第112話 包囲網は着々と

 宿屋の主人が使用人と共に、食堂の傭兵達へ皿を並べていく。ボルド国の商隊に扮した傭兵部隊の監視に、協力して欲しいと宿屋組合に通達があったのはつい先日。


 紺碧こんぺきのフュルスティン直々の要請とあらば、ビュカレスト市民として協力は惜しまない。旧枢機卿の手下を追いかけてきたアルネを知る宿屋の主人は、宿泊客の振りをしてテーブルにつく牙の監視役にも皿を置く。


 そう言えばあの子は若草色のマントを身に付ける立場となり、今では市場の人気者だなと思いつつ、主人は牙のメンバーとアイコンタクトを交わす。


 青空お料理教室で麻子から教わった、鶏と白菜のオイスターソース煮込み。それと籠に入れた黒パンとゆで卵を添え、どうぞごゆっくりと主人は台所へ下がった。


 さすがに百人を収容できる宿屋なんて、ロマニアどころか帝国のどこを探してもありはしない。商隊はビュカレストにある各宿屋に、グループごとに分散していた。そして市場に最も近いこの宿屋に落ち着いたのが、商人の格好をした傭兵達である。 


「金をもらえるならどんな依頼でも引き受けるさ。だが今回は……」

「間違えたかもしれんな」

「しっ! お前ら声が大きい」


 傭兵達の会話に聞き耳を立てながら、牙のメンバーはゆで卵を割る。殻を剥いて頬張った彼は、思わずへえと漏らした。


 ゆで卵は珍しくもないが、味が付いているのだ。これなら塩は要らないなと手にした瓶を戻し、更に頬張る。白身に付いた味と半熟の黄身が持つコクが合わさって、美味しさが口の中に広がっていく。


 末娘のパウラはこのゆで卵、いつか作ってくれるだろうかと考える牙。あの言葉遣いの悪さは爺さん譲りでお城に上げたら少しは良くなるかと思ったが、期待した自分がバカだったと苦笑する。

 しかもメイドではなくラングリーフィン直属の配下に仕える身となったことは、予想外の更に外だった。フュルスティンや帝国伯のご勘気かんきにふれたりしないだろうかと心配で、最近ちょっと胃が痛むようだ。


「しかしあのチーズフォンデュは美味かった、まさかあのパウラがなぁ」


 ついつぶやいてしまった牙だが、任務を忘れてはいかんと思い直し頭を振って切り替える。傭兵達が何を考えどんな行動を起こそうとしているのか、把握して報告しなければならない。


「別働隊が作戦に失敗したら、俺たちどうなるんだ?」

「捕らえられ尋問を受け、良くて強制労働……」

「俺たち、なんで絵踏みなんかしたんだろう」


 浅はかだったと、傭兵達が後悔の念を口にする。牙は意外とばかりに耳を傾ける、精霊信仰を捨てた事に自責の念があるのだなと。


「主人よ、このゆで卵はどうやって作るのだ」


 そこへオトマール公国からぶどう酒の買い付けに来た、恰幅かっぷくの良い商人が声を上げた。そりゃ知りたいよなと、牙はクスリと笑いぶどう酒を飲む。


「海水に近い濃度の塩水で茹でてから、そのオイスターソース煮込みの余った煮汁に一晩漬け込むんです。黄身を半熟にするか固茹でにするかはお好みですね」


 主人が台所から顔を出し、麻子から教わった中華風の味玉を隠すこともなくあっさり教えてしまう。

 だが料理を世に広めるのが侯国トップの打ち出した政策なので、牙も別に驚きはしない。そのための青空お料理教室だと聞き及んでいるし、料理の普及と共に市場が活性化しているのは見ていて好ましい。 


「なんと、この料理が最初にありきなのか!」

「そうなんですよ。鶏肉と卵で親子の組み合わせ、面白いでしょう。作り方を伝授しましょうか?」


 ぜひ頼むと商人が、おそらく娘なのであろう同席していた若い女の手を引き台所に入って行った。宿屋の主人やってくれるなと、牙はまた卵を割る。

 オトマール公国は海に面していない国。ならばオイスターソースは、当面ロマニアから仕入れることになるだろう。傭兵達の会話に聞き耳を立てつつも、港の漁師達が喜びそうだなと牙はほくそ笑んだ。


 ところ変わってこちらは第二城壁の外。森で野営を始めた別働隊を取り囲むように監視を続ける、ヨハン組率いる守備隊のメンバー達。

 新月で空に月はないが、夜目が利くリンドとリッタースオンの目には別働隊の様子がすっかりきっちり見えている。


「月の無い夜陰やいんに紛れて城壁を越えると思ったが、今夜は動かないようだな。絶好のチャンスなのに、なぜだ」


 レベッカが首を捻り、ヨハンとフランツィスカも頷く。連中は今、捕獲した鹿を解体するのに夢中であった。よほど腹が空いているのだろうか、解体したそばから生で口に放り込んでいる。


「火を通さないと危ないのに」


 そんな事をつぶやくヨハンに、レベッカとフランツィスカが顔を見合わせ声を抑えて笑った。リンド族は有毒魚や有毒植物でも平気で生食できるし、寄生虫や病原菌の類いはリンドの血が蹴散らしてしまう。


 リッタースオンでリンドの血を受け継ぐヨハンもその体質になっており、もちろんこれは調理科三人組も妙子も同じ。だから生食を心配するヨハンの言葉が、レベッカとフランツィスカには妙に新鮮だったのだ。


 そこへみやびから派遣された地属性のメイド達が、重量物を無視した能力で守備隊のメンバーに糧食を配り始めた。


「笹の葉で包んであるが、中身はなんだ?」


 レベッカが手渡してくれたパトリシアに尋ねると、彼女は野戦おにぎりと答えた。ラングリーフィンがそう言っていたと話し、しかも美味しいですよと付け加えて。


 三人が紐を解いて笹の葉を開くと、女性でも一口で食べられるサイズのおにぎりが並んでいた。

 ゆかりご飯のおにぎり、塩昆布を混ぜ込んだおにぎり、高菜を混ぜ込んだおにぎり、おかかを混ぜ込んだおにぎり、それにお新香が付きシリアルバーも入っている。


「八年前に、こんな糧食はありませんでしたね」


 ゆかりを頬張りながらフランツィスカがしみじみと言い、そうだなとレベッカも塩昆布を口にしながら頷く。

 その気になれば毒だろうと何だろうと口に入れ糧とするリンド族ではあるが、やはり美味しいものを食べたいという気持ちは強い。

 そこへヨハンが高菜とおかかを交換しませんかと、レベッカに交渉を始めていた。高菜の持つ辛みが苦手だったらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る