第91話 枢機卿領で頑張る小さな板前

 ここはジェラルドが名代として派遣された、枢機卿領の首都ナザレにある大聖堂。


 その枢機卿室でジェラルドが配下である聖堂騎士と司祭を前に、テーブルを囲んで苦い顔をしていた。なぜならばアーネストが予想していた通り、本当に腐りきっていたからだ。


 酒に溺れる者。

 女に溺れる者。

 金貨を数えるのに夢中な者。

 戒律を破り肉や魚を食らう者。

 宝石の魔力充填に民を脅し祈りを強要する者。

 日々の礼拝すらも欠かす、もはや聖職者と呼べないエセ司教とエセ司祭が、大聖堂で我が物顔をしていた。


 聖職者を罰することが出来るのは聖職者、人ではないリンドにとやかく言われる筋合いはないと開き直る始末。


 教会の有り様とは、聖職者の有り様とはなんだと、ジェラルドは歯噛みして拳をドンとテーブルに振り下ろす。他の皆も思いは同じで、暗澹あんたんたる気持ちに沈んでいた。


「お呼びでしょうか、ジェラルドさま」


 そこに一人の司祭が修道女を従え入室し、ジェラルドの前にひざまずき胸の前で二重十字を切った。この大聖堂で唯一、清廉潔白な聖職者だ。


「座ってくれアリーシャ。呼び立てて済まないが、君の考えを聞かせて欲しくてな」

「剣による粛正に踏み切るかどうか、そのお話しですよね?」

「話しが早くて助かる」


 すると彼女はさっさとやっちゃって下さいと、事もなげに言い放った。お付きの修道女も同意を示すように頷く。


「戒律を破り精霊の加護を失った者に、聖職者たる資格はございません。宝石の魔力充填量が無信心の民と同等なのですから」


 宝石に魔力充填する本来の目的は、戦闘で魔力弾を放つことではない。

 病の治療や干ばつ時の雨乞いに悪魔払いといった、女性聖職者が一時的に精霊の巫女となり奇跡を顕現けんげんするためのもの。


 巫女となるには信仰心の厚い処女の聖職者が必要で、前の枢機卿はアリーシャを世俗にまみれさせず手を出さず、温存したのだ。

 枢機卿の威厳を保つためこき使われましたと彼女は遠い目をし、お付きの修道女がハンカチを出し目を拭っていた。


 そこへみやびの愛弟子が、昼食をこちらに運んでもよろしいでしょうかと顔を出した。枢機卿領へ派遣された第一陣の、小さな板前さん。


「もうそんな時間か、よろしく頼む。アリーシャも食べていくといい」


 ジェラルドとその配下にとって教会の子供達は見知った顔。アウェイの枢機卿領でホームを感じさせてくれる心強いサポーターに、彼らは顔を綻ばせる。


 そのサポーターがワゴンに乗せ運んできたのは、積み重ねた桶だった。


 カッパ巻きとかんぴょう巻き、サラダ軍艦とコーン軍艦にいなり寿司。もちろんショウガの甘酢漬けガリも忘れない。スープはシイタケのお吸い物。

 聖職者でも食べられるようにした、助六寿司すけろくずし的なセットにジェラルド達が祈りを捧げ手を伸ばす。


「ジェラルドさま、これは?」

「まあ食べてみるといい、君たちが持つ食事の概念がひっくり返るぞ。そうそう、これは素手でつまんでも構わないんだ」


 ジェラルドに促され、いなり寿司から行ったアリーシャ。その咀嚼する目が、どんどんと細くなって行く。同席を許されたお付きの修道女はと言えば、磯の香りとキュウリの歯ごたえが心地よいカッパ巻きに夢中。


 皆が食べ進む頃合いを見計らい、串団子と緑茶の代わりに香澄から教わったハーブティーを置いていく小さな板前さん。お得意の串団子はみたらしにアズキ餡とウグイス餡の三種類。


 寿司にも驚いたけれど、こんな食べ物が世の中にあるなんてと、アリーシャと修道女が目を見開きながら串団子を頬張りハーブティーをすする。


「ジェラルドさま。差し出がましいとは思ったのですが、僕の話しを聞いてくださいますか」


 ジェラルドにハーブティーを注ぎながら、小さな板前さんが意を決したように口を開いた。話そうか話すまいか、悩んだ上での相談らしい。

 こちらの生活で何か不満や不快なことでもあるのだろうかと、ジェラルドは話しなさいと言い耳を傾けた。


「剣をもって粛正を実行するならば、こちらの聖堂騎士と戦う事になりますよね」

「ああ、そうだな。それは避けられないだろう」

「市場の買い出しで、僕は彼らが話し込んでいるのを聞いたんです。もしそうなったら、剣を抜く大義名分が自分たちには無いと言ってました」


 テーブルに座る誰もが顔を見合わせた。もしかしてこちらの聖堂騎士は、案外まともなのではと。


「大義を掲げ戦場に立つ騎士や戦士ほど信仰心が厚いと、ヨハン兄さんが言ってました。夕食に招き、一度話し合われてはいかがでしょう」


 そう言いながら、皆にハーブティーを注いでまわる小さな板前さん。もしかしたら、こちらの聖堂騎士と剣を交えず粛正が出来るのではと。


「アリーシャ、君に段取りをお願いしてもいいか」

「お任せ下さいジェラルドさま、夕食に彼らを招待いたしましょう」


 血なまぐさい結果を望まない、小さな板前さんがホッと息を吐く。

 ところで夕食に何かご希望はありますかと、彼は皆に尋ねてみた。あちこちから上がる野菜カレーのリクエストに、彼は人差し指を当てて天井を見上げた。やっぱりみやびの癖は、子供達に伝染している。


 本格インド式から和風と洋風にお子ちゃまカレーまで、レパートリーを幅広く身に付けた子供達。今日は確かカレーの日、ラングリーフィン直伝の和風カレーで行こうかと、小さい板前さんは頭で仕込みと段取りを組み上げていた。






 その頃ファフニールの執務室では、カエラが呼び出されていた。


「また出張手当が頂けるのですか!」

「出張手当ではなく特務手当よ、何度言ったら……全くもう」


 ファフニールが認識を改めさせることを諦め、銀貨が五枚入った革袋を彼女に手渡した。カエラにとってはどっちも同じなのだろうと悟ったようだ。


 クスカー城に輪番制で教会の子供を派遣する、第一陣の護送。それがカエラに与える大事なお仕事。みやびの書簡による依頼で知事ルーシアが、調理場にオーブンを設置する工事も始まっていた。


「ところでワイちゃんとはうまくやれてる?」


 そんなみやびの問いに、カエラは満面の笑みを浮かべた。昨日は草原の木陰で尻尾を枕にお昼寝しましたと。


 それいいなと、みやびは人差し指を顎に当てて天井を見上げた。尻尾なら寝返りを打たれても人生最大の危機にはならないわよねと。そんな想いが心の深い所で色の泡立ちとなり、ファフニールに伝わっていた。


「ねえみや坊、今なにを考えてたの?」

「んふふ、ナイショ」


 ナイショとは言われたが、自分を好いてくれてる泡立ちだった。まったくこの人はと、ファフニールは体がモジモジするのを抑える事ができないでいた。

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