」


 さらりと言うみやびに、騎士団長も戦士団長も鳩が豆鉄砲を食らったような顔。文官も何が起きたか理解できておらず、ティーナとローレルがフフンと笑う。


 みやびはシリアルバーとウエハースが入った箱に手を当て『元気になりますように』と念じ、お付きの二人が囚人達にそれぞれ手渡していく。量は少ないけれど、外に出れば牛丼ともつ煮丼にシジミ汁が待っている。


「皆さんお腹の方は落ち着いたかしら? それじゃこれから三十秒の間、目を閉じて息を止めててね」


 何が始まるのだろうと囚人達が顔を見合わせる中、虚空にふわふわと水が集まり始めた。みやびは近ごろ水属性と火属性の合わせ技で、空気中の水分を集め温水へ変えることに成功していた。

 その温水が一気に降り注ぎ十秒ワンサイクルで三回続く。そして排水は、いつの間にか開いていたゲートへ押し流されていった。


「ラングリーフィン、ゲートはどこに繋いだのですかぁ?」

「近くに川があったじゃない、あそこに繋げたのよ。お魚さんの良いエサになるわ」


 なるほどと、ローレルがポンと手を叩いた。相変わらず騎士団長も戦士団長も文官も、状況を把握できていないようだが。

 それだけではなくみやびは風属性と火属性の合わせ技で、牢内に温風を吹き渡らせる。妙子が使う熱波の上位バージョンで、ずぶ濡れの囚人達を乾かしていった。先ほどまでの悪臭はもう感じられない。


「さあみんな、お日様の下に行こう」


 牢から出るよう促すみやびに、文官がお待ちくださいと一人の囚人に人差し指を向けた。その者だけは処刑を待つ罪人ですと。

 見れば足輪に付いた鉄球を引きずる女がいた。王が亡命しなければ、今頃ギロチン台に上っていたのだと文官は言う。


「罪名は?」

「王の暗殺未遂です」

「話し合いはいいよ、さっさと殺してくれないか」


 みやびと文官のやり取りを遮るように、女は口を開いた。まるで世捨て人のような風情と全てを諦めたような口調に、みやびは興味を抱く。


「そう言えば何も説明してなかったわね。ボルド国は皇帝の勅令ちょくれいにより廃国となりました。領土はロマニア侯国のシルバニア領に併合され、皆さんはロマニアの民となります」


 牢内にどよめきが起き、処刑待ちだった女はなんですってと叫びその場にへたり込んでしまった。

 訳ありだなと悟ったみやびは、彼女の足輪を破壊していた。何をするのですかと慌てる文官を制止し、彼女は牢内を見渡した。


「私の名はみやび・ラングリーフィン・フォン・リンド・蓮沼、シルバニア方伯領の領主です。我が臣下となり忠誠を誓えますか?」


 帝国伯であり皇帝の直属であるみやびに、囚人達は驚き臣下の礼をとる。金糸銀糸の縁取りがある若草色のマントが持つ意味を、ようやく理解したのだ。


「さあみんな、外に出てご飯を食べよう!」

「お待ちくださいラングリーフィン、私は処刑を待つ罪人だ」


 女がひざまずいたまま動かず、みやびを見上げていた。他の囚人と共に臣下の礼をとったのだから、彼女もみやびを領主と認めたのは間違いない。


「名前を聞いてもいいかしら」

「ジーラ・フォン・コルベール」


 前置詞であるフォンが付くなら貴族出身のはず。彼女が王の殺害を企てた理由は何なのだろうかと、みやびは女を見下ろし考える。

 けれど牢屋でするような話しではないし、腹ペコでお腹をぐうぐう鳴らす囚人達を待たせるのも気の毒だ。


「ボルド国は消滅したから、あなたに恩赦おんしゃを与えましょう。そうね、死罪から労役に減刑がいいかしら」

「労役? 私に何をさせると言うのか。見ての通り肉体労働には向かず、女の武器を活かそうにもあなたは女性だ」


 そっちは間に合っているとみやびは笑う。事実ファフニールの愛で充分に満たされている彼女は、ジーラにこう言ったのだ。

 

「死を覚悟したなら、怖いものなんてもう何も無いでしょう? 辞世の句は取っておいて、私に付き合って頂戴」


 そう言って差し出されたみやびの手に、ジーラは思わず自らの手を重ねていた。


 正門前の広場はもうお祭り状態。つゆだくにするかぎょくは要るかと確認する近衛隊の声がかき消されるほど。

 これは交通整理が必要でしょうかと半眼を向けるティーナとローレルに、いいからいいからと軽く手を振るみやび。

 無事を祈っていた囚人達と再会し、喜び合う騎士団と戦士団の団員達に水を差したくなかったのだ。

 だがぶどう酒の樽を解禁にしたのは早まったかなと、テーブルで待っていたファフニールと視線を交わし合い苦笑する。水やお湯で割らないぶどう酒が、これほど武人を惹き付けるとは思いもしなかった。


「ねえみや坊、その人は?」

「ジーラ・フォン・コルベールですって。牢屋で拾って来たの」


 尋ねるファフニールに、あっけらかんと返すみやび。

 犬や猫じゃあるまいしと、同行していたティーナとローレルが思わず吹き出していた。無礼があればいつでも剣を抜けるよう、構えていたのはナイショだが。

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